第16話『ゴブリンの巣』




 ──肺が締め付けられるように痛む。肩で呼吸をする。

 両脚が重い。着込んだ板金鎧プレートアーマーと体重を支えきれなくなり、腰を落とす。

 短い呼気を整えて、視線を落とす。


 隣に横たわらせたエルの口元に手をあてがい、呼吸があることにぎりぎり安堵する。一人なら、今の状況にすら耐えられなかっただろう。

 まだ朦朧もうろうとしているようだったが、意識が戻ればきっと彼女自身が治癒できる。まだ大丈夫だ。諦めるな、自棄やけになるなと自分自身に言い聞かせる。


 とにかく必死で、どうやって逃げたのかも覚えていなかった。


 ただひとつ分かるのは、ここは来たことがない場所だ。

 ほかに逃げ道もなかった。……おそらくは、誘い込まれたのだろう。


 ギャアギャアと喚き声のような叫びが遠方から聞こえる。ゴブリンたちの号令だ。一度は振り切ったが、集まってくるのも時間の問題だった。


「は……マサ、さん」


 と、ハザマサの足に白い手が触れた。エルだ。


「エルさん。……状況は、今から説明します。まずは傷を」


 伸ばされた手を掴み、エルの頭に持っていって、傷口の付近で停止させる。

 エルは傷口に触れ、「っ……」と表情を歪めて痛がったが、呼吸が整うとすぐに治癒の奇跡を詠唱した。淡い光が傷を包み、表情が和らいでいく。


 今度こそ安堵する。気を抜けば涙さえ零れそうだった。

 歯をいたく食いしばって両手を地につき、後悔を、失態を謝罪する。


「……よかった。……本当に、すみません。守れなくて」


 上体を起こしたエルは目を丸くして、慌てて首を横に振ってくる。


「い、いえ……顏を上げてください。守るなんて、そんな……」


「…………。はい」

 ミスでないことくらいは分かっている。


 あらゆる攻撃に対して仲間を守るのは無理がある。それでも、従騎士スクワイアであるハザマサはパーティの盾だ。後悔はしてもしきれない。


 ……だが。謝るにしても、これ以上は後でいい。

 そう、まだ何も解決していない。


 顔を上げ、膝を立て、腰の鞘から長剣を抜く。

 表情を強張らせたエルに、ハザマサはしっかりとした語調で説明する。

 自分自身に状況を飲みこませる意図も込めてだ。


「──現状ですが、最悪に近い……いえ、最悪と言い切っていいでしょう。リクさんたち三人とははぐれて、ゴブリンに追われるままに逃げてきたところです。そのうえ、この場所を見渡してもらえれば分かるかと思いますが……」


 ハザマサの言葉に従ってエルが周囲を見渡す。


 暗く狭い空間。鼻を曲げる謎の臭気に淀んだ空気。

 なぜかダンジョンの壁が淡く光っているため、ある程度先は見渡せるが、壁に松明はない。そして、繋がる道は正面の一方向のみ。


「…………ここは」


「……行き止まり、です。しかも、地図や荷物は休憩を取った場所に置いてある。……一応、物陰にはなっているので見つかるまでは時間があると思いますが、ゴブリンは逃げてくる道中、ざっと見ただけでも十数体はいました。……見つかれば、エルさんを守りきれる自信は…………俺には、ありません」


「わ……私も、何かできれば」


「あの時、メイスは持ってくる余裕がなかったので、エルさんの武器もないんです。一応、武器代わりになりそうなものとして俺の盾がありますが……装備の重さを軽減する《重装の加護》なしでは扱えない重さです」


 ハザマサの背負うカイトシールドは金属製の中盾だ。

 従騎士スクワイアであるハザマサは加護のお陰で軽々と扱えるが、いくら重いメイスを武器にするエルとはいえ、ちゃんと構えられるかすら怪しいだろう。


「…………」


「となれば、見つかった時は俺が戦うしかありません。ただ、希望もあります」


「希望……ですか?」


「はい。他の探索者をあてにするのは多分に希望的観測が含まれますが──リクさんたちは、俺たちを探してくれるはずです。助けが間に合えば、もしかしたらゴブリンの集団も退けられるかもしれません。それまで見つからずにいるか、耐えられれば、きっと助かります」


「……もし、助けが来なかったら」

 エルの不安げな呟きに、暗い考えがハザマサの脳裏をよぎる。


 もし。もし仮に助けが来なかったら。間に合わなかったら。

 考えるだけでも怖気おぞけがする。唯一、すがるものが消えていくような感覚だ。


 そして、その可能性も十分に考えられる。

 この道は探索中、パーティの誰も気づかなかった道だ。

 ハザマサ自身ですら、どうやって辿り着いたのかも覚えていない。


 それでも。


「……そうならないように、頑張ります。だから、エルさんは安心してください」


 ハザマサは無理やり笑みを作って中腰で立ち上がる。

 ゴブリンの声が近付いてくる。


 そう時間はない。

 交戦はまぬがれないだろう。なら、やることは決まっている。


「わ。私も、【治癒リカバー】はあと二回は使えるはずです。もし、怪我をしたら」


「いえ……エルさん」


 言いながらエルに目配めくばせし、背中に括りつけていた盾を下ろす。それからエルのすぐ前に立ち、盾の底の尖った部分を思い切り地面に叩きつけた。


 加護の影響を失い更にハザマサの体重も乗った盾は、凄まじい音を立ててダンジョンの地面に突き刺さり、座っているエルの前に壁を作った。


「え」

 エルが驚き、短く零す。


 ──これで、いい。後ろにいる彼女のことを考えずに戦える。


治癒リカバー】は傷に触れなければ発動できないため治癒はできなくなるが、少なくともさっきのような投石などでエルが傷つくのは避けられるはずだ。


 通路の奥から聞こえるゴブリンの声が一層盛り上がり、大きくなる。

 大きな音を立てたことで早速気付かれたのだろう。

 地面を乱雑に叩く足音が連鎖し、聞こえてくる。


「…………」

 やれるか、とハザマサは自分自身に問う。


 殲滅せんめつはどう考えても無理だ。ハザマサの持つ《重装の加護》は、重い装備を着て軽快に動けるメリットも大きいが、デメリットもある。

 その内の一つが、武器が軽くなるため攻撃の威力が下がる点だ。


 急所にでも当てない限り、ゴブリン一匹即殺できない。

 そんな技量があるわけでもない。


 なら、どうするのが最善なのか。

 盾は使えないが、鎧はある。助けを信じて耐えるしかない。


「っ、ハザマサさ──」


「エルさんは、絶対にそこから動かないでください」

 強い語調で言い放つ。


 前に出られては、きっと守り切れない。


「……っ」


 盾の前に回り込み、盾に背を向けて剣を構え深呼吸をする。

 気を引き締めろ、腹をくくれ。


 この場が行き止まりであるのは幸いでもある。

 ゴブリンが来るのは一方向からだ。道もそこまで広くはない。


 ──今度こそ、守ってみせる。

 そんなことをなんとなく考えながら、ハザマサは道の先をじっと見据えた。




 やがて、それは姿を現し──見つけた、と下卑た笑いを浮かべた。




     ◇




 リクたちは二人の荷物を持ち、ダンジョン内を駆けまわっていた。

 焦燥感に駆られ、警戒することも放棄して、二人を探す。


 しかし、どれだけ辺りを探し回ってもゴブリン一匹見つからない。

 脚が短く走る速度の遅いゴブリンが、さほど遠くに行けるはずがないのに。


「ち……どっちに行きやがった」

「なん、で……」


 前には振り返りながら顔をしかめるカガヤがいて、後ろには疲労の滲む悲壮ひそうな表情を浮かべるメイカがなんとか着いてきている。

 リク自身、これ以上走り続けるのも限界が近い。


「…………」


 二人の顔を見て、リクは徐々に歩幅を狭め、やがて立ち止まった。


「なんだ、リク。……疲れでもしたのか?」

 カガヤが不審げな目で見てくる。


「……いや、地図を。確認しようと思って」


 リクは手にした地図に視線を落とし、まだ行っていない道を確認する。

 この先、ダンジョンは複雑に入り組んでいる。

 この道のどこに向かえばいいのか。


 今、俺にできることはなんだろうか。

 ──もっと考えろ。頭を回せ。


「……りっくん?」


「…………」

 闇雲に探してちゃだめだ。これ以上、時間はかけられない。


 地図のまだ埋めていない場所に向かう?

 本当にそれでいいのか。……何かが引っかかる。


 そうじゃない、別の視点で考えるべきだ。

 ハザマサとエルがどこに行ったかじゃなくて、あれだけの数のゴブリンが一体どこから現れたのか。ゴブリンは魔獣じゃなく亜人種だ。湧いたとは考えられない。


 ほかにゴブリンについて知っていること。

 役立ちそうなことは──。


「……巣だ」

 ふと、思いついたことを口にする。

 言ってみれば、その考え自体の信憑性しんぴょうせいが増した気がした。


 カガヤが体ごと振りむいて眉を寄せる。


「巣、だと?」


「……。もしかしたら、あの場所に巣穴があるのかもしれない」


 ゴブリンの習性。コミュニティを作ることがあると聞いていた。

 とすれば、巣を作る可能性だってある。


 ずっと、どこからか分からない視線を感じていたことにも説明がつく。

 ゴブリンがリクたちの気付かない場所にひそんでいたのだとしたら。


 ──例えば地中とか、壁の中だとか。

 荒唐無稽こうとうむけいな話だが、考えてみれば辻褄つじつまはあう。


「ってことは、今からあそこまで戻るの?」


「…………」

 メイカのもっともな問いにリクは閉口する。


 二人を探してそこそこの距離を走ってきた。

 ここから戻って、巣がなかったら。勘違いだったら。ただの大幅な時間ロスになる。そうなれば二人を助けられる可能性も低くなる。

 それだけ事態は急を要するのだ。


 それが分かっていて、カガヤもメイカもそれ以上何も言わない。

 ──分かっている。リクの決断を待っているのだろう。


 ただの推測だが、言い出したことに責任を取らなければならない。

 それは正直なところ、嫌だった。

 ……でも、二人を救えないことに比べれば何倍もましだ。


 リクはおもてを上げると、唇を引きしばって、軽く噛んで。

 それから、覚悟を決めた表情で告げた。


「──戻ろう、休憩した場所まで」




     ◆




 たとえ辿り着いても疲れ切った状態では戦えない。

 体力を温存するべく駆け足で道を戻りながら、推測を二人に話す。


「確証も何もないんだけど。……横穴があるんだと思う」


「横穴?」

 隣を走るメイカが首を傾げる。


「うん。……壁が岩っぽいから考えてもみなかったんだけど、よく考えたら、あの短い時間でハザマサと怪我をしたエルがゴブリンから逃げて、それで俺たちの目の届かない場所まで行くなんて考えにくい……と思うし」


「煮え切らないな」

 カガヤが振り返らずに言ってくる。


「それは……ごめん」

「そもそも。音も聞こえなかったし、横穴なんて本当にあるのか?」


「……。可能性は、結構あると思ってる」


 ──例えば、実は岩陰にあったとか。そこまで詳しくはマッピングもしていないし、その可能性は十分にあるだろう。

 ハザマサがその方向に逃げるかという懸念点けねんてんはあるが、切羽詰まった状況下で、合理的な判断ができたかは曖昧だ。

 また、ゴブリンの襲ってきた方向に対して逃げるように動いたなら、誘い込まれた可能性だってある。ゴブリンは人間相手に罠を張るくらいには賢い種族なのだ。それくらいのことはやりかねない。


 音については説明を付けられないが、他の部分は確証に近いものを得ている。


 カガヤは息継ぎか溜息か分からない息を漏らした。


「ならそれでいいだろ。はっきりしろ。俺はその判断に従うだけだ」


「……分かった」


「それより、もし仮に横穴があったとして、どうする気だ?」


「どうするって?」

 質問の意図が分からず、リクは聞き返す。


「盾役が一人いない状況で、敵の数も分からない。それでも行くのか」


「──……」

 それは、なんとなく考えにあった問いだった。


 ゴブリンは大した強さじゃないことはさっきの戦闘で分かった。

 でも、群れられればどうなるか分からない。

 数は絶対でこそないが、有利不利は確実に変わる。


 ただ、助けを呼んでいてはどう考えたって間に合わないだろう。

 エルだって、負傷の具合がどうなのか分からない。もしかすると今すぐにだって神官ギルドまで連れて行かないといけない傷かもしれない。

 最悪の場合、全滅だってあり得る判断だ。カガヤとメイカにはそれに付き合わせて、危険を冒してもらうことになる。


 ──だけど。


「……。それでも、行くよ」

 何もせずに後悔するのだけは、どうしても受け入れられなかった。




 そうして、短くない距離を駆け足で戻って。

 道中で大まかな作戦会議も済ませた。


 休憩を取った場所まで戻ってくると、全員で手分けして壁を調べた。

 しばらくして、メイカが手を挙げ声を上げた。


「……! りっくん、かーくん。あった!」


 ──果たして、横穴は見つかった。


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