第20話 一難去ってまた一難……!?

 助けを求めるようにベアトリスが視線をさまよわせれば、視界の端にユーリスの姿が映り込んだ。


 彼は、右手で自分の胸をトントンと叩いている。

 

 あれは──『貴女の思うままに話しなさい』という合図だ。


 ベアトリスはまっすぐ王妃を見つめると、起死回生の一手を打つべく口を開いた。


「すみ、ません」


「貴女は本当にそれしか言えないのね。はぁ、もうなにもしゃべらなくて、いい──」


「あの、すみません……王妃様の、ご命令には……従えません」


「……………………なんですって?」


 王妃が大きく目を見開き、唖然とする。


 これまで「すみません」としか言えなかった気弱なセレーナが、王妃相手に明確な拒絶の意思を示したことに、その場の人々はみな驚きのあまり息をのんだ。


「わたしは……殿下を心から……お慕いしております」


 人々が見守るなか、ベアトリスはセレーナの口調を真似しながら話した。


「殿下は、わたしをいつも励まし、心の支えになってくれた、大切な御方です。ですが、わたしはまだ……そのご恩を、返せておりません……」


 王妃は目を細め、品定めするようにこちらを眺めている。

 

 ベアトリスは、ものすごい威圧感で萎縮しそうになるのを必死にこらえ、演技を保ったまま言葉を続けた。


「王妃様、これから……もっと、もっと、努力します。ですからどうか……殿下のおそばに、いさせてください……お願いします……」


 頭を下げると、隣にいたフェルナンも「母上、俺からも頼みます」と深くお辞儀をした。


 しん──と、その場に静寂が満ちる。


 気付けばいつのまにか楽隊は演奏をやめ、客は談笑を中断し、固唾をのんで王妃の返答を待っていた。


(やれることは、すべてやった……)


 

 数十秒の沈黙が、永遠に思える。


 

 やがて頭上から、溜息交じりの声が降ってきた。


「ふたりとも、顔をお上げなさい。はぁ……まったく、仕方ありませんね」


「──母上! ありがとうございます!」


「浮かれるのはまだ早いですよ。セレーナには課題を与えます。週末までに、例の『不穏な影』を見つけなさい。ただし、王子の手助けは禁止します。貴女が自ら考え行動なさい」


 不穏な影とは、セレーナの命を脅かしている暗殺者のことだろう。


 フェルナンがとっさに「一週間でなど無理です!」と抗議の声をあげた。

 しかし、王妃に「お黙り!」と叱られ口を噤む。


「セレーナ、これが最後の機会ですよ。『努力する』だなんて、口ではいくらでも言えるの。結果で示しなさい」


「はい……! あっ、ありがとう、ございます!」


 王妃は、こちらを一瞥いちべつして去っていった。


 途端、人々が談笑を再開し、場が賑やかさを取り戻す。


 ベアトリスは、とりあえず良かった……と胸を撫で下ろした。

 

 だが、ホッとしていられたのも束の間。


「犯人逮捕、しっかりと頑張ってくれよ、セレーナ」


 にっこり腹黒い笑みを浮かべたフェルナンに肩を叩かれ、本当の戦いはこれからだと思い知る。


(あぁ、もう! どうしてこう次から次へとトラブルが起きるのよ!!)


 ベアトリスは前途多難な状況にひっそり頭を抱えるのだった。




 夜会の後、ベアトリスとフェルナン、そして護衛のユーリスとポールは、セレーナの私室に集合していた。

 

 ベアトリスが姿見の前で【鏡よ鏡、聖なる乙女の姿を映したまえ】と詠唱すると、鏡が水面のように揺らめき、セレーナの姿が映し出される。


 この鏡は一見、普通の姿見だが、実は聖女のみが扱える聖魔道具。鏡を通して、郊外の屋敷に身を隠しているセレーナと会話できる。


 王妃との一件をすべて話すと、セレーナはみるみる青ざめ泣き出しそうになった。


「そんな……一週間で犯人を見つけなければ、破談だなんて……殿下、わたし、どうすれば……」


「セレーナ、落ち着け。俺がなんとかするから」


「ですが……殿下は協力しないよう、王妃様から命じられてしまったのでしょう……?」


「それは、そうだが……」


 フェルナンは眉根を寄せてうつむいた後、なにを思ったのか、こちらを見て力強く言い放った。


「お前ならなんとかできるよな、ベアトリス! というか、なんとかしろ!」

 

 キリッとした顔で当然のように命令してくるが、ベアトリスからすれば『はぁ? 丸投げはやめてよ!?』という呆れた心境である。


「私の仕事はあくまでセレーナの影武者、王妃様との関係修復は業務外です。こちらに押しつけないでくださいませ」


「お前が軽率に『努力する』なんて言ったから、こんな面倒事になったんだろう!」


「あの場では、ああ言うしかなかったじゃないですか!」


「まぁまぁ、おふたりとも、どうか落ち着いてください」


 そう言って、口論するベアトリスとフェルナンを止めたのは、セレーナ付きの騎士ポールだった。

 

「喧嘩しても時間を浪費するだけです。まずは冷静に話し合いましょう」

 

 焦げ茶色の短髪に、そばかすの散った人懐っこい笑顔がトレードマークの彼は、にらみ合うベアトリスとフェルナンの間に立ち、やんわりと仲裁に入ってくれた。


 冷静さを取り戻したフェルナンが、仕切り直して話を再開する。


「もし犯人を逮捕できれば、大手柄だ。お前とバレリー卿に恩赦を与える大義名分が立つ。もし議会で貴族らが反対しようとも、はね除けることができるだろう」


「犯人逮捕は、私にとっても利益があるということですね」


「そうだ」


 ベアトリスは瞬時に考えを巡らせた。


 自分はお優しい人間じゃないから、他者のためにタダ働きはしない。しかし、こちらにもメリットがあるというのなら話は別。やる価値は十分にある。


「ではその件、お受けいたします。ただし、私ひとりじゃさすがに無理ですわ。ユーリスとポールを貸してください」


「分かった。俺自身は手伝えないが、人手を貸すくらいは母上も大目に見てくれるだろう」


 フェルナンに目配せされた騎士ふたりは、『承りました』とそれぞれ一礼した。


「やると決めたからには全力で犯人逮捕してみせますわ!」


 闘志をみなぎらせるベアトリスはその時、目先の問題解決に夢中で見ていなかった。



「わたしは、いつも、守られてばかり……なにもできない、役立たずね……」


 

 鏡の中のセレーナが悲しげな顔でうつむき、陰鬱に呟いていたのを──。


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