第18話 思い出の崖の上
「迎えに来たって、どうせ嘘なんでしょ」
「う、嘘なもんか! どうしてそうなるんだよ」
「だって私なんかを迎えに来る人なんている訳無いですから」
「私なんかって、どうしてそんな言い方するんだよ」
「記憶が結構戻ったんです」俺の会話を遮って菫はそう呟いた。
「ほ、本当……か?」
「ええ、本当ですよ。思い出したくないものばかりでしたけどね。記憶が戻り始めたのは永原さんの話の途中ら辺です」
それを聞いて、菫が永原と話している時に左腕を強く掴んでいた理由がようやく分かった。
「酷いものですよね。小学校の頃からイジメられて人に裏切られて、馬鹿の1つ覚えですよね」
菫は悲しげにそう言った。何も言うことは出来なかった。菫の表情を想像すると弱々しく微笑んでいる姿を思い描がいていた。
「私がイジメられ始めたのは小学生の頃でした」菫は突然語り始めた。
「イジメが始まったばかりはまだ仲の良い友達が数人いたので過度なことはされなかったので大丈夫だったのですが、時が経つにつれてその友達も私の元から離れて行きました。私の傍に居ると身の危険を感じたのかもしれませんね。実際、私の周りにいた数少ない友達はイジメに巻き込まれて軽い怪我を負ったりしていたので当然と言えば当然なんですよね」
菫は掠れた声でそう言った。深呼吸をして再び話を始める。大降りだった雨が小雨へと変わる。
「小学6年生の頃になると私に暴力を振るっては物を取ったり、弱みを握ったりして陥れようとする人などが現れました。ですが、それは中学生に上がることでした。学校が変わればもしかしたらこの地獄から解放される、騙してきた人達は心改めてくれるかもしれない、見向きもしてくれなかった担任からイジメ解決に熱心な担任に変わるんじゃないかって勝手な妄想、もっと言えば希望的観測をしました。でも、現実というのは無情なもので、妄想とは真逆でした。解決どころかむしろ状況は悪化していきました。物の損失は多くなり、体中の怪我の数は増えていく一方でした。担任に解決を求めても無視をされたり、シカトされたりでまともな対応は何1つされることはなかったです。そんな状況でも友達が1人出来たんです。その子は女の子で落ち着いていてとても可愛い子でした。私が物を無くして困っていると必ず駆け寄って助けてくれました。しかし、幸せというものは長くは続かなく、壊れやすいものなのです。その子は私と一緒に居たばっかりにイジメに遭い、一生残る怪我を負いました。その子は暴力を振るってきた人も私のことも恨んできました。その時聞いた『もう近寄らないで2度と会いたくない』という1言はとても辛かったです」
菫はまた深呼吸をして心を落ち着かせた後、話を始める。
「ここからはあなたもよく知っている高校での話です。中学の時にイジメを仕掛けてきた人達の半数は別の高校へ行きましたがそれでも私へのイジメが落ち着くことはありませんでした。ですが、また救いの手が伸びてきたんです。高校受験での永原さんは、それはそれはとても良い人でした。精神状態がボロボロなのに加えて入試の緊張でおかしくなりそうな私に優しく話しかけてくれて世間話やしょうもない笑い話をいくつかしてくれました。そのお陰かものすごく気持ちが楽になって無事に入試に受かることが出来ました。高校に入ってからも私は永原さんに何度も話しかけました。この人ならもしかしたら私を救ってくれるかもしれないと思ったんです。でも、そんなことはありませんでした。永原さんは中学生の頃のイジメグループと関わりを増やし始め、気づいた頃にはあちら側の人間に変わっていました。永原さんが私に暴力を振ってきてもきっといつかこの人は私の元へ必ず戻ってきてくれる、そう信じ続けました。まあ、この理不尽でどうしようもない世界にはそんなものに縋っていてもなんの意味も無かったんですけどね。永原さんが私の大切にしていたネックレスを破壊された瞬間もう何も信じれなくなりました。この世界に希望なんてものはないと絶望した私は7月27日に縄に首をかけました。これが私の一生です。いかがでしたか?」
話が終わった瞬間、雨が一瞬で止むと雲の隙間から月明かりが降り注ぎ、菫の表情を確認することが出来た。その表情は虚しいような悲しいような笑みを浮かべていた。
何を言えば良いのか分からなかった。悲しかったねとか辛かったねでは何かが違う気がした。そんな単純なことではない。そんなのは第3者が感じた薄っぺらい感想に過ぎないのだから。
何も言わず、数分間黙り込んでいると菫は口を開く。
「今の話を聞いたのならあなたには早くここから去って家へ帰って欲しいんです」
「どうしてそうなるんだ?」
「私の傍に居たらあなただって傷つくかもしれないんですよ。だったらそうなる前に私から離れていった方が良いですよ」
「勝手なこと言うなよ。別に俺は、菫の傍にいるからって傷つくなんてことはないし、俺はそれよりも」
「これから傷つくかもしれないじゃないですか!そしたらあなたも永原さんやあの子みたいに裏切って私に酷いことをするんでしょ。それが嫌なのよ!」食い気味に彼女は言った。
「俺はアイツらとは違う! お前を裏切るようなことはしない!」
「嘘だ!」
「嘘じゃない! 嘘だったらわざわざなんでこんな天候が悪くなるって分かってるのにここに来ると思うか?」
俺がそう言うと、菫は黙り込んだ。
再び雨が少しだけ強く降り始め、風も強く吹き始める。
「俺さ、菫が居なくなってからのここ数日間は何をして良いか分からなくなったんだ。ただ外を放浪するだけで何もする気は起きなかった。菫と出会う前の自分にはもう戻れなくなってたんだ」
「それがどうしたっていうんですか?」
「凄く寂しかったんだよ。俺は今まで一人でいることが当たり前だと思ってたのに、菫と過ごしている内にそっち側へは戻れなくなってたんだ」
菫の方を少し見てみると目を見開いていた。多分こんなこと言われたことがなかったのだろう。白妙さんがその寂しさに気づくのはおそらく菫が亡くなったから伝えることは出来なかっただろう。
「確かに菫はさっき自分の傍にいると傷付くって言ったけど、それはほとんどが外面的な傷のことを言ってるだけだと思うんだ。痣とか擦り傷とか。菫が仲良くしてた友達も傷を負ったからあんなことを言っただけだと思う。それに俺はそんなことよりも痛くて怖いことがあるんだよ」
「それってなんですか?」
「菫が俺の傍からいなくなることだよ」
俺がそう言うと、「はあ!?」と菫は大声を出した。不意を突かれたからだろうか。
俺は構わず話を続ける。
「この数日間、ただただ辛かった。菫といた時間がどれだけ楽しかったのかその時ようやく分かったんだ。ずっと傍に居て欲しい。俺はどんな傷を負うよりも菫が俺の傍から離れていく方が余っ程痛いし、怖いし、苦しいよ」
俺は深呼吸をして心を落ち着かせる。
「もう俺は菫の信頼を裏切らないから、だからもう1度俺を信じて欲しいんだ」
言い終わると、菫は俯いていて表情を確認することができなくなっていて、身体も少しだけ震えていた。
「う、嘘ですよね」
「嘘なもんか。ここにいることがそれの証明だ」
「で、でも」
「信じてくれ!頼む!」
俺は頭を深々と下げ、右手を差し出した。信じてくれるならこれを握ってくれと言わんばかりに。
しばらくの間沈黙が続いた。俺は体勢を手を差し出し続けたが、菫は中々握ってくれない。
何分でも待ってやる、そう思ったその時、右手に握られた感触が感じられた。
俺は正面を向くと菫が俺のことを傍まで近づいていた。俺は驚いた衝撃で曲げていた腰を瞬時に正した。
「もう1度信じていいんですか?」
「あ、当たり前だ。今度は絶対に裏切らない」
「えへへ」
菫は緩んだ笑みを浮かべながら、腕を引き俺のことを抱きしめてきた。突然のことすぎて俺は理解するのに数分かかった。理解をした後、俺も菫のことを抱きしめ返した。
「深夏君がもう裏切らないのなら私も深夏君の傍からは離れません。この世界にいれる限りずっとずっと傍に居続けます」
菫の表情は分からなかったが、声でなんとなく嬉しいのが伝わってきた。そして、この言葉が本心であることも。
「純粋な疑問なんですが。どうしてここが分かったんですか?私1回もこの場所について話してなかったのに」
「ある人から聞いたって言ったろ」
「ある人?」
「菫のお母さんだよ」
「会ったんですか!」
「会ったよ。することなくて散歩してたら疾風に会ってな。菫の墓参りにでも行けばって言われて、行ったら会えた。とっても優しい人だったよ」
「私も会いたいですね」
「明日にでも会いに行くか? もう場所は分かったし、菫のことは見えるんだろ?」
「見えますけど、やっぱりまだ良いです。会うのはもう少し後にします」
「そっか分かった」
会話を終え、空を見上げると分厚く黒い雲の隙間から満月がチラリと見えた。
上を向いていると菫は抱きしめる力を強くしてきた。満足したのか数10秒経つと手を握りながら離れた。
「帰りましょうか」
「そうしよう」
微かな月明かりに照らされた彼女の顔はとても愛おしくて儚いものだった。守りたくなるものだった。
菫は俺の手を強く優しく握りながら丘を降りる階段を駆け下りていった、俺もそれに急いで着いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます