第15話『僅かな油断』




 連日、リクたちは暗渠あんきょほらに潜った。


 グレムリンは露店で角も売れ、魔石分と合わせてコボルトよりも稼ぎになる。

 数はそこまでいないうえに群れることもないため、最終的に稼げる額としてはそこまで変わらないのだが、早く発見できればコボルトよりも狩るのが楽だ。


 探索を続けるうちにゴブリンにも何度か遭遇した。


 先の曲がった長い鼻の目立つ醜悪しゅうあくな顔に、浅黒い肌。子供くらいの体躯。

 特徴としては目が弱く太陽の光を嫌う性質があり、十数匹のコミュニティで洞窟内に住むと聞いていたのだが、遭遇するのは決まって単体だった。


 ただ、こちらは狩れなかった。

 理由は単純。見つけるたびに逃げられるからだ。そもそもあまり好戦的な種ではないのか、狡猾こうかつと聞くため、戦力差を考慮して逃げているのか。

 そこは分からないが、魔石を持たない亜人種ということでグレムリンよりも稼ぎにならない可能性が高い。襲ってこないなら無視するのがいいだろう。


 マッピングもここ数日で大分進んで、今日はもう少し足を伸ばそうということに決まった。できる限り分かっている道を通って、奥の方まで探索するのだ。


 何度か通った道をなお注意深く調べ、地図上未踏のルートへ。

 目的の場所まで、行きに出くわした魔物はグレムリン一匹だけだった。

 相変わらずゴブリンの出現頻度は低い。


 頻繁に戦闘があったわけではなくても、長時間歩いていると疲れてくる。息切れするほどではないが、ダンジョンに潜る前と比べて体はやや重い。


 リクは常時周囲の警戒をしなきゃならないし、エルも少し進むたびに地図に周囲の状況を書き記している。各々重たい荷物だってあるのだ。

 ハザマサやカガヤは疲れを訴えることはないが、装備がそもそも重いはずだ。


 メイカは、マッピングをするエルの代わりにとメイスを背負っている。

 最初は意気込んでリクの後ろを歩いていたが、今は列の最後尾あたりを歩いているあたり、彼女も相当疲れてきているのだろう。メイスは女の子には重いし。


 地図をまっすぐ置いて、右端を壁沿いに行った突き当りにある広間。

 エルが紙面にペンを走らせ、そこでハザマサが立ち止まり号令をかけた。


「──皆さん。帰りのこともありますし、ここらで休憩を挟みませんか?」


「だってー……エルちゃん」

 その場で足を崩して座り込みながら、メイカがエルに話しかける。


「……そうですね。私も、ちょっと疲れました」

 とエルが肩を落として息を吐き、メイカに笑いかける。


 ハザマサはその様子を流し見てから、

「壁際で休憩を取りましょうか。あっちの壁のあたりで」


 行き先に視線を向けながら告げ、メイカの側に行って手を取り立ち上がらせた。


「ありがとー、はーくん」

「いえ。カガヤさんもリクさんも、それで大丈夫ですか?」


「ああ」


「……ん」


「リクさん?」

 微妙な返事を返したことでハザマサが聞き返してくる。


 今もまだ、謎の視線は感じている。

 それがなくなる場所まで行けたらと思ったが、ダンジョン内でそんな場所はほとんどなかった。直接的に害があったわけでもないし、提案するだけ野暮だろう。

 メイカは既に座り込んでいるし。


「いや。ちょっと、ね。……嫌な予感がしたんだけど、気のせいかな」

 肩を竦めて、リクは言った。




 休憩中の見張りといっても、特別なことをするわけじゃない。

 いつでも戦闘に対応できるように立った状態で、周囲に視線を巡らせる。

 ただそれだけだ。


 ふと、仲間の方にちらりと視線をやる。


 カガヤは相変わらず一匹狼といった様子で、一人離れたところで念入りに戦斧バトルアクスの刃部分を検めている。エルとメイカは地図を見ながら何やら話していた。


 そこで、ほど近くに座っているハザマサと目が合った。


「リクさん。見張り中にすみません。少し、いいですか」


「うん?」


 視線は見張りのために別の方向を見ながらも、耳を傾ける。

 ハザマサが改まって話しかけてくるときは大抵、大事な話があるときだ。


 案の定、ハザマサは小さく深呼吸をしてから話を切り出した。


「唐突なんですけど。……ひょっとして、リクさんは、現状に不満とか不服とか。……そういうのがあったりしませんか」


「不満って……何に?」

 本当に唐突な問いかけに、リクは表情に疑問符を浮かべて聞き返す。


「主には、今の狩場や生活にです。稼ぎが然程変わらないので。以前リクさんが言っていた欲しいものを買いたい、ってとこができていないんじゃないかと」


 確かに、生活水準を上げたいどうこうは話した気がするけど。

 でもそれがすぐに叶うとは思っていなかったというか。

 急ぎの目標ではない。


 でも、もしかするとハザマサはそれを考慮して狩場を変えたのだろうか。


 少し考えてから、リクは口を開く。


「……不満とか、考えたことなかったかも。生活水準は確かに上げたいし、目標ではあるけど。それ以上に毎日忙しいっていうか、そりゃまあ大変だけど、充実はしてる気もするし。……それとも、ハザマサは今の狩場が嫌だったり?」


 リクが聞くと、ハザマサは申し訳なさげな表情を作った。


「ダンジョンだと全方位に警戒を張り巡らす必要があるぶん、道中、どうしても負担をかけることが多いと思います。……俺も力になれたらとは思うんですけど」


 険しい顏でそんなことを考えていたのか。

 だとしたら見当違いだ。


「……ハザマサなら、十分力になってくれてるよ。皆のことよく見て指示をくれるし、気遣いだけでも嬉しいし。戦闘の時だって、ハザマサがいないとパーティに盾役がいないからさ。俺たちだって安心して戦えないよ」


 上手いことが言えずに、誤魔化すような笑いがリクの言葉に混じる。

 でも、ハザマサは自己評価以上によくやってくれている。むしろそれを見てるこっちの方が、なにかやらないといけない気になるというか。


 ハザマサは褒められた割には嬉しそうなのか困っているのか微妙な顔をして、何か言おうとした口を一度閉じ、それから頭を掻いた。


「──……。そう言っていただけて光栄です」


 ハザマサが膝を立て、緩慢な動作でその場に立ち上がる。

 がしゃりと鎧が擦れる音がする。


「見張り。そろそろ交代しますよ」

 腰にある剣の柄に手を当てて、ハザマサは微かに頬を緩ませた。


「もう、いいの? ありがとう。……ちょうど喉乾いててさ」


 ──本当に、一瞬だった。

 ほんの僅かに気が緩んだそのタイミング。


 そこで、岩陰からこちらを覗く光る双眸そうぼうをリクは目にした。




「みんな──」


 ゴブリン、と言おうとした言葉は息が詰まって先が発されなかった。

 そのゴブリンはおおきく振りかぶっていて、何かを投げた。


 ガッ、と鈍い音が背後で鳴った。


 一瞬遅れて、はっと背後を振り返ると、エルが倒れていた。


 光景にぞっと背筋が凍りつく。


 頭に喰らったみたいで、鮮血が散っている。細い指先が震えている。手はだらんと垂れていて、怪我をしている頭に触れようとしない。

治癒リカバー】を使うべきなのに。──それとも、そうできないのか。


「────!」

 頭が真っ白な中、ハザマサが何かを叫んでエルの前に立った。


 カガヤとメイカは既に動いていた。ゴブリンが隠れた岩陰へ向かって走っていく。そこでようやくリクは自分がすべきことに気が付いた。


 二人の後を追い、軽装もあってすぐに並び立つ。

 岩陰に入るとそこには、四匹ものゴブリンが待ち構えていた。


 一匹は素手、残りは短い棍棒持ちだ。

 防具は腰巻のようなもの以外着けておらず、浅黒い肌がぬらりと光っている。


「ちっ──〈煽動インサイトメント〉!」


 ここでも最速で判断を下したのはカガヤだった。〈煽動インサイトメント〉の奇跡でゴブリンの敵意を煽る。先頭二匹が釣れ、カガヤの方に向かっていく。


 だが、後二体はリクとメイカの方に走って突っ込んでくる。

 リクはまだいいが、メイカは近接に持ち込まれるとマズいことになる。


 趨勢すうせいを見てリクは背後にいるであろうメイカに指示を飛ばす。


「メイカは下がって援護を!」

「う、うん!」


 戦いが長引けばエルの元に戻るのにも時間がかかる。

 メイカを危険にさらす可能性も増える。


 初めて戦う魔物相手に可能かはさておき、速攻で決めるしかない。


 視界に入るのは棍棒持ちの二匹のゴブリン。ありがたいことに列になって一匹ずつ向かってきてくれている。手元は見ない。後ろも振り返らない。

 ただ、間合いだけを測って。


「ギャェエエエエエエッ⁉」


 手が届く範囲にそいつが触れた瞬間、リクはダガーを鞘から引き抜いた。

 手首のスナップを利かせて斜め上へと斬り上げる。


斜刃スラント〉。刃は寸分の狂いもなくゴブリンの喉を裂き、どす黒い血を散らす。

 だが、手ごたえが足りない。──浅い。


「く……」

 思わずバックステップを踏みそうになり、踏みとどまる。

 メイカがいるのだ。腰をえて戦うほかない。


 ギャッギャッと不快感を煽る声を発しながらゴブリンは棍棒を振り回す。

 紙一重。咄嗟とっさにダガーを横に構えて攻撃を受け止める。


「ッ……!」


 受けられないほどじゃないが、かなり重い。

 まともに食らえばただじゃすまない。


 そのうえ二匹目が追い付いてきた。

 ──上、横、斜め。攻撃自体は見えるが、こちらの動作に移れない。間断なく波状に棍棒が飛んできて、避けるだけで手一杯になる。


 焦りは緊張を生み、動作を鈍らせる。

 冷静になれ。相手の動きを認識しろ。ゴブリンの攻撃は不規則だが、リズムはある。手負いの方は棍棒の振りがやや遅い。


 やれるはずだ。


 ゴブリンは醜悪な顔を勝ち誇った表情で更に歪める。


 ──この人間は弱い。手にしている武器は危険だが、それだけだ。必死の形相で躱し続けているが、すぐに限界が来るだろう。

 怪我をさせられた分、しっかりと仕返しをしてやる。


 リクが大袈裟に棍棒を避け、体勢を崩し地面に片手をつく。

 ゴブリンの顔の歪みが一層皴を増やす。

 これで終わりだと言わんばかりにゴブリンがひと際大きく棍棒を振りかぶり、リクの頭蓋めがけて渾身の力を込めて振り下ろす。


 その分かりやすい大振りの一撃を、リクは見ていた。


 ダガーを振り下ろされる棍棒に対しほぼ垂直に構え、刃の側面を滑らすように使って逸らす。斥候スカウトがよく使う技能スキルの一つ、〈受け流しパリィ〉だ。

 棍棒を受け流し、返す刀で突きを繰り出す。


「グェエエエ?」


 そんな間の抜けた声が発されて、喉笛にダガーが根元まで突き刺さる。

 手を伝い二の腕まで伝わる嫌な感触を無視して素早くダガーを引き抜くと、手負いだったゴブリンがどさりと地面に倒れる。


 弱いはずの人間に仲間がやられた? と。もう一匹のゴブリンが分かりやすく動揺して、こもった声を発しながら一歩後ずさる。

 その瞬間を狙い澄まして、リクの背後から火球が飛来した。


 メイカの放ったであろう火魔術はゴブリンの手を捉え、棍棒と一緒に細い指を弾き飛ばす。相変わらず凄まじい威力だ。

 ゴブリンが聞くに堪えない悲鳴を上げる。


 畳みかけようとして、そこで。


「くそっ! どこから、こんな──……ッ! 皆さん、気を付けて──!」


 ──地面を踏み荒らす足音と共に、ハザマサの叫びが聞こえた。

 そして、それきり足音も声も急に止んだ。


 思考が停止しかける。ただ、体はそのまま動いていた。


 リクは思い切り地を蹴った。武器を失ったゴブリンがそれでも防御をしようと、左右の細腕を交差させ、滑稽こっけいなポーズを取る。

 順手に持ち替えたダガーをガードの隙間に通し、心臓目掛けて一突き。ダガーは刃の半ばほどまで刺さって、その手ごたえが確かなものであることを示す。


 ゴブリンが倒れるのを待つ余裕もなかった。


「ハザマサ!」

 首を振り向かせ名前を叫ぶ。返事は返ってこない。


 視界を左にずらせば、カガヤが蹴倒したゴブリンに戦斧を振り下ろしているところだった。ギィン、と轟音が鳴り響いてその命を断つ。

 他に立っている影はない。もう一匹のゴブリンも仕留めたのだろう。


 カガヤの無事を確認したところではっと振り返り、リクはメイカと並んでハザマサたちのいる方へ駆け出す。

 エルの容態が心配だし、さっきの叫びもそうだ。


 岩陰から息を切らして元の場所に戻ってきて、愕然がくぜんとする。

「…………っ」


 メイカがきょろきょろと不安げに周囲を見渡している。

 カガヤも追いついてきて、少し後ろで地面を踏む音が聞こえた。


「ハザ、マサ……エル?」

 リクはぽつりと呟く。


 地面に落ちているのはバックパックと地図、エルのメイス。




 そこに二人の姿はなかった。

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