第三章 もっと、強く

第1話『瓦解』




 ──間一髪、その手を引いた。


 背面から地面に倒れ込みながら、メイカの身体を抱きとめて。メイカが人懐っこい、ふにゃっとした笑みを浮かべる。

 囁くように名前を呼ぶと、嬉しそうに頷かれて。


 また、りっくんに助けて貰っちゃった──と。

 そんな風に告げられる。


 咄嗟の判断が間に合った。


 良かった。あの時見たのは、全部ただの悪い夢だったんだ。

 だって、こうしてメイカは助かったんだから。


「──ああ、なんだ……良かっ、た」

 そう呟いて、リクは見慣れた天井の下、目を覚ました。


 腕を使って上体を起こし、窓から差し込む朝の日差しに目を細める。

 瞬きをしようとすると、からからに乾いた目元が少し痛んだ。




     ◆




 ──赤錆色のドレイクを倒して、それから。

 満身創痍のリクたちは、ルラとメイカの遺体を連れて、驚くほど静かな洞窟を抜け、エル・フォートの街へと帰った。

 洞窟を抜けた時には夜の帳が降りていて、真っ暗だった。


 帰途、終始誰もが無言を貫いていた。

 一度だけ戦闘になりかけ、グレムリンから逃げることになった。


 ただ、それだけだ。それ以外のことは何も覚えていない。

 本当に、何も思い出せなかった。


 リクはただ胸に、ぽっかりと暗い穴が開いた感覚に支配されていた。


 そのまま二人の遺体を連れて、全員で教会へと向かった。

 以前、傷を治してもらった街の中腹にある教会だ。


 そこまで足を運んだ記憶はある。しかし手続きなんかはほとんどうろ覚えで、リクは何をしたのかも覚えていない。教会の司祭プリーストは二人の遺体を見て、すぐに状況を理解したようだった。

 エルが書類に何かを書いて、ハザマサが対応をしていた。


 葬儀の費用はメイカの持ち歩いてた分から。それでも足りない分は全員で支払うことになった。今この場では手持ちがなかったため、後日払うことになった。


 遺体は教会で預かり、後日火葬場に運ぶと言われた。

 その辺で受けた説明もリクはあまり理解はせずに、ただ頷いておいた。


 防具はローブのため火葬できるが、杖や一部装飾品なんかは燃やせない。それが遺品になるらしい。杖と髪留めを預かったエルは何を思ったのだろうか。

 一言も、何も言わずに受け取っていた。


 それから──宿舎に帰って、少なくともリクは泥のように眠って。

 気付けば窓の外は若干明るくなってきており、次の日はやってきていて。同時に大した時間眠れていないことを知った。


 朝一で皆で集まり、火葬場へと向かった。

 火葬場は結構離れた場所にあって、リクたちは教会を通り過ぎて更に階段を上った。昨日の探索での疲労が残る体に、これはこたえた。


 簡素な石の建物──火葬場に着くと、そこにいた年配の女性に案内された。


 小さく薄暗い一室に足を踏み入れると、中央に大きな棺があって。

 メイカはその棺に入れられていた。木製の棺には人間ヒューム語で名前が彫ってあって、文字が読めなければどれほどいいかと本気で思った。

 そうであったところで、メイカが死んだ事実がなくなるわけでもないのに。


 ルラの遺体はどうなったのだろうと一瞬思ったが、きっと別の部屋なのだろう。

 今はユキやクタチの事とか、そんなことを考えている余裕もなかった。


 お別れの言葉を告げてください、と案内の女性に言われ、リクたちは従った。


 かといって、何を言うべきかなんて決まっているはずもなくて。

 謝罪の言葉以外、何を言ったかも曖昧なまま、時間だけが過ぎ去った。


 棺は蓋を閉められて運ばれ、大きな炉の中に入れられた。棺ごと燃やすらしい。

 全員に退室を促され、リクたちは部屋を出た。




 ──何もかもが現実味を帯びていなくて。それでも煙は空に昇った。

 ほとんど風のない日だった。


 緑色の空に音もなく灰色の煙がかかって。放心状態でリクはそれを眺めていた。

 隣に立っていたカガヤは、空を見上げることもなく黙して腕を組んでいた。


 しばらくして、火葬場の年配女性が白い瓶を持ってきた。

 中には灰が入っているらしく。エルに手渡された。


 そこで初めて。エルは「あ、あ……ぁ……」と、嗚咽を漏らして泣き崩れた。

 床にへたり込み、灰の小瓶を、ぎゅっと胸に抱きしめて。




     ◆




 墓は丘の上に立った。街の全貌を見渡せる、見晴らしの良い場所だった。

 ただ、そこには他にもたくさんの墓が立っていた。いつか、遠目に見た時は木の柵のように見えていたのだが、大量に並んだ木製の墓標だったらしい。


 墓標の下にはあらかじめ深く穴が掘られてあって、そこに骨を埋めた。死んだ探索者の墓には名前を刻む決まりはないらしく、ほとんどの墓に文字は彫られていないようだったが、エルは「名前を、彫ってもいいですか」と案内の女性に聞いた。

 女性は「はい」と短く返した。


 エルは足元の石を拾うと木製の墓標にメイカの名前を彫り始めた。震える手で、しかし丁寧に、名前を呼ぶようにして、文字を刻んだ。


 そうして、葬儀代として残り五二〇セル、一人あたり一三〇セルを支払って。全部が終わっても、まだ空は明るいままで、夕方にもなっていなかった。


 たったそれだけでメイカの葬儀は終わった。




     ◇




「──あとは。……これからどうするか──……ですが」


 夕刻。リクたち一行──四人は、ハザマサの言葉で共同スペースの食事処に集まっていた。一つ席が空いていることに、例えようのない違和感を覚えた。


 夕方といっても昼間だからか、共同スペースに他の探索者の姿はない。ユキも、クタチもいない。墓所にもいなかったし、今頃葬儀をあげているのかもしれない。


 それが周囲の声が全くない環境を作り出し、気分が沈む。


「……メイカさんのことは、俺もまだ割り切れていません」

 ハザマサは言いづらいことを言うみたいに口元を手で覆い、渋面を作っている。

「ですが──ここは、早めに決めておいたほうがいいかと思います」


 再びリクは周囲を見渡す。椅子に座っているのは、ハザマサ、カガヤ、エル。

 ハザマサだけが真正面を向いていて、カガヤは机に頬杖をついている。そのまま一切動かずに、虚ろな目で虚空を見つめている。


 エルに至ってはここに来て座る前からずっと、深く俯いたままだ。誰に挨拶もしなかったし、話し合いになっても一言も喋ろうとしない。

 昨日どれだけ泣いたんだろうか。真っ赤な目に、頬には涙の跡がある。

 たまにがくっと椅子からずり落ちそうになって、何度か姿勢を正している。

 酷く辛そうだ。


 明らかに探索に行った帰りよりも疲れ切っている。もしかしたら、一睡もできていないのかもしれない。……だって、エルはメイカと同室だ。昨日まではいた、隣で眠っていた友達がいない。目を覚ました時にだって、いないのだ。

 ……そんなの、あまりに残酷すぎる。想像するだけで、吐き気がした。


「決めるって、何を」

 やがて、リクはハザマサの言葉にぶっきらぼうに返す。


 なんだこれ。自分の口じゃないみたいだ。


 きっと皆、傷心している。仲間が死んだんだ。もう、いないんだ。

 ……それなのに。どうにかして平常心を保とうとしているハザマサの姿が、やけに澄ましているように思える。別にそんなわけじゃないんだろうけど。


 それが分かった上で、リクは腹の虫を抑えられずにいた。


「さっきも言った通り、今後の俺たちの進み方について……です」

「進むったって、どこに?」


 ハザマサの言葉に、リクは被せるように聞き返す。


「…………」

 ハザマサは黙り込む。


 だって、もうメイカはいないのだ。俺たちの仲間は死んでしまって。

 だからこのパーティだって、このままじゃいられない。


 きっとエルはもう戦えない。リクだって、前と同じようになんて無理だった。

 メイカの魔術があるから、援護があるから倒せた敵だって多かった。


 しかも。今はそれ以上に、気持ちがついてこない。

 今になって初めて分かる。探索者シーカーとして、自分がどれだけ本気だったか。

 脳内で、リクは自らに問う。


 ──本当に、探索者シーカーが危険な職業だと分かっていたのか?

 死がどれだけ身近なものなのか。……もしかして、自分たちだけはきっと大丈夫だなんて根拠のない考えを持っていなかったか?

 師匠フェインの教えをどう取っていた? 戦闘中に諦めるな、と。その決断が死を早めるという言葉を、どれだけ真剣に捉えていた?


 ──きっと全部、認識を誤っていた。

 

 だから。そのせいで、メイカが犠牲になった。

 リクの考えが、覚悟が甘かったせいで……メイカは死んだのだ。


 ……勿論、どうやってドレイクを倒したのかについてはリクも覚えている。


 何の能力かは分からない。でもきっと、あれは加護の力だ。

 ギルドマスター──エリオダストの言っていた、謎の加護が発揮した力。

 それがなければメイカと言わず、全員が死んでいた。


 つまり、他の皆を守ったのはリクだ。

 ……だからなんだろうか。仲間の誰もがリクのことを責めないのは。


 どう考えたってメイカを失ったのはリクのせいだ。

 それなのに、それについて咎めるような言葉は誰一人として発しない。


 ハザマサは改めて息を吸うと、真剣な眼差しで全員を見渡した。

「言い方を、変えます。これからまだ、探索者シーカーを続ける人はいますか」


 あまりに残酷で、早すぎる問いだった。

 そんなの、今すぐ決めろったって無理に決まってる。

 気持ちだって追い付かない。


 だけど、現実問題、探索者シーカー活動を続けないなら生きていくために別のやり方でお金が必要になる。それを考えないといけなくなる。


 ……なんだ、これ。おかしいだろ。どう考えても時間が足りなさすぎる。


 ──分かっている。きっと今、分水嶺に立たされているのだろう。

 探索者シーカーを続けるか……それとも、やめるか。


「…………」

「──俺は続ける。誰も続けないなら、他のパーティに入るまでだ」


 リクが黙り込んでいると、カガヤは視線をこちらに向けながら宣言した。

 三白眼の奥の光は暗い。でも、言葉からは強い意志を感じる。


 なんでそんなに即答できるんだ。……カガヤとメイカはそんなに話す方じゃなかったし、仲も良かったかは怪しいけど、それでも仲間だったのに。

 仲間が死んで、次の日で。なんでそれでそんなに平気なんだ。


 リクは訴えかけるような目でハザマサを見る。

 しかし。ハザマサはリクの視線の意図を読んだのか、首を横に振った。


「……俺は。俺も、目的のために、続けます。一刻も早く、元の世界に帰る手立てを探さないといけない……そんな気がするんです。皆さんには悪いですが、そのためならこのパーティを抜ける──終わらせる選択も辞さない考えです」


「……そんなの、って」

 ないだろ。そう言おうとしたけど、ハザマサは言葉を続けた。


「それに、責任を取る意味合いもあります。……メイカさんが亡くなったのは、リーダーである俺が救助に向かうかどうかの判断を間違えたこと。……そして、パーティの盾であるにも関わらず、守り切れなかったことです。……だから、そんな俺がここにいられる道理は……ないと、そう思っていますので」


 ハザマサは心苦しそうに言い切ってから、エルに視線を注ぐ。

 俯いたままでもその視線を感じたのか、エルは僅かに頭を上げた。

 前髪で隠れていた、泣き腫らした顔が露わになる。


「……私、は。今のままじゃ、……無理、です。ごめん、なさい……」

 掠れ切った声で告げられる。


 他の全員が答え終わって、必然的にハザマサの視線が再度リクの方へ向く。

 リクの答えを、待っているのだろう。


「…………、俺は」


 思わず涙とか笑いとか、そういったものが一気に零れそうになる。

 そんなタイミングじゃないんだけど。でもさ。


 ……なんだよ、これ。分からない。

 どうすればいいのかなんて、分かるわけないじゃないか。


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