第17話『メイジ』
横穴は裏側から岩で埋められていた。
カガヤが岩壁を奥に蹴り壊すと、唐突に中の音が聞こえてきた。
耳の裏をざらりと撫でるような不快な鳴き声。
地団太を踏むような大勢の足音。そして、金属のかち合うような音。
なぜ今まで誰も気づかなかったのか不思議なくらいの音が奥から聞こえてくる。
岩を乗り越えて奥へと進む。道はやや狭く薄暗い。そのうえ入り組んでいるが、行き止まりも近い。
進んでは戻りを繰り返し、音が聞こえてくる方向へと歩を進めていく。
「……あっちか?」
「誰か交戦してる、ハザマサたちかもしれない!」
カガヤの問いに、リクは興奮気味に返した。
額に
音は着実に近づいてきている。ゴブリンの声もより大きいものになる。
どう考えても数が多い。迂闊に突っ込んでいいものか。
でも、うだうだと悩んでいる時間もない。交戦しているのがハザマサとエルなら、二人だけでそれだけの相手と戦っていることになる。
走りながら結論を出し、リクは更に歩調を速める。
「──作戦通りに!」
そう叫んで岩陰から飛び出した瞬間、視界の端に大勢のゴブリンが映った。
更に奥には人影も見える。戦っている。
八、九──十二匹。奥の壁際で交戦しているのは、ハザマサだ。
でもなぜか盾を持っていない。エルの姿も見当たらない。
「っ……ハザマサ!」
リクが叫ぶと、ハザマサは刹那、こちらを見て安堵の表情を浮かべた。
しかしそれと同時にゴブリンの視線も一斉にリクの方を向く。
ぎろり、と丸く飛び出た十二対の眼球の中央に睨まれ、一瞬身体が硬直する。
立ち止まったら投石の的だ。怯むな。行け──と、心中で言い聞かせる。震えて止まりそうになる足を、思い切り手のひらで叩いてリクは前進した。
接敵した瞬間、リクの手は目にも止まらぬ速さで動かされる。
一番手近にいたゴブリンが呆気に取られている隙を突いて、その両目を繋ぐようにダガーを横薙ぎに一閃。亜人種も人間と同じで粘膜部分は弱い。
ゴブリンが己が両目を押さえ、悲鳴を上げた。
そのまま足に蹴りを入れる。転ばし、戦闘不能に追いやる。
続けざまにもう一匹倒そうとして、奥から飛んできた投石に邪魔された。
「わ……っ」
横っ飛びに躱して視線を奥にやる。
巨大な礫を手のひらいっぱいに握っているゴブリン。
あれが厄介だ。急所だけでなくどこに当たっても戦闘継続はできなくなる。
しかも、手前のゴブリンが邪魔で倒しに行けない。
そういうときこそメイカの魔術だ。
投石を避けながら援護を待つ。短時間なら時間を稼げる。
そんなことを考えていると、後ろからカガヤが飛び出してきた。
──作戦と違う。作戦通りなら、混戦になる前にメイカの魔術を打ち込んでから、カガヤが前に出る手はずだったのに。
「カガヤ……⁉」
「っ、魔術が使えない……!」
短くカガヤが状況を説明してくれる。だが、納得がいくかは別だ。
戦斧を振り回すカガヤを前に、リクは後ろの岩陰に潜むメイカに視線を注ぐ。
そこには、杖を構えたまま喉を押さえるメイカの姿があった。
様子がおかしい。口は動いているのに、声が出ないのか。
──なんで。
がしゃん、と音が鳴った。ハザマサが膝をついたのだ。
見れば、投石をまともに受けたのか革の膝当ての裏から出血していた。
顏からは血の気が引いている。限界も来ているようだった。
「ち……」とカガヤが舌を打つ。
考えている暇はない。
リクは爪先に力を込めると、ゴブリンの群れに突っ込んだ。
「〈
左手の突きと共にひと際大きく踏み込み、左から前に出る。
ずざっ、と地面が鳴る。眼前のゴブリンは見え見えの攻撃を横に避ける。だが、すぐにその攻撃がブラフだったことに気付く。
リクがダガーを握っているのは右手だ。
左足の位置を追い抜いて右足を踏み込み、膨らんでいるそのどてっ腹にダガーを突き刺した。柔らかい部位に刺さる瞬間の感触は未だに気持ち悪くて慣れない。
まっすぐダガーを引き抜くと、飛来する礫を躱しながら前へ、前へ。
ゴブリンの群れを中央突破し、ハザマサの前に立つ。
「……リク、さん」
「…………っ」
近くで見ればハザマサはぼろぼろだった。
長剣には血がこびりつき、鎧には幾つものへこみがある。
肌の露出している部分には無数の痣があり、髪はハザマサのものなのか返り血なのか、べったりと赤黒くなっていた。
呼気も荒く、弱々しい。すぐに治療が必要な傷だ。
付近には奮闘の跡として、四匹ものゴブリンが斬り倒されている。
というか。
前に立ってどうする。ハザマサみたいに攻撃を受けることはできない。
だからといってリクが避ければ後ろにいるハザマサに攻撃が当たる。
近くのゴブリンが棍棒を握る手に力を込める。
考えが追い付く前に状況が動いた。
「〈
リクの開けた群れ中の道に突っ込み、カガヤが思い切り声を張り上げた。
発動するのは
一瞬にして、ゴブリンの手が止まる。代わりに、「グギャァアアアアアアアッ!」と、群れの至る所から哮りが響いた。
ゴブリンはさらりと思考を切り替える。
──目の前のこいつも鬱陶しいが、狙うべき敵はどうやら違うらしい。なぜか分からないが、この斧を構えた男を見ると無性にむしゃくしゃする。
殺してやる、今すぐに。
十匹ものゴブリンが音の反響しやすい洞窟内で叫んだものだから、耳が痛い。だが、折角カガヤが作ってくれた隙だ。今のうちにハザマサの前にしゃがみ込み、肩を掴んで声をかける。
つっかえ棒の役割を果たしていた腕が力を失くし、リクはその身体を支えた。
「ハザマサ……! 大丈夫……⁉ エルは⁉」
ハザマサの状態が悪い。それだけじゃない。エルの姿が見当たらない。
表情を
だが、意思の疎通は図れたらしい。緩慢な動作で首を後ろに振り向かせる。
そこには盾が地面に突き刺さっており、裏からエルが顔を出していた。
「ハザ……サ、さん。……ク、さん……!」
目元が真っ赤にはれ上がっていて、涙を流している。
でも、外傷は見当たらない。ハザマサが守ってくれていたのだろう。
「エル! ハザマサの怪我を──!」
そう叫んだのとほぼ同時、リクの頭のすぐ横を礫が掠めていった。
振り返って臨戦態勢に戻る。
カガヤは今も群れの中央で戦っている。
その姿は傍から見ても勇ましく、獅子奮迅の勢いだった。
あの一瞬で二匹のゴブリンが地面に倒れている。
今も前から振るわれた棍棒を戦斧の柄で受けて撥ね飛ばし、そのまま力任せに斧を振り下ろして三匹目を仕留めた。
だが、流石に多勢に無勢だ。
後ろからの棍棒を受け、痛みに顔を歪めて体勢を崩す。
「カガヤ──!」
「ッ……、ちょこまかと鬱陶しい……っ!」
崩れた体勢のままカガヤは背面に蹴りを繰り出し、ゴブリンを遠ざける。
そこに【
側頭部に炎弾をまともに食らったゴブリンは一歩よろけ、そのまま倒れた。
「メイカ、ナイス……!」
岩陰から飛び出て杖を構えていたメイカに声援を送る。今度も理由は分からないが、声が出るようになったらしい。
ゴブリンは残り六匹。──いける。
こいつら、単体ならウェアラットやコボルトよりも弱い。
〈
振り下ろされる棍棒に敢えて向かっていって懐へ潜り込む。
頬を掠める風圧に背筋が凍るが、奥歯を噛みしめて恐怖を潰す。
ここなら棍棒は小回りが利かずに振り回せない。
そのまま順手に構えたダガーを振るう。
しかし、流石に何の小細工もない連撃はひらりと避けられる。
なら体術がある。
なぜだか今ならできる気もした。
間合いは密着状態。──そこから軽く一歩引く。
釣られたゴブリンがしめたと棍棒を振りかぶり、振り下ろしてくる。
それをダガーの側面で〈
左手をゴブリンの隙だらけの右手首に被せて押し込み、攻撃の勢いそのままに地面へと誘導する。目論見通り地面に顔面から叩きつけられたゴブリン。
その首の裏に逆手に持ち替えたダガーを振り下ろし、仕留める。
これで残り五匹──などと考えながらリクがカガヤの方を見やると、真横に薙ぎ払われた戦斧の一撃で二匹斬り倒され、残り二匹にまで減っていた。
違和感に気付いたのは数を数えていたからだ。
一匹足りない。
視界を左右に動かすと、壁際で棍棒を振り上げるゴブリンがいた。何をやっているのかと疑問に思ったのも束の間、そのゴブリンの棍棒の先が光った。
よく見れば細い棍棒の先には滑らかな石が埋め込まれている。
あれは、棍棒じゃなくて──。
「──カガヤ、後ろ‼」
リクは思わず叫ぶ。それしかできなかった。
【
ゴブリンの杖先から飛び出た炎弾が、カガヤの後頭部へ一直線に向かっていく。
カガヤは勘かリクの言葉に反応したのか、直前で横に避け──左肩に魔術は直撃した。肩当てが弾き飛ばされ、身まで削れている。
これには堪えたのか、交戦中にも拘わらずカガヤが膝をつく。
メイカが飛び出し、ゴブリンメイジに向かって杖を構える。
しかしゴブリンの方が早かった。というより、警戒していたと言うべきか。
ゴブリンメイジが嗄れ声で何やらごちゃごちゃと詠唱し、メイカに杖先を向ける。何かが飛び出しこそしなかった。しかし、メイカの杖からも何も出なかった。
はっと気づく。
メイカの声が出なくなったのも、ゴブリンの魔術だったのだ。
とにかく真っ先にメイジを倒さないとマズい。でもそれより先に、膝をついたまま戦っているカガヤを助けないといけない。
リクが走り出そうとすると、別のゴブリンが邪魔をしてくる。
メイジは仲間が大勢やられているのに、こんな時も高笑いをしている。
余裕の表れか、何なのか。どうでもいい。
目の前のゴブリンは無視してでも迅速にあいつをやらないといけない。
そんな気がした。
真横に振るわれた棍棒を距離を取って躱し、リクは深く屈んで足元を蹴り払う。棍棒という重心が手元にあるゴブリンは簡単に体勢を崩して倒れた。
ダメージはほぼほぼ与えられていないだろうが、今はカガヤを助けるのとメイジを仕留めるのが先だ。
倒れたゴブリンの真横を通ってカガヤの元へ。
〈
カガヤに向かって棍棒を振り下ろす直前のゴブリンの手首を切りつける。
ゴブリンが痛みにギャアと声を上げ、体を硬直させる。
カガヤは負傷した身でありながらその隙を見逃さなかった。
かっと目を見開くと、防御に使っていた斧を振り上げ、ゴブリンの胸部を逆袈裟に斬り上げた。体重の軽いゴブリンが戦斧の威力に吹っ飛ばされる。
はっとリクが振り返れば、メイジはこちらに杖を向けて詠唱を始めている。だが、魔法陣が展開されるスピードを見るに、十分間に合う距離だ。
電撃のような何かが全身の血管を巡り、リクは再度、思い切り地を蹴る。
機動力なら。
そう、そのはず──だった。
だが、おかしい。その足が動かない。
力を込めれば少しは動く。だが、動きは鈍く躓きそうになる。
まるで重りでも引き摺っているように。
下を見る。ブーツ越しの足首が。
さっき転ばせたゴブリンの手によって、掴まれていた。
思考が停止する。
メイジの詠唱は完成する。
その照準は確実にリクの心臓付近を捉えていた。
カガヤが食らったダメージが、メイカの【
悲痛な表情を浮かべるメイカが視界の端に映る。
回避しようにも足は掴まれている。ゴブリンの
しゃがむのも間に合わず、しまったと毒づく暇すらない。
「りっくん……!」
「リク!」
カガヤが珍しく焦燥の滲む声で叫んだ。
あれ、これ……もしかして。──死んだ?
放たれた炎弾がリクの胸元に吸い込まれる。
──爆散。破裂音を響かせて、花火のような火の粉を散らした。
ぐらり、とリクの体が傾ぐ。
地面に向かってゆっくりと倒れていく。
ゴブリンメイジは確信を持って頬を吊り上げる。下卑た笑みだった。
足の速いだけの人間は仕留めた。──あと四人だ、と。
「りっく……ん」
「…………ッ」
リクの足を掴んでいたゴブリンも立ち上がり、カガヤに向かって棍棒を振り
ゴブリンメイジは次なる標的──リクの方へと走るメイカへと照準を合わせる。ゴブリンメイジにとってはおあつらえ向きに、メイカは途中で立ち止まる。
なぜか動く的からただの的になり下がった人間に杖先を向け、込み上げてくる嗤いの中、亜人種の言語で詠唱を始める。
メイカがゴブリンメイジの方を向く。だが、遅い。
──これで残り、三人だ。
そうゴブリンメイジが考えた、次の瞬間。
詠唱が中断された。理由は分からないが、声が出なくなったのだ。
遅れて喉奥から込み上げてくる感覚に、ゴブリンメイジは首を傾げる。
ごぽり、と溢れてきたのは血だ。──血?
視線を左に移動させたメイジの目に映ったのは、さっき殺したはずの人間の姿だった。革製の胸当ては真っ黒に焦げて、着弾地点を明確にしている。
それなのに、あの魔術を受けたはずの人間が動いている。
そして、メイジが事態を認識した直後。
喉に深く刺さったダガーの刀身が、すっと引き抜かれた。
◇
・魔物辞典
┌──────────────────┐
名前:ゴブリンメイジ
加護:なし
魔術:【
└──────────────────┘
・【
物に対して使うことで、音の伝わりを止めることもできる。
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