第2話『失態/レベルアップ』
結局あのあと、リクは何の答えも出せずに話し合いの場は解散となった。
普段の休みと同じようにご飯を食べて、ベッドに入って。
特に運動したわけじゃないのにひどく疲れていて、すぐに眠りに就いた。
次に起きた時には外は明るくて、部屋にはリク以外に誰もいなかった。
時間は昼頃だろう。お腹が空く気配は全くない。でも何か食べたい気分だった。
喉に何か放り込めば、喉奥の閊えが飲み込める気がしたからだ。
深く俯いたまま、亡霊のような足取りで宿舎を出た。
街を歩きながら考え事に耽る。負のオーラ的なものが体から出ているのか、それとも顔の痣のせいなのか。いつも以上に人に避けられている気がする。
まあ、どうでもいいことなんだけど。……本当に、どうでも。
一昨日の今頃までは、メイカはいたんだ。何をしていたんだっけ。
──もうこの時間には、ホブゴブリン討伐のために出かけてたんだったか。
少し前はどうだろうか。探索者に絡まれていたメイカを助けた。
……いや、実際に助けたのはイホロイだったけど。メイカは感謝してくれたみたいだった。その時、何を話したんだっけ。何も思い出せない。
露店の並ぶ商店街を通りがかり、ふと思う。
ご飯は、何を食べたんだろう。
メイカが最後に食べたものは美味しいものだったのか。
どんな食べ物が好きだったんだろう。一緒に何か食べたことはなかった。
──思えば、メイカのことをリクはほとんど知らなかった。
仲が良い悪いで言えば、良い方だっただろうと思う。でも、それだけだ。
メイカのことについて知っていることと言えば探索者としての側面ばかりで。
彼女が普段何をしていたかも、何が好きだったのかも知らない。
せめて、メイカの墓に何かを添えてやりたいと思っても。……それすらも、どうすればいいのか分からない。何も思いつかないのだ。
ハザマサは責任を感じていたが、どう考えたって悪いのはリクだった。
判断を間違えた。諦めたから──メイカが代わりに死んだ。
償いたいのに、その機会は永遠に奪われてしまった。
ずっと下を向いたままで嗚咽が零れそうになり、喉を押さえて飲み下す。
馬鹿だ、俺。……何やってんだよ、ほんとに。取り返しがつかないことをした。
許されないことだ。こんなことが許されていいはずがない。
メイカを殺したのはドレイクだ。──でも、死なせてしまったのは俺だ。
何もかも、考えたくない。
自虐的な思考が浮かんでは脳裏を埋め尽くしていく。視界も暗く狭まっていく。
そんな風に思考を巡らせながら、リクの足が向いたのは酒場だった。
前にも来たことがある店だ。酒の絵が描かれた看板の下を潜り、中に入る。
……目を背けるなんて、一番やっちゃいけないことだって分かってる。
でも、今は全部、なかったことにしたかった。
◇
照明の光量が抑えられているのか薄暗い酒場の中は、がちゃがちゃと食器が触れ合うような音と、探索者たちが豪快な口調で話す喧騒で満ちている。
最初こそ気になったリクだったが、名前も読めない酒を一杯注文して一気に飲み干してからは、すぐに気にならなくなった。
眠気がピークの時みたいに、酒に溺れた脳は麻痺し切っていた。
脳内の血液が沸騰しているみたいに熱い。顔も、全身も。
だから、何度かかけられた声が自身に向けられたものだと気付いたのは、グラスをカウンターに置いて、たっぷり数秒が経った頃だった。
後ろから肩を掴まれて揺らされ、ぐわんと頭が振られる。
気分が悪くて、さっき飲み干した酒を戻してしまいそうになる。
何かを食べに来たはずなのに、何も食べていない。吐くとしたら胃液と酒だ。
空きっ腹に酒を飲んだから余計酔いが回っているのだろう。
「……リクさん」
そろそろ、誰が声をかけてきているのか判別できている頃合いだった。
普段と違って髪の括られていないぼさぼさの頭、泣き腫らしたような跡のある目元。幼顔の少女。何の用事かは知らないが、そこにいたのはユキだった。
「……ユキ。……酷い顏だけど、何かあった?」
リクは笑いかけようと口角を上げる。でも、顏が引き攣っただけだった。
それを目にしたユキは一瞬、泣きそうな顔を作って。リクの置いた酒の入ったグラスをカウンターの奥の方へと押しやった。
何をするんだという目で、リクはユキの方を見やる。
「…………。それなら、リクさんの方も。……そんなに飲むと、身体に悪いよ」
きっと身体を気遣ってくれた言葉なのだろう。でも今は、それが説教に聞こえた。
ユキに、リクの気持ちの何が分かるというのだろうか。
分かるはずもない。──ああ、そうだ。
仲間を。メイカを失ったのは、ユキではなくリクたちなのだから。
「……今だけでいいから、放っておいてくれない?」
リクは俯きながら棘のある口調で言い返し、鼻で笑う。
泣きかけで鼻が詰まっていたからか、ずずっと鼻水が出そうになった。
何考えてるんだろうか、俺。……ユキだってメイカと友達だったわけだし。イホロイと、ルラだったか。パーティメンバーを失ったのはユキも同じだ。
──いや、だからだろうか。説教染みたことを言ってくるのが鼻につくのは。
奥歯を噛みしめ、机の上に拳を振り下ろしたくなる激情をどうにか抑える。
ハザマサだって。ユキも、なんでそんなに普段通りでいられるんだ。
「でも……メイカさんだって、リクさんのことを心配するはずで──」
一番聞きたくない言葉が発せられ、「……メイカが?」とリクは声を荒らげる。
凄まれたのが予想外だったのだろう。ユキはびくっと肩を揺らした。
そもそもそんなことを言うつもりもなかったのに。
そこでやめておけばよかったのに、酒で弱った判断力はその続きを喋らせた。
「──メイカのことはさ。ユキには、何も関係ないことだよね?」
そのまましたり顔を上げて、ユキの表情を見て。──リクは失言を悟った。
「…………っ」
ユキは驚いたような表情のまま、静かに涙を流していた。
自らも深く傷ついた瞳で、その上で痛々しいものを見るかのように。
ばっと振り返り、ユキが走り去っていく。リクは思わず手を伸ばしそうになる。
伸ばしかけた手は途中で止まり、空を掴む。
「はは、……」と、思わず出所の分からない笑みが零れてくる。
両手で顔を覆う。手は冷たくて、顏の熱が一気に冷やされ頭が冴える。
なんなんだよ、本当に。
……俺が、一体、何をしたって言うんだ。
◆
その日はまっすぐ宿舎に帰って。浅い眠りを無理やり目を瞑ることで二度寝、三度寝と何度も繰り返しながら、無理やり朝まで眠って。
翌日。ハザマサに起こされたリクは探索者ギルドに来ていた。
早朝というのもあってまだまだ人の出入りは多く、中は喧騒に包まれている。
ダンジョンへ赴く前に依頼を受ける者、前日の継告や依頼の報告を済ませる者、素材の買い取りに訪れる者、新たに更新された依頼を受ける者など理由は様々だ。
また、探索者ギルドは酒場以外での数少ない情報交換場所でもある。開けた空間に設置された机と椅子に集まり、会話をしているのはそういう者たちだろう。
先日、ふらりと現れた初心探索者の報告の後から、会話の内容はその出来事一色だ。飛竜の墓標に本来出ないはずのドレイクが現れ、それをレベル1探索者が討伐した。
あくまで噂だ。しかし、イホロイパーティが壊滅したのは本当らしい。リーダーのイホロイと仲間が一人死んで、報告に来たのはパーティメンバーの一人だという。
リクたちには会話の内容は届かない。しかし、前日の出来事を知っている者たちからは好奇の目が向けられ、耳をそばだてられていた。
リクたちがカウンターに向かうと、いつもの男性職員は「ハザマサさん御一行ですね。少々お待ちください」と言って、後ろに引っ込んだ。
代わりに現れたのは、ブロンド髪に同じ色の瞳、研究員のような衣装を着込んだ女性──ギルドマスターのエリオダストだった。
その手には赤錆色の鱗が一枚、鈍い光を反射していた。
「──さて、君たちについての報告は、一昨日既にクタチさんから受けているのだけれど。レベル2になる方は誰と誰になるのかしら?」
手続きは意外と簡単らしく、リクは渡された書類に名前やら倒した魔物の情報などを簡単に書き記し、茶色のカード──探索者資格を手渡した。
レベル3以降は、継告や功績が確実なものであるか確認を取る必要があるため、手続きも長引くらしいが、レベル2はそうじゃないらしい。
探索者資格はギルド職員によって裏に持っていかれ、すぐに返却された。
今回レベル2に認定されたのはリクと、カガヤだった。
エリオダストがにこやかな笑みを作りながら、一つ手を叩く。
……こっちは全員暗い雰囲気なんだけど。空気を読む気は全くないらしい。
「はい、これでお二人ともレベル2になったわ。それにしても、どんな魔法を使ったのかは知らないけれど……トログロダイト二匹に、ドレイクの亜種を倒したなんて、凄いわねぇ。レベル2が二人なら、中堅パーティにも引けを取らないクラスよ?」
一瞬、ギルド内がざわついたように思えた。
説明口調なエリオダストの言葉に、カガヤが一歩前に出た。
「トログロダイトは二匹のうち、一匹はメイカが倒した。俺がやったんじゃない」
「あら。でも、討伐部位を持ってきたのはあなたで、それを許したのは仲間の皆でしょう? なら、ギルドとしてはレベルアップする権利はあなたにあげるしかないの。その方が来ていれば、今なら権利を譲ることだってできるけれどね」
優しく諭すような口調が腹に据えかね、リクは横から入って口を開く。
「っ……。メイカは……死んだんです」
「あら、それは残念ねぇ。だけど、そういうこともあるわ」
何でもないことのようにエリオダストは告げた。
一瞬、何を言われたのか信じられなかった。聞き間違いかと思ったくらいだ。
「は、──⁉」
と、リクが突っかかりそうになった直前、後ろから肩を押しのけられた。
あまりに強い力だったため、軽くふらつく。
「お前……ッ!」と声を上げたのは、予想外の人物──カガヤだった。
しかしその前に、更にもう一人立ちはだかった人物がいた。ハザマサだ。
その痛ましい表情に、リクもカガヤも牙を抜かれる。
……そうだ。叫びかかりたいのはきっと、誰も同じだ。
深呼吸を挟んで気を落ち着け、下唇を噛む。じわりと血の味が滲んできて、その程度で収まる怒りではないが、なんとか拳を振り上げずに済んだ。
ハザマサがエリオダストの方に振り返り、重々しい口調で告げる。
「……。すみません。……なんで、これで失礼します」
「ええ。またいつでもね」
そう言って、エリオダストは手を振ってきた。
誰一人として手を振り返すことはなく、ギルドを後にした。
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