第10話 海で出会った研究者
8月10日、菫と海へ出かける約束をしていたが久しぶりにゆっくり眠ることの出来る日ということもあり、その約束を忘れ眠り耽っていた。
「いい加減起きてください。もう11時ですよ」彼女は優しい口調で叱り付けてくる。俺が疲れ切っていることを分かっているからか俺が全く起きなくてもあまり強くは叱ってこない。
「正午になっちゃいますよ。もう起きてください」
「うーん。ああ、確かにそろそろ起きようか」
ベッドから腰を上げ、服を着替え終えると菫がトートバッグを持って近づいてきた。余程早く出かけたいようだ。
「焦るな焦るな。早く行こう」
「はい!」元気よく返事をすると、トートバッグをブンブンと左右に揺らした。これはあれだ、犬が喜ぶと尻尾を振るやつと同じだこれ。
外に出ると菫はキャリアに乗り込む。俺もそれに続いてサドルに乗り込んだ。
海は家から自転車で向かうと1時間程かかる。結構遠いのだ。繁華街が丁度中間地点といったところだ。
海に向かう途中、繁華街を超えた頃、コンビニに寄り飲み物を買い残りの道のりを自転車で駆け抜けた。
海近くの駐輪場に着くとそこには無数の自転車と原付バイクが停められていた。
自転車と自転車の間に無理矢理ねじ込もうとすると「流石に強引過ぎるのでやめてください」と菫に止められた。なので、仕方なく駐輪場から少し遠い所に自転車を停めた。屋根のない所に自転車を停めるとサドルが熱くなるから嫌なんだよな。
浜辺の方を見ると海の近くには無数のパラソルと大勢の人が見えたが手前の方では長いトングと大きいビニール袋を持っていた。どうやら今日は清掃日らしい。何故、午前中の涼しい内にしないのかと思ったが口にはしなかった。
砂地へ降りるとボランティアをしている少しイケメンな男に「クリーニングどうですか?」と話しかけられたので男が持っていたトングと袋貰い清掃活動に参加した。
こうやって、実際にゴミ拾いに参加すると色々な物が落っているなと不思議に思う。流木だけでなく空きのペットボトルやプラスチックのゴミ、誰かが履いていた古めの靴や空き瓶が落ちていた。
「色々落ちてるんですね。見てるだけでしたら結構面白いですよ」
「それは良かったな。拾ってるこっちは大変だよ」
「徳を積むんでしょ。頑張ってくださいよ」そう言って背中を強く叩かれ喝を入れられた。
「あいよ」
それから約2時間ゴミを拾い続け、浜辺に落ちていたゴミは綺麗サッパリ無くなっていた。これはなかなか良い働きをしたな、と心の中で自画自賛を行った。ちなみに、クリーニングの参加賞品として麦茶のペットボトル飲料を貰った。重ねて言うとぬるい。
「海の家の冷蔵庫で冷やすとかすればいいのに」暑さのせいか自然と愚痴が零れる。
「贅沢言うもんじゃありませんよ。貰えるだけ有難いと思わなきゃいけませんよ」
「分かってるよ。そんなこと」少しムキになってそう言った。「海の方行こ、波の音が聞きたい」
「え……はい。分かりました」少し不機嫌そうな顔をし、頬を膨らませる。恐らく海の方に人がまだそこそこ残っているのが分かっていたからだろう。しかし、誘ってきたのは菫の方なのだから少し我慢してもらうぞ。
海の方へ近づけば近づくほど人が多くなり菫は顔が真っ青になっていく。気づけばいつの間にか左手が完全に握られていた。恥ずかしさはあったけど、どうせほとんどの人には見られていないのと振り解いても仕方がなかったのでこの状態を維持した。菫が密着して歩くせいで何度も踵を踏まれるので恐らく他の人から見たら不自然な歩き方をしているように見えただろう。
パラソル群の傍まで行くと、多くの人々が俺へ視線を向けて指を指しヒソヒソと何か言っているようだった。まあどうせ、あの動画に映っていた人だ、とか不自然に腕伸ばして変な歩き方してる、とかだろうと簡単に予想がついた。
人の視線を抜けた先には大海原が広がっていた。ここまで海に近づいたのは小学生ぶりだ。久しぶりに聴く波の音は心地よく、寝不足と面談で町を巡って疲れた心が少し癒された。そんな気がした。
人気のない所へ行き、しばらくの間、波の音を聴き心を清めていた。すると、背後から誰かに呼ばれた。明らかに菫が呼んだ声ではなかった。後ろを向くと、そこには眼鏡を掛けタバコを口に咥えた低身長の細身の男が居た。歳は見た目からして30代前半といったところだろう。身長は150センチ後半くらいだろうけど。
「あの?どちら様でしょうか?」恐る恐る努めて丁寧に話しかける。
「警戒させるようですまないな。こうゆう者なんだが」と言って彼は名刺を1枚見せてきた。そこには
それを見て俺と菫はとても胡散臭いと思った。詐欺師とすら思った。
「ゆ、幽霊研究家なる人が俺にどんなご用が?」
「怪しまなくていいよ、初風深夏君。例の動画を見てね。君に少し興味が湧いたんだ」そう言って、彼はタバコを口から離し煙を噴いた。
「なんで俺の名前知ってるんですか?」
口調こそ丁寧だったが、自分でも分かるくらい初めよりも明らかに警戒していた声になっていた。
「すまないすまない。別に君たちに危害を加えるつもりはない……が」目付きが一瞬で鋭くなったのに気がついた。「少し話をしたいんだ」
そう言って、荒砂は菫に左手を伸ばしてきたが俺はそれに対して右手を差し出しそれを止めさせた。
「彼女が怯えてる。その手を引っ込めてください」初めはその言葉を聞いても左手を動かし続けてきたが、睨むとすぐに引っ込めた。
「分かってくれたようで何よりです」
「すまなかった。少々強引過ぎたようだ」
「なんで手なんか出して来たんですか?」
「君たち2人に用事があってね。焦って手が出てしまったんだ」
「君たちってことはやっぱり見えてるんですね。彼女のことが」
「ああ、見えているよ。ハッキリとね」
「そうですか」見えている上で初対面の女性の幽霊を触ろうとしたのか。それなら警戒しない方がおかしいだろ。
「まあ、いい。少し話がしたいんだ。私の研究所に来てくれないか?」
「それは今じゃなきゃダメか?」話せるものなら話したかった。でも、先程の荒砂の行動で完全に菫が怯え切っていた。だから、今この人の研究所に行くのは最適解ではない。
「出来ればだが、今の状態ではどうやら無理そうだ」
「察しが良くて助かるよ。無理だ」
「それじゃあ、いつなら良いんだ?」
「そうだな」しばらく考え込む。「8月31日なら良いぞ」
「分かった。その日なら問題ないんだな」
「ああ、問題ない」
話せる算段がつき安堵した荒砂は「また会おう」と言って連絡先を交換してその場を後にした。
後ろを向くと、菫が俺の背中に額を付けていた。どんな表情をしてるかは分からなかった。
「もう大丈夫だよ」
「ほ、本当ですか?大丈夫なんですか?」
「大丈夫。胡散臭い研究家は居なくなったよ」
「よ、良かった」菫は安心したのかゆっくりと息を吐く。
「それじゃあ、駐輪場に戻ろうか」
「そうしましょう」
家に帰る最中、夕方なのにも関わらずペダルを漕げば漕ぐほど体内から汗が吹き出してきた。そんな中、菫が後ろから腕を回してきた。
「きゅ、急に何だよ!?」
「これにはなんの意味もないですよ。それより今日の海どうでしたか?」
「波の音が心地よかった。疲れが取れた気がする」
「それなら良かったです。これで丘の件の恩はチャラですね」
「はいはい」
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