第2話『イホロイ』




 料亭ロデュリカで祝勝会を上げた、次の日。

 まだハザマサが本調子ではなかったのと、装備の修理や打ち直しも終わっていないことから、丸一日休日とすることにした。


 洗濯ものを取り込み、朝の素振りを終え、水浴びをしてからもうひと眠りして。

 次に起きた時にはお腹が減っていたため、街へ出ることにした。

 二人がいたら誘おうかとも思ったのだがいなかった。きっと、リクと同じようにお腹が空いて、ご飯でも買いに行ったのだろう。


 石畳の舗装路を、意味もなくすり足気味に歩く。偵察のせいというかお陰というか、最近は足音を立てずに歩くのが癖づいてしまった。

 似たような歩き方の人を見かけると同職なのが分かる。

 まるで役に立ちそうにない特技だ。


 噴水広場を通り、蹴上けあげの低い石階段を上って商店街へ。

 ふと頭上に大きな影がよぎって空を仰ぐと、見たこともない巨大な鳥が飛んでいた。路地に入っていく小動物の姿があったり、水路に魚の影が見えたり、昼間のエル・フォートでは改めていろいろな発見がある。


 探索者という職業上、明るいうちに街を歩くことは珍しい。

 というか、休日でもない限りほとんどない。

 朝のうちに色々と準備を済ませて、昼は魔物を倒しに街を出て、昼食もそこで食べ、帰ってくる頃には夜のとばりが降りてくる時間になるからだ。


 露店で昼ご飯を買い食いして、噴水広場まで戻ってきた。

 それから、ふとした思い付きでリクは普段と反対方向の道へと向かってみる。


 情報収集の意味も込めて、街を歩いてみることにしたのだ。

 エル・フォートは広い。きっとまだまだ知らない施設もたくさんある。


 そうして、リクは街を歩いた。


 移動手段が欲しくなるが、あいにく徒歩しかない。

 大通りでは時折、魔物らしき大きな蜥蜴とかげが引く四輪の車を見かけることがあるのだが、きっとリクたちが手を出せる値段ではないだろう。


 しばらく歩いていると、道が徐々に太くなってきた。

 大通りや商店街ほどではないが、昼間のエル・フォートの割には人通りもあり、看板を高々と掲げる店がまばらに並んでいる。


 看板に書かれてある文字を何となく読み、描かれたジョッキの絵を見る。多分、酒場が多い。案内所、と書かれた看板もあるが、何を案内するのかは分からない。


 一番大きい看板を立てる酒場の、入口の脇に立って。

 ふと、カガヤが最初の頃に行っていた酒場のことを思い出す。


 探索者シーカーは情報を売る。その値段はまちまちで、相場なんてものはない。だが、その口が緩む瞬間もある。腹が満たされた時と酒を飲んだ時だ。

 だから、酒場は探索者シーカー同士の情報交換の場としてよく使われる。


 ……ここなら、何か情報を仕入れることができるだろうか。

 カガヤが魔物の情報を仕入れてきたみたいに、ハザマサが新たに潜るダンジョンのことを教わってきたように。


 手持ちのお金は十分にある。ギルドに預けるのを忘れたからだ。

 それに、お酒を飲もうというわけじゃないのだ。ただ少し、寄るくらいなら。

 そんな風に自分に言い訳をして、リクは酒場の扉を潜った。


 店内の照明は暗く、丸いテーブル席がまばらに置かれている。

 料亭と違って店員が来るわけでもなく、好きな席に着いていいっぽい。


 昼間だし、中は閑散かんさんとしているのではと思っていた。

 だが、そんなことはなく、昼間から飲んでいる探索者シーカーの客が多くいた。リクとしても昨日のことがあるため、人のことは言えないが。

 外の様子からすると相当賑やかに感じるくらいだ。


 そこかしこで品のない笑い声が上がったり、かちゃかちゃと食器の音がする。

 肉っぽい匂いが漂ってきて、さっきご飯を食べたはずなのにお腹が鳴る。酒場らしく酒の匂いもして、くらっときそうになる。


 雰囲気は大体イメージ通り。

 あとは誰かに話しかけて、知りたいことを聞くだけだ。


 なんだけど。


 ……ただ、困ったことがある。大体の探索者シーカーが集団でいることと、仲間内で盛り上がっていて気軽に話しかけられそうな雰囲気でもなさそうなことだ。

 情報収集を甘く見ていた。無理だ、これ。


 カガヤはどうやって他の探索者シーカーから情報を聞いたのだろうか。

 自分のコミュニケーション能力の皆無さに閉口する。何も思いつかない。

 あの和気藹々わきあいあいとした中に入っていって、「ちょっと聞きたいんですけど……」とか、できる気がしない。絶対無理だ。


 そんな風に店の入口で立ち尽くしていると、新たな客が入ってきて肩を後ろから押しやられる。若干むっときたが、入口で突っ立っていたのが悪いと思い直す。


 やっぱり帰ろうかとも思ったが、店に入った以上、何も頼まないのも悪い気がして、奥のカウンター席へとそろりそろりと歩いて行く。


 カウンター席、その端っこにリクは腰掛けた。

 メニューを手に取り、なぜだかがっつり緊張しながら一番安い食べ物を探す。

 酒場のメニューは露店と比べて割高だ。節約しなければ。


「あの」

「…………」


「……あのっ」

「え、あ……、ごめんなさい、今から帰るんで……!」

 背後から声をかけられたことにテンパって、がたりと椅子を引いて立ち上がる。


「……あれ、帰っちゃうの?」


 再び聞こえてきたのは、どこかで聞いたことがあるような声だった。

 ゆっくりと振り返り、リクはその姿を視認する。


 そこに立っていたのは酒場の雰囲気に似つかわしくない、一人の少女だった。

 リクと似たような恰好。露出こそ少ないが身体のラインが出やすい服装を隠すように、上から少しぶかっとしたケープを羽織はおっている。


「……あ」

 整った幼顔おさながお。色素の薄い髪に、頭の横で括られたサイドテール。確か──


「ユキ」


 ぽつりと名前を呼ぶと、少女はくすくすとこらえ切れないといった風に笑った。

 さっきのリクの反応が面白かったのだろう。言い訳もない。


「うん、覚えててくれたんだ。リクさん、だよね?」

「……うん」


「ごめんね、後ろから急に声かけたりして。……隣、座ってもいい?」




     ◆




 料亭と同じく先払いで代金を支払って、唐揚げの串が三本やってくる。

 一本だけちまちまと食べながら、ユキと会話を交わす。


「そっか、情報収集のために来たんだ」


 ユキがリクの言葉に納得したように頷くと、頭の横で一つ括りの髪が揺れる。


「……まあ、上手くはいかなかったんだけど」

 実はびびって話しかけることができませんでした、とは言えない。


「ユキは? もしかして、お酒とか飲むの?」

「さすがに昼間からは飲まないよ。ちょっと、待ち合わせで」


 酒を飲みに来たわけではなく、誰かと会う予定らしい。

 確かにそちらの方がイメージしやすい。いや、イメージとかないか。


「でも、入ってみたら怖そうな人が多くって。知ってる人がいてよかった」

 そう言って安堵したように息を吐き、はにかむユキ。


「……そっか。なら、よかった」

 一瞬ドキリとするが顔には出さないよう努め、リクは頼んだ唐揚げを口に運ぶ。


 それからは、ユキの待ち合わせ相手が来るまで一緒に話した。


「へぇー……木で食器を作るの? 手先、器用なんだ?」

「まだ大して上手くないし、フォークは難しくてスプーンしかできないんだけどね」


「ふふ、そうなんだ。私は最近は料理が趣味かなあ。色々試すのが楽しくて」

「宿舎で仲間の人? と一緒に料理してるよね」


 以前、昼ご飯を買って部屋に戻るとき、別の女の子と一緒に食事処しょくじどころ隣の調理場で料理をしていたのを見かけたことがある。

 こちらから声をかけるのははばかられてその場はスルーしたが。


「知ってたんだ。声、かけてくれたらよかったのに」

「……じゃあ、次見かけたら」


「うん。それじゃ、その時は御馳走ごちそうするね。あ、お友達の分がいるなら先に話してくれると嬉しいけど……」

「それは──考えとくよ。また、その時に」


「リクさんは──」

 話し込んでいる最中、ユキがふっと上半身ごと首を後ろに回した。


 そこで首の角度を止めたユキの視線を辿って、リクは背後を見やる。

 そして、そこに立つ人物に、手にしていた唐揚げの串を皿の上に落とした。


 場の空気感が一瞬にして切り替わるような感覚。


「あんたがリク、か」


 ……一切の混じりがない黒髪。顔や背格好にも見覚えがある。

 でもそれ以上に、指向性を持った敵意染みたものがリクに警戒を促す。


 手の甲までを覆う籠手に鎖帷子を着込んだ戦士らしき出で立ち。

 ミスルトゥに来た初日、ギルドで、ユキを含めた三人を連れて行った長身の男。

 そのいかつい顏と鋭い視線に射竦いすくめられる。


「少し遅れた。そこがいい、あけてくれるか」


 そう言って、男はなぜかユキを隣の席にずらし、リクの隣に座った。




     ◇




 居心地の悪そうに、ユキが椅子の上で座り方を正す。

 さっきまでとは違う、自然とは遠い笑みを作りユキは口を開く。


「えっと……紹介するね。イホロイさん、私たちのパーティのリーダーで……」


「名前で十分だ」

 イホロイは一言でユキを黙らせて、リクを見定めるような眼で見てくる。


「……えっと、リク。です」


 思わず敬語口調になりながら、名前を言う。

 ただ、イホロイは最初からリクの名前を知っていたようだったが。


「そうか」


 名前だけの味気ない自己紹介。ぴりぴりとした空気感。

 まるで洞窟内にいるときみたいに周囲の空気が淀んでいる気がする。


 明らかに歓迎されている雰囲気ではない。

 なぜだろうか、ほぼ初対面のはずが若干敵視されているような、そんな感じだ。


 誰も喋りだそうとしない、微妙な空気に包まれたまま時間が流れて。

 やがて、そんな状況に焦れたのか、

「……回りくどいのは苦手なんでな」と前置きをして、イホロイは口を開いた。


「あんたは一体、なにをしている?」

 単刀直入。舌鋒ぜっぽうするどく、イホロイが聞いてくる。


「ど……どういうこと?」


 他に誰かいればその人に聞いているんじゃないかと思ったくらい、心当たりがない。

 何か気に障ることをした記憶もないし。

 強いて言うならユキと話していたことかもしれないが、多分違うだろう。


「なら、聞き方を変える。その恰好──探索者シーカーにはなったようだが。探索者シーカーとして、あんたは何をしていた? 何の加護を得て、何を倒した?」


 強い口調と疑訝ぎぎを含んだ眼には、有無を言わさない迫力があった。

 答える道理や義務はないのに、妙な圧迫感に半ば強制されるようにリクは喋る。まあそもそも、隠すような情報でもないはずだが。


「──斥候スカウトになって」

斥候スカウトだと? それで、何が倒せる」

 言葉尻というか真ん中を捉え、かなり食い気味にイホロイが聞いてくる。


「……どれも俺一人でじゃないけど、ウェアラットとか、コボルトとか。最近ゴブリンも倒して──それはかなり危なかったんだけど」


 視線を落とし、これまでの記憶を辿りながらリクが順を追って説明する。


 隣の席から静かに息を呑む音が聞こえて。

 それから──ダン、とカウンター席が叩かれる音が響いた。


 イホロイの奥に座るユキがぎゅっと目を瞑り肩を窄める。

 周囲の喧騒けんそうも一瞬やんで、しばらくしてまた騒ぎ声が大きくなっていく。舌打ちやら呟くような罵声やらも混じって聞こえた。


 びくりと肩を跳ねさせて、リクはイホロイの表情を窺う。赫然かくぜんとして怒気満面に、だがその中に不可解な疑問をはらんでいるような、微妙な表情だ。

 何に対して怒られているのか全く分からない。

 でも、それを口にすれば更に機嫌を損ねる気がして黙り込む。


 機嫌を取る必要はないけど、イホロイに逆らっても勝てる気がしない。

 それにリクとしては、ユキの手前穏便に済ませたかった。


「……なんのつもりだ?」

「…………」


 なんと返せばいいのか言葉を選んでいるリクに、追い打ちをかけるようにイホロイは次の言葉を畳みかけてくる。


「まだそんなところで燻ってるのか」

「……まだ、って」


 イホロイが何に対してまだ、と言っているのかは分からない。

 それでも仲間を侮辱された気がして、気付けば拳を握り締めていた。

 リクは感情のままに言い返しそうになる。


「イホロイさんは──」

「さんはいらない。敬語もやめろ」


 イホロイはそんなリクを見ても一切気後れする様子なく告げる。


「……イホロイは、強いらしいから分からないと思うけど。俺たちだって必死にやってて。それを誰かにどうこう言われる謂れはない……と思う」


 語尾が尻すぼみになってしまって、我ながら情けないと思う。

 でも、間違ったことは言ってないはずだ。


「…………」


 今度はイホロイが黙り込む番だった。

 てっきり何か言い返されるかと思ったが、イホロイはじっとリクの目の奥を見据えてきて、それからふっと索然さくぜんしたようにユキに視線を送った。


「行くぞ」


 立ち上がり、すたすたと歩いて行くイホロイに、慌ててユキも立ち上がる。

 ユキだけでも引き留めたかったが、言えるはずもなかった。


「普段はあんな風じゃないんだけど……ごめんなさい」


 そうフォローをされて、ユキはイホロイに着いて酒場を出て行った。


 酒場のがやがやとした中にいるのに、静寂に包まれたような気分に陥る。


「…………」


 拍子抜けして、心中振り上げた拳の下ろしどころも分からず。

 一人残されたリクは、唐揚げの残りを食べ切って、しばらくしてから店を出た。

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