第5話『斥候ギルド/宿舎』




 辺りが夕焼けに染まっていき、人通りが徐々に少なくなっていって。

 石階段や坂を上るのにも足が疲れてきた頃。


 道を間違っていないか不安になる。それくらいに人の気配のない閑散かんさんとした通りを抜け、リクは石柵に手をかけると、眼下に広がる光景を一望した。


 エル・フォートの街はなだらかな崖の側面にある。リクが立っていたのは、街のほとんど全貌が見渡せる高台だった。


 石で造られた灰色の景観に、点々と緑青ろくしょうの屋根が見える。街の出入口には関所らしき建物があって、巨大な門を構えている。

 その奥には広大な森がどこまでも広がっていた。森に面する側は、特に高い石壁や巨大な木の柵に囲まれている。

 魔物対策、なのだろう。街から伸びる高い塔は見張り台だろうか。


 そうして一息ついてから、リクは振り返った。


 目の前には石造り──というよりは、崖の側面を掘削くっさくして穴を開け、そこに扉を取り付けただけのような簡素な家が一軒。


 扉には何か文字が掘られている。ギルド名とかだったらいいんだけど、それにしては使われている文字数が多い気がしなくもない。


「……間違ってない、よね」


 エリオダストから聞いた話だと職業ギルドの外観まで間違いない。

 ここだろう。というかこんな場所までやって来て、間違ってましたは嫌だった。

 割とお腹が空いてきていて、来る前に何か食べてくれば良かったと思う。


 じっとドアの造形を凝視する。カギはついていないらしい。


「すみません。誰かいませんかー……?」

 返事はない。再度繰り返し呼びかけても、結果は同じだった。


 既に閉まっていたのだろうか。それとも、やっぱり間違えた……?

 でも、このまま帰るのは気が引けた。他の皆が職業に就いて帰ってくる中、一人だけギルドに加入できないのは辛い。


 仕方なくドアの取っ手に手をかける。

 ドアの蝶番ちょうつがいは古びているのか、ギィと大きな音を立てて軋んだ。


 奥は暗く、躊躇ためらいながら足を踏み入れる。

 と、その時だった。足に何かが触れた気がしてリクは視線を落とす。


 ──次の瞬間。足元にあったローブがピンと引っ張られ、足を取られた。

「…………っ⁉」


 仰向けにすっ転び、背中を床に打ち付ける。驚愕に目を見開くのも束の間、切っ先のぎらりと光るナイフが飛来し、顏のすぐ横に突き立てられた。

 カッ、と鼓膜を震わせる鋭利な音。


「な……」

 その時点で吃驚きっきょうものだったが、暗い部屋の奥から足音もなく歩いてきたその姿に更なる衝撃を受け、リクは両目を見開いた。


「……ノックをしろと書いてあったはずだが?」


 聞こえてきたのは低い女性の声。

 張り詰めた空気を裂いて現れたのは、一人の少女だった。


 色褪せたような灰色の髪。ぼさっとしたサイドの長いボブヘア。

 背は低く、ジトっとした目がこちらを見下している。全体的に纏う雰囲気として、ややダウナーな印象を受けた。

 体に張り付くぴったりとした服装。服の色は黒寄りの鼠色。


 ──絶句。


 ギルドの説明時、エリオダストが「斥候スカウトギルドの指南者ですが──見ても驚かないでくださいね?」と言っていた理由がよく分かった。

 想像していたよりもずっと、背が小さい。

 ただ、そう口にしたらその瞬間ナイフが心臓に突き立ちそうで言えない。


 ただならない雰囲気にリクはごくりと息を呑む。


「ノックは……気付きませんでした。……すみません」


 急に転ばされたことに怒りを感じないことはなかったけれど、だからといって突っかかっても確実に勝てない。それくらい目の前の彼女は隙がない。

 いや、別に勝つ気も戦う気もないんだけど。


「──なんだ、迷い子、か」

 少女──改めその女性は、リクの格好を見て深く溜め息を吐いた。


「……文字が読めないのなら、悪いことをした。新人で斥候スカウトギルドを叩扉こうひする者は珍しい。まだ加入する気が残っているなら歓迎しよう」


 近くまで歩いてきた彼女はリクの手を取って、立たせてくれる。

 その白い手は見た目と反して固かった。何かを長く握っている人の手だ。


 外見年齢はリクより年下にしか見えないが、実際はそうでもないらしい。年齢については気になるけれど、身長よろしく触れない方が良さそうだった。


 リクは腰の巾着袋の紐を解き、銅貨を手探りながら、

「よ、よろしくお願いします。……あ。俺、リクって言います」


 彼女は床に刺さったナイフを抜いて、くるっと手の中で回転させる。手の動きが早すぎて、どうやったのか全く視認できなかった。


「フェインだ。加入は結構だが……今日はもう遅いな。加護の付与と説明だけ済ませる。強くなりたければ、明日から五日、欠かさず通うことだ」


 五枚の銅貨を受け取って、フェインは斜め掛けにしてあるポーチから小さな付与水晶を取り出し、リクに手渡してきた。




     ◇




 その日はフェイン──師匠と呼んでもいいと言われた──から、他のギルドに加入したり加護を得てはいないかを確認され、加護の付与と斥候スカウトギルドについての説明を受けて、外が暗くなり切る前に返された。


 たまわった加護は《影歩えいほの加護》という加護だ。

 魔物から自身へと向けられる認識力が低下する効果があるらしい。


 自分以外に効果が適応される加護があるんですね、とリクが問いかけ気味に言うと、フェインは加護について簡単に教えてくれた。


「──加護というのは遥か昔、ミスルトゥにいたとされる神々の力の一片だ。神々はこの世界に巣食う魔物やそれに準ずる存在と余程仲が悪かったようでな。加護効果のほとんどが、魔物と戦うときに適応されるものだ」


「……そもそもなんですけど。なんで、人は魔物と戦うんですか?」


「無論、人に害を成すからだ。直接人を襲うこともあれば、家畜を狙う、群れて街を潰しにかかることすらある」


「街を潰す……って」


「エル・フォート南東には既に攻め落とされた元防衛都市がある。今は魔物の住処だがな。──この区画もいつそうなるか、分からない。侵略された地の奪還も兼ねて、私たち探索者シーカーは戦っている。……これで納得がいったか?」


 説明を聞いても全くもってピンとこなかった。

 フェインクラスの探索者シーカーがいて、エル・フォートが攻め落とされる可能性があるというのがいまいち理解に苦しむ。


 いや、実際に彼女が戦っているところを見たわけではないのだが、明らかに強そうだし。実際強いのだろう。探索者ギルドにいた面々だってごつい武器を持っていて強そうで、誰も彼も魔物にやられているイメージが湧かない。


 というか魔物がそんなに強い存在なら、俺が太刀打ちできる魔物なんて存在するのか……? なんてことまで考えてしまう。


 リクが無言でいると、話が逸れたな、とフェインは斥候スカウトギルドの説明に戻った。




 リクは宿舎へ向かう前に、商店街の屋台に寄って夜ご飯を済ませた。

 驚いたことに、商店街は昼間以上に人でごった返していた。

 探索者ギルドにあったものと同じ照明器具で、どの屋台も明るく照らされていて、遠目からでもかなり目立った。商店街自体の活気も凄い。


 おそらく街の外で活動していた探索者シーカーが帰ってきたのだろう。武装している人の割合も増えていて、肩身が狭い思いで列に並んだ。

 そもそも列に並ぶかすら悩んだわけだが、空腹には勝てなかった。


 銅貨一枚を店主に手渡し、返ってきたお釣りを巾着袋に仕舞いながら、受け取った串焼きにリクはすぐさまかぶりつく。


「……うま」


 ミスルトゥに来て初めて口にした食べ物は串に刺さった謎の焼き肉だった。

 屋台の店主に聞くと、カウシという家畜の肉らしい。


 味付けは大味だったが、なかなかに噛み応えがあって、相当お腹が空いていたこともスパイスになって美味しかった。

 一本では足りずにその場で追加でもう一本追加注文し、その後少し後悔した。


 喉も相応に乾いていたが、ギルド宿舎に行けば無料の飲み水があるとエリオダストから聞いていたため、ここは我慢した。


 商店街の人混みを抜けて、巾着袋の口を緩め、改めて中身を確認する。

 中に入っているのは銅硬貨四枚に青銅硬貨八枚が、白磁硬貨六枚。

 残高合計は四八六セル。斥候スカウトギルドで支払ったのが五〇〇セル。カウシの肉が一本七セルだったらしい。


 ここから更に、毎日宿舎代で三〇セルずつ減っていく。

 相場は分からないが、ご飯代を節約して一日三〇セル程度に抑えられたとして、斥候スカウトギルドの修練が終わるころには一五〇セル程度になってしまう。

 そう考えると、早く稼げるようにならないとと焦りが先行してくる。


「あ! おーい、りっくーん?」


 ふと、聞き覚えのあるような声が聞こえてリクは顔を上げた。

 そこでやっと、自分がギルド宿舎のそばまで帰ってきていたことに気付く。


 声の聞こえた方を見れば、ポニーテールににこやかな笑みを湛えた少女──メイカが手を振りながら駆け寄ってきた。


 一応、自分の周囲に他の『りっくん』らしき人物がいないことを確認してから、リクはメイカに手を振り返した。


「……お疲れさま、メイカ。今、戻ってきたところ?」

「うん。りっくんもだよね。ふふ、お疲れさまー」


 すぐそばまでやってきたメイカはやや間延びした喋り方で話す。

 なぜかは分からないが機嫌が良さそうだった。


「りっくんは何ギルドに行ったんだっけ?」

斥候スカウトギルド。入ったら急に襲われて、死ぬかと思った」


 リクは転んだ際に軽く打った後頭部をさすりながら返す。


「そうなの⁉ すっごく怖い人がいたってこと?」

「ああ、いや。……勘違いだったみたいで、話すといい人だったんだけどさ」


 フェインは斥候スカウトギルドの指南役を務めているだけあって、リクが疑問を投げかければ答えてくれたし、説明も分かりやすかった。

 明日からの修練も期待できそうだ。


「そうなんだ、良かった。私はねー」


魔術師メイジギルド、だっけ」


「……あれ、言ってたっけ?」

「職業ギルド行く前に皆で確認したよね。被りがないようにって」


 ハザマサが騎士トルーパー、カガヤが傭兵マーセナリー、エルが司祭プリーステスで、メイカは魔術師メイジだ。

 前衛三人に後衛が二人。セオリーだとかは全く知らないし分からないけれど、悪くないパーティ構成に思える。


 メイカは「そっかそっか」と少し照れ気味にはにかんだ。

 そんな頻繁に笑みを向けられると心臓に悪い。ただでさえ距離感が近いんだし。


「そういえば他の皆は、えっとー……」

 と、メイカは周囲をきょろきょろと見渡して、急に背伸びをした。


「あれ、エルかな? ちょっと行ってくるねー」


 そう言って、また駆け寄って行く。

 遠目に見れば、確かにその人影はエルのようだった。


 そこで、ざっざっと石畳を踏む足音が聞こえて、リクは振り返る。

 あとの二人も、いつの間にかやってきていた。


「えっと。……お疲れさま、ハザマサ。カガヤ」


「お疲れ様です。リクさん」

「俺たちで最後か」




     ◆




 それから全員で合流し、今日あったことを少しずつ話してから、宿舎の受付で設備説明を受け、今日の分の宿泊代を支払った。


 設備は寝室にお風呂と井戸、調理場は敷地内の外にあって無料で借りられる。

 洗濯は井戸のそばに桶と板があるため、それを使って洗うらしい。といっても、今のところは一張羅いっちょうらしかないため洗うと服がなくなるのだが。

 盗難や紛失などといったトラブルは自己責任だ。


 宿舎は男女別でどちらも四人部屋と聞いていたため、誰か知らない人と相部屋になる覚悟はしていたが、通された部屋に入ると誰もいなかった。


 誰かの荷物もなかったため、今は誰も入っていないのだろう。その辺りの説明がなかったことを考えると、今後人が入ってくる可能性は捨てきれなかったが、ひとまずは安心できそうだった。ほとんど初対面なのはハザマサもカガヤも変わらないが、同じ境遇の三人同室というのは少なくとも心細さは薄れる。


 部屋は二階で、大きな窓が一つにベッドが四つあるだけの簡素な部屋だった。

 ベッドも木製の硬いものに薄い干し草が敷かれただけで、寝転んでみたはいいものの、よく軋むし、お世辞にも寝心地が良いとは言えない。


 それでも、肉体的にも精神的にも疲弊ひへいしていたのかもしれない。

 ベッドでしばらく横になっていると、眠気が襲ってきた。


 部屋に入ってからは他愛ない会話やベッド決めの時を除いて、リク含め三人はほとんど無言を貫いていた。それぞれに考え事に耽っていたのだろう。


 考え事は山ほどあった。というか、気になることばかりだ。


 ──例えば。リクたちはなぜこの世界に来たのか。そして、何をすべきなのか。

 まだミスルトゥについてほとんど分かっていない。考えても答えは出ないかもしれない。それでも、理由は気になる。

 目標だって、生きる以外に何もない状態じゃ向かう先が分からない。


 今後のことやお金のこと、食事についても気になる。

 けれど、どれについても情報が足りない。


 思考が徐々に纏まらなくなっていく。……眠い。

 明日からは早い。眠いうちにさっさと眠ってしまうのが吉だろう。


「……おやすみ、二人とも」

 無言で寝入るのも気が引けて、短く挨拶をしておく。


「おやすみなさい」

「…………」


 そうしてミスルトゥにやって来て、初日の夜が更けていった。

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