第17話 母親

「だ、大丈夫? ボーッとしてますけど」

「え? ああ、大丈夫です大丈夫です。それともう1度さっきの言葉を言ってくれませんか?」1時的に頭が空っぽになってしまっていたらしい。

「いいですよ。私は菫の母親です。それがどうしたんですか?」


 やっぱりその1言をすぐに信じることが出来なかった。だが、女性の容姿を隅々まで見渡すと声や顔の輪郭など細かい部分が菫と似ていることに気がついた。


 ジロジロと見ていると自称菫の母親はこちらを睨んでくる。恐らく、菫の母と思わしき人は生前の菫との関係を持たないはずの俺なんかがどうしてここにいるんだ? と疑問に思っているのだろう。だから、さっきっから不審者を見るような目付きで俺の事を見つめてくる。


「どうして、あなたのような若い方が菫のお参りに来たんですか? あの子が亡くなった時にはまだあなたはこの子と関わりなんてなかったはずですよね?」そう言った後、小声で「あの子の人間関係はよく分からなかったからあったのかもだけど」と言い放っていた。


 確かに当時の菫と俺はなんの関係も持っていなかった。でも、今の菫との関係を話すのも気が引けた。


 赤良木さんとは違って明らかに警戒されてる中でよく分からない話をしても信じてもらえる筈がない。


「そうですね。確かに俺は当時の菫さんとなんの関係も持っていませんでした。ですが、今は別に他人という訳では決してありません。その関係は諸事情で言えませんが」

「どうして?」と優しい声で問いかけてくる。「母親である私に言えないような疚しい関係を持っているということなの?」

「別にそうゆう訳では決してないです!」俺は咄嗟に否定する。「あなたに話したところで信じてもらえないと思ったからです。ですが、これだけは信じてください」

「何?」

「俺は菫に酷いことしてきたアイツらとは違うんだということをです」


 思わず菫を呼び捨てにしてしまった。


「信じてくださいって言われてもね。会ってすぐの男の子にそう言われても信じるなんてことできる訳ないでしょ。まあ、菫のことを少しは知っているのは分かったけど」

「は、はあ〜」


 溜め息をついたりはしたが、もしも俺がこの人の立場だったら、こんなことを言われても決して信じたりはしなかっただろうと思った。


 しかし、そんな悠長なことを思っていられるほど俺には時間の余裕はあまりない。


 それに、もしこの人が本当に菫の母親だったとしたら俺はこの人から少しでも多く菫についての情報を聞き入れたかった。


 だからこそ、この人には俺が菫の味方であるということを信じてもらうしかない。もうそれしかない!


 でも、俺には人と関わったノウハウがない為か人に信頼される為の方法など何も思いつかなかった。


 そんなことで悩んで頭を抱えていると、菫の母親らしき人、というか菫の母親は、警戒しながらも俺に優しく問いかける。


「別に違うならいいんだけど、人に信頼を持たせることで悩んでるの? そんなに難しいこと?」


 この人は心を読むことができる超能力でも持っているのか、と不思議に思った。


「あまり人と関わってなくて、こういうことが不慣れなんです。だから俺を信じてくださいと押し通すことしかできないんです」


 俺がそう言うと彼女は分かったわ、と何かを諦めたように溜め息混じりでそう言った。


「今ここで菫との関係を話してくれたのならあなたのことを信じようと思うわ。話さないと言うのならあなたとはここでお別れよ」


 ほぼ、というかこれはきっと脅迫だろうと思った。そして、親子揃って土壇場でやることが一緒という事実に俺は少し呆れてしまった。


「分かりました。これから菫さんとの関係の全てを話しますが、俺は決してふざけてはいないのでそこのところはご理解してください」

「わ、分かったわ」


 数10分かけて、俺はその場の勢いに任せて赤良木さんに話したのとほとんど同じ内容のものを菫母に話した。少し違うところを言えば、永原に会ったことと喧嘩の原因は全て自分にあることを追加で話した。


「これが真実です。証明できるものは何もありません」言い切っちまった。


 話が終わった瞬間、俺は下を向いてしまった。どうせ信じてもらえないと後ろ向きに考えてしまったからだ。

 しかし、彼女からの言葉は案外アッサリとしたものだった。


「そう。それがあなたと菫との関係なのね。分かったわ」


 あまりにもその言葉に飾りっ気がなかったので俺は本当に信じてもらえたのか分からなかったし、とにかく不安に襲われた。

 キョドリながら俺は確認してみる。


「お、俺は信じてもらえたんですか?」

「そうね。正直なところ、うちの娘が幽霊になっているとか、契約とかはよく分からなかったけど、あなたがあの永原を殴ったことのは良いと思ったし、本当にあの子の味方なんだって理解したわ」

「殴ったのが原因で今菫と喧嘩状態なんですけどね」

「それは残念だけど、殴ったお陰で良かったことも起こったじゃない」彼女は苦笑いをしながら言った。「この言い方が正しいかは分からないけどね」


「あの、俺は白妙さんに信用されたんですか?」

「ええ、少なからずわね」


 俺は彼女の言葉を聞いて信用されたんだ、と安堵して胸を撫で下ろした。

 話が終わった後、白妙さんは菫の墓の前に行き、お参りをした。俺も隣に立ち、2回目のお参りをする。


 お参りが終わった後、俺は自転車の元に戻りサドルに乗り込もうとした瞬間、菫の母親にそれには乗らずに黙ってついて来てちょうだい。あの子について色々と話してあげるから、と言われたので、自転車から降りて押しながら着いて行くことにした。


 30分ほど歩いていると、白妙さんは一軒家の前に止まった。壁の塗装が少し剥がれていたり、壁には至る所にシミが付いていたりしていて、古さを感じさせた。


 どうしたんですか? と聞く前にここが私の家。そして、菫の家でもあるわ、と俺の方を覗きながら言った。俺はとうとう菫の家に来たらしい。そう言えば、今気づいたことだが女子の家に入るなんて初めてなんだよな。


「お邪魔しまーす」


 家の中に入ると、芳香剤の香りが玄関中に広がっていた。


 中は外に比べてまだ古臭さが無く、床の上に少しだけ埃があるくらいだった。日頃から掃除などを徹底して行っているのだろう。


 リビングに案内されると、テーブルの上に財布と携帯を置き手洗いうがいを行う為に洗面所へ向かう。その間に、白妙さんは俺を出迎える準備をしてくれているみたいだった。


 リビングに戻ると、キッチンの近くにあるテーブルの上に麦茶の入ったペットボトルと、少量の和菓子が菓子器の中に入れて置かれていた。有難いもんだな。


「こんなものしかないけど、ごめんなさいね」

「いえ、わざわざありがとうございます」

「それで何から話せば良いかしら?」白妙さんは聞いてきた。

 その問に対して俺は「全部聞きたいです」と応えると鼻で笑われ小馬鹿にされた。顔が熱くなっていくのが分かった。


「菫のことを話すのは別に良いけど、あの子の16年間分の話をほぼ全部するとなると少し長くなると思うけど時間とか大丈夫そうかしら?」

「何も用事とかはないので大丈夫です。なのでお願いします」


俺が頭を下げると、白妙さんは分かりました、と言ってくれた。


この人からの話を聞かなければ前に進むことすら出来ないのだから夕方になろうと、夜になろうとも話を全て聞くと腹は括っていた。


白妙さんはお茶を1口飲むと話を始めた。


「あの子を産んだのは私が27の時でした。ものすごく小さくて可愛かったのよ。まるで、私の元に天使が舞い降りて来たのかと思ったほどにね。それから退院してからは夫と一緒に菫を育てて行きました。菫は外で遊ぶのも室内で遊ぶのも好きな子でした。外では鬼ごっこをしたり、ボール遊びをしました。あの子は意外にも動くのが好きみたいで今思うと室内よりも外の方が遊ぶことが多かった気がします。室内では人形使った遊びや絵本を読んだりしていました。それが3歳頃までのお話です」

「元気な子供だったんですね」微笑みながらそう言った。

「そう。とても元気な子だったのよ」

 少し悲しげに白妙さんは言った。

 ややあって、白妙さんは再び語り始める。


「それから少し前から幼稚園に通ってました。私は送り迎えをしていただけで、あの子がどんな風に過ごしてどんな友達を作っているのかは分かりませんでした。でも、迎えに行く度に菫は『帰りたくない帰りたくない』と言って聞きませんでした。家に帰ると、菫はその日あったことを沢山話してくれました。なので、実際にあの子がどんなことをしているのかは見てはいないけど、楽しく過ごしてはいたみたいです。あの子が6歳になった頃、小学校に入りました。少人数ではありますが幼稚園からの友達も居たので当時の私はとても安心したことを今でも覚えています。でも、小学4年生になった頃、菫から少しずつ笑顔が減っていきました。その時に同時に夫が病気で早死したのも1つの原因としてあったかもしれませんが」


 それを聞いて、俺は周りを見渡すと隣の部屋の景色が見え、そこに仏壇らしきものが見えた。


「続きを話してもいいかしら?」

「す、すみません。お願いします」

「何かあったのか聞いてもす菫は何も話してはくれませんでした。クラス担任に聞いても何もないの1点張りでした。そんな状況のままあの子は中学校に上がりました。すると、教科書の損失や顔の傷などが目立つようになっていきました。私はその時やっとあの子がイジメに遭っていることに気づきました。先生や菫に何かを聞いても何も話してはくれませんでした。ですが、ある時を境に笑顔が少しだけ増えたんです」

「ある時?」

「ええ、恐らくあなたも知ってるであろう。高校入学の時よ」

「ああ、高校生の時……ですか」

「そうよ、試験の時からかしらね。そこから笑顔が少しずつ増えていきました。傷も治り、私物の損失も無くなりました。ですが、それは一時的なものでした。5月中旬くらいになると制服を汚して帰って来るようになりました。外で遊ぶのは好きな子でしたが小学校中学年頃になるとそれもほとんど無くなっていたので不自然に思いました。中間のテストが終わった辺りから状況は悪化していって再び前のような状況に戻ってしまいました。7月になり、私は無理やり菫に今の状況を強引に尋ねてみましたが、結局あの子を怒らせるばかりで何も聞き出すことは出来ませんでした。菫とはこれっきりよ」


 話は突然終わった。

 喧嘩別れか、最悪の別れ方をこの人は引いてしまったようだ。俺がこの人の立場なら多分耐えきれずに後を追ってしまったかもしれない、と思ってしまった。

 暗いことを考えているのが顔に出ていたのか、「他に何か聞きたいことはない?」と白妙さんが気を使い聞いてきた。


「菫には今後何をしてやれば良いですか?」

「そうね」と一息ついてから話を始める。

「あの子がして欲しいと言っていることを積極的にしてあげれば良いと思うわ」

「そうですか」少し不満そうな声を出す。「俺まだ菫の未練の正体がなんなのかわからないんです。何かヒントとかありませんか?」

「……残念だけど私もそこまでは分からないわ。力になれなくてごめんなさいね」

「いえ、別に問題はないです」

「でもあの子は多分幸せを求めてるんじゃないかなと思うわ。これは勝手な妄想だから鵜呑みにしすぎないようにね」

「は、はい、わかりました。あ、あと」

「何?」

「菫がどこに居るか分かりませんか?」

「あの子が居そうな所はあの崖かしらね」

「あの崖?」

「菫が小さい時によく家族で海や花火を見に行った崖があるの。地図を渡しますね」

 そう言って、白妙さんは俺に1枚の地図を渡してきた。


「ここに菫が?」

「居るかもっていう単なる憶測よ」

「憶測でもいいんです。ありがとうございます」


 お礼を言ってから席を立ち玄関へ向かうと、外はもう薄暗くなっていた。よく見るとただ暗いだけではなくどす黒い雲が空一面を覆っていた。


「夜は雨になるみたいだからもう帰った方が良いわね」

「そうします。本当にありがとうございました」


 もう1度お礼を告げ、玄関のドアを潜ろうとした時、白妙さんにちょっと待って、と引き止められた。


「どうかしました?」

「あの子も結構不器用だから変に遠回しな言い方よりもドストレートに伝えた方が良いわよ」

「わ、わかりました」


 俺は自転車の元へ戻り、白妙さんが言っていた丘をスマホで検索し、場所を特定した。ここから50分ほど行った所にあるらしい。俺は自転車に乗り、目的地へ向かう為にペダルを漕ぎ始めた。


 普段は砂浜に行く道を曲がり、山道へ入っていく、坂道を登って行けば行くほど森が生い茂り、暗かった視界が更に暗くなっていった。


 しばらく道なりに進んで行くと、丘の頂上に続く階段に辿り着いた。麓に自転車を停め階段を登る。


 俺は自然とこの先に菫が必ずいると確信した。その所為か、階段を1段上がる度に足取りが重くなるのが分かった。


 最後の1段に足を着いた瞬間、空から大粒の雨が降り注いで来た。雨粒が地面に当たる度に重く低い音が鳴り響く。


 しかし、階段を上がり切り、正面を向いた途端、周囲の音が突如として消え去ったように感じた。

 視界の先には菫が居た。


「菫……そこに居るのか?」


 彼女の耳に俺の声が届いたのかすぐにこちらの方に顔を向けた。暗闇と雨の所為で表情までは確認出来なかった。


「どうして……ここに居るんですか? あなたが」

「ある人からこの場所を聞いてね」

「そ、そうですか」


 怒っているような悲しいような声で言ってきた。その声に胸が締め付けられる感覚に襲われた。


「どうしてここに来たんですか?」

「どうしてって、菫を迎えに来たからだよ」

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