第18話 ピンチこそ最大のチャンス!

 早くもうんざりしていると、目を潤ませたセレーナが、フェルナンに抱かれながらこちらを見つめた。


「ベアトリス……お願いです……」


「なにかしら」


「フェルナン殿下を、取らないで。これ以上、わたしから、奪わないで……」


 私から幸せな日々を奪った貴女がそれを言うの?と責めそうになって、とっさに口を噤んだ。

 

 言葉を必死に飲み込むかわりに、無意識にきつく睨み付けてしまっていたようで、またもやセレーナが身をすくめる。


「おい、ベアトリス! セレーナが怯えているじゃないか」


 フェルナンに咎められ、ベアトリスは「失礼しました」と言って顔を背けた。


 視界の端では、セレーナが王子に守られながら、まるで物語に出てくる悲劇のヒロインのようにさめざめと泣く。


 相変わらず気弱な異母姉にうんざりしながらも、よくよく観察すれば、彼女は随分と憔悴しょうすいしていた。顔は青白く、表情は暗い。元々どこか影のある女性だったが、さらに陰鬱さが増した気がする。


(命を狙われているんだもの。そうなるのも仕方ないわよね)


 フェルナンに慰められたことで、セレーナはようやく落ち着きを取り戻したようだ。


「泣いてしまって、ごめんなさい……まさか、ベアトリスがいるとは……思わなくて……」


「謝るな。君はずっとベアトリスに虐められてきたのだから、驚き動揺するのも無理はない」

 

 フェルナンがちらりと視線を寄越してきた。これまでセレーナにしてきた悪行を謝れ──という意味だろう。


 また私だけ悪者扱いなの……?と、憤りが一気に湧いてくる。


(落ち着くのよ、私)


 相変わらず神経を逆なでするようなセレーナの言動に腹は立つが、彼女に対して威圧的な物言いをしていたことは事実。


 謝罪の気持ちは口にしなければ伝わらない。発した言葉のひとつひとつが、のちに自らの人生を良い方にも、悪い方にも変えることになる。


 ──というのが、追放後、ベアトリスが苦難の中で学んだ教訓だ。


(ここは他でもない自分のために、非を認めましょう)

 

 ベアトリスは静かに深呼吸をした後、深々と頭を下げた。


「セレーナ、今まで本当にごめんなさい」


「えっ……」


「両親が不仲になった憎しみと母を亡くした悲しさを、すべて貴女にぶつけてしまいました。ごめんなさい」


 謝罪してもう一度頭を下げると、やがてか細い声が聞こえてきた。


「今更……謝られても……困るわ……」


「……そう、よね」


「わたし……貴女と奥様に無視されたり……お父様……旦那様に娘として認めてもらえなかったり……使用人のような扱いを受けたり……ほんとうに、とっても苦しかったの……」


 あぁ、かわいそうに、と言わんばかりの切なげな表情で、フェルナンがセレーナの肩を抱く。


「でも……わたしは、ベアトリスを許します。母親が違っても……わたしと貴女は姉妹だもの」


 そう告げたセレーナは、まるで聖母のような慈悲深く、清らかな微笑みを浮かべていた。


 会話を聞いていたフェルナンとその家臣、そしてセレーナと共に部屋に入ってきた騎士は、みな感心したように彼女に尊敬の眼差しを向けている。


「なんて慈悲深く、心根の美しい女性なんだ。君はまさに真の聖女であり女神だ」


「わたしなんかに、そんなお褒めの言葉は、もったいないですわ……」


 恋人を賞賛するフェルナンと謙虚にふるまうセレーナ。


 ふたりのやりとりを眺めながら、ベアトリスは密かに苦い気持ちになっていた。


 

 昔からセレーナを見ていると、なぜか無性にイライラする。

 

 ずっとその理由が分からなかったが、今この瞬間、ようやく気付いた。


(私はセレーナに、嫉妬していたんだわ)


 虐げられても、悲しみと怒りをこらえて耐え忍び、相手を許してしまえる器の大きさ。

 威張らず、欲張らず、一歩引いて謙虚に振る舞う淑やかさ。

 素直で優しい、心の清らかさ。


 まるでベアトリスが大好きな恋愛小説の主人公みたい。

 

(私とは正反対ね)


 物語の主人公は、みなセレーナのように優しくて健気で、いつも正しい行いをする子ばかり。

 

 ベアトリスのように口下手で皮肉を言ってしまったり、間違ったりしないのだ。


(物語の役割で言えば、私は主人公の幸せを妨害する『悪役』ってところかしら。実際、ちまたでは『悪女』って呼ばれているみたいだしね)


 自嘲気味に「ふっ」と微笑すれば、フェルナンが疑いの眼差しを向けてきた。


「なんだその笑顔は。よもや、よからぬ事を考えているのではないだろうな? 少しでも怪しい行動をしたら、即座にあの鉱山へ送り返してやる。お前はセレーナの影武者である前に、罪人だということを忘れるな!」


 高圧的なフェルナンの言動にいちいち目くじらを立てるのも馬鹿らしい。

 

 ベアトリスは大人しく「かしこまりました」と言うと、背筋をピンと伸ばし、ふたりに向かって堂々と告げた。


「立派に身代わりの務めを果たしてみせます。改心した私の働きを、見ていてくださいませ!」


 他でもない自分自身のために頑張ろう。この任務を成功させて、なんとしてでも自由を勝ち取ってみせる。

 

 そしてあわよくば、自分が追放された呪具事件の解決の糸口を見つけ、汚名返上を狙う!


 

(ピンチこそ最大のチャンスよ! この身代わり契約、名誉挽回の足がかりにさせてもらうわ!)


 

 

 その後、みっちり一週間。

 セレーナの身代わりになるための特訓が始まった。


 口調から歩き方、仕草の癖に至るまで完璧に演じられるよう練習を繰り返し、さらにセレーナと周辺人物に関する情報を徹底的に頭に叩き込む。


 記憶力と演技力には自信があるの、楽勝よ!と思っていたのだが、さすがに一週間は短すぎた。



「さあ、俺の前でセレーナを演じてみせろ」


「まだ完璧じゃありませんわ。殿下、お願いですから、もう少し時間をくださいませ」


「却下だ。鉱山に逆戻りしたくなければ、あと一週間でものにしろ!」


「そんなぁ~。いったい一週間後に、なにがあるというのです?」


「母上の主催する夜会だ。そこで偽物だとバレなければ合格。以降も身代わりを続けてもらう」


「もし、バレたら……」


「即、鉱山送りだ」


 ですよねぇ~と諦め半分でベアトリスは鏡の前に立ち、フェルナンに怒鳴られながらセレーナのものまね練習を続けた。


 特訓の後、自室に戻ってからふと疑問に思う。


(あら? どうしてフェルナンは、身代わりの件を王妃様に伝えないのかしら?)


 現時点で影武者のことを知っているのは、当事者であるベアトリスとセレーナ。フェルナンと近衛副団長のユーリス、そしてセレーナ付きの護衛騎士ポールだけだ。


 ユーリスが用意してくれた分厚い資料をめくり、王妃に関する項目を読むと、答えはおのずと見えてきた。

 

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