第3話『混沌/手がかり』




 飛竜ひりゅう墓標ぼひょう


 エル・フォートの街を北上し、高台を上って、柵を越えたその道の先。

 断崖絶壁の壁にぽっかり空いた巨大な穴、洞窟型の迷宮ダンジョンだ。


 飛竜という名が付いてはいるが、このダンジョンでの飛竜の出現報告はない。そもそも羽を広げた飛竜はダンジョン内に収まるほど小さくはない。

 その名の由来は、かつて雷に撃たれた飛竜が断崖に突っ込み、そこに空いた穴にダンジョンができたという話からくるものだ。


 遥か以前は魔素濃度まそのうどが濃く、強力な魔物も出現するダンジョンだったが、エル・フォートでの管理が成された現在では低級のダンジョンとなっている。

 出現する魔物も強力な個体は存在しない。


 地形としても通常の洞窟型で、通路が広く複数の魔物と同時に遭う可能性があること以外は、取り立てて危険度も高くない。

 そのため今は、初心~中級探索者シーカーにとっての狩場になっていた。


 ──そのはずだった。


「ぁ……あ、あ」


 ダンジョン最奥で、紅い目が鈍い光を反射する。


 震える手からカンテラが落ち、パリンと音を立てて周囲を闇に染め上げる。


 砕けた腰で後退りする探索者シーカーの目にはもはや何も映らない。

 既にその辺に転がっているであろう仲間の死体も戦闘跡も、何もかも。


 代わりに両手を合わせて祈る。加護を授けてくれる神々に。

 どうか命だけは。まだ死にたくない、こんなはずじゃなかった、と。


 簡単な依頼のはずだった。

 低級ダンジョンの魔素濃度が上がらないよう、適当にグレムリンを狩る。


 ただちょっとだけ調子に乗って、今日の稼ぎを多くしようと。

 仲間たちと、まだ地図の埋まっていないダンジョンの最奥へと進んだ。

 たったそれだけの選択が、取り返しのつかない間違いだった。



 洞窟の地面、砂利が足裏から離れてざらざらと不気味に音を立てる。振動を立てて足が踏み出され、逃げ場のない探索者シーカーを苛むように、ゆっくりと。

 ──魔物の足が、死期そのものが、暗闇の中で近付いてくる。




「……だ、誰か……っ! 助け……っ──」

 恐怖のままに叫ぼうとした声は、喉に詰まって然程大声にならなかった。




 そこである探索者シーカーの声がまた一つ、途絶えた。




     ◆




 イホロイに対して思うことはある。せない気持ちだって消えていない。

 でも、引き下がられては何も言えない。

 その日の晩、リクは寝る前に、言われたこと──くすぶっているという言葉の意味についても考えてみたが、やっぱり思い当たる節はなかった。




 釈然としない、もやもやとした気分が抜けずに次の朝はやってきた。


 装備の修理は終わったらしいが、前日の夜、「調べたいことがあるので、もう一日だけ時間を頂けませんか」とハザマサに提案され、連日休日となった。

 他の皆にも話は通してあるらしい。


 焦りはある。でも、切羽詰まった状況というわけでもない。

 普通に生活するだけのお金はあるし、断る理由も特になかった。


 目覚めたリクはっすら寒い廊下を通り、井戸へ向かって顔を洗う。

 何も変わらない、いつも通りの朝だ。

 洗濯ものがあれば取り込んで、なければさっさと斥候スカウトの服装に着替える。今日みたいな何もない日だとしても、街を歩くにはそっちの服装の方が目立たない。


 それに、動きやすい服装にも意味がある。朝の鍛錬たんれんがあるからだ。ダガーのさやを腰のベルトに括りつけ、渡り廊下に出て共同スペースの中庭へと向かう。

 そうして、朝のうちに日課の素振りを行う。


 本当は一人になれる場所でやりたいのは山々だが、ダガーを振るえるような広い場所で、個人の鍛錬に使えそうな場所に心当たりはない。

 とはいえ他の探索者シーカーは夜が遅いだけあって、朝は誰もが寝静まっている。

 だから、他に来る人はまずいないし、静かだ。


 だけど、今日は違った。


 びゅん、と空気を裂いて、リクは虚空に諸手もろてで突きを繰り出す。

 額から流れてきた汗を手の甲で拭って、ふと感じた気配に後ろを向く。


 そこに、渡り廊下の奥から人影がやってきた。

 まだ薄暗い中、目を凝らすと、それは寝起きらしいハザマサだった。

 珍しく私服のハザマサはリクの姿を確かめるように目を擦った。


「おはよう、早いね。ハザマサ」


「リクさんこそ。朝、よく出かけてると思ったらここにいたんですね」


「……気付いてたんだ?」


 ややばつの悪い気持ちになって頬を掻く。

 同室の二人を起こさないように、毎朝大きな音を立てないようこそこそと準備をしていたのだが、どうやら徒労だったらしい。


「はい。多分、カガヤさんも気付いてると思いますよ」

 ハザマサは穏やかな笑みを浮かべて訊いてきた。

「修行ですか?」


「そんな大層なものじゃないけど。素振りとか、さ。……俺はカガヤみたいな戦闘のセンスも、ハザマサみたいな皆を守れる力もないから。何か一つくらい、武器になるところができればと思って」


「そんなこと──いえ、俺が言うことじゃありませんね」

 疑問を持ったあと、ひとりでに納得したように頷くハザマサ。

 それから、伸びをしながら控えめな欠伸が零された。


 その様子に、リクは表情を緩めて首を傾げる。


「……まだちょっと眠そうだけど、ハザマサはどうしてここに?」


「ああ、リクさんを探しに来たんです。……ちょっと、話したいことがあって。もし修業が終わったら、この間言ってた台地に行きませんか?」


 台地、と言われてピンとくる。

 そういえば、少し前にハザマサと約束をしていたんだった。斥候スカウトギルドのそばの台地で昼寝でもしないかって。


 確かにあの場所なら誰も来なさそうだし、話をするのにもってこいだろう。

 場所を指定してきたのも、部屋じゃ話しづらいことなのだろうし。


「分かった。でも、待たなくていいよ。そろそろ切り上げるつもりだったしさ」


 ダガーを鞘に納めて、リクは言った。




     ◇




 どこまでも広がる草原を前にして、二人して息を呑んだ。

 降り注ぐ朝焼けが空を黄金こがねいろに染め上げ、心地よい風が背の高い草を揺らす。


 眼下に広がるエル・フォートの街並みも、遠目に見ればより綺麗に映る。


 おもむろに草原の上に腰を下ろして、ハザマサが口を開く。


「こんな場所が──……良い場所ですね」


「うん。といっても俺も初めて来るんだけど」


 しばらく街の景色を眺め、互いに沈黙を貫く。

 先にその均衡きんこうを破ったのはハザマサではなく、リクの方だった。


「えっと、それで。話したいことって?」


 ハザマサがあまりに話し辛そうにしていたものだから、思わずそれが移って、リクとしても微妙な雰囲気で声をかける形になってしまった。


 しかしそれでも、促されたのは伝わったのだろう。

 ハザマサは首ごと振り向いてこちらを見て、やや小声で話し始めた。


「……そうでしたね。二つあるんですけど。一つは──本当にすみませんでした」


「え、ちょ……っ、え?」


 急に深々と頭を下げられ、リクは困惑する。

 ハザマサが思いつめた表情をする理由も、謝られる理由も分からないし。


暗渠あんきょほらでのこと、です。リクさんの予感に従って、あの場所で休憩を取るべきではなかったです。視線や気配についても俺は認識が甘くて。……それで皆さんを、危険にさらすことになってしまった」


 どうやらハザマサが言うには、あの場で休憩を取る前、リクが呟いた「嫌な予感」という言葉を引きずっているみたいだった。

 その言葉に従っていればゴブリンの罠にはまることはなかったと。


 仮にそうだとしても、ハザマサが頭を下げるのはおかしい。

 そもそもが結果論なわけだし。


「いや……でも、あの時はハザマサじゃなくて、皆で決めたしさ。言い出した俺だって、気のせいかなって思ったくらいだし」


「それでも、あの場で判断を下したのは俺です。……すみませんでした」


 しっかりとこちらの目を見据えられて告げられた謝罪に、リクは唾を飲みこむ。

 きっとハザマサが感じているのはパーティのリーダーとしての責任感だ。

 それに対してあまり迂闊うかつなことは言えないし、言いたくない。


 慎重に言葉を選んで、リクは口角を上げ笑みを浮かべる。


「そりゃ、上手くいかないことだってあるよ。でも、俺たちはみんな無事だったわけだしさ。……ハザマサ一人、思いつめなくてもいいんじゃないかな」


「…………そう、ですね。ありがとうございます」


 ハザマサは完全に納得がいっている様子ではなかった。

 でも、これ以上卑屈になったり、自分を責めたりすることもない。


「それよりさ。もう一個の話って?」

 話題を切り替える意味もあって、リクは食い気味に問いかける。


 ハザマサもその意図を察してくれたようで、すぐに話に乗ってくれた。


「……はい。もう一つなんですが、昨日新しく仕入れた情報についてです」


「昨日?」


「はい。ギルドで聞いたので確実かと。最近の調査で、遥か南西のロザートリ地方にあるダンジョンの奥地で、召喚魔術と呼ばれる古代魔術の痕跡こんせきが発見されたみたいで。そのダンジョンを攻略──つまりは制圧することを目的とした新規の外征軍がいせいぐんが、探索者シーカーギルドに所属するパーティの中から組まれるそうなんです」


 ハザマサは珍しく興奮気味に、一息にそんなことを告げた。

 ロザートリ地方、召喚魔術。聞き覚えのない単語だ。


 リクが僅かに眉を寄せると、ハザマサは追加で説明をしてくれる。


「ロザートリ地方は森を抜けて、小さな街を経由してそこに広がる平原一帯を指し示してて。古代魔術っていうのは、既に使い方の失われた魔術らしいです」


「そうなんだ。……えっと、それで?」


 ハザマサが至ったのであろう結論に辿り着けず、答えを聞く。


「思ったんです。俺たちみたいな迷い子は、他の世界から召喚魔術で呼び出されたのだと……そうは考えられないでしょうか」


 目を細め、至極真面目な表情でハザマサはそう告げた。


「俺たちが……召喚魔術で?」

「はい。どうでしょうか」


「…………」


 ふいに出された問いに、リクは俯き無言になって考える。

 迷い子の存在と召喚魔術。確かに、関係があるようにも考えられる。


 召喚魔術がどういったものかは分からないけれど、それが他の世界の住民を呼び出すものだとするなら、その魔術の影響でこの世界に来た可能性がある。


「もし推測が合っていれば、召喚魔術を知ることで、元の世界に帰る手立てが何か見つかるかもしれないと……そう思ったんです」


 召喚魔術によってリクたち迷い子がこの世界──ミスルトゥにやってきたのだとすれば、その魔術を解析することで帰る方法も見つかるかもしれない。

 確かに、推測としては筋が通っているように思える。


 リクは顔を上げると、首を傾げた。


「……ってことは、ハザマサはその外征軍? に加入したいってこと?」


「はい。外征軍に入れば情報共有はされるみたいですし、それに──これは勘なんですが、そこに行けば、何か分かるような……そんな気がするんです」


 とはいえ、とハザマサは続け、

「ロザートリ地方は魔物の多く棲息せいそくする地域です。グレスレニアにいる魔物よりも強力な魔物もいるはずです。それにパーティの皆を巻き込むのは……」


 語尾に行くにつれて力を失くし、言葉を濁すハザマサ。

 その様子を見て、リクは口を開く。


「……でも、ハザマサは元の世界に帰る方法が知りたいんだよね?」


「それは……はい。ですが」


「なら、きっと皆も賛成してくれると思う。少なくとも俺は、いいと思うし」


「こんなこと、俺の一存で決めていいんでしょうか。……暗渠あんきょほらでのことだって、俺が招いた結果、皆を危険に晒して──」


「だから、それは気にしなくていいって。それに、元の世界に帰る方法だったら俺も興味あるし、多分皆も同じように思うんじゃないかな」


 ハザマサの自信なさげな言葉に被せて言い、更にリクは続ける。


「それで外征軍、だっけ。には、どうやって加入するの?」


 リクの質問に、ハザマサはまたも気まずそうに鼻の頭に手で触れた。


「それが──現状はできないんです。パーティに探索者シーカーレベルが2以上の人がいることが最低条件で。だから、加入するならレベルアップする必要があります」


 最初の頃にギルドマスター──エリオダストから聞いた説明を思い出す。


 探索者シーカーには、探索者シーカーレベルというものがある。

 レベルは魔物を討伐して継告けいこくをしたり、依頼をこなしたりすることで上がる。

 つまりは探索者シーカーギルドへの貢献度で決まる、ギルドにおける個人の強さの指標や信頼度みたいなものらしい。


 ちなみにリクたちは全員、まだ探索者シーカーレベル1だ。

 レベルを1上げる。それだけならいつかは達成できそうな気もする。


 ただ、それはいつか、の話だ。


「でも、外征ってことは行く日が決まってるんだよね?」


 リクが聞くと、ハザマサは小さく頷いた。


「はい。外征が二十日後、外征軍の追加編成は当日決定されるそうなので、その日までに俺たちのうち誰かがレベルアップする必要があります」


「二十日……ってできるものなのかな」


「はい。俺たちもそれなりに継告けいこくを済ませてきてはいますし、直近のゴブリンの巣の拡大を未然に防いだ件──これが貢献度として大きいらしいです。依頼を受けていけばあと二十日で達成することも可能かと。……ギルドでの受け売りですが」


「なら、皆にもそのことを伝えて、明日からは依頼をこなすといいかな。……依頼がどんなものかってのも、まだあんまり分かってはないんだけど」


 探索者ギルドには依頼の貼り出された掲示板がある。

 掲示板には採集依頼や護衛、討伐依頼なんかが多くて、次点でダンジョンの魔素濃度の調整──つまりはダンジョンの魔物狩り依頼が続く。


 リクたちも探索者になりたての頃、報酬に釣られて見に行ったことはある。

 ただ、その頃は依頼失敗時の違約金が払えない可能性も考慮して受けるのは避けていたのだが、今なら受けられる依頼も何かしらあるだろう。


 リクがそんな風に考えていると、ハザマサはその表情に陰を落とす。

 微妙な変化。しかし迷いを感じているような、そんな顔だった。


「リクさんはそれでいいんですか?」


「んー、と……それは、どういう意味?」


「それは……いえ。すみません、余計なことを。ただ、外征軍に加入するか皆さんに聞く前に、リクさんに相談しておきたかったんです」


 ハザマサは一度言おうとした言葉を取りやめ、そんなことを言ってきた。

 数秒、考えた後にリクは口を開いた。


「……聞いてもいい? なんで、俺に?」


「そこまで深い意図はありませんよ。……ただ、そうですね。少し、リクさんに後押ししてほしかったのかも知れません」


 ハザマサは深く考え込むこともなく、若干照れくさげに答える。

 それから大きく息を吸うと、両手を組んで、天に向けて伸びをした。

 そのままばたりと草原の上に寝転がると、長く息を吐き出す。


 続く言葉を待ったが、何もなかった。

 ただ本当に、聞いて欲しかっただけなのかもしれない。


「……そっか」


 ハザマサにならって背中を芝生に預け、耳元を過ぎ行く風に感覚を澄ませる。ひゅう、と心地よい音と共に涼風が頬を撫でていく。

 空は既に明るくなってきていて、エル・フォートの街も起き始めていた。




     ◆




 部屋に戻ってカガヤに、その後は丁度朝ご飯を買いに行こうとしているエルとメイカにも出会い、外征軍に加入したいことについてハザマサと一緒に説明した。

 リクの思った通り、皆、快諾してくれた。


 それに伴って、明日からは依頼をこなす件について話した。

 それから急遽きゅうきょ、皆で集まって探索者ギルドへ向かい、明日以降こなす予定の依頼を掲示板で見繕って、手続きを先に済ませておいた。


 受けたのは最も難度の低く設定されたグレムリンの討伐、角の採取依頼。

 これであとは明日、暗渠あんきょほらへ狩りに行くだけだ。

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