第9話『赤い目の魔物』




 エル・フォート北部、高台へと続く階段を登って。

 街の北出入り口となっている石柵のゲートを潜り抜けて、落石防止網で覆われた崖沿いの道を、しばらく進んだその先。


 飛竜ひりゅう墓標ぼひょうはその崖にぽっかり空いた洞窟型ダンジョンだ。

 リク一行が辿り着いた時には、既に辺りは暗くなってきていた。

 おそらく帰る頃には夜になっているだろう。


 ここは元々は何もない、ただの断崖絶壁だったらしい。

 落雷に撃たれて堕ちた飛竜が突っ込んでできた穴だから、飛竜ひりゅう墓標ぼひょう


 その話を聞いて改めてダンジョンの入口を見ると、飛竜がデカすぎるんじゃないかといぶかしんでしまう。だって、大人が縦に三人は入れるくらいの直径の穴だ。

 竜という種族の大きさをリクは知らないが、そんなに大きいものなのか。

 それで飛べるというのだから凄まじい種族なのだろう。


 実物を見たことのないリクからすれば想像上の生き物だ。

 探索者ギルドの旗に描かれた、簡素化された黒竜しか思い浮かばない。

 あれもあれで得も言われぬ迫力がある絵ではあるのだが。


 ……というか、ダンジョンは神々が遥か昔の時代に作ったものだと聞くけれど、だとすると墓標の逸話は誰が伝えた話なのだろうか。

 少し気にかかるけれど、今考えることじゃない。


 今回はいつもの狩場と違って、探索に役立つ情報を仕入れる時間はなかった。

 分かるのは暗渠あんきょほらと同等の初級ダンジョンだということ、恐らく中で異変が起きているということ。前評判は宛てにならない。

 あとは、イホロイパーティとその前に入った探索者たちが中にいること。


 今回の目的ははっきりしている。イホロイたちの救出だ。

 ギルドで話を聞いたところ、期間的に、イホロイたちが救助するはずだった対象の探索者シーカーパーティが生きている確率はゼロに近いとのことだった。


 リクとて思うところがないではないが、探索者シーカーという危険に身を浸す仕事をしている以上、仕方がないことでもある。


 緊張を強め、「……行こう」と皆に告げてリクは先を歩いて行く。


 普段の探索では、先頭にリクが立つ以外に隊列はあまり決めていないのだが、今回はハザマサが最後尾を務めることとなった。

 もし暗がりで急に背後から攻撃されたとして、鎧を着込んでいるハザマサであれば背中に致命傷を受ける可能性が低いと踏んでだ。


 リクがやらなければならないことと言えば、いつもと変わらない。

 索敵と、あるかどうかは分からないが罠の早期発見、用心深く闇を凝視する。


 斥候スカウトの持つ《影歩えいほ加護かご》は、視界が悪い洞窟でこそ効力を発揮しやすい。

 たまに天井にひそむグレムリンを見つけては、その下を避けて進む。グレムリンは奇襲以外で獲物を狩らないせいか、ほとんど真下を通らない限りは避けられる。


 今のところ目立った異変らしきものは感じない。ほとんど一本道だ。

 洞窟も広く等間隔で揺らめく松明もあり、カンテラはいらないくらいだ。


 それでも皆の緊張は解けない。むしろ解かない方がいい。

 会話の一つもなく、天井から滴る水音だけがぽたりぽたりと音を鳴らす。


 奥へ進むにつれて空気が淀んで、進む一本道は細くなりつつある。

 と。そこでリクはぴたりと足を止めた。


「──気を付けて」

 声を殺して、リクは告げる。それから足元を指さす。


 エルが一歩後退り、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。

 リクの指先を辿って視線の先にあるのは、暗くて分かりにくいが血痕だ。

 既に固まっている。数日前、といったところだろうか。


 魔物のものか、或いは──人のものなのか。それは分からない。

 ただ、ここで交戦があったのは明らかだ。


 更に警戒を強めながら一行は進む。

 疲れは少なからずあるだろうが、休憩を挟みたいとは誰も言い出さなかった。


 敵と交戦することもなく歩き続けて、壁松明のなくなる奥地へと進み。


 カンテラを使いながら足を運んだ、ある地点で。

 リクは張り巡らせていた神経に、掠れた声を聞いた。


「……今、人の声が聞こえた、ような」

「……! ユキちゃんかも」


 それを聞いたメイカが前に出て行こうとするのを腕で制止して、リクは続けて、

「まだ少し先だから。……俺が先に行くよ。罠があるかもしれないし」


 冷静さを取り戻してくれたのか、メイカが大きく息を吸って頷く。

 そのまま声の聞こえた方へ歩いて行くと──そこに、微かに動く影を見付けた。

 じっと目を凝らす。それなりにガタイのいい、重装備の男だ。


 仲間たちに安全を知らせ、人影に駆け寄って行く。

 向こうもこちらに気付いたようで、暗がりの中で白い目が大きく見開かれた。

 ぐったりとしていた体をこちらに向け、信じられないと言った表情を作る。


「あ……あ」


 ぼさぼさの髪に面長おもながの顏。ハザマサほどではないが身体も大きい。

 地面には十字盾とつばの長い銀剣が転がっている。


 どこかで見知った顔だ。と思い、すぐにはたと思い至る。

 ミスルトゥに初めて来たとき、イホロイに同行して行った男だ。

 ──ということは、イホロイパーティの一員か。


「大丈夫ですか……⁉」

「あんたらは……」


 リクは男の前にしゃがみ込み、

「俺たちも探索者シーカーです。イホロイたちが帰ってこないって聞いて、助けに来たんです。あなたもパーティの一人でしたよね」


 言いながら、リクは周囲に他の人影がないか探る。

 だが、動くものは見当たらない。


「あ、ああ……。俺はクタチ、だ。……」


 喋るのもやっとといったクタチに、エルが駆け寄り【治癒リカバー】の奇跡をかける。

「……少しはましになりましたか?」


「──かなり。ありがとう」

「急かすようで悪いけど、……それで、他の人たちはどこに?」


 リクが聞くと、クタチは悲壮感漂う表情を浮かべた。

 それからぎりりっと音が聞こえるくらいに歯を食いしばって、告げた。


「──四人いて……一人は、死んだ。あとの二人とは、はぐれた。……それに、まだ終わってない。何も終わってないんだ」

 げほげほと咳き込みながら、クタチが意味深なことを言う。


 誰かが死んだというその発言に。全員の呼吸が等しく止まる。

 そのうえで、メイカもエルも。リクだって、誰が死んだのかという質問をクタチに投げかけられずにいる。


 だがクタチは首を重たそうに何とか持ち上げ、その言葉の先を続けた。


「……気を付けて、くれ。まだ近くにいるはずだ」

 

 クタチの視線がリクたちの後ろを刺した。

 リクはカンテラを地面に置き、身を屈めて周囲の様子を窺う。


 その時だった。視界のずっと奥──松明でできた淡い光に、影が映り込んだ。


「来る──!」とリクが叫び、皆が臨戦態勢を取る。

 次の瞬間、影の本体をその目が捉えた。


 狙われたリクは横っ飛びに回避し、地面を一回転して受け身を取り立ち上がる。

 猪突猛進に突っ込んできた毛深い亜人種──手に構えているのは槍か。


 毛深く長い四肢を持ったそれは、初めて目にする魔物だった。


 リクよりもやや低いくらいの身長。手足は細長くアンバランスな体型。

 全身が縮れた髪の毛のようなごわごわとした毛で覆われており、人のような目に赤色の瞳をしている。顔を見た時、思わずぞっとしたくらいだ。

 生理的な恐怖を与えてくる顏、と言えばいいだろうか。

 槍先はゆらゆらと彷徨っていて、誰から刺すか悩んでいるようにも見える。


 攻撃は単純だった。だが、今まで戦ったどの魔物よりも速い。

 背後でクタチが咳混じりに大声を上げる。


「げほっ……気を付けて……くれ! そいつらトログロダイトには、知性がある……!」


 その言葉を理解したのか、否か。魔物──トログロダイトはその口を三日月型に歪めると、まっすぐクタチの方へと向かった。

 表面的な傷はエルが治したとはいえ、失った血は戻らない。

 立ち上がるのすら困難な状態でクタチはまだ戦えない。


 咄嗟にそう判断し、リクはクタチの前に立って〈受け流しパリィ〉の体勢を取る。薙ぎや振り下ろし攻撃と違って突きを受け流すのは難度が高いが、ここは退けない。

 緩慢になる思考時間の中でリクは距離を測る。しかし──トログロダイトは直前で横に跳躍し、リクの視界から消え去った。


「な──」

 そっちにはメイカがいる。槍の攻撃はメイカでは防げない。


 思考から一拍遅れてリクが動き出す刹那、ギィン──! と耳をつんざく音が響いた。

 足元を狙って振るわれた槍を、ハザマサが足甲で受け止めたのだ。だが、「ぐ……ッ! あ、あ」とハザマサが声を漏らす。足甲が守るのはすねの前面だけだ。見れば、ふくらはぎに思い切り槍の先端が食い込んでいる。

 鮮血が洋袴ズボンの裏から一気に滲んでいて、傷の深刻さを示す。


「っ、はーくん……!」とメイカが叫び、杖先に魔方陣を描く。

 だがそれを見たトログロダイトは射線を切るようにハザマサに隠れる。メイカが慌てて詠唱を止め、魔術を中断させる。


 ハザマサが一撃で膝をついて、トログロダイトは今度は後ろへ跳ぶ。今の今までトログロダイトの頭があった場所にカガヤが戦斧を振り下ろす。

「……しッ」

 すかさずカガヤは地を蹴ってトログロダイトを追い、固めた拳を繰り出す。


 追撃はトログロダイトの胸に当たった。

 だが、後ろに飛び退いたタイミングで浅かったらしく、着地したトログロダイトは大したダメージを受けていないようだった。


 カガヤが舌を打つ。全員の視線がトログロダイトに集まっていた。

 おそらく角度的に気付いたのはカガヤだけだ。


 急に、カガヤが地面に手をついて身を屈めた。

 その頭上を、投げられた長槍が飛来し通り過ぎていく。


「は──」

 思わぬ方向からの攻撃に、リクは一瞬思考をフリーズさせる。


 投擲とうてきされた槍は岩壁に垂直に突き立ち、小さな石をばら撒かせた。


 ばっとリクは槍の飛んできた先を振り返る。

 岩陰にいたのは、二匹目のトログロダイトだ。一匹でも手に余りそうだというのに、二匹目。そういえばさっきクタチはそいつら、と言っていた。

 元々複数いたのだろう。それで後れを取ったのだ。


 さっとハザマサの方を見やる。

 エルが治療をしていて、そろそろ終わる頃合いだ。


 撤退できるものならしたい。だが、トログロダイトは素早い。

 怪我人を連れて逃げ切るのは不可能だ。


 ともかく、それぞれで対応だ。それしかない。

 幸いというべきか片方のトログロダイトは槍を持っていない。さっき攻撃のために投げたからだ。そちらなら引き受けられる。


 思考を巡らせながらも、素早く岩陰のトログロダイトの前に躍り出たリクは、右手に持ったダガーで〈斜刃スラント〉を繰り出す。

 トログロダイトがダガーを左手で抑え込もうとしてくるが、それを逆に左手で上から抑え込み、横なぎに派生させた斬撃を振るう。体術と短剣術の合わせ技。師匠フェインとの立ち合いでよくやられた手だ。


 刃はトログロダイトの肘窩ちゅうかに吸い込まれ、左腕を使いものにならなくする。

 反撃のため開かれ、迫り来る口を、リクは腕から手を離して回避。


 トログロダイトは声こそ出さなかったがあからさまに痛がっているようで、左腕をだらりと垂らしながら口を大きく開けこちらを威嚇してくる。

 牙というよりは人と似た歯のようなものが覗き、嫌悪感を覚える。

 武器もなく怪我をした魔物。──決めるなら今だ。


 だが、そこに追撃を加えようと突っ込んだのは間違いだった。

 赤い瞳はリクの動向をしっかりと捕捉していた。


 トログロダイトの右側へ回り込んだリクが背中に短剣を突き立てようとしたその時、動かないはずの左手が持ち上がり、リクの上腕に肘打ちを入れてきた。

「……痛っ、ぁあ!」こちらからも思い切り突っ込んだところにカウンターで入れられたのだ。ぐちゃっと筋肉の筋が分かれるような感覚があって、右腕を貫く激痛からリクの動きは完全に止まる。


 次いで、リクの腹に衝撃と痛みが走り抜けた。

 トログロダイトの蹴りが入ったのだ。背中から地面に叩きつけられ、喉奥から空気がせり上げてきて吐きそうになる。

 でも逆に、その痛みで思考が再度動き出した。


 トログロダイトの追撃の両腕を横に転がって回避し、いつの間にか取り落としていたダガーを左手で拾い上げる。

 その一連の流れのまま地面を蹴って、思い切り低い姿勢からトログロダイトの足を突き刺す。


 今度はトログロダイトが余裕を持っていたのか、攻撃が通った。思わず後ろに跳ぼうとしたトログロダイトの顔面に、火球が炸裂した。


 ──爆散。火の粉を散らして、洞窟内が一瞬明るくなる。


 メイカの【火弾ファイアバレット】だ。

 今度こそトログロダイトはもんどりうって倒れ、動かなくなった。


「大丈夫、りっくん……⁉」

 メイカが走り寄ってきて、そこで右腕の痛みがぶり返す。


 そろっと袖を捲ろうと思ったが、無理だ。触るだけで痛すぎる。

 絶対に内出血で真っ黒になっている自信がある。


 メイカもメイカで顔が白い。息切れも酷くて汗が滲んでいる。

 怪我をしたというより、体内魔力の欠乏だろう。以前、修練中に一度なったと言っていたが、二度となりたくないとも言っていた。

 そんな状態でも魔術で助けてくれたのだ。


「……っ、なんとか、ね。ありがとう、助かった」


 泣き言を抑えてお礼を言い、交戦中のトログロダイトを視界に収める。

 槍持ちは、ハザマサとカガヤが抑えてくれているらしかった。それも、いつの間にか壁際に追い詰めている。

 完璧な連携は反撃の暇を与えず交互に攻撃を浴びせ続け、やがて決着は訪れる。


 ──と、カガヤの斧を受け止めた槍が真っ二つに切断された。

 素手ならリクと同じくらいの戦闘能力の魔物だ。二人なら大丈夫だろう。


 と、いつの間にかメイカがエルを連れてきてくれた。

 エルに右腕を差し出し、怪我をした腕に触れて治療してもらう。

「痛っ、たぁ……っ、あ」


 我ながらなんとも情けない声を発しながら、痛みは徐々に癒えていく。

 奇跡による治療が済んだ時には、戦闘は決していた。




     ◆




 クタチは悔いるような口調で、事の顛末てんまつを話した。


「……死んだのは、ルラ。うちの白魔術師シーアージだった。リーダー──イホロイと、もう一人。ユキは、行方が分からない」


「ユキちゃん……」

 メイカがエルに寄りかかりながら、友人を心配して呟く。


「ルラは、あいつらの不意打ちにやられて。それでカンテラが割れて、視界は真っ暗になった。それで、イホロイとユキとはぐれた。……いや、逃げたんだ、俺は。パーティの盾だっていうのに、隣にいたルラが一撃で殺されたのを見て、ビビッて。……二人を置いて、逃げる途中に足を怪我して──それで、俺だけが」


 生き残っちまった、とクタチは心底苦しそうに告げた。


「で、でも。ユキちゃんたちは生きてるかもしれないって──」

「…………どうだろうか」


 嚙み切れないものを咀嚼するような口調でクタチが濁す。

 クタチも思っているのだろう。二人が生きている可能性が低いと。


 トログロダイトがクタチを追ってきていたのはそういうことだ。

 おそらく、一つ前の戦闘が決したからだろうと。


 どれだけ強い探索者シーカーも、魔物ですら不意打ちには敵わない。

 ……イホロイだってそうだろう。急に首筋を槍で貫かれれば終わりだ。


 リクたちが勝てた魔物に、きっとイホロイが勝てないはずはないけれど、急に視界を奪われてしまってはどうしようもないはずだ。


「…………」

 メイカも、みつつもそれ以上、何も言わない。



 メイカは魔術を使い切り、エルの奇跡もあと一回と限界が近い。

 長考の末、ハザマサが出した答えは撤退だった。


 無論辛い気持ちはあるが、同意見だ。

 これ以上無理に先へ進んで、後悔することになってはいけない。

 なによりそうなってしまえば、ユキが悲しむだろう。


 明日だって救助に行けないわけではないのだ。

 一日体力を回復させて、また早朝に出向けばいい。相談こそしていないけれど、そうした申し出をハザマサや皆が断ることはきっとないはずだ。


 そう自分自身を納得させて、リクは鞘に収まるダガーの柄を撫でる。


「……ほかに危険がないとも言い切れません。ここは一旦、引きましょう。皆さんにも今回だけは従ってもらいます」


「…………はい」

 エルが消え入りそうな声で呟く。


 と、そこで「待ってくれないか」とクタチが言った。


「地形で分かったんだが……ルラの死体だけは、きっとすぐそこにあるんだ。できることなら連れて帰ってやりたい。……だめだろうか」

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