〈3〉 ②
福留はデパートの立体駐車場に車を停めました。
父も、買い物と言えばデパート派でした。母は常々、デパートなんて贅沢品を買うところだからわたしたちには縁がないところよ、と言っています。だから歩にとってのデパートは父と来る場所でした。
福留は両手をポケットに突っ込んで、居心地が悪そうにテナントの間を進んでいきます。どこを目指しているのかもわからず、歩は大人しく後を追います。
広いデパートの一階から七階までを一通り彷徨い、ふたりは五階のおもちゃ売り場にいました。おもちゃといっても、福留が吟味しているのはぬいぐるみや人形ではなく、キャラクタ文具でした。掌に載る金属の箱をいくつか選び、彼は歩を手招きします。
「生箱にするなら、どれがいいです?」
新幹線や消防車、カエルのキャラクタといったイラストが描かれた、いわゆる男の子向けのものばかりでした。どれにも小さな錠前がついています。
「なまばこってなに?」
「ああ、金庫のことです」
「……なんで生箱っていうの? なにが生なの?」
「
「仕舞うほど、お金、持ってない……」
「社長の……さっきもらった、お父さんの名刺を入れておくんですよ」
「どうして?」
福留は膝を突いて、歩と視線を合せました。真摯な眼差しが、どこか悲壮感すら帯びています。
「お父さんの名刺は、気軽に
「お父さんの仕事を発表しちゃいけないのと、同じ理由?」
「そう……ですけど、ちょっと違います」
福留は歩の両手を握ります。湿った熱が指先からぞわぞわと歩を侵食していきます。
「社長の名刺は、大人に効くんです。子供同士の喧嘩で不用意に出すと、大人が出張って来るんです」
「じゃあ大人になら、先生とかになら、見せてもいいの?」
「坊ちゃん、
だんだんと剣を帯びる福留の声に、店員たちがこちらを窺うようです。気づいた福留は俯いて、歩の汚れた靴先に「すんません」と詫びます。父とは違って、本当に自らの行いを恥じている様子でした。
まるで大人じゃないみたいだ、と歩は自分の手を握る福留の指に視線を落とします。短く整えられた親指の爪やジャケットの袖から覗く手首の強張りは、父によく似ていました。父が気軽に叩く彼の頭を見ます。バサついた髪が跳ねています。父のパンチパーマで膨れた頭とは違います。
「
さも当然だと言わんばかりの口調でした。彼は、歩が大人と対等に話せるのだと信じて疑わないのです。
そんな評価をもらったのは初めてでした。
母や学校の先生たちの歩への評価は、頼りない子、でした。うじうじとしていて、言いたいことも言えない子。自分ではなにも決められない子。周囲の子供たちと話を合わせることのできない子。そういう評価を受けていると、歩は冷静に理解していました。
自分の意見をはっきりと言うことは、母の考えと対立する危険性を孕んでいました。自分の判断でなにかをなすことは、母の邪魔をしてしまう可能性がありました。周囲の子と話を合わせる必要がないと言ったのも、母でした。
歩はきちんと母の言いつけを守っているのです。
「社長の名刺は本当に話の通じない、今の坊ちゃんには想像もつかないくらいのクズ相手に出す切り札なんですよ」
だから仕舞っときましょう、と福留は新幹線のイラストが描かれた箱を取りました。
「切り札ってのは、自分でも忘れるくらい誰にも明かさず、秘密にしておくもんです」
悪戯っぽく頬を歪めて、彼は小さな箱に笑いかけました。歩を見ない彼は、どこか寂しそうでした。
その笑みに覚えがありました。歩が鏡の前で練習した表情です。大人にどんなことを言われても、平気なフリをするための顔です。
この人は子供なのだ、と歩は納得します。父に憧れる子供なのです。少し背伸びをして父に近づこうとしている、歩自身なのです。
血を分けた兄がいたとしたらこんな感じだろうか、と歩はくすぐったい気持ちになります。父に憧れ、父を目指し、時折互いをライバル視しながら、語り合えたのだろうかと想像します。
歩は福留の手から新幹線柄の箱を受け取ります。小さな鍵を指先で弾いて「これにする」と素直に笑います。
彼が望むなら、父の名刺を隠しておこうと思えました。
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