第22話 少し前の自分を知る者

 8月24日、昨日言われたように俺と菫は白妙さんの元に行くことにした。

 この頃はもう慣れたのかアラームがなくても朝早くに身体が勝手に起きるようになっていた。夏休みの初めに菫にチョップされて起こされたことを考えれば目覚ましい成長だろう。


「起きるの早いですね」

「まあね。これくらい慣れたもんだよ」


 着替えと朝食を素早く済ませ歯磨きを終わらせると一足先にキャリアーに乗っている菫と共にその幽霊の実家へ向かった。

 朝方というのもあるので虫の鳴き声も小さく少しばかり涼しかった。

 菫の家に着きインターホンのボタンを押すと高い機械音が正面とドアの奥から聞こえた。10秒ほど待つと白妙さんはドアを開け「待ってたよ」と優しい声で出迎えて来た。その声を聞いた菫は足を前に進めて白妙さんの傍へ行った。

 俺はというと菫のことを見送って「話が終わったら連絡して」とだけ言って携帯の電話番号が書いてある紙を渡してその場を去ろうとすると菫は俺の手を取り引き止めた。


「どど、どうしてどこかへ行こうとするんですか! 置いていかれるのは寂しいです!」

「別にどこに行こうとしてる訳じゃないし、置いて行くつもりもないよ。ただ、親子の話に他の家の人間が居たらなんか場違いだろ。だから一旦この場を離れるだけ」

「うう」彼女は涙目で俺を見つめてくる。やめてくれそんな目で俺を見ないでくれ。見るなあ! そんな目で俺を見るなあ!


 白妙さんに菫のことを頼み俺はその場を一時的に立ち去った。菫は最後まで俺を引き止めてきたが俺はその手を優しく解いた。親子の空間に水を差す存在は要らん。


 しかしながら、半ばその場の思い付きで菫と別れたが特に何もないのだ。行きたい所もやりたいことも何もない。なので、ただ街を徘徊する程度しかやることはないのだ。


 太陽が天頂に近づけば近づくほど温度は上がり自転車で移動しているだけでも中々辛くなっていた。


 1時間程自転車で街を徘徊し続けると喉が渇き初めどうしようかと悩んでいると丁度良い所に自動販売機があるのが視界に入った。


 運良く持っていた小銭入れから金を取り出し炭酸飲料を1本買った。渇ききっていた喉に冷えきった炭酸水のピリリとした感触が伝わってくるのが分かった。


 久しぶりの炭酸飲料を1人で楽しんでいると意外な人物が俺の元を訪れた。そいつは俺を見るなり失態を犯したような顔をする。そいつは唯一の中学からの知り合い確か名前は――


「お前……誰だっけ?」

「会って第一声がそれか初風深夏!」


 いきなり大声でフルネームを呼ばれ驚きのあまり少し身体が跳ねる。


「いや見たことあるんだよ。ほらあるでしょ?有名人の顔だけ覚えてるけど名前までは出てこない時」

「それはそうだが中学からの同級生1人の名前くらい覚えたらどうなんだ!」

 怒鳴りながら俺にその男は言ってきた。それに構わず俺は炭酸を飲み干した。

「分かった、分かったから今日限りで名前覚えるから今回だけ教えて!」懇願しながら俺は深々と頭を下げた。

「そんなにお願いされては仕方ない。でも今回だけだぞ。俺の名前は千枝宥ちえだひろだ。もう忘れるなよ!」

「はい。覚えました」


 そう言うと宥は疑うような目つきで俺のことを睨んできた。余っ程信頼していないのだろう。辛辣だわあ。


「そう言えば宥はこんな所で何してるの?」

「もう宿題も終わって部活も入っている訳じゃないからやることもない。だから適当に散歩をしてるってところだ。お前こそ何をしている?」

「ある人の用事が終わるのを待ってるだけ」人ではないが説明がめんどくさいのでこの場では誤魔化そう。

「なんだ、身内の用事か?」

「ああ、まぁ、そんな感じ」


 自動販売機の横にあるゴミ箱に飲み干したペットボトルのゴミを入れ、話す話題を変える。


「そう言えばさ、気になってたんだけどなんで宥はそんなに俺のこと毛嫌いするんだ。別にお前のことを殴ったりはしてないぞ」

「違う。別に何かされたからじゃない」

「んじゃあどうして?」そんなの理不尽じゃないんですかね。

「お前が喧嘩を沢山の人間としてたからだよ!」

「いや、だから、あれは仕方がなかったんだって」流石にイジメの被害者だったんだ、とか言ったら重苦しい空気になるからやめておこう。

「な、何があろうとあれはないだろ! 昼の休み時間を跨ぐとお前は顔や制服に血が付着した状態で平然とした顔で教室に入ってくるんだぞ! 毛嫌い以前に怖いわ!」

「そ、そうだったのか。時間ギリギリまで殴り合っていたから血を洗う時間が無かったんだよ」

「そうゆうことか」少し呆れながら宥はそう言った。「なんであんなことをしていたのか聞いてもいいか?」

「だったら、何言われても受け止めろよ」警告じみた感じに言うと宥は身構えて少し警戒した。そんなに警戒するなよ。

「イジメだよ。小学校の頃からの続きで中学からの奴も含めてで俺のこと襲ってくるからそれに対抗する為に殴り合ってたの。それだけ」

「それ……だけか?」

「それだけだよ」

「そうか……なんか……すまなかったな」


 沈黙の時間が流れる。

 やはり予想通りにこの事実を教えると重苦しい気まずい空気がこの場を制してしまった。こうなってしまうと何を話していいか分からなくなる。どうやって切り出ればいいかすら分からん。

ややあって宥の方から話を始める。


「な、何か話してくれよ。ずっと黙られると気まずい」少し怯えながら宥は聞いてきた。

「すまんすまん。こうゆう状況は慣れてないんだ」

「俺もだよ。というか、お前は被害者だったんだな。何も分からず毛嫌いしててすまなかったな」

「別に良いよ。宥は加害者って訳でもなかったし、あのクラスにいた人間のほとんどが同じ意見を持ってたと思うよ」

「そ、そうか。なんかありがとな」

「別にいいって」少し笑いながら言うとつられて宥も笑い出し、この空間は暖かいものへと変わってくれた。


 それからは少し他愛のない会話をして時計を確認するなり俺は宥と別れて菫を迎えに白妙さんの元へ向かった。


 迎えに行くなり、菫は俺に少し飛びつくように近づいてきた。あまりにも急に来たのでなんの準備も出来ず菫の全体重がのしかかってきた。とは言っても、ほとんど重さは感じなかったが勢いがあまりにも強かった。

 白妙さんに軽くお礼を言って自転車に乗ってその場を離れた。


「待ってました!」

「ほいほい。どうだった?」

「言いたいことも謝罪も感謝も全部全部伝え切りました。母に会わせてくれて本当にありがとうございました」

「どういたしまして」


 それから家に帰り菫にどういった話をしたのかを聞きながら時間を過ごし、疾風がメールで送ってきた待ち時間まで適当に過ごした。


 夜になり母親に出かける旨を伝えると外に出て、近場だった為歩いて目的地へ向かった。少し久しぶりに握る菫の手はやっぱりヒンヤリしていてとても細くて柔らかかった。


 目的地である飲食店に着くと入口付近に疾風とまさかまさかの予想外の宥の姿がそこにあった。なんでいるんだよ! 菫連れて来ちゃったよ! せっかく良い雰囲気になれた相手に不自然な行動見せたら怪しまれちまうよ!


「よぉ、さっきぶりだな」

「ま、まさかお前も来るとはな。予想外だったよ」

「お、俺もだよ」


 少しぎこちない会話をしていると疾風が「なんだ、お前ら案外仲良いじゃん。ダメ元で誘ったけど良かったな」と笑いながらに言った。


 ダメ元で? この男はふざけているのか、もし昼間に出会ってなかったらどうしてたんだよ。


 店内に入ると時間帯ということもあり家族ずれや学生と思われるグループがチラホラといるのが見えた。


 店員さんに適当に空いている席に案内されると各々が頼みたい飲み物や食べ物を注文すると全員でドリンクバーに飲み物を取りに行きもう1度席に着くと疾風が隣に座っている俺に耳打ちしてくる。


「お前さ、菫ちゃんと再開できてたのかよ。しかも気の所為かもしれないけどちょっと距離感縮んでないか?」

「き、気の所為だよ。気の所為」再開したこと伝え忘れたのはすまなかったよ。


 耳打ちしているのが不自然に思えたのか宥は不審者でも見るような目付きで俺のことを見つめてきた。そんな目で見るなって!


「な、何? なんかよう?」

「いや、別になんでもないけど」

 何かあるのかその言葉が心の底からの声には聞こえなかった。

「なあ、初風深夏。1つ聞いてもいいか?」

「別にいいけど。何?」

「彼女を連れて来るのは良いが席に座らせないのは彼氏としてどうかと思うんだが」

「は? へ?」


 思わず馬鹿みたいな声が口から漏れ出てしまった。まさか宥が霊感持ちだなんて予想外にもほどがある。

 宥の言葉を聞いて菫と疾風も驚きを隠せていない様子だった。そりゃそうだろうな。


「見えてるの? この子が?」

「ああ、見えてるよ。夏休みの前日にも見た気がするが。あれは気の所為だったかな」

「そ、そっか。多分それは気の所為じゃないと思うよおー」まさか終業式の日の時点でもう菫のことは見えていたのか。

「どうしてその子は制服姿なんだ? 夜くらい私服で居させてやればいいのに。まさかお前の趣味か」

「違うわ! ちょっと長話をするぞ。信じなくてもいいから」

「お、おう。分かった」


 それからは今まであったこの約1ヶ月間の菫との出来事を洗いざらい全て話した。やっぱりというか予想通りというか俺の話は信じてくれなかった。


「色々突っ込みたいところはあるが……まあいい。それ本当の話なんだな?」

「本当も本当もノンフィクションだよ」

「そうか、とりあえずその幽霊の子との関係は分かったが、大丈夫なのか時間的な意味で」

「そうなんだよね。結構もう余裕ない」

「だよな。未練が何か分かればいいのにな」


 それから俺と宥は悩み込んでしまいそのまま黙り込んでしまい場が滞ってしまった。すると、ずっと黙っていた疾風が口を開く。


「未練は分からないけど、とりあえず幸せな気分にすれば良いんじゃ?」

「幸せなんて簡単に言うな。人によって感じ方は違うだろ」宥は素早く突っ込みを入れた。

「でも、何をすればいいか分からないのならそうするしかないだろ」

「じゃあ具体的に何すればいい?」好奇心と期待の気持ちを込めて疾風に聞いてみた。

「そんなの決まってるだろ。なあ、宥!」

「その決まってることを幽霊とはいえ女性の前で具体的に説明出来るのかこのスケベ」

「ち、違えよ。別にそうゆう訳じゃないよ」ニヤケながら疾風は言った。


 今の宥の説明と疾風のニヤケズラを見てアイツが考えている幸せなことの内容が大体察しが着いた。そんなこと出来るわけないだろ! アホなのかアイツは。


「しかし、疾風の言うことも一理あるぞ初風

深夏。過度なことをする必要はないと思うが、その子が望んでいることは率先してした方がいい。それはきっとその子にとっての幸せだろうからな」

「そうだな。分かったありがとう」


 感謝を伝え終え菫の方を盗み見すると、顔が真っ赤になり明日の方向を向いていた。どうやら疾風の幸せの話を聞いて思考停止してしまったらしい。年頃の女子を前にあんな会話してしまったのは不甲斐ない。

 それからは疾風と宥の夏休みの出来事を聞きながら注文した品を食べ楽しい一時を過ごし一喜一憂した。


 家に帰り、シャワーを済ませ、ベッドに横になると菫が俺の近くに異常に寄り添って来ては腕に身体を密着させた。横を向けばすぐそこに彼女の顔があった。


「急に接近してくると驚くんですが」

「す、すみません」自分が勢いでしてしまったことが少し恥ずかしかったのか菫はそのまま密着し続ける。

「あ、あの私の未練の話しなんですけど」

「何か思い付いた?」

「いえ、具体的な物は何も無いんですけど、したいことが1つ思い付きまして」

「何して欲しいの?」

「買い物をしに行きたいんです。お出かけしたいです深夏君と」

「そ、そうか。良いよ、分かった」


 菫の頭を撫でながら応えると彼女は「ふふ」と嬉しそうに笑いながら眠りに着いた。

しかしというか、幽霊とは言え菫も年頃の女の子な訳だ。女子高生だぞ、女子高生。そんな彼女と買い物をしに行くなんてもうあれだあれじゃないか。


「もうそれほぼデートじゃん」


 ついつい口からその3文字が漏れ出てしまった。

 ともあれ明日を最高の1日にしなければならないので抑えきれない期待感を心に仕舞いながら俺は眠りに着いた。

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