第10話 コイツ、私のカラダが目当てなのね──!!
「『へ?』じゃありません。さっさとしてください」
「え? ええ、そうね……じゃあ、ありがたく…………って、お、おおおおっ、お風呂ォ!?」
個室にふたりっきり、そして入浴、してほしいコト……。
ハッ! まっ、まさか……!
(コイツ、私のカラダが目当てなのね──!!)
ベアトリスは両手で胸元を隠し、後ずさりながらユーリスを睨んだ。
「少し会わない間に、貴方すっかりろくでなしになったのね! いいえ、今までは猫を被っていたのかしら」
「…………はい?」
「『はい?』じゃないわよ! 生真面目な人だと思っていたのに、すっかり騙されたわ! 部屋に連れ込んで、無理やり……だなんて。アナタ、ちょっと顔がいいからって……見損なったわ、この破廉恥騎士! 変態! すけこまし!!」
「すけこまし……」
ユーリスは頭痛をこらえるように片手で額を押さえ、上品な容姿に似合わぬぞんざいな口調で呟いた。
「なにを勘違いしているんだか…………めんどくせぇな」
「今『めんどくせぇ』って言ったでしょう! 聞こえてるわよ!! いいこと、私はそんな安い女じゃないの。囚人に身を堕としたからといって、好き勝手できると思ったら大間違い……って、あわわっ!」
話の途中でユーリスが急に歩み寄ってきたため、ベアトリスは驚き慌てた。
(な、ななな、なに、いったいなに!?)
内心パニックになるベアトリス。
しかし彼はこちらに見向きもせず、真横をすーっと素通りしてクローゼットの前で立ち止まった。
「え…………?」
「貴女の妄想は分かりましたから、少し静かにしてください」
そう言ってユーリスは至極面倒そうに、こちらに向かってなにかを投げてきた。
広げてみると、それは大きめのシャツと男物のズボンだった。
「風邪を引かないよう入浴を勧めただけです。他意はありません。女物の服は持っていないんで、着替えはそれで我慢してください。新品なんで清潔です」
淡々と事務的に説明されて、ベアトリスは「あ、はい」と大人しく頷くしかない。
(風邪を引かないようにって……私が追放された時、『失望した』って言ったくせに。今更どうして、こんな風に気遣ってくれるの?)
嫌われていると思った相手に、不意打ちのように優しくされて戸惑ってしまう。
「急に黙り込んで、どうかしましたか」
「私が病気になったとしても、貴方には関係のない事でしょう?」
「いいえ、貴女には健康でいていただかなくては困ります。してほしいことがありますので」
「さっきから、その『してほしいこと』ってなによ……? ハッ、やっ、やっぱり、いやらしいことを……!」
「違います」
ベアトリスは再び警戒し、守るように自身の体を抱きしめる。
ユーリスは、本日何度目か分からない溜息をついて、呆れ顔でバッサリ言い切った。
「貴女には全然、まったく、一切、ほんのカケラ程度も興味がありませんので。どうぞ安心を」
(ぜっ、全否定……! なんか、それはそれで、ちょっとプライドが傷つく……)
色々な意味で内心ショックを受け棒立ちになるベアトリス。
それを見たユーリスが冷めた無表情から一転、急に艶めいた微笑を浮かべた。
「ぐずぐずしていると、俺が強制的に脱がせますが、よろしいですか?」
「そんなのダメに決まっているじゃない!」
完全にからかわれていると分かっているものの、恋愛ごとに疎いベアトリスは、赤面しあたふたするのを抑えきれない。
着替えを胸に抱えて、ひっくり返った声で叫んだ。
「のっ、覗いたら絶対、許さないんだから!」
「はいはい。安心してください。興味ありませんので覗きませんよ」
(くぅっ、コイツ、二回も興味ないって言ったわね!)
自分に無関心なユーリスの様子に、ほっとするやら、『私ってそんなに女性として魅力ない……?』と、少しがっかりするやら。
複雑な気持ちになりながら、ベアトリスは浴室に駆け込んだ。
✼ ✼ ✼
一方、部屋に残されたユーリスは──。
「ようやく行ったか。まったく、騒がしい奴だな」
思わずふっとほほ笑み、部屋を更に温めるべく暖炉に薪をくべた。
──『あ、ありがとう、ユーリス』
脳裏に浮かぶのは、素直に感謝を述べながらこちらを見上げる、先ほどのベアトリスの姿。
(あのベアトリスに礼を言われる日が来るとは、予想外だったな)
ユーリスから見たベアトリスは、とにかく気位が高い女という印象だ。
呪具使用の罪が明らかになってからは、そこに『許されざる罪人』という項目も追加され、心証は最悪。
任務とはいえ顔を合わせるのは気が重かったのに……。
先ほどはつい……真っ赤になって狼狽える彼女の姿が、ほんの少しだけ可愛らしいと思ってしまった。
(俺はなにを考えているんだ? 相手は罪人、やすやすと気を許してはいけないだろ)
風呂上がりの彼女のために、温かな紅茶を淹れてやりながら自らを
ベアトリス・バレリーは、異母姉を虐げたうえ、呪具で神聖力を奪い続けた『稀代の悪女』。
「人は簡単には変わらない。悪人は一生、悪人のままだ」
ユーリスは自分に言い聞かせるように呟いた。
浴室の方から響いてくる水音が、リビングにも
ピチャン、ピチャンと水滴が跳ねる音で雨を連想したユーリスは、ふと過去の出来事を思い起こした。
──『貴女は、セレーナの味方なのね』
それはユーリスがベアトリスに初めて出会ったあの日。
ベアトリスの母親である、バレリー伯爵夫人の葬儀でのことだった。
その当時、ユーリスの両親はすでに他界しており、家督は兄が相続していた。
若き新当主として公務に追われる兄の名代として、ユーリスは遠縁にあたるバレリー伯爵家の葬儀に参列した。
「この度は、お悔やみ申し上げます」
「ご足労いただき、ありがとうございます、ユーリス・ブレア様」
埋葬を終えて参列者に挨拶をする父親の横で、喪服に身を包んだベアトリスが小さくお辞儀をする。
泣きはらした赤い目に、沈鬱な表情。
まるで魂が抜けたように一点を見つめる姿がかわいそうでならなかったのを、今でもよく覚えている。
やがてパラパラと小雨が降ってきて、参列者は次々と教会内に入っていく。
だがベアトリスは母の墓の前から動かず、父親に手を引かれてようやく歩き出した。
教会では親族と、とりわけ夫人と仲の良かった貴族が中心となり、故人を偲ぶ会が行われた。
バレリー夫人とは挨拶を交わす程度の交流だったユーリスは、そろそろお暇しようと思っていた時、会場にベアトリスの姿がないことに気が付いた。
父親であるバレリー伯爵は参列者の対応に追われ、話しかける隙もない。
ふいにユーリスの脳内に不吉な考えが浮かぶ。
(まさか……悲しみのあまり母の後を追って……? いいや、まだ確証はない。とにかく探してみよう)
焦る気持ちを抑え探し回ると、廊下の窓からベアトリスの姿が見えた。
雨の中、傘も差さずふらふらとひとり、墓場方面へ歩いていく。
急ぎ彼女の後を追うと、ベアトリスは夫人の墓の前で、怒りも露わにひとりの少女を睨み付けていた。
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