第8話 因縁の再会

 たしかに、ベアトリスはかつて彼女に不合格を言い渡した。

 

 だが、それには歴とした理由がある。


 孤児院での慰問を兼ねた研修試験の際、彼女たちは「やだ汚い、触りたくないわ。変な病気をもらったら困るもの」と、子供に平然と言ってのけたのだ。


 試験官をしていたベアトリスは偶然それを聞いてしまい、彼女たちの人物評価を大幅に減点した。


「貴女のせいで、わたしたちは聖女になれず、今も見習いのまま。あの時の屈辱は絶対に忘れない」


(試験に落ちたのは自業自得でしょう。私を恨むのはお門違いだわ)

 

 ──というベアトリスの言葉は、少女たちの突然の暴挙により遮られた。


 彼女たちは、物干し竿にかけられていた洗濯物を掴むと、勢いよく地面に叩きつけ楽しそうに踏みつける。

 

 苦労して洗ったばかりの衣服がどんどんと泥にまみれていく……。

 

 ベアトリスはたまらず「やめなさい!」と叫んだ。


 すると少女たちがぴたりと足踏みを止め、さげすむような視線を向けてくる。


「やめなさい? 奴隷の貴女にそんなこと言う資格ないわ。聖女になれず、わたしたちがどれほど屈辱的な日々を過ごしているか、今日はたっぷりと思い知らせてあげる」


 ニヤッと笑った少女が近くにあったバケツを持ち、中に入っていた冷水を思いっきりベアトリスに向かって浴びせかけた。


 全身ずぶ濡れになった姿を見て、全員揃ってケラケラ笑い出す。


「ふふっ、あはは。ちょっとぉ、さすがにそれはかわいそうじゃないかしら? うふふっ」


「そう? でも、大丈夫よ。元聖女なら、浄化の魔法で身綺麗に出来るでしょう?」


「あら、知らないの? この女はね、セレーナ様の力を盗んで聖女になった偽物なのよ。浄化の聖魔法なんて高等術、使える訳がないじゃない」


 あまりの屈辱にベアトリスは怒りに震えながら、ぐっしょり濡れた金髪をかき上げた。


 彼女たちの言うとおり高等術は無理だが、今でも火の玉を作るくらいの初級術なら使える。


(あぁん? その白くてお綺麗なローブごと、全身火だるまにしてやろうかぁ?)

 

 罵詈雑言の数々が喉まで出かかったが、さすがに暴力と暴言はダメだと思いグッとこらえる。


(囚人に囲まれて暮らしているせいで、すっかりガラの悪い言葉を覚えてしまったわ。気をつけなきゃ)


 今ここでやり合っても不利益を被るのは自分。神殿の人間に危害を加えた罪で、また刑期が延びるのは絶対に避けたい。


「ねぇ、見て見て。元聖女さまが這いつくばって泥まみれの物を拾っているわよ。あはは! やだ、みじめ~」


「ふん、ざまぁみろだわ。大した能力もないくせに、偉ぶって他人を不合格にするからこういう目に遭うのよ」


 最初は楽しげに笑っていた少女たちだったが、無反応なベアトリスに興ざめしたのか、次第に険しい顔になっていく。


「ちょっとアンタ、なんとか言いなさいよ!」


 そう言われたので、ベアトリスは洗濯物を拾う手を止めて立ち上がった。


「これで満足かしら」


「はあ?」


「過去のことはお詫びするわ。正当な理由があって不合格にしたとはいえ、私も言葉足らずでした。先輩として、もっとはっきり言ってあげるべきだったわ」


 ベアトリスは、すぅーっと息を吸うと、毅然と言い放った。


「他人を見下し、嬉々として虐めをする、そんな性根の腐った人間は聖女にふさわしくありません。見習いのまま昇格できない? 自業自得よ! 悔しかったら精進なさい!」


 ハッキリもの申すと、彼女たちは面食らったように黙り込んだ。


(ふぅ、すっきりした)

 

 清々しい気持ちで洗濯を再開したベアトリスだったが、「ちょっと待ちなさいよ!」と叫ばれ、うんざりしながら顔をあげた。


「まだなにか用があるのかしら、こっちは忙しいのだけれど」


「このくらいで勘弁してやろうと思ったけど、やっぱ、やぁ~めた! ベアトリス、アンタって本当に生意気ね。もう我慢できないわ。最低最悪の悪女め、地獄に落ちろ!」


 少女は真っ赤な顔で叫び散らし、興奮し血走った目でこちらを睨み付けていた。

 

 あまりに憤慨した同僚の姿に、他の聖女見習いたちも困惑を隠せない。


「ねぇちょっと……顔すごく怖いわよ」


「気持ちは分かるけど、もう十分じゃない? 行きましょう?」


「なに言ってるの? コイツにはもっと罰が必要なのよ。わたし、セレーナ様から聞いたの。あの方が、ベアトリスからひどい仕打ちを受け続けて苦しんだってね。だからコイツはもっともっと苦しむべき。追放だけじゃ生ぬるいわ!」


 歪な笑みを浮かべた少女が、一歩、また一歩と近づいてくる。


 ベアトリスは身の危険を感じて、退路を確認しながら後ずさりをした。


「悪女に正義の鉄槌を下すべきよ──!」


 逃げようときびすを返すが、それより早く少女に腕を掴まれた。

 そのままギリギリとひねりあげられ、ベアトリスは痛みにうめく。


(この異様な力の強さは……身体強化の聖魔法!)


「貴女、試験中でしょう!? こんなことしたら、また不合格に……いっ、痛い! 離して!!」


 必死に叫んで腕を振りほどこうとするが、少女は一向に力を緩めない。

 それどころか、痛がるベアトリスの顔を見て、ますます楽しそうに高笑いをしている。


(この子、本気だわ……完全に狂っている。このままじゃ腕を折られる、いや……殺される!)


 脳内が恐怖で塗り潰された。

 ──その瞬間。


「何をしている」


 伸びやかな男性の声が耳に飛び込んできた。

 

 それと同時に掴みあげられていた腕が解放され、ベアトリスは地面に倒れ込む。


 ハッとして顔をあげると、視界に映ったのは自分を庇うように立つ青年の後ろ姿。

 純白の騎士服をまとい、すらりとした細身の高身長。だが背中は広く頼もしい。


 黒髪がサラサラと風になびき、陽光を受けて艶やかにきらめいていた。


「大丈夫か」


 ちらりと視線をよこした、その男の顔。

 見覚えのある整った美貌を見上げて、ベアトリスは呆然と呟いた。


 

「どうして……貴方がここにいるの……?」


 

 そこに立っていたのは、本来ここに居るはずのない人物。

 ベアトリスが断罪された時、『貴女には失望しました』というような眼差しを向けた男。


 

「……ユーリス・ブレア」


 

 ──私を嫌っているはずの、因縁の騎士だった。

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