第9話『不意打ち』
──早朝。空が明るくなってすぐの時間帯。
まだ眠たい目を擦りながら、
限りなく小さいひそひそ声で、リクは状況を説明する。
「……ウェアラット、一匹。地面に丸くなってて、寝てるっぽい」
臨戦態勢に入っている仲間たちの目の色が変わった。
「……ど、どうするんですか?」
とエルが迷いを感じさせる声で呟いた。
「決まってる」とカガヤが返した。
「起きる前に叩く。同じ奴かは知らないが、今度は逃がさない」
メイカが杖をぎゅっと握り、目を伏せた。
「なんかそれってちょっと、かわいそうじゃ……」
「んなこと言ってる場合かよ。稼ぎがないと明日住むとこだってないだろ」
鬱陶しそうにカガヤが告げ、ハザマサの方を見た。
ハザマサは至極真剣な表情で、一つ頷いた。
「メイカさんの気持ちも分かりますが、寝ているところを襲うのも、普通にしているところで戦いを挑むのも変わりません。どちらも、命を奪おうとする行為です。それに、カガヤさんの言った通り今は綺麗ごとで済ませられる状況でもない。……チャンスが二度巡ってくるとも限りません。やりましょう」
その小声の号令で、また皆の肩に力が入った。
気負い過ぎくらいがちょうどいい。その方が、油断せずに済む。
もし起きられた時のことも含めて、簡単な作戦を立てた。
パーティの中で一番攻撃力があるのはカガヤ、次点でメイカだ。
だが、遠距離からの魔術は外れる可能性もあるとメイカが申し出たため、近付く必要はあるが確実性の高いカガヤに初撃は任せることになった。
◇
ざっ、ざっと小川の側の湿った地面を踏みしめる音が響く。
遠巻きに見ている方が、気が気でなかった。
カガヤがウェアラットとの距離を測りながら戦斧を振り上げていく。
そこで、勘的なもので危険を察知したのか、それとも音に気付いたのか。ウェアラットが
だが、そこには既に高々と振り
「──運が悪かったな、ネズミ野郎」
〈
毛皮を裂いて肩口から胸の辺りまで、ばっさりとウェアラットの体が断ち切れる。ゴキっと骨が砕けるような嫌な音がした。実際に破砕したのだろう。
断面から真っ赤な
「ヂュッ」と目を細めて、ウェアラットが立ち上がることなく地に伏せる。
それが断末魔だったのだろう。
被撃の硬直そのままにピクリとも動かなくなる。
たったそれだけで、
◆
一拍、誰かが息を呑む音を挟んで。静寂が訪れる。
カガヤが斧先を地面に下ろした以外は、しばらくは誰も動こうとしなかった。
ウェアラットがもう一度動き出すのを注意して待っているのか、或いは。
メイカは惨状にショックを受けたようで、フードを引っ張って目を塞いでいた。
側にいたエルが背伸びをして、フード越しにその頭を撫でている。
がしゃりと鎧の音がして、ハザマサがカガヤの元へ歩いて行く。
盾を下ろし長剣を腰の鞘に戻して、
「お疲れさまです、カガヤさん。……それに、ありがとうございます」
「……別に、礼を言われることじゃない」
息を吐くカガヤの顔には一筋の汗が伝っている。
余裕があるように見えていたけど、どうやら緊張していたらしい。
そりゃそうだ。リクも同じ状況になったら、上手くやれたかも分からない。
「死んだの……?」
フードの端を摘まんだまま、メイカがおそるおそる戦場跡に歩いてくる。
「ただ死んだんじゃない」カガヤがウェアラットの死骸に歩み寄り、吐き捨てるように言った。「殺したんだよ」
「…………」
リクは黙り込む。勝ったはずなのに、言葉が見つからない。
ダガーを振ったわけでもないのに動機が治まらず、鼓動が頭の奥から聞こえてくるような気がする。膝が震えて、戦闘前の緊張が解けない。
「なんだ、黙りこくって。何か言えよ」
そうは言いながらも、カガヤは
直接やったのはカガヤだ。リク以上に思うところもあるのかもしれない。
「なんとか、初勝利ですね」
ハザマサがそう言って、ウェアラットの死骸の側にしゃがみ込んだ。
それから再度、鞘から
「なにやってるの……?」
その行動の意味が分からず、リクはハザマサに問い掛ける。
「魔物を倒した──つまり
ハザマサは祈りを捧げるように長剣の柄を顔の前に構え、それからウェアラットの耳に刃を当てると、素早く引き斬った。
そうして切り取った耳を麻袋に入れて、バックパックにしまう。
それから皆に一通り視線を向けて、声を上げる。
「この場所はさすがにあれなんで、移動して、少し休みましょうか」
◇
死骸はそのまま捨て置いた。放っておいてもウェアラットやコボルトが死肉を喰らって、数日中にはなくなることがほとんどらしい。
去り際、エルはウェアラットの前で、両手を組んで祈っていた。
精神的な疲れは小休憩程度ではどうにもならない。
体力的には大した疲労があったわけでもなかったため、しばらく休んで、メイカが「……もう大丈夫」と言った時点で森の探索を再開した。
まだ顔色は少し悪かったが、ウェアラット一匹がどれくらいの稼ぎになるかも分からない。もう少し狩っておきたかった。
それにしても。不意打ちだとこれほどまでにすぐ終わるのか。
初日、あんなに苦戦したウェアラットをいとも簡単に。
戦闘訓練中、師匠が言っていたことを思い出す。
直接的な戦闘力の低い
その時のリクは聞き流していた──というよりはじっくり聞くだけの余裕がなかったのだが、不意打ちが成功した今ならよく分かる。
しばらく森を進んで。またウェアラットを見つけた。
今回は前に戦った場所よりもやや狭い。木と木の間隔が近く戦いにくそうだ。
相変わらず一匹。起きてはいるけど、反対方向をじっと見つめている。しっぽをビタビタと地面に叩きつけていて、何かをしているようにも見える。
耳も小刻みに動いている。仲間と交信を取っているようにも見える。一応、ウェアラットの視線の奥へ目を凝らすが、他の生き物の気配はない。
ウェアラットの生態についてもっと知れば、不意打ちが成功しやすくなるだろうか。……──いや、でも。不意打ちばかりでいいのだろうか。
今後、ウェアラット以外とも戦う機会はやって来るだろう。
コボルトだって、こっちが先に見つけたことはあっても向こうから襲い掛かられたことはない。鼻が効くらしいから、きっと戦闘を避けられているのだ。
きっと、こっちの強さが分からないからだろう。
でも、万が一襲い掛かられたら、今のままで戦えるのだろうか。
ウェアラットもまだ正面切っては倒していない。
今度も不意打ちが成功したとして、戦い慣れるかと言われると疑問が残る。
師匠も実戦については結局は慣れだと言っていた。
ひょっとして試せるうちに試しておくのもいいんじゃないだろうか。
「……リクさん、何かいましたか?」
リクが考え事に入り込んでいると、ハザマサが話しかけてきた。
「うん。……でも。ちょっと、提案があって」
「はい。なんですか?」
さっきまで考えていたことを説明すると、ハザマサは閉口した。
「…………」
「その。ウェアラットも危険なのに、軽率だったよね」
「いえ──……リクさんの言うことも
顎に手を当て、渋い顔で考え込むハザマサ。
カガヤは既に戦斧を肩に担いでいて、顔にかかる前髪をかき上げた。
「俺はそれでもいい。ちょうど戦い足りなかったところだ」
「わ、私は……」
「あたしも戦うのでいいと……思うよー。この先ずっとこのままなのも、ダメなんだって分かるし。次は、頑張りたいから」
メイカの表情を確認して、迷っていたエルもやがて頷いた。
それを見て、ハザマサも表情を入れ替える。覚悟を決めたみたいだった。
「なら、今回は正面切って戦いましょう。作戦はこの前決めた通りに、俺とカガヤさんが前に出て、エルさんとリクさんはサポートに回ってください。メイカさんも隙を見て魔術を打ち込む形で、お願いします」
今回は気付かれる想定で動き始める。
正面を切るとは言ったが、先手を打つことは忘れない。
前みたいに総崩れになると戦いにならない。
作戦通り、カガヤが真っ先にウェアラット側面の木の陰から飛び出した。
「──らぁぁぁあああああッッッ!」
自らを鼓舞するように
間違いなく、カガヤはパーティの中でも一番戦闘に向いているだろう。物怖じしないし、魔物を殺すことに対してもきっと
ウェアラットはやはりというべきか、こちらに気付いていたようだった。余裕をもってカガヤの攻撃を飛び退いて躱した。
しかし、それを読んでいたのか否か。
ウェアラットが飛び退いた少し先の地面に、拳大の火球が飛来し炸裂した。【
「チュッ⁉」と、ワーラットがたたらを踏んだ。
そこにハザマサが突っ込んでいき、ロングソードを横薙ぎに斬り払った。
盾を構えながら振る剣撃はコンパクトにまとまっていて、狭い間隔の木が邪魔にも拘わらず、
カガヤが威力重視なら、ハザマサは技巧派だ。
逃げ場のなくなったウェアラットは身を捩りカガヤの方へ向かう。
齧歯のある口は閉じたままで攻撃してくる気配はない。
脇を通り抜けて逃げようというのだろう。
「逃がすか……!」
カガヤは身を屈めて、ウェアラットに足払いをかけた。見事に命中してウェアラットが前のめりにすっ転ぶ。リクが駆け寄りながら喜びかけたのも束の間、ウェアラットはそのまま四足歩行で走り出した。
「この……ッ」カガヤが尻尾を掴もうと手を伸ばしたが、尻尾の先が
初見の時から二足歩行だからつい忘れていたけれど、よく考えたらネズミは普通四足歩行だ。しかも、今度はリクのいる方に向かってきている。
びりびりと電流が血管を流れるように、緊張感が全身を駆け巡る。
やばいんじゃないのか、これ。
「りっくん……!」
焦ったメイカが杖先に魔方陣を描くが、きっと間に合わない。
むしろこっちに当たりそうだから撃たないで欲しい。
「大丈夫!」何が大丈夫なのかは分からない。でも、身体が動いた。
足元を通り過ぎようとするウェアラットをリクは体ごと倒れ込むように組み伏せ、無防備になった背中にダガーの刃先を思いっきり突き刺した。
瞬間、──金切り声。
耳を塞ぐ間もなくすぐ近くで聞いたせいか、鼓膜が破れたかと錯覚した。
「う、あぁぁぁああ……っ!」
思わず腕の力が抜けてウェアラットの脱出を許してしまいそうになり、無我夢中で力を込め直す。組み技は苦手だ。でも、抜けられるわけにはいかない。
ウェアラットの腕は、細身のリクの更に三分の二くらいの太さしかない。
体躯もリクとでは大人と子供くらいの差があって、
伏せている体勢からは確認できないが、リクがウェアラットに覆い被さっているからか、他の皆も手を出しあぐねているらしい。
助けてほしいけど、反撃が恐くて手が離せない。考えている間にも、ウェアラットは拘束から逃れようとじたばた暴れ続ける。
薄汚れた毛は意外と固く、服越しにでもちくちくと肌に刺さって痛い。
そうこうしているうちに息も上がってきて、状況を打破する一手が欲しくなる。
「こ、の……っ」
このまま力比べを続けることに根負けし、リクは滑るダガーの柄を握り直し、再度ぐっと押し込んだ。それが間違いだった。
一度、片腕を離してしまったことで拘束が甘くなり、ウェアラットが耳障りな奇声を上げながらずるりと腕の間をすり抜けた。
血の気が引き、しまった、と頭に
というか、背中に刃物が刺さったままで、なんでそんな力強く動けるんだ。
リクは地面に手をついて立ち上がろうとしたが、さっきまで全力でウェアラットを押さえていた影響か、膝や腕に上手く力が入らずつんのめった。
逃げられる、と思ったが、そうもならなかった。
いつの間にかウェアラットの進行方向に仁王立ちしていたハザマサが、引き絞った長剣を勢いよく突き出した。
切っ先はするりとウェアラットの胸に突き刺さって、貫通した。
鮮血が飛び散り、ウェアラットは最期に全身を震わせて、そのまま
ぞくりと背筋に冷たいものを感じて、リクは片膝を地面に着いたまま、自分の右手に視線を落とす。ぬめっとした感触と温かさの残る血が、べっとりと手のひら一面にはり付いている。今度こそ喉奥から酸っぱいものが込み上げる感覚を覚えて、思わず空いている左手で口を覆う。
体を前後両方から貫かれたウェアラットは既に事切れているようで、ハザマサが剣先を抜くと、地面にどさりと倒れ込んだ。
鎧の擦れる金属音が近付いてきてリクは顔を上げた。
「お疲れさまです。……さっきは援護できなくてすみません。俺が捕まえられたら良かったんですけど。怪我はしていませんか?」
「あ……いや。俺も夢中で。……ありがとう、ハザマサ」
申し訳なさそうに告げるハザマサにお礼を言って、リクは若干ふらつきながら立ち上がる。正直全身が痛いけれど、血が出たりはしていない。
そう思っていたが、後ろから近付いてきたエルが、
「リクさん。……手首のところ、怪我してます。治しますね」
と言って、右手首の怪我を治療してくれた。
いつ何で怪我したのかも分からないうえ、右手から伝ったウェアラットの血で傷口がよく分からなくなっていたのだ。
ふと、視界の端で動く人影の方に視線をやる。
見ると、今度はカガヤがウェアラットの耳を切り取っていた。
何で切っているのかと思ったら、リクのダガーだった。そういえば、ウェアラットの背中に刺さっていたままだったらしい。
カガヤは上腕と前腕でダガーの刃を挟み、さっと血を拭ってくれる。
「次は離すなよ」
なお血がこびりついたままのダガーを手渡され、リクはまたも込み上げてくる嘔吐感をどうにか飲み干して受け取る。
「ありがとう、カガヤ」
その後は
皆、前日と同じように疲弊していた。
けれど、初の稼ぎが出るということで気分は少し晴れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます