第8話『探索者としての』




 エル・フォートの街を南に出て、そこに広がる広大な森林地帯。

 狩蔵しゅぞうの森。名前の由来は知らないけれど、そう呼ばれている。


 魔物が生息している地域だが、グレスレニア王国の一部らしい。南東へ向かえば居住区のあるカルテノーグという区画に出て、南西には廃都クォートがある。

 だが、今回の目的はあくまで魔物を狩ることだ。

 森を抜けることじゃない。


 主に狩る二種類についてもカガヤが調べてくれて、分かっている。


 まず、最も多く生息するのがウェアラット。

 こちらは二足歩行、ネズミ顏をした亜人種の魔物だ。亜人種の中では知能は最低クラスで、大きさはせいぜい人間の子供くらいだという。

 注意すべきなのは巨大な齧歯げっしと長く鋭い爪。

 群れることも少ないらしいので、まずはこいつを狙いたい。


 そしてコボルト。四足歩行、犬のような外見の魔獣だ。

 異様に発達した犬歯が特徴で、体高は六〇センチくらいの個体が多い。こちらは二体から六体の群れで行動することもあり、危険度が高い。

 ただ、光物ひかりものや食べ残しを埋める習性があるらしく、運良くそれを見つければいい稼ぎにもなることもあると聞いた。


 二種の名前に聞き覚えがあったのは、探索者ギルドで聞いた名前だったからだ。

 エリオダストが、加護さえあればどうにかなる、と言っていた。


 その他にも魔物はいるが、まあまあ稀少レアだという。

 そもそも魔物の生息数自体が少なく、安全を確保しやすいこともあって初心探索者シーカーにはうってつけの狩場ということだ。




 初めて街の外へ出た一行は、森の中を歩いていた。

 荷物や装備を整えた皆は、探索者シーカーらしい格好になっていた。


 従騎士スクワイアであるハザマサは腰の鞘に収まる長剣ロングソード板金鎧プレートアーマー、膝当てに籠手ガントレット。背中には大きいカイトシールドといった如何にも騎士っぽい風貌。

 盾の上には昨日購入したバックパックも背負っている。

 大して中身も入ってなくて軽いんで、任せてくださいとのことだ。


 カガヤは傭兵マーセナリー。無骨な装備をイメージしていたのだが、黒色の七分袖に半袖を重ね着したちゃんとした服装だった。武器だけは傭兵マーセナリーのイメージに沿った柄の長い戦斧バトルアクスで、背中に括りつけてある。防具は革製の手甲と胸当てだ。


 エルは侍祭アコライトの正装である、だぼっとした白い祭服を着ている。

 両手に抱えているのは先端に金属の塊が付いたメイス。まだうまく使いこなせないらしい。リクも一度持たせてもらったが、確かに重くて扱いが難しそうだった。

 むしろ、普通に持ち歩けているエルは、力のある方なのかもしれない。


 そして、魔術師メイジのメイカ。長袖に丈の長いフード付きの装束ローブに、灰色の外套マントを合わせた装備。武器は魔術師メイジらしく木製の杖だ。

 杖がなくても一応魔術は発動できるが、発動の際にイメージがしやすいうえ、近接戦闘になった際に使えなくもないかららしい。




 索敵は斥候スカウトであるリクの担当だ。


 初めてということもあり緊張で心臓がうるさく鳴っている。

 どこから魔物が飛び出してくるかも分からないのだ。慎重にもなる。


 迷わないよう帰り道も刻んでおかなければならない。こういった細々としたことも斥候スカウトの仕事だと師匠フェインから学んだ。

 背の高い位置の木の枝を折り、ダガーで木の幹に印をつけてなるべく直進する。


 そうして、警戒しながら遅々とした歩みを、それでも確実に進めて。


 ──見つけた。


 果たして、深緑に生い茂る小さな茂みの向こう側に『それ』はいた。


 深呼吸をひとつ挟んで、事前に決めておいた通り背後に手を伸ばし皆に合図を送る。ガサガサといった音が止み、皆が立ち止まってくれたのが分かる。

 リクは呼吸を止めて、茂みの奥へと目を凝らす。


 小川が流れている少し開けた場所。きらきらと陽が射し込んでいる。

 その中央、初めて目にする魔物の姿をよくよく観察する。


 話に聞いていた通り、いや、想像よりも醜悪しゅうあくな顏だ。というか、ほとんど二足歩行のネズミだ。毛の色は汚れているのか灰色で、細長い手足が伸びている。

 尻尾だけは毛がなくつるりとしていて、そんなところもネズミっぽかった。


 ウェアラット。前情報通りの大きさ、おあつらえ向きに数は一匹。


 水に顔を半分ほども付けて、飲んでいるようだった。

 耳を忙しなく動かし、時折、首を左右に振って周囲を警戒しているようではあったが、茂みの中に隠れるリクには気付いていないようだ。


 息を止めたまますり足で後ろへ引き、小声で皆に話しかける。


「……ウェアラット。一匹なはず。まだ気付かれてない」


「ありがとうございます。……作戦をもう一度、確認しましょうか」


 バックパックを下ろし、ハザマサとカガヤは背負っていた装備を手に取る。


 街で立てておいた作戦を、ハザマサが再度説明してくれる。


 一匹の魔物を見つけたらまず周囲を遠巻きに取り囲む。それからハザマサとカガヤが前に出て、後衛二人は持ち場で待機。

 前衛二人が魔物の注意を引いたら、隙を見てメイカが近付き、攻撃魔術を打ち込む。リクは逃げようとする魔物の退路を塞ぐ。

 万一、誰かが怪我をした場合はエルが回復する。


 おおまかに、そんな感じだ。


「……それじゃあ、各々作戦通りに」


「はい」

「おー!」


 掠れ声での作戦会議を終え、ウェアラットから一定の距離を保って周囲を取り囲む円を形成する。これで、ひとまず取り逃がしはなくなるはずだ。


 リクも持ち場──さっきウェアラットを観察していた茂みに戻って、様子を窺う。ウェアラットは相変わらず耳をピクピクとしながら顔を毛繕いしている。


 がさり、と草葉が音を立てるたびに心臓が鳴る。

 皆の位置が分からないのが少し不安だが、大丈夫だろうか。


 いや、きっと大丈夫だ。

 作戦だって立てたし、上手くいく──と、考えていたその時だった。


 唐突に、ウェアラットがリクの方を向いた。

 やぶの隙間から赤い瞳と視線が合う。ぞくりと肩が震え、足が硬直する。


 ウェアラットが威嚇いかくするように齧歯げっしき、身を屈める。


 気付かれた……⁉ でも、茂みのこっち側は陰になって見えないはずだ。

 ──なんで、という気持ちで脳裏が埋め尽くされる。


「……っ⁉」

 思わず両腕で防御姿勢を取り、一歩引いてしまう。


 そこで、茂みをかき分ける大きい音が上がった。リクの丁度反対方向、ハザマサが立ち上がり、次いでカガヤが長い一つ括りの髪を振り乱し飛び出した。

 二人は咄嗟に、ウェアラットに気付かれたと判断したのだろう。


 ウェアラットはリクのいる方向へ向かって走ってくる。


「っ──逃げます!」

 焦りが滲むハザマサの声にリクは中腰を浮かせ、ウェアラットの前に躍り出た。


 全員。作戦なんてものはすっかり頭から抜け落ちていた。




     ◇




 ──震える肩で、荒い呼吸をする。


「【治癒リカバー】。……リクさん、痛みはありませんか?」

 腕に添えられた手が淡く光り、痛みが引いていく。


 怪我をしたリクの腕をエルが治してくれたのだ。

 ウェアラットの爪はまあまあな深さでリクの腕を切り裂いていたが、何度体験しても奇跡の力は凄い。固まりつつある血を拭う意味も込めて反対の手で傷のあった場所を擦ると、傷は跡形もなく治癒していた。


「……エルこそ、大丈夫? 奇跡って体力使うんだよね」

 顔色がやや悪いエルにリクが問いかける。


「私は……はい。怪我もないので、少し休めば」


 奇跡の力は強力な分、消耗も激しいらしい。ウェアラットとの戦闘中、エルはメイカの怪我も治していた。疲れて見えるのは間違いじゃないだろう。


 と、茂みの奥がガサリと動き、黒い人影──カガヤが姿を現した。

「……逃げ足の速いやつだ」


 ──結局、あの後。リクたちはウェアラットを取り逃した。

 一瞬の隙を突かれて逃げられたのだ。


 カガヤが追っていったが、どうやら見失ったらしい。「深追いはしないでください!」とハザマサが叫んだのもあってだろうか。


 メイカは見るからに落ち込んでいて、ハザマサと何かを話している。


 先手を取られた際の想定が甘かった。というか、なかった。

 作戦通りにいかない時の作戦を立てておくべきだった。


 ……ただ、それにしても。ウェアラットは想像の何倍も強かった。

 まともに太刀打ちできないというほどでもないとは感じたが、弱い魔物でもちゃんと強い。そう思わせてくるくらいの強さはあった。


 ダガーを握る自分の手があまりに小さく見えた。

 自分たちの弱さを実感する。


「……一旦、休憩しましょうか」

 ハザマサがバックパックを取ってきてその場に座り込んだ。

 深い、長い溜め息が吐かれた。


 エルとメイカは既に座っている。カガヤは木の幹に身体を預けた。

 リクも周囲に気を払ってから、ダガーを鞘に納めた。




     ◆




 その後、二人ずつ入れ替わりで見張りをしながら休憩を取って。

 エルの奇跡もあと二回は使えるくらいになったところで、森の探索を再開した。


 気持ち的には折れてきていたが、やっぱりお金は稼がないといけない。

 稼げないと、食べるものも住む場所もなくなってしまう。

 それは、ダメだ。


 だが、そう思っていたところで現実は甘くない。

 森を歩き回って見つけられたのはコボルトの、いずれも三匹以上の群れのみ。

 戦うかどうか一応決は取ったが、満場一致でやめておいた。


 群れを相手取るには前衛が同じ数だけ欲しい。

 リクの斥候スカウトも前衛職ではあるのだが、動きやすさを重視した装備の防御力は従騎士スクワイアなどと比べどうしても劣る。前衛を張るには心許こころもとない。

 ウェアラット単体にも苦戦したというのに、コボルトの群れに挑めるほど楽観はしてられなかった。もしかすると、千載一遇のチャンスを逃したのかもしれない。


 そうしてウェアラットを探して森を彷徨さまよったが、一匹も見つけられないまま空の色が変わってきてしまった。

 森に棲む魔物の数が少ないのが、今回は災いしたのだ。


「……今日のところは、帰りましょうか」


 ハザマサの言葉に異論を申し立てるメンバーはいなかった。

 暗くなったら迷うかもしれない。そうなれば、野宿することになる。

 万が一のことを考えて用意はしてきたが、最低限だ。そうならないように努めるのが今の最善だと誰もが分かっていた。


 帰り道もまた、リクが先導して歩いた。

 運よく行く手にウェアラットがいないかと考えていたが、いなかった。


 エル・フォートの街に帰ると、各々夜ご飯を買って食べて、宿舎の前で解散した。リクは真っ直ぐ部屋に戻って、巾着袋の中身をベッド上にばら撒いた。


「…………はぁ」

 探索者資格と一緒に出てきた、目減りした硬貨を数え溜め息を吐く。


 青銅硬貨六枚に白磁硬貨一枚。これで計六一セル。

 明日も宿泊代で三〇セル払って、ご飯代にも使えば明後日には不足する。


 漠然と感じていた焦りが現実味を帯びてきて、唇を軽く噛む。


 というか、初めから無理があったんじゃないのか。探索者シーカーになるために職業ギルドに加入して、修練中にも毎日宿舎代はかかって。

 その時点で、食費を毎日三〇セルに抑えていても残り二〇〇セルになる。

 そこから準備にまたお金がかかって、実際の猶予は三日が限度だろう。しかもそれも、もしもの話だ。今のリクたちなんて、残る猶予は一日しかない。


 ハザマサとカガヤはどうなのだろう。思ったが、聞く気にはなれなかった。

 ハザマサは体が大きい分、リク以上に食費がかかっているかもしれない。酒場に行っていたカガヤに関しても、残高は少ないはずだ。


 考えていても栓のないことだと分かっている。

 明日も早い。早く眠って体力を回復させないといけないのに。

 それでも、嫌な思考が巡るのを止められない。


 ──探索者シーカーとしての初日。

 リクたちの収入はゼロだった。

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