第19話 どうするベアトリス
ルイザ・サンドール王妃殿下。
名門公爵家の出身で、フェルナン第一王子の生母であり元聖女。
血統と規律を重んじる性格のため、婚外子であるセレーナを嫌悪し、ふたりの結婚に猛反対している──。
(身代わり計画を知らせないってことは、フェルナンは王妃様を疑っているのね)
実の母親を暗殺の黒幕として警戒するなんて……と思う反面、あの苛烈な王妃ならやりかねないと納得もしてしまう。
(あぁ……この仕事、想像の何十倍も大変だわ……)
ベアトリスは一抹の不安を覚えながらも、ここ最近の寝不足による睡魔に抗えず、机につっぷしたまま目を閉じた。
まどろみの中で『仕方ないですね』という穏やかな声が聞こえ、誰かに優しく抱き上げられた気がしたが……まぶたが重たすぎて目を開けることはできなかった。
そうして、ついに迎えた身代わり
ベアトリスは金髪を赤毛に染めあげ、セレーナから借りた薄紫色のドレスを身にまとい、王妃主催の夜会に出席した。
✻ ✻ ✻
バレたらどうしよう……と内心ヒヤヒヤしていたが、今のところ特に怪しまれることなく、無事に挨拶回りを終えられた。
ユーリスが近衛騎士を率いて厳戒態勢を敷いてくれているおかげで、身の危険を感じることもない。この上なく順調だ。
(よしよし、良い調子! どうかこのまま、なにごともなく終えられますように)
そう思っていると、フェルナンが貴族らと談笑している隙を狙って、ご令嬢が数人こちらに近づいてきた。
「ごきげんよう、セレーナ様。その後、お加減はいかがかしら?」
「ご心配……ありがとうございます……もう良くなりました……」
「そう? でもまだ顔色が悪そうよ。物騒な目に遭われて、ろくに眠れていないのでしょう? 公務と聖女の仕事も欠席しがちだとか、心配ですわ」
気遣っているように見せかけて、チクチク嫌みを言ってくるこの令嬢は、たしか王妃派閥に属する貴族の娘。
(セレーナが婚約者の座を降りれば、自分にお鉢が回ってくるとでも思っているのかしら)
さすが貴族の思惑渦巻く王宮。それぞれが、なんらかの意図を持って話しかけてくる。
中には本心から気遣ってくれる人もいるが、大多数はセレーナの失態をあげつらい、フェルナンとの仲を引き裂こうとする者ばかり。
最近まで極悪囚人に囲まれていたベアトリスには、この程度の嫌みは痛くも痒くもないが、気弱なセレーナはかなりのストレスを感じていただろう。
(私なら、こういう嫌みな子にはキッパリ言い返してやるんだけど、今はセレーナの真似をしなきゃ。毒舌は封印、がまんがまん……)
「ご心配をおかけして……すみません……」
セレーナの皮をかぶったベアトリスがうつむいた途端、目の前の令嬢が勝ち誇るようにニヤッと笑った。
その時、そばを離れていたフェルナンが戻ってきて令嬢を睨み付ける。
「おいお前たち、俺のセレーナになにを言った? 泣きそうな顔になっているではないか」
「殿下……! 違うのです、わたしたちは、セレーナ様を心配して」
「心配? セレーナの心配は俺がすべきこと、貴殿らには関係ない。──去れ」
冷たく言い放たれ、令嬢たちは唇を噛みしめてお辞儀する。去り際、例の令嬢がベアトリスの真横で一瞬立ち止まり、小声で囁いた。
「泣くだけで殿下に守ってもらえて良いご身分ですこと。ご自分ではなにもなさらないわけ? ムカつく女」
令嬢は早口で捲し立てた後、ふんっ!と顔を背け、カツカツと苛立ち紛れの靴音を響かせながら去っていく。
セレーナのふりをしているから口を噤むしかないが、ベアトリスは少しだけ彼女に共感してしまった。
「みなさま、長らくお待たせいたしました。ルイザ王妃殿下のご登壇です──!」
司会者の合図と同時に華やかな入場曲が流れ、ホール奥の扉が一気に開け放たれる。
拍手喝采の中、きらびやかなドレスをまとった貴婦人、ルイザ王妃が姿を現わした。彼女は早々にスピーチを終えて降壇すると、一直線にこちらへ歩み寄ってくる。
黄金の川のような金髪に、赤薔薇のような深紅のドレス。真っ赤なルージュの唇を持ち上げ笑みを浮かべた王妃は、この場の誰よりも存在感があった。
ここにいるのが本物のセレーナだったなら、あまりの迫力に圧倒されてまともに話せないだろう。
現に公式の夜会記録を見れば、これまでセレーナが王妃相手に発した言葉は「すみません」と「はい」だけだった。
「フェルナン、我が愛しの息子。先ほどの言動、報告を受けましたわよ。女性相手に怖い顔で『去れ』と命じるなんて、王家の紳士としてあるまじき行いです」
「以後、気をつけます……」
「よろしい」
フェルナンを叱りつけた王妃が、次に目を細めてこちらを見た。
「あらセレーナ、いたの? いつもどおり貧相で影が薄いから気付かなかったわ」
「……すみ、ません……」
「はぁ、相変わらず覇気のない娘。それしか言えないのかしらね」
「母上、それくらいにしてやってください。セレーナは例の件で、まだ体調が思わしくないのです」
「例の件、ねぇ……。王族たる者、暗殺になど怯えていては務まりません。そもそも、貴女がそんなにオドオドしているから狙われるんじゃなくて? フェルナンの隣に立ちたいのなら、もっと威厳を持ちなさい」
「すみ、ません……」
「はぁ、本当に嫌になるわ。いくら注意しても、それしか言わないのね。わたくしの助言を聞く気もないなんて、もうこれ以上我慢できませんわ」
王妃は広げていた羽扇をぴしゃりと閉じると、よく通る声で言い放った。
「セレーナ、貴女はフェルナンの婚約者にはふさわしくありません。よって、今ここで婚約破棄を命じます!」
「な……! 母上!!」
王妃の突然の破談宣言に、慌てるフェルナンとざわつく人々。
一方のベアトリスは「そうなると……私の恩赦はどうなっちゃうの?」と疑問に思った。
内心首を傾げていると、フェルナンが別れを惜しむようにさり気なくベアトリスの肩を引き寄せて囁く。
「おい! お前も母上の説得に協力しろ!」
「えぇっ、私が!? 『はい』と『すみません』以外しゃべれないのに、いったいどうしろと言うのよ!」
「破談になれば身代わり契約も白紙。問答無用で鉱山に逆戻りだぞ!」
(なんですって!?)
それはまずい。とてもまずい!
なんとかして王妃を説得し、フェルナンとセレーナの婚約を継続させなければ。
思案するベアトリスに、王妃が優しく語りかけてきた。
「相応の慰謝料は差し上げますから、安心なさい。嫁ぎ先が心配なら、それもわたくしが面倒を見てあげましょう。貴女にとっても悪い話ではないと思うけれど?」
王妃の言葉には迷いがなく、決意の固さが窺える。
このままでは再びの鉱山送り、絶体絶命の大ピンチ──!
(どうすればいいのっ!?)
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