第19話 かっこよくは決まらない

 菫と仲直りした次の翌朝、8月20日。

昨日の夜の雨は嘘の様に青みがかっていて雲1つ無く、温度も少し控えめだった。そして、隣には可愛らしい幽霊がぐっすりと眠っている。

何もかも完璧で素晴らしい日、そう思った。ただ、1つの問題さえなければ……だ。


「あ、頭がクラクラする。喉も少し痛い」

「そりゃそうでしょ。だってあんた、あんな大雨の中歩いて帰ってきて、髪も乾かさずにクーラー付けっぱなしで寝たんだもの。風邪になるのも無理ないわよ」


 母の言う通り俺はあの後は歩いて帰って来た。


 菫と丘を下りた後、自転車に乗ろうとした瞬間、大雨が再び降り始め、風も吹き返してきたのだ。その所為で自転車など乗れる筈もなく自転車で40分の道のりを歩いて帰ってきたのだ。


 家のドアを開けた時は母がすぐに出てきて10分近く怒鳴って散らかしてきた。

 その後は風呂に入ったが髪を乾かすのがめんどくさくなり、自室に行き、クーラーを付けたまま寝落ちしてしまった。そして今に至る。


「今日は大人しく寝ていなさいよ。私は仕事に行ってくるから。しっかりご飯とか食べなさいよ」

「あーい」


 母はそう言って部屋から出て行き職場へ向かった。

 母親が部屋を出た瞬間、菫も目を覚ました。

しばらく寝ぼけていたがすぐに本調子に戻り、俺の状況を理解する。


「まずは熱は測りましたか?」

「もう測ったよ」

「何度でしたか?」

「36、9度だったよ」

「少し高めですね。食欲はありますか?」

「少しだけ……ある」

「それなら1階に行って何か食べましょう」

「そうしよっか」


 少しよろけながら1階に行き、台所に向かう。それから炊飯器の中の白米を少し取り小さい茶碗の中に入れ、鍋に味噌汁が入っていたのでそれも茶碗の中に入れて雑炊を作りそれを食べた。


 食べた後は歯を磨き、自室に戻ってベッドに横たわった。しかし眠気は無く瞼を閉じても眠れなかった。その為ベッドの上でゴロゴロジタバタしていると菫が話しかけてきた。


「中々眠れないみたいですね」

「起きてしばらく経ったからな」

「でも、まさか風邪をひくとは思いませんでしたよ」

「俺もなるなんて思わなかったさ」

「せめて髪乾かしてから寝れば良かったのに」

「俺だって出来ればそうしたかったよ。でも町中駆け回った疲労でそれどころじゃなかったんだよ」

「それもそうですね。お疲れ様です」

 元を辿れば俺が原因なんだけどね。


 そう言って、菫は微笑みながら俺の頭を撫でてきた。恥ずかしかったが悪い気はしなかったので、風邪で疲れてる中でそれを止める意味も特に無かった。


 しかし、流石に何10分も撫でられていると恥ずかしさが流石に勝つもので、俺は菫の手首を優しく握った。あまりの細さに内心驚いたが声にはしなかった。


「さ、流石に恥ずかしいっす」

「顔が赤くなってるのはそのせい?それとも熱?」

「両方ですよ、両方」

「そっか」菫は悪戯そうに笑う。

 急にタメ口になるんだな。


 ベッドに横たわり1時間程が経つと気づけば汗を思いの他かいていた。

 服を変えるためにベッドから立ち上がり、クローゼットから代わりの服を出し着ようとすると菫が慌てて近寄って来た。


「な、何? どうしたの?」

「汗を拭き取らずに服を着てもすぐに濡れてしまいますよ?」

「そ、そうだな。それじゃ体拭くから菫は部屋から少しの間、外に出ててくれ」

「嫌です」

「ん? なんて?」

「嫌だと言いました。それと体は私が拭きます」

「はあ! ちょちょ!」この幽霊は一体何を言ってるんだ。


 近寄ってきたと思ったら次の瞬間には着ていた服を脱がし始めた。流石にそれはマズイと思ったし、尚のこと恥ずかしいのですぐにその手を止めさせた。


 自分で服を脱ぐと菫がタオルを持って近づいて来た。菫だって年頃の女の子なのだ、多少の恥ずかしさはあるみたいで耳の先端が赤くなっていた。自分だって上裸で相当恥ずかしいんだけど。


 まずは腕を拭き始めた。改めて自分の腕を見ると結構細いなと驚いた。それは菫も同じだったのか拭いている最中に何度か腕の至る所をモミモミと優しく握ってきた。


 その次は腹部を拭き始めた。偶に脇腹に菫の指が当たりむず痒さに襲われた。菫は案外、俺に腹筋があることに驚いていた。興味本意なのか、何度か撫でられたのには慣れなかった。


 次に胸部と首を拭いてきた。そこには特に驚くようなものはなかったので何もなかったが、菫の顔が急接近し、冷たい吐息が何度も当たったのには最後まで慣れず少しキツかった。なんで幽霊なのに呼吸してるんだよ。


 どうにか平常心を保ったまま作業は終わった。風邪で無ければ色々と危うかっただろう。まあ、流石に一線を超えるような真似はしないけどね。


 冗談めいたことを考えていると、純粋な疑問がふと俺の頭の中で湧いた。


「なんでそこまでするんだよ? なんの義理もないだろうにさ」

「風邪をひかせてしまった原因には私も少なからず関係しています。なので、その落とし前として看病するんです」

「そうか? 原因なんて元を辿れば俺だけにあると思うんだけど」

「ごちゃごちゃとうるさいですね。黙って看病されてください」

「は、はい。分かりました」


 着替えを済ませた後、居心地が良かったのか俺はしばらくの間眠っていたらしく時計を見ると13時を指していた。


「いつの間にか眠ってたのか」


 俺の声に気づき菫は読んでいた本を閉じて本棚に入れる。


「寝てましたよ。それもグッスリと」

「そっかそっか」俺は笑いながら言った。

「食欲はありますか?」

「うーん、少しだけ……ある」

「それなら何か食べに行きますか」

「そうしよう」


 再び1階に行き、台所にある冷蔵庫の中にある冷凍庫の部分を漁ると、1袋の冷凍うどんがあった。なので、それを温め、お湯で割った麺つゆの中に入れ、それをたいらげた。


 その後は、歯を磨き、自室へ戻った。しかし、寝ることは出来なかった。

 暇になり、窓の外の景色を眺めていると菫が不思議そうに見つめているのに気がついた。そんなに見つめられたら恥ずかしいじゃんか。



「どうしたの?」

「深夏君って印象とは裏腹にアウトドア派ですよね?」

「まあ、アウトドア派だけどもそれがどうしたの?」

「いつからそんな感じになったんですか?」

「中学の頃かな。家の中にいたって暇だからだよ。ゲームはスマホのソシャゲ少しするだけで満足するし、本は量はあるけど何度も読んでるから面白みには欠ける。新しい本買うにもお金に毎回余裕があるかと言われればそうもいかないしな。だったら外に出てブラブラと散歩してた方がいいと思ったらんだよ」

「そうゆうことでしたか。でも案外室内も悪くはないんですよ?」

「お? インドア派の意見か?」

「はい。まず室内に入れば暑かったり寒かったりと言った温度的問題はありません。それにお腹が空いたりすればすぐに食べ物の補給を行うことが出来ます。それに……」

「それに?」

「人に会わなくて良いというのが1番の利点です」

「それはなんとなく分かる気がするな」


 そう言うと菫は口に指を当てクスクスと笑った。

 会話が終わり、仰向けになりながら見上げ、天井をボーッと眺める。こうしていると頭の中が一時的にスッキリする。そうしていると昨日と今日でやっていることの違いに可笑しくなり少し笑いそうになった。


 天井を見ていると、菫が俺の顔を覗き込んで来た。何か言ってくると思ったが黙ったまま俺の顔を見つめてくる。なんの真似だ? と不思議がって思っていると、菫は額に掛かっていた前髪を上げ、自分のデコをそこに当てた。


 ヒンヤリしていてとても気持ち良かったが何をされているのか理解すると恥ずかしくなり顔が熱くなった。


「な、何してんだよ!?」

「何って、体温確認ですよ」

「か、確認方法が他にもあるだろ!せめて手を当てるだけにしろ」

「別にいいじゃないですか。むしろ年頃の女の子からこんなことされて内心喜んでるんじゃないんですか?」ニヤニヤと笑いながら言ってくる。

「否定は……しないよ」


 否定はしない。というか、できないのだ。だって、内心は心が踊るほど喜んでいるのだから。


 出会った時も思ったことだが菫はそこらの女子よりも容姿が整っているのだ。だから、そんな彼女に顔を当てられるなんてことをされて嬉しくない男などいないとすら思った。正直な話、今日看病されていることすら俺は心の底から喜んでいた。


 時計が17時半を指した頃、俺はいつの間にかまた寝落ちしてしまっていたらしく母親が玄関のドアを開けた音で目が覚めた。少しまだ熱が残っているようだった。


 菫の方を見ると、首を上下に動かし、漫画を持ちながら椅子に座り込み、ウトウトと眠っていた。


 何かしてやろうと、悪戯心が悪さをしてきた。その為、俺は菫の頬を引っ張ったり縮めたりして遊んでいた。


 柔らかさは分かってはいたが、癖になる感覚に襲われ、20分近くその仕草を繰り返していた。しかし、夢中になっていた為か、母親が部屋のドアを開けたことに気づかなかった。


「アンタ何してんの?」

「え? あ! ちょっと掃除を」

「それは明日にでもやりなさいよ」

「ご最もです」

「まあ、元気そうだからなんでも良いわ。明日も安静にしておきなよ」


そう言って、母は部屋を出て行った。

すると、菫が目を覚まし、硬直している俺のことを馬鹿にするように静かに笑っていた。


「私に悪戯しててそれを自分の母親に見られるなんて恥ずかしいですね」

「う、うるせえ! というかいつから起きてたんだよ!」

「深夏君が私の頬をモッチモチと触っている最中、開始10分くらいでしたかね?」

「案外早い段階で気づかれてたのかよ」だったら教えてくれよ。

「初めてでしたよ。あんなに頬を触られるのは」

「別に菫と一緒にいたことはバレてないから良いんだよ」

「そうゆう問題ですかねえ?」ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら菫はそう言った。


 すると、菫は椅子から立ち上がり指で俺の頬を突いてきた。完全に馬鹿にされているようだ。いつか倍返しに何か仕掛けてやろうか、目に物見せてやる、と俺はそう心の中で決めた。まあ、そんな度胸はないんだけどな。

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