第33話 聖女と悪女、本物と偽物

「わたし……心配で、来てしまいました……」


 その口ぶりから、彼女が『本物』のセレーナだと瞬時に察する。

 

(王都の隠れ屋敷にいる彼女がなぜここに?)


 疑問に思っていると、セレーナが近づいてきて小声で囁いた。


「報道を知って……いてもたってもいられず……」


「そうか。ありがとう、セレーナ」

 

「婚約者ですもの当然ですわ……どんな時も、ふたりで乗り越えます……」

 

 孤立無援でささくれ立っていた心に、彼女の優しさが染み渡る。

 

 セレーナの登場によりフェルナンが自然と剣を下ろしたことで、会場の張り詰めていた空気が若干やわらいだ。


「みなさま……父の件で、お騒がせしてしまい……申し訳ございません。詳細につきましては、後日、必ずお伝えします……」


 両目に涙をにじませ深々と頭をさげるセレーナに対し、人々はそれ以上なにも言えなかった──。


 会場を後にしたふたりは、人払いを済ませた部屋で再会を喜び抱き合う。


「君のおかげで助かった」

 

「お役に立てたのなら……嬉しいです」


 彼女のいじらしい姿を見ると、やはり自分が好きなのはセレーナなのだと実感する。

 

「わたし……もう、殿下と離れたくありません……」


「俺もだよ、セレーナ」


「それでは……身代わりは、もう終わりで……良い、ですよね?」


 フェルナンがうなずくと、セレーナは嬉しそうに微笑み涙を流した。


「泣かないでおくれ」


「すみません……わたし、とても怖くて……あの子は、いつもわたしの大切なものを奪うから……殿下の心がベアトリスに向いてしまうんじゃないかと……」


 セレーナが不安そうにこちらを見上げ、フェルナンの手を取って婚約指輪を撫でる。


 内心、ぎくりとした。

 事実、ベアトリスに心が傾きかけ、隣にいて欲しいと願っていたからだ。

 

 フェルナンは不埒ふらちな己の心を隠すため、わざとベアトリスのことを悪しざまに罵った。

 

「やめろよ。あんな自己中心的で高飛車な女、俺が好きになるわけないだろう。今だって、俺が大変な思いをしているのに、まったく役に立たない!」


 悪態をつけばつくほど、胸の内から憎しみが湧き上がってくる。

 

 なぜだろう? 怒りの感情が止まらない……。


「そうだ。あいつは呪具を使いセレーナを虐げ、力を奪った罪人だ! 一瞬でも信じた俺が馬鹿だった!」

 

「殿下。それでは……わたし、これからベアトリスの部屋に行って……身代わりの終了を伝えてきます」

 

「ダメだ! 相手はあのベアトリスだぞ。君ひとりでは危険だ」

 

「護衛を連れて行きますから……平気です。今ベアトリスは怒っているのでしょう? ……殿下が行けば、きっと喧嘩になってしまいます……」


「……そう、だな。分かった、ひとまずセレーナに任せるよ」


「はい。では行って参ります……」

 

 いつもどおりの微笑を浮かべ、セレーナが部屋を出ていった。



 

 それから数分後──。

 

 

「きゃああああッ!!」


 

 隣の部屋からガシャーンと何かが割れる音がした後、突如として甲高い悲鳴が聞こえてきた。

 

 驚いたフェルナンは慌てて自室を出て、隣の部屋に駆け込んだ。


「……っ! なんということだ……」


 全身真っ赤に染まり、床に倒れ込むセレーナの姿を見て、思わず息を飲む。

 

「セレーナ! セレーナ!」


 急いで助け起こすと、ぐったりとしたセレーナが薄く目を開けた。

 

「……殿下……」

 

 フェルナンは近くで棒立ちになっているポールを怒鳴りつけた。


「いったい、どういうことだ!」


「すっ、すみません……! ベアトリス様がいきなりワインボトルでセレーナ様をなぐり……急なことで反応できずに、も、申し訳ございません……」

 

「違う……私はそんなこと、していない!」


 ポールの言葉を遮りベアトリスが叫ぶ。

 

 フェルナンはセレーナを守るように抱きしめながら、顔面蒼白のベアトリスを睨んだ。

 

「俺の大切な婚約者を再び傷つけるとは、貴様はやはりとんだ悪女だな」


「違います! きちんと話を聞いてください、お願いします!」


「黙れ! 改心したなどという言葉を信じようとしたのが間違いだった。お前は責務を放り出した挙げ句、あまつさえ再びセレーナを傷つけた。もう許せん! ベアトリス・バレリー、貴様を殺人未遂で断罪する!」


「だ、断罪…………」

 

「ちょうどこの領には大監獄があるな。おい、衛兵! この罪人を監獄へ連れていけ!」


 無罪だと叫ぶベアトリスを、騎士が拘束して無理やり部屋から引きずり出した。


「もう大丈夫だよ、セレーナ。君を脅かす者は俺が排除する」


「フェルナン殿下……」

 

 セレーナは瞳を潤ませて弱々しく頷いた後、担架に乗せられ処置室へと運ばれていった。

 

 出ていく彼女と入れ替わりで、騒ぎを聞きつけた人々が続々とやってくる。


 事態の収拾に追われるフェルナンには、婚約者の声などまったく聞こえていない──。

 

 

「ベアトリス。貴女には、悪女の異名がお似合いよ……」


 

 あまりにも小さな女の囁きは、誰にも聞き届けられることなく、喧噪けんそうに紛れて跡形もなく消え去った。

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