第15話 持つべきものは友達
「なんで……飛び出して来たんだよ」
菫は俺に殴られた衝撃で永原の横に倒れ込んだ。その時、菫は俺のことをゴミ見るような目付きで睨んでくる。なんでこんなクソ野郎を庇うんだよ、このお人好しが。
「約束……しましたよね。何を言われても殴らないと、どうしてこの人を殴ろうとしたんですか?」
「そ、それは」
何も言い返せなかった。
ここで何かを言ったところで菫を納得させるのは無理だと悟った。平謝りをしたところでなんの効果もないだろう。
俺が黙り込んでいると、菫は立ち上がり俺に背中を向ける。
「どこかに行くつもりなのか!?」
「あなたには関係のないことでしょ?」その言葉を放った瞬間、菫の瞳から涙が零れ落ちるのが分かった。
「私がどうしてこんなにも怒って失望しているのか、本当の理由があなたには分かりますか? 1回だけ解答を聞きます」
「永原を殴ろうとして、庇った菫を殴ったからか?」
「違います」冷めきった声で否定する。「本当の理由は、あなたが私との約束を破ったからですよ」
「約束……か」菫の返答にあまり納得がいかなかった。「どうしてそんな解答になるんだ?」
「どうしてって、約束を破るってことはその人との信頼そのものを破るってことなんですよ!あなたはきっとそれが分かっていたはずですよね?」
「……ああ、確かに分かっていたよ。でも菫のことを思ったら殴らずにはいられなかったんだ」
「私の為? 私がいつあなたに殴って欲しいとお願いしたんですか?」
何も言い返せなかった。そう、菫は永原のことを殴って欲しいなんて1言も言っていなかった。むしろ殴らないで欲しいと、真逆のことを頼んで言っていたんだ。
「確かに、あなたは私の為に怒ってくれたんだと思います。その気持ちは伝わりましたし、感謝だって少しはしてます。ですが、私を裏切った事実は変わりません」そう言って、菫は俺に背を向けたまま歩き始める。
俺はその後を着いて行こうとするが「着いて来ないでください。色々あってもう何がなんだか分からないんです。少し1人にさせてください」と言われ見放された。
「あなた何1人でブツブツ言ってるの?気持ち悪い」不気味そうに俺を見つめながら永原はそう言った。「それに今、私のことを殴ろうとしたの?」
「ええ、まあ、そうですよ」
「声に覇気がないけど大丈夫?」あまりの変わりように永原は戸惑っていた。
「大丈夫ですよ。お忙しい中ありがとうございました」
そう言って足早にその場を去った。
家に着くとそのまま自室に向かいベッドの上に寝込んだ。
部屋へ向かう途中、朝と様子が一変している俺を見て母親はどうしたの?と聞いてきたが無視をした。今は人と話したくないんだ。
枕に顔を埋め、菫と過ごした色々な日々のことが頭の中を巡らせる。部屋の中に目を通すだけでも数少ない思い出がフラッシュバックした。その度にどうしてあんなことをしたんだろう、と後悔した。
夜になったが何もする気にはならずただベッドの上でゴロゴロと身体を動かい続けた。
流石にシャワーも浴びずに寝ると布団が臭くなってしまうと思い、軽く身体を洗い髪も乾かさず自室に向かい、そのままベッドに寝込むと意識が無くなりいつの間にか眠ってしまっていた。
8月14日、暑さで昼間に目が覚める。隣には誰も居ないし、部屋の中にも誰も居ない。
蒸し暑かったのでクーラーを付けた。それ以外には特に何もなかった。勉強をするやる気も本を読むやる気も外に出るやる気も何もかも湧いてこなかった。
本棚の方に視点を送ると漫画を読んで喜んでいる菫のことを思い出して自分のことを殴りたくなった。実際殴った。
ふとした時、天井を眺めていると、この数週間の中であったことが頭の中でアニメーションのように流れた。自転車で2人乗りをしたり、街中を駆け回ったり、他愛もない会話もしたりしたことが。
15日も16日も17日もこの日と変わらず何もしないでベッドの上で生活した。ほとんど食べ物も喉を通さなかったからか両親は心配したが大丈夫と言い聞かせてその場しのぎを繰り返した。
8月18日、その場しのぎが親に対しての効力を失い始めたその日は少し外出しようと思い灼熱の外界に身を投げた。
数日間、ずっと家の中で過ごしているだけだったので外をただ歩いているだけでもかなりキツかった。
徘徊していると、色々なことを思い出してしまった。菫と会った時のこと、菫と自転車で町中を回ったこと、そして、菫と別れた瞬間のこと。
考え事をしていると周りが見えなくなるもので辺りの気温が上がっていることや通行人が多くなっていることに気づかなかった。そして、その通行人の中に身内の人間が混ざっていることにも。
「よぉ! 深夏じゃねぇか。自転車に乗ってないなんて珍しいな」
「あ? ああ、そうだな。確かに珍しい……な」
正直、今は疾風には会いたくはなかった。
普段なら菫のことを認知しているのはとても有難いことなのだが、今となってはそれが仇になってしまった。きっと疾風は次にこんな質問をしてくるだろう。
「そういえば、菫ちゃんってそこにいるのか?」
そう、この質問だ。案の定してきたがどんな解答をしていいかイマイチよく分からなかった。
「うん。居るよ、俺の後ろに」俺はそう嘘を言ったがどうやら無駄みたいだ。
「なんで嘘なんてついてんだよ」
疾風にそう指摘され俺は動揺を隠すことが出来なかった。
「う、嘘なんて……なんで嘘って分かったんだよ」
「目が泳いでたからだよ。俺の家に遊びにきた時は菫ちゃんの話題を出した時は俺の目をしっかり見てたけど今は違うからな。お前はすぐに顔に出るんだから嘘なんてつくんじゃねぇよ」
すぐに顔に出る。その言葉に少しだけ反応しそうになったがその気持ちを押し殺した。
「何かあったのか? あったのなら、とりあえず話してみろよ」
疾風は真面目な顔つきで優しく俺に問いかける。だが、俺はその疾風の優しさが心に響き途端に声を出すことが出来なくなった。頭を縦に小さく振ることしか出来なかった。こんな自分に優しくしてくれるなんて良い奴なんだな。
俺の行動を見て疾風は少し呆れながら微笑む。
「分かったよ。ここだと話しにくいだろうし、近くの公園にでも行くか」
そこから少し歩き、公園に着く。公園には滑り台やブランコ、鉄棒などのいくつかの遊具が置かれており、4から8歳くらいまでの子供が複数人でその遊具で遊んでいて、近くにはその保護者らしき人がその微笑ましい情景を見守っていた。ベンチは公園の端に置いてあり、そこには誰も座っていなかったので腰を下ろした。
「ここなら良いだろ。んで、何があったんだよ」
「少し前に菫の元クラスメイトと会ったんだ」
ほうほう、と疾風は相槌を入れる。
「それで、その人が結構なクズで生前の菫にかなり酷いことをしていたらしいんだ」
「そうか。じゃあ、お前は何をしちまったんだよ。その人と暴論対決か?」
「そんなことで済むなら良かったんだけどな」少し声のトーンを低くする。「その人を怒りに任せて殴ろうとしたんだ。んで、それを庇おうとして前に出た菫を勢い止まらず殴っちゃったんだよ」
「お前は馬鹿か!」そう言いながら疾風は俺の頭部を軽く殴った。「何があっても女性に手を出すのは最低だし、パートナー的存在の女性を殴るのはもっと最低だ!」
「ご最もだよ。何も言い返せないや」
「まったく、お前は案外短気なところがあるからなあ。でも、まさか女性に手を出すなんて」
「に、二度としません」
「当たり前だ!」疾風は激怒しながらそう叫んだ。「でも、なんでそんなことしたんだ? その女性はどんな酷いことを菫ちゃんにしてたんだ?」
疾風にそう問われ、俺は永原が菫に対して行った愚行を1つ1つ尾ひれをつけずに話した。
すると、さっきまでブチ切れだった疾風の態度が少し和らいだ。
「まあ、それなら殴りたくなる気持ちも分からんでもないけども」
「そ、そっか」
「だけど、なんで菫ちゃんがお前の元を離れるんだ?薄々予想は出来るが」
「殴っちゃったのとその前に結んだ決して殴らないって約束を破ったことに失望して俺と別れたって感じ」
「そうか」少し釈然としていた。
「なあ、1つ深夏に聞いてもいいか?」
「なんだよ」
「お前は菫ちゃんのことを連れ戻したいと思ってるのか?」
「うん、出来れば戻したい。今回のことの謝罪もしたいし、聞きたいこともいくつかあるし」
「そっか」納得したのか満足そうに微笑んだ。「なら探しに行かなくちゃな! それって何日前の出来事なんだ?」
「五日前かな」
それを聞いて疾風は「はぁ!」と怒鳴り声を出す。
「お前はほんとに馬鹿野郎だな! か弱い女の子を1人で見知らぬ所に放置するんじゃねえよ!」
「だってどこにいるかの手がかりもないし、あったところで追い返される気がするし」
「な、なら菫ちゃんに関する情報を得る機会とかないのか?」
「……明日、一応最後の元クラスメイトと面談するけど」
「じゃあ頑張ってその人から情報を得てくれ。無理ならこの国中を自転車で駆け回って探し出せ」
「んな無茶苦茶な!」
「お前の責任なんだぞ」
「あ、はい」
「まあ、頑張れよ」疾風は優しく微笑みながらそう言った。
「うん。ありがと、勇気付けられたよ。持つべきものは友達だな」
「へへ。そうかもな」くすぐったそうに疾風は笑った。
会話が一段落着くと、俺が少し元気になっているのに気づいたのかベンチから腰を上げ、別れを告げて公園を出た。その後すぐに俺も家に向かった。
家に帰り、晩御飯を食べている時に両親は俺の気分の変わり様に少し驚いていた。それもそうだろう、朝まで死んだ魚の目をしていた息子が多少はマシな目付きになっているのだから。
ベッドに横たわり明日のことを少し想像した。どんな人と会うのだろうか?また菫の敵と会うのかもしれないし、もしかしたら味方のような人物と会えるのかもしれない。
不安と期待が自分の心中を掻き乱していた。
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