第14話 芽生えはじめた感情
医療班の聖女にベアトリスの治療を任せ、ユーリスが救護室から出ると、廊下に囚人が大勢たむろしていた。
「うぅっ、アネゴォ~!!」
「姉御、大丈夫かなぁ……まさか、このまま死んじまったり──」
「オイ、縁起でもねぇこと言うな! ベテランの聖女様が治療してくださってんだ、大丈夫に決まってんだろ!」
(こいつらの言っている『
「お前たち、通り道を塞ぐな。それぞれの持ち場へ戻れ」
「なぁ、騎士のあんちゃん、姉御は無事なんだよなぁ?」
「ああ、命に別状はないから安心しろ。……ところで、お前たちは何故ベアトリス様を『姉御』と呼んでいるんだ」
「そりゃあ、あの方は俺たち脱走班のリーダーだからなっ!」
「おい、馬鹿! 余計なこと言うな!」
「え? あっ! まずい!」
ベアトリスについて自慢げに語っていた男が、別の囚人に肘で小突かれ、『しまった』という顔で口を噤んだ。
その場にたむろしていた囚人たちが一斉に慌てて、脱兎のごとく逃げていく。
(神殿では孤立していたのに、極悪囚人には好かれるとは。ベアトリスはカリスマ性が有るんだか無いんだか)
ユーリスは腕組みをして壁にもたれかかると、治療が終わるのをじっと待った。
その間、彼女の言った言葉の数々が、自然と脳裏に浮かぶ。
──『……わたし、素直になれなくて、ごめんなさい』
──『もういちど、最初からやり直せたらいいのに……』
大きな瞳からぽろぽろと涙を流し、健気に「ごめんなさい」と言う姿が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。
思い出すたび、胸の奥が締め付けられるように切なくなった。
(……なんだ、この気持ち)
こんな感情、自分は知らない。
騎士服の胸元を握りしめ、息苦しさを逃すように溜息をつく。
(俺は彼女を、信じてもいいのだろうか)
人の性格や本質は、そう簡単には変わらない。
何度やり直したとしても、悪人は善人にはなれない。周囲を巻き込み、もっと深い闇に墜ちていくだけだと、ユーリスは身をもって知っている。
ベアトリスが追放されるきっかけとなった例の呪具事件。あれには不可解な点が多すぎる。
更に詳しく調査し、それと平行して彼女を監視する。
(彼女の無罪を信じるか否かの判断は、それからでも遅くはないだろう)
ユーリスは、脳裏に浮かぶベアトリスの笑顔や泣き顔を振り払い、そう結論づけた。
みずからの心に芽生えはじめた淡い感情に、今はまだ気付かぬふりをして──。
✻ ✻ ✻
ベアトリスが目を開けると、視界に見知らぬ天井が広がっていた。
「あぁ、起きたわね。気分はどう?」
かすれた声で「大丈夫です」と答えると、ベッドサイドに腰掛けていた聖女はホッと表情を緩めた。
「貴女、神聖力の使い過ぎで倒れたのよ。丸一日、眠ったままだったの。でも、無事に目覚めて良かったわ」
やけに頭がぼんやりすると思ったら、そんなに眠っていたなんて。
聖女に治療のお礼を言うと、彼女は眉をハの字にして申し訳なさそうな顔をした。
「うちの見習いが迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい。彼女たちは、教官である私が責任を持って処罰するわ。最悪、見習い資格の剥奪も視野に入れて、教育し直さなければいけないと思っています」
教官聖女は、口調こそ柔らかだったが、その目は真剣だった。きっと見習いたちに改心の兆しがなければ、容赦なく神殿から追い出すつもりだろう。
「あっ、そうだ。ずっと眠っていたからお腹が空いたでしょう。なにか消化に良い物を持ってこさせるわね」
そう言って彼女が立ち上がり、部屋の扉を開けた。
すると廊下に誰かいたようで「あら?」と首を傾げる。
「お見舞いですか? 病み上がりなので、あまり長話はしないようにしてくださいね」
聖女と入れ替わりで部屋に入ってきたのはバッカスだった。その後ろにはユーリスもいる。
「バッカス! 無事だったのね、良かった!」
「それはわしのセリフじゃよ! あぁ……目が覚めて本当に安心したわい」
バッカスはベッド脇の椅子に腰掛けると、ズズッと鼻を鳴らしてすすり泣いた。
「助けに来てくれて、本当にありがとう……嬢ちゃんは、すごい聖女さまだ」
「おおげさよ」
「いいや、大げさじゃない。わしは仲間たちから聞いたんじゃ。他の聖女さまが『無理だ』と言って見捨てようとする中、お嬢ちゃんだけが助けに来てくれたと。こんな老いぼれのために……感謝してもしきれんよ」
「だって、恩人を助けるのは当然でしょう?」
「はて? わしは恩人と言われるようなこと、したかの?」
不思議そうに首を傾げるバッカスに、ベアトリスは自らの過去を打ち明けた。
「私ね、自分では一生懸命頑張っていたつもりなのに、今まで感謝されたり褒められたりすることが、あまりなかったの」
神殿では周囲との間に壁を作り、人を寄せ付けず。
ここに来てからも、仲間の裏切りと脱走計画の失敗により
さらに追い打ちをかけるように神聖力も弱まり……。
人生すべてに絶望していた時、バッカスはベアトリスを励まし、勇気づけてくれた。
──『アンタは本当にすごい聖女様だ! ありがとう』
──『まだまだ人生やり直せるよ』
「バッカスの言葉で、私は救われたわ。貴方は私の恩人よ、ありがとう」
「お嬢ちゃん……」
「ふふっ、ようやくお礼が言えたわ」
ほほ笑むベアトリスと対照的に、バッカスは顔をくしゃくしゃにしてむせび泣いた。
「そんな……たった、それだけのことで……」
たしかに、彼からしてみれば、些細な言葉だったのかもしれない。
けれどベアトリスは、大きな気付きと勇気を得られた。
誰に告げる訳でもなく、自分自身に言い聞かせるようにベアトリスは呟いた。
「たった一言で傷つくこともあれば、逆に救われることもある。──言葉って、本当に大切ね」
昔の自分は、そんな当たり前のことすら知らなかった。
だから、他者への感謝や謝罪をおろそかにして、結果的に人徳を失った。
(でも、これからは違う。私は変わりたい。いや、変わってみせる)
心の中でひっそり決意していると、ふいにバッカスが立ち上がった。
「あまり長居しちゃいけんし、わしはそろそろ行くとするかの。そこの騎士さん、面会を許してくれてありがとう。それじゃあ、嬢ちゃん、ゆっくり休むんじゃぞ」
にっこり微笑んで、バッカスは部屋を出ていった。
てっきり監視役のユーリスも一緒に立ち去るものと思っていたが、彼はこちらに歩み寄り、椅子に腰掛ける。
「顔色、良くなりましたね。安心しました」
驚くほど優しい声でそう告げられて、ベアトリスは目をぱちくりさせてしまう。
「なんです? そんなに驚いた顔をして」
「だって、貴方が珍しく優しいから」
「まるで普段は嫌な奴みたいじゃないですか。俺はいつも優しいですよ」
クールなユーリスが珍しく子供のようなふくれっ面になり、ベアトリスはクスクス笑いながら「そうね」とうなずいた。
「神殿にいた頃から、ユーリスは私の悪いところを指摘してくれる唯一の助言者だった。なのに私は、貴方の思いやりに全然気付けなくて……後悔してるわ。ほんと、昔の私は間違いだらけの聖女。黒歴史ね! あーあ、時間が巻き戻らないかなぁ」
「過去は変えられませんよ」
「うん、そうね」
すっぱり言い切られて、ベアトリスは少しだけ寂しい気持ちになって目を伏せた。
しかし、次の瞬間には、驚きに目を見開くことになる──。
「ですが、未来は変えられます。今の貴女なら、きっと良い方向に」
「え……?」
ハッとして見れば、ユーリスは真剣な顔でこちらを見ていた。
「ここを出て、俺と一緒に王都へ行きましょう」
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