第7話『閑話:エルとメイカの休日』

二章、2話のタイミングでの、エル視点のお話です。

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 ハザマサさん体調や装備の修理の関係でとることになった休日。

 エルはメイカと一緒に朝ご飯を食べ、洗濯ものを済ませて部屋に戻る。


 今日は昼間の休みというのもあり、同室のユキさんはいない。

 たまにはこういう日が続くのもありだろう。


 少しゆったりとした時間を過ごしたエルは、ベッドから立ち上がり、んん……と伸びをすると、うとうとしているメイカの肩をとんとんと叩く。


「……あれ、エルちゃん。もうそんな時間?」

「うん。ゆっくりできたし、そろそろしようかなって」


 メイカは意図をすぐに察してくれたようで、枕元、ほどかれていた麻紐を手に取り髪を一つ括りにわえると、部屋の隅にある机へと向かう。


 そこからは、読み書きの勉強の時間だ。

 エルがギルドの書物などで独学で学んだ人間ヒューム語を、メイカに教えるのだ。


 純正のインクや紙は高価なため、インクは色素の濃い花をすり潰して水に溶かしたものを、紙は木材を薄く切ったものを使う。

 誰に教わったことでもないけれど、創意工夫で節約するのは良いことだ。


「エルちゃん、これって合ってる……?」

「うん、合ってるよ」


「じゃあ、こっちは?」

「えっとね、ああ。これは──」


「エルちゃんって、ほんとに教えるの上手だよねぇー」

「……そうかな? あ、ここ。ちょっと違うよ」


「ん……ほんとだ!」


 そんなやりとりをしながら、談笑を挟みつつ文字を教える。


 ……それにしても、メイカはすごい。

 勉強は苦手と自分では言っているけれど、文字を覚えるのはとても早い。いまは文法を教えているが、難しい文法もしばらく勉強を続けるうちに分かってきた。


 ひょっとすればエルよりも覚えるのが早いくらいだ。

 まあ、独学と誰かから学ぶという点で違いはあるとは思うけれど。

 分からないところはすぐに聞いてくれるのがいいのだろう。



 それに。こうやって話していると楽しい。

 一緒に過ごしていると、先の見えない探索者シーカー稼業の中でも気が安らぐ。


 ──本当に最初の最初こそ、メイカのテンションの高さやふわふわとした雰囲気に、エルはついていけなさを感じていた。

 男女問わず距離感も近いし、宿舎に個室がなく急に同室になってしまったことに対しても、気の合わなさから不安があった。


 それでも、探索者シーカーとしてやっていくのには仲間が必要だ。

 見知らぬ世界で一人になってしまうのが何より怖かったエルとしては、メイカともどうにか仲良くなる道を探す以外になかった。

 

 だから仲間以上の感情は持たずとも、接し方だけは気を付けた。嫌われないよう、少しくらいは役に立てるようにと。

 すると、なぜだかいつの間にか懐かれてしまったのだ。


 メイカは他の仲間と仲良くなるのも早かった。

 近寄りがたい雰囲気のある(というかエルはまだ少し距離を感じている)カガヤさんとも、打ち解けるとまではいかずとも難なく接している。

 そういう気質なのだろう。


 エルはメイカと違って要領があまりよくないことを自覚しているし、性格的に探索者シーカーという仕事がそもそもあまり向いていないのも分かっている。

 探索者シーカーになったのだって、ただの成り行きだ。


 メイカは探索者シーカーとしても目覚ましい成長を遂げている。

 魔術の威力や命中力は言わずもがな、最初の頃の戦闘ではウェアラットの血が出ただけで顔を青ざめ、フードを被って震えていたのが、今となっては顔を背けることもしなくなった。そうして、パーティに欠かせない援護役を担っている。メイカの活躍だけで終わる戦闘だってあるくらいだ。


 メイカを守ろうと思っていた最初の頃から、随分変わってしまった。

 戦闘のパターンが決まってきて、エルとメイカが前に出ることがなくなったというのもあるが、メイカはきっとエルに守られる必要もないくらい成長している。


 そういった色々に対してすごいなと思う反面……羨ましくもある。


 それは他の仲間たちに関しても同じだ。

 いつも少しの劣等感と、一歩引いた位置からエルは皆と接している。


 メイカだけはその空いた距離を埋める勢いで接してくれるため、そういった面でもエルはメイカに助けられている。

 恥ずかしくて、それをじかに伝えられたことはないけれど。


「エルちゃん、これは……?」

「んと、これはね──」


 ……だから、メイカが文字や算術をこのまま覚えてしまえば。

 エルの役割は更に減ってしまう。


 どうしようもないことだけれど、もう少しメイカの先生でいたいなと思う。

 算術はまだ教えるところまでいっていないし、彼女は天然なところもあるから、時々変なところで間違うことがある。


 ──そういったものを教えきるまで、私はまだ必要だろう。

 そんな風に思考を巡らせていると。


「……エルちゃん。ぼーっとしてる?」

 と、不思議そうな表情のメイカが、エルの顔を覗き込んできた。


 ふっと意識を引き戻されて、エルは目を数度瞬かせる。


「…………。あ、ごめんなさい。なにか分からない?」

「ううんー。でも、ちょっと休憩したいかも」


 ぐでーっと両腕を机上に伸ばし、顔をその上に乗せるメイカ。

 考えごとをしながら教えるうちに、結構な時間が経過していたらしい。


 ちょっと子供らしいメイカの仕草に思わず笑みを零しながら、

「……それじゃ、ちょっと休憩しよっか」


「うんうん。疲れたあ……」




「……エルちゃんはすごいなぁ」

「え?」


 ふいに呟かれたそんな言葉に、エルは目を丸くして聞き返す。


「いつも、勉強も考え事もしてて。……あたし、考えるのって苦手だからなあ」

 仕方なさそうに笑って、メイカはこてんと首を傾げた。


「……メイカでも、そんなこと考えたりするんだ」

 なんて、思わず返していた。


「んー……?」

 不思議そうに聞き返される。当然だろう。


「──私は、あんまり何もないから。……探索者シーカーとしても、私は皆に迷惑をかけて、足手まといになってばっかりだし」


 愚痴のようなことを零すつもりがなくとも、メイカの前では隠せない。

 そういうところだけは彼女は察しが良いのだ。


「それって、この前のこと?」

「……それも、あるかなあ。ごめんね、前にも慰なぐさめてもらったのに」


 この前のこと、というのは暗渠あんきょほらでのことだろう。

 ゴブリンの群れとの戦闘になって、皆が死に物狂いで戦っていた。

 ……私だけが、あの中で何もできなかった。ハザマサさんの盾の裏で、皆に守ってもらいながら震えて縮こまるだけだった。


 メイカは机から上体を起こすと、両目を瞑って笑みを浮かべる。


「よしよし。エルちゃんだって頑張ってるよ?」


 優しく頭を撫でられ、気恥ずかしくもありつつも胸中の重さが軽くなっていく。

 しばらくそうして、落ち着いた辺りでエルは短く息を吐く。


「……ありがとう。メイカ」


 撫でる手を止め、「ううん」とメイカは言い、そのまま続けて。

「でも。エルちゃんがそう思っちゃうのも分かるくらい、皆すごかったよねぇ」

 思い出すように天井を仰ぎ、機嫌の良さそうに告げる。


「はーくんはエルちゃんを守って戦ってたし、かーくんはすっごく強かったし」


「……うん。ほんとに、すごかったね」


 ハザマサさんは三人が助けに来てくれるまで、一人でゴブリンの群れと対峙して、一匹だってエルの方へは向かわせなかった。

 傷を負ってぼろぼろになってもエルに助けを求めてくることもなかった。

 きっと、エルが頭を出せば投石の的となることを危惧してだろう。


 カガヤさんも盾の端から活躍を見ていたが、物凄い気迫をほとばしらせて、ゴブリンをまるで赤子の手をひねるように圧倒していた。

 前々から戦闘では頼りにしていたけれど、あの時は本当に戦闘のかなめだった。


「りっくんは──……」

 と、なぜかメイカが言葉を詰まらせる。


 リクさんだって、すごかった。

 斥候スカウトという、本来そこまで前に出ない職業にもかかわらず、群れに飛び込んでゴブリンを倒していた。最後にゴブリンの魔術師メイジを倒したのもそうだ。

 普段の性格的にもそこまでガンガン行くタイプではないと思っていたため、見直すというわけではないけれど、少し印象が変わったくらいだ。

 もちろん、いい方に。


 活躍なら一番言葉にしやすいかもしれない。

 それなのに、メイカはしばらく言葉を選んでいた。

 

「りっくんも、すごかったね。……──うん。かっこよかった」

 両手で口元を覆って、しみじみとメイカは言い直す。


 エルはあまり察しは良くない方だけれど、これくらいは分かる。

 というか、メイカが隠し事をするのが苦手なのかもしれない。


「……。メイカって、リクさんのこと。どう思ってるの?」


 話が逸れるのも分かって、うずいたほんの好奇心から、聞いてみる。


「どう、って……」

 その自覚があるのかないのか、メイカが分かりやすく頬を染めていく。


 そういうことかぁとエルが思っていると、メイカは言葉を見つけたようだった。


「──んー。りっくんが落ち込んだ時は、そばにいたい。って思うかなあ」


「……ってことは」


「でもね。それは別に私じゃなくてもいいんだー」

 なんとも意味深なことを言って、メイカは目を細めた。


 窓から差し込んだ日差しがその頬を照らして、白い肌を映えさせる。

 その横顔がどこか儚いものに見えて、エルは思わず手を伸ばしそうになる。


「エルちゃんなら、私は安心できるかなあ」


 しかし、続けられた言葉にはエルも慌てて否定する。


「わ、私は別にそういうのじゃ──!」


 エルはリクさんに恋愛感情染みたものは抱いていないし、抱える感情としてはあくまで仲間としての尊敬に近いものだ。

 知ってか知らずかメイカは笑みを崩さず、続けてくる。


「それでも、私がダメかもしれないから。……なんだか、そんな気がしてて。だからもし、その時は。お願いしてもいい?」


「それは、いいけど……」

 メイカの言う、もしというのが何かは分からない。

 でも、断る意味も理由もなかった。


「けどー?」


「それって……メイカはリクさんのこと、好きってこと?」


 ほとんど確信はあるが、一応、確認の意味も込めて聞いておく。


 メイカはとても難しい問題を考える時のように頭を抱えて、うーん……と唸ると、再び机上に突っ伏して顔を腕の中にうずめた。

 顏から熱が伝播でんぱんしてきたのか耳が赤い。


 その反応だけで十分だった。


「……やっぱり、今はすごいなあって思ってる。それじゃダメかなあ」

「ううん。いいと思う」


 納得してエルは頷く。


「あと、エルちゃんだってすごいからねー?」

「……私が、すごい?」


「うん。色々あるよ? かわいいし、いい匂いがするし、髪はサラサラだし、毎日夜遅くまで勉強してるし。話してると落ち着くし、楽しいし。えっと、あと冷静で頭が良いでしょー? 魔物を倒した時もご飯を食べる時も、いつも欠かさずにお祈りしてるし。奇跡はすごいし、むぐ」


「ちょ、っと……止まって。そこまで」


 目をまっすぐに見られて言われ、思わず手でその口を塞いでしまう。

 だって、二人しかいないとはいえ恥ずかしすぎる。


 メイカはお世辞を言わないタイプだ。それが分かっているからこそ、首筋をそーっとなぞられているような感じがするというか。


「まだまだあるよ? えっとね──」

「あ、ありがとう……でも、もういいから……! 休憩もそろそろ終わり!」


 エルがメイカにペンを手渡して、無理やり話を終わらせる。

 メイカは今度は不満そうな表情を浮かべた。


「えー……」

「次はここからね。頑張ろう?」


「うん」


 聞き分けよくメイカが頷き、勉強に戻る。

 メイカは頑張り屋さんだ。この調子ならすぐに読み書きをマスターするだろう。


 時々、職業ギルドで褒められた話も聞かせてくれるし、魔術の才能だってあるらしい。きっといつかは探索者シーカーとしても大成する。そんな気がする。

 そうなったときにエルはどうだろうか。


 ──せめて、そのすぐ後ろにいられたらいい。

 並べるくらい強くはなれずとも、仲間として背中を支えられるように。

 彼女が怪我をしたとき、すぐに治せるように。


 他の仲間の皆もそうだ。

 きっと、エルは皆と同じくらい強くはなっていけない。


 それでも、だ。


 皆やメイカとならどんな困難も越えていける気がする。

 なぜだろうか。そんな気がするのだ。

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