第11話 高飛車な悪女だと思っていたのに……

 ベアトリスに睨まれていたのは、侍女の制服を身につけた気弱そうな赤毛の少女だった。

 瞳の色はブレア伯爵と同じ青色、顔立ちもどことなく似ている。


 ベアトリスが目をつり上げて、侍女に詰め寄った。


「どうしてセレーナがここにいるの?」


「あの……わたし……お墓に、お花を……」


「お花? お母様は、アンタの献花なんて望んでいないわ! しかもその花、マリーゴールドよね。よりによって、お母様が一番嫌いだった花」


「えっ? そ、そうなんですか……? すみません……わたし、知らなくて……ごめんなさい」


「嘘っ! 知らないはずない。だって、『マリーゴールドには【嫉妬】と【絶望】っていう意味があるから飾らないで』って、お母様はみんなに言っていたもの」


 怒りで頬を染め上げたベアトリスは、まるで親の仇のようにセレーナを睨みつけた。


「貴女、わざとやっているでしょう! 死んだ後もお母様を苦しめるつもり!?」


「そんな……わたしは、奥様のご冥福を……」


「うるさい! 白々しい嘘はやめてよ!!」


 言葉を遮ってベアトリスが叫び、右手を振り上げた。


 逃げようとしたセレーナだったが、足がもつれ「きゃっ」と小さな悲鳴をあげて地面に倒れ込む。


 うずくまり身を守るセレーナに、ベアトリスは怒りのまま暴力を振るおうとした。


「やめろ、ベアトリス」

 

 勢いよく振り下ろされた手をユーリスがとっさに掴むと、ベアトリスがハッとした顔でこちらを見た。


 バレリー伯爵家の複雑な家庭事情は、ユーリスも耳にしたことがある。

 

 伯爵の婚外子だと名乗る娘が突然やってきたことで、おしどり夫婦で有名だった伯爵夫妻の仲は険悪に。夫人は心を病んでしまい、このたび急死してしまった。

 

(この侍女が、噂の自称婚外子の娘か。……たしかに、バレリー伯爵とベアトリスに似ている)


 ユーリスは、地面に倒れたままのセレーナを横目でちらりと見た。


「君、大丈夫か」


 返事がないため、不思議に思って顔をのぞき込むと、セレーナはポロポロと涙を流して泣いていた。


「怪我はないか」


「はい……だい、じょうぶです……あっ……でも、お花が……」


 転んだ時に落として踏んでしまったのだろう。地面には無残な姿になったマリーゴールドの花びらが散らばっていた。


 呆然としているセレーナに手を貸し立たせてやると、後ろからかすれた声が聞こえてきた。


 

「貴方は、セレーナの味方なのね」


 

 振り返れば、ベアトリスは両手を握りしめ、下唇を噛みしめてユーリスを睨み付けていた。


「俺は誰の味方でもありませんよ。ただ、どんな事情があれ、暴力はいけない」


 喧嘩の仲裁に入ったつもりだったが、ベアトリスは完全にユーリスを敵と見なしたようだ。敵愾心てきがいしんも露わに怒りの表情を浮かべている。


 セレーナが怯えてユーリスの背中にさっと隠れた。

 それを見て、ベアトリスが大きな瞳をますます吊り上げる。

 

「雨が強くなってきました。ふたりとも早く屋内へ。ベアトリス嬢、これを」


 ユーリスは努めて優しく微笑み、ベアトリスに傘を差し掛ける。

 だが、彼女はその手を思いっきりはねのけた。


 パシンという乾いた音とともに、ぬかるんだ地面に傘が落ちる。


「ぁ……」


 自分でも『やりすぎた』と思ったのか、ベアトリスは一瞬狼狽えたものの、次の瞬間にはユーリスから視線を外し、くるりと背を向けた。


「結構よ。セレーナに貸してあげれば」


 そう言い捨てて、雨の中を走り去ってしまった。


 

 それから、彼女と会う機会はなかったが、偶然の産物か、はたまた運命のいたずらか。

 ふたりは神殿で、聖女と護衛騎士という形で再会を果たすこととなった。


 そして皮肉なことに、ベアトリスの隣には相も変わらずセレーナがいる。

 

 

 ベアトリスは未だに、ユーリスがセレーナの味方だと決めつけているようで、再会後もまったく心を開いてくれなかった。


 会えば気まずそうに顔を背け、口を開けば皮肉交じりのセリフを言い放つ。


(俺は、相当嫌われているんだな)


 そう思っていたが、当たりが強いのはユーリスに対してだけではなかった。

 


「ベアトリス様って、上級聖女様で、しかも王太子殿下の婚約者だろう? 気安く話しかけられないよ」


「そうそう、しかも圧がすごくて。ただでさえとっつきにくいのに、あのかわいげのない言動……怖いわ」


「セレーナさんって、いつもベアトリス様に怒られているじゃない? 本当にかわいそう。同情しちゃうわ」


 

 優秀だが気位が高いベアトリスは、高飛車な口調や無愛想な言動も相まって、神殿内で完全に孤立していた。

 

 お節介だと思いつつも、口調に気をつけるようユーリスが忠告すれば、彼女はますます頑固になり溝は深まるばかり。


 結局、関係は修復されぬまま、王室の決定によりベアトリスは追放され、今に至る──。




 浴室の扉がガチャリと開き、ベアトリスが居間に戻ってきた。

 

 物思いにふけっていたユーリスは現実に引き戻され、振り返る。


 先ほどまで、冷えて血の気を失っていたベアトリスの顔は、血行が良くなって頬が薄紅に色づいていた。


 案の上、ユーリスの私服は彼女には大きすぎて、袖と裾を折ってもまだぶかぶかだ。

 元から華奢だったが、追放されてからは更に痩せてしまったようで、手首や足首は折れそうなほど細い。


 痛ましい気持ちになったユーリスは、そっと彼女から視線をそらしてカップにお茶を注いだ。


「どうぞ」


「ん~、いい香り」


 湯気の立つ温かな紅茶に、ベアトリスが嬉しそうにカップに口を付ける。


「とってもおいしい。お風呂と着替え、ありがとう。体の芯から温まったわ。こんなの久しぶり」


「どう、いたしまして……」


 ユーリスの知っているベアトリスは、とにかく強気で苛烈で毒舌。サボテンかハリネズミのごとく、触れた者を傷つけるような刺々しい女性だ。


 だから今日も『許さない! 復讐してやる!!』と、わめき散らされるのを覚悟していたが……。


(なんだ、このふわふわした表情は……)


 かつての尖った雰囲気は鳴りを潜め、目の前のベアトリスはふんわりと可憐に微笑んでいる。


 今の彼女の見た目や仕草は、悪女とはほど遠い……。

 年相応の無邪気で明るい少女だ。

 

 すっかり毒気を抜かれてしまったユーリスは、信じられない気持ちで笑顔のベアトリスを見つめた。

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