第10話『怖気立つ』




 クタチは、ルラの遺体だけでも回収しにいきたいと告げた。


 あまり良い表情をしないハザマサにクタチは、

「これ以上あんたらに迷惑をかけたくない。だめなら、俺は一人で行く。帰りさえなんとかすれば大丈夫なんだ、一人でやれるさ」


 そう言って、足を引きずり洞窟の奥へと歩き出した。


「……待ってください」とクタチを足止めしたのもハザマサだった。

「今の状態で、クタチさん一人で行くのは危険です」



 ──そうして、条件付きでクタチに同行することに決め、今の状況に至る。

 リクたちは疲弊しきったまま、洞窟の奥へと足を踏み入れていく。


 クタチのパーティメンバー──ルラが倒れた場所まで。

 その場にルラを探しに行って、見つけたらすぐに帰ると約束を交わした。

 クタチはなんども「いいのか」と聞いてきて、それから礼を繰り返していた。


 そうしてすぐに、最奥らしき場所へ辿り着いた。

 クタチの言う、すぐというのは誇張こちょうではなかったらしい。

 いつの間にか洞窟の奥地まで来ていたのだ。


 開けた地帯にごつごつとした岩の隆起する、どこか神秘的な場所だ。

 天井はかなり高く、この空間だけが洞窟と隔絶されているようにすら感じる。


 ゴブリンの巣穴もそうだったが壁が淡く光っており、カンテラがなくとも何とか見える明るさとなっている。

 魔素濃度が高いダンジョンではたまに起こる現象らしい。

 クタチの証言では、前に来た時は真っ暗だったとのことだが、何らかの影響で魔素濃度が上がってこうなったのだろう。


「……! ルラ」


 クタチが駆け寄った先には、一人の少女が倒れていた。

 近くには割れたカンテラと杖が落ちている。


 クタチによって上体がそっと抱えあげられるが、その首は全く据わっていない。


 白かったのであろう白魔術師のローブは、今や赤黒く染め上げられていて、思わず目をそむけたくなる衝動に駆られる。

 だって、少女──ルラは既に死んでいるのだろう。つまり、クタチが今にも泣きだしそうな顔で抱きしめているのは、その遺体だ。


 一頻ひとしきり嗚咽のような声を漏らして、クタチがルラを抱え立ち上がる。

 足取りはふらついてはいるが、力は戻ったようだった。


「……すまなかったな。これで、帰れる」


 ──そう、クタチがぽつりと告げた時だった。


「──────」


「──……」

 声が聞こえた気がして、リクは少し離れた岩陰に向かって歩を進める。

 掠れてほとんど音にもなっていない声だった。他の皆も聞こえていなかったのか、急なリクの行動を不思議そうに見守っている。


 静まり返った空間に、足音がざっざっと響く。


「リク?」と、何かを感じたのかカガヤが珍しく声をかけてくる。

 それでもなぜか足は止まらなかった。


 リクが壁際の岩陰をのぞき込むと、そこに彼女はいた。


 砂埃に塗れ、斥候スカウト装束の上から身に纏うケープの破けたぼろぼろの姿。

 全身を震わせ顏を俯かせて、両手は祈りを捧げる体勢のまま頭の前で固まっている。すぐ目の前にリクが立っても、彼女が気付く様子はない。


「──ユキ」


 リクが名を呼んだことで、やっと斥候スカウトの少女は顔を上げた。

 恐怖からか真っ白に染まった頬は生気がなく、小刻みに震えている。


「……リク、さん?」


 怯え切った被食者のような涙を溜めた目で、ユキはこちらを見てくる。

 だが、幻覚でも見ていると錯覚しているのか、立ち上がろうとする素振りもない。


「ユキ」と再び名前を呼ぶと、ユキははっと息を呑んだ。

「……もしかして、本物?」


「……偽物がいないなら多分、ね。助けに来たんだ」




     ◆




 ユキは振動が去ったのを確認して、止めていた呼吸を再開させた。


 カンテラを失った世界は薄暗く、その割には幻想的な輝きに満ちている。

 周囲の魔素濃度が非常に濃いのだ。

 ──さっきまではそんなことはなかった。きっとあの紅い目の魔物が現れたことでダンジョンの許容を越え、そうなったのだろう。


 固まりつつある祈る手をなんとか解いて、壁にもたれかかる。

 生きて帰るためには体力を温存しなければならない。……と言っても、生還できる可能性は限りなく低いだろう。


 イホロイさんとクタチさんとははぐれて、ルラさんは亡くなった。


 ──何もできなかった。それに、斥候スカウトであるはずのユキが、亜人種の魔物──トログロダイトの接近に気付かなかったのが第一の過ちだ。

 咄嗟に判断できたのはイホロイさんだけで、「伏せろ!」と叫んだ。

 反応できなかったルラさんの背中に、飛来した槍が突き刺さった。声すら上げることなく、ルラさんは地面に倒れ込んだ。


 ルラさんの持っていたカンテラが地面に落ち、ぱりんと割れた。

 瞬間、周囲が真っ暗闇に包まれて。

 ……そこからは、ふわっとしか覚えていない。


 悲鳴と咆哮ほうこうが響き渡り、ユキはほとんどうずくまって何もできずにいた。

 金属のかち合う激しい戦いの音が聞こえる最中、イホロイさんが「……っ、逃げろ!」といつもよりも余裕を失った声で叫んだ。


 役立たずであることを自覚していたユキは、その言葉に甘えて必死に逃げた。

 暗闇の中を走って、ただ走って。そうして時間が過ぎて行って。


 冷静さを取り戻した時には、自分がどこにいるか分からなくなっていた。


 グレムリンなどの魔物の姿を避けて、ユキは出口を目指した。

 松明のある道まで戻れれば道が分かる。そうなれば、助けを呼びに行ける。まだ希望はあると、そう思わずにいられなかった。


 左足は逃げる時に捻って、魔物の咆哮で鼓膜が破れたのか右耳は全く聞こえない。極めつけに、逃げた先で見つけた光は松明の光ではなかった。


 ──割れたカンテラ。動かなくなった仲間の姿。

 ユキが辿り着いたのは、さっき交戦があった場所だったのだ。


 ルラさんの遺体を目にして、ユキは絶望と共に涙を零した。

 そうして私もきっと同じ道を辿るのだろうと、何となく理解した。


 ユキは斥候スカウトだ。そして、そのことを今ばかりはありがたく思った。

 そこまで優れた能力は持っていなくとも、《影歩えいほ加護かご》があって、隠れるのには長けている。助けが来るまで隠れるくらいならできる。


 イホロイさんとクタチさんはきっと生きている。

 二人がきっと、助けを呼んでくれる。それだけが望みの綱だ。


 ──そう、思っていたのだ。あの姿を視認するまでは。






 ユキの想像以上に、体力的にも精神的にも消耗は早かった。

 死の間近さを自覚するのにも時間はかからなかった。


 ──振動が徐々に離れていき、かの″絶望″がこの場を去ったことを知る。

 それでも祈りを捧げる手は固まって動かない。

 空腹も乾きもとっくに限界だった。悲観的な考えに浸るのが悪いことだと分かっていても、もう助けは来ないのだと思わずにはいられない。


 今の時間が分からない。どれだけの時間が経ったのか。

 何度死が迫ってきて、何度運よく生き延びたのか。それすらも分からない。


 まともに思考ができていないのをユキは感じていた。

 限界は恐怖に変わり、自らが動いて立てる衣擦れにすら震え上がる。


 感情のままに泣き叫べば。今すぐにあれは現れるだろう。

 ……おそらくここは、あれの生まれた場所であり、あれのねぐらなのだ。

 そこに人間が潜んでいると知れば、殺すのに躊躇ちゅうちょはすまい。


 イホロイさんが助けに来ないのも、あれに出くわしてしまったからかも知れない。ルラさんの遺体は無事だろうか。ここに来た時に、せめて岩陰に一緒に隠せばよかった。後悔してももう遅い。

 今となっては岩陰から顔を出すのも怖い。身体が言うことを聞かない。


 ──リクさんたちは、今頃どうしているのだろうか。

 メイカさんも、エルさんも。帰ってこない私たちのことを知ったのか。


 それとも。体感時間とは違って、まだそれほど時間は経っていないのだろうか。


 思い浮かぶリクさんの顔に、なぜだかぽたぽたと涙が零れる。

 まだまだ話したいこともあった。やりたいことだって、沢山残っている。

 そういった『望み』のようなものがせり上がってきて、嗚咽が零れそうになる。


 ──と、そこで。足元から伝わった振動に、ユキは一瞬にして息を殺す。

 またあれが戻ってきたのだろうか。今度こそ、気付かれたのか。


 助けを望んでいれば、幻聴が聞こえる。人の声だ。

 これまでも何度も聞こえた。そしてその度に、希望を捨てることになった。


 誰か助けて……! と頭の中で全力で叫ぶ。

 でも、その声が誰かに伝わることはない。声に出せば魔物に気付かれる。

 八方塞がりだ。というよりは、既に状況は詰んでいた。


 喚き散らすように祈りを繰り返す。……いやだ、死にたくないと。

 神様が加護を与えてくれるなら、こんな時くらい助けてくれてもいいだろうと。

 そこまで考えて、自分がどれだけ利己的な考えに支配されているかを知った。


 やがて頭の上に影が覆い被さって。

 ──震えて縮こまり、俯いたままの私は、最期の言葉を考えていて。


「──ユキ」


 優しく呼びかけられた声を信じられず、顔を上げた。そこにいた、顔に痣のある優しそうな顔に──私は安堵してしまうとともに、自らの過ちを悟った。




     ◇




 バックパックから水筒を取り出し、衰弱しているユキに水を少しずつ飲ませて。

 メイカに優しく抱き締められているユキに状況を聞く。


「……ってことは、イホロイは」


「…………ごめんなさい」

 自身を責めるように腕に爪を立て、嗚咽混じりにユキが謝る。


「謝ることじゃない」とクタチが言うが、「でも」とユキは食い下がる。


「あの時はリーダー以外誰も、奇襲に気付かなかった。──それに、仇はこの人たちが打ってくれた。もう心配ない」

 クタチが苦虫を嚙み潰したような表情で告げる。


 ユキが驚いたように目を見開き、震える声を喉から絞り出す。


「仇は打った、って──」

「トログロダイトは倒した。報告部位もある」


 クタチの言葉に、ユキがふらりと上体の支えを失う。

 何かを思い出したかのように震えだし、「あ、あ……」と声を発する。


「……違」若干パニックに陥っているようで、ユキがその場にくずおれる。

「ユキちゃん、落ち着いて……! 大丈夫だから」

 メイカがどうにか落ち着かせようと声をかけているが、耳に入っているのかどうか分からない。それほどまでに、ユキは怯えている。


「……違、うの。紅い目の魔物が、いて、それ、で……」

 焦点の怪しい目でユキが呟く。


 ──赤目の魔物。トログロダイトなら二匹倒した。それじゃあ──何に?

 

「──なんにせよ。一旦帰ろう。エル・フォートまで」


 リクが告げて、メイカがユキに肩を貸して立ち上がろうとする。

 イホロイは残念だが、今はここにいる全員が生きて帰ることが最善だ。


 ふとリクはハザマサの方を見やる。こくりと頷き、了承を得る。

 メイカがやや強引にユキの体を背負い、立ち上がった。


 ──次の瞬間。




 氷属性の魔術が身体の中心を貫いた。そう錯覚するほどに。

 全身を凍えさせるほどの怖気が走った。


 唯一の出口である穴の辺りで、ガキィン──! と轟音が響き渡った。

 リクがばっと首を振り向かせそちらを見やると、壁から、地面から岩の槍が突き出て、出口をほとんど塞いでいた。

 何が起きたのか全く理解が追い付かず、足踏みをする一行に。


 唯一、恐怖を知っているユキだけが自らを抱きしめる。

 かちかちと歯を鳴らして、自身は立ち上がれずに、それでもユキは皆に教える。

「みん、な……逃げて……っ!」


 振動が足元を伝わってくる。徐々に大地の震えが大きくなっていく。

 地震──じゃない。違う、もっと、大きな何かが近付いてくるような──。


 反射的に全員が臨戦態勢を取った、一行の眼前。


 広間の中央──ダンジョンの地面がぼこりと広範囲に隆起したかと思うと、そいつは地面を割って、その鱗で覆われた巨体を現した。

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