第19話

 ●月●日


 高校2年生の冬休み、統合失調症になった。初めて幻聴が聞こえた時は本当に脳が何者かに乗っ取られたのではないかと思った。どういう幻聴が聞こえたのかと言うと、僕の場合は自分の行動の全てを実況されている幻聴が聞こえたのだった。



「息をしました。眠りたがっています。●さんはこれこれこう考えています」



 そんな幻の声が、一日中、寝ているとき以外聞こえるから本当に死にたくなるほどきつい。いろいろとあって精神病院に入院し、治療し退院となった。その話はまた今度。



 退院となった後も幻聴が残った。つらすぎて、

「死にたい。死にたい。死にたい」

 とつぶやき続けていた。実際に死のうと包丁を手に取ったことがあったが、尖った刃を見るとひるんでしまった。死ぬのにも勇気がいる。僕にはその死ぬ勇気が無かった。それにそのとき、ある雑誌で連載している漫画の続きが気になっていた。死んでしまったらもうその漫画の続きが読めないし最終回もわからない。



 生きる気力というのはささいなことかもしれない。



 あそこのラーメンがまた食べたいだとか、小説や漫画の連載の続きを読みたいだけだとかそんなささいな理由かもしれない。

 少なくとも僕のそのときの生きる理由は漫画の連載が気になっていたからだった。その漫画の連載が終わったら死のうかと思っていたけど、漫画の連載は何年も続き、いつのまにか僕も死ぬ機会を失い、また死のうとは思わなくなっていた。



 死のうとは思わなくなっていたが、やはりそのときには死にたい、死にたいと、うわ言のように言っていた。

 僕はそのとき本に救いを求めた。都心にある大規模本屋に毎週のように通った。最初は自己啓発と心理学の棚のところにばっかり行っていた。自己啓発本は松下幸之助や稲盛和夫などであり、心理学はアドラーとかV.E.フランクルとか好きだった。

 僕は大量に本を買い込んでいた。そして本をむさぼるように読みふけっていた。

 


そしていつもの通り、心理学のところで読む本を探していると、たまたま岡本太郎の本と出会った。ぐわっと目を見開いてポーズをとっている岡本太郎が気になった。ほんとうにたまたまだったのだと思う。気になって本を開いてみる。



「芸術なんて、くそくらえだ」

「あなたも書いてみなさい」



 なぜかその言葉に感銘を受けた。家に帰って岡本太郎について調べてみる。岡本太郎は小学校を何回も転校した社会不適合者だったらしい。また東京芸術大学という大学に入ってもたった数ヶ月で退学しパリへと渡った変人みたいだ。



 自分も学校とかでうまくいかないことが多々あり自身でも社会不適合者なのではないかと思っている。だからこそ岡本太郎に惹かれた。



 インターネットで岡本太郎の絵ばかり見るようになった。

 いつしか何回も自分に問いかけるようになった。



(僕も芸術を作っていいのですか)

(障害者の自分が芸術を作ってもいいのですか)



 家で祖母と話す。

「おばあちゃん、芸術って何?」

 祖母は若い頃国語の教師だった。だから知っているかもと思ったのだ。

「なんでそんな急に?」

「岡本太郎って知っている?」

「岡本太郎? あの画家の?」

「うん。最近岡本太郎って人の名言集を見つけたのだけど。そこに芸術は炉端にある石ころのようなものであり、そんなすごいものではない。あなたも書いてみなさいと書いてあったのだけど」

「芸術と言ってもいろいろあるのじゃない。絵画、小説、陶芸とか。●はなんの芸術を作りたいのかまず考えなさい」

「分かった」



 僕は絵も書けない。陶芸も家の中を汚しそうである。残ったのは小説だった。しかもそのとき、ノーベル文学賞の受賞者がテレビで発表されていた。あのころは若かった。若かったけれどもノーベル文学賞ってすごいなって思った。社会に認められたいという承認欲。女の人にもてたいという下心などさまざまな思いが僕の心の中にうずまいていた。ノーベル文学賞取りたい。

 近くのコンビニで20字×20字の400字詰め原稿用紙を買う。そして鉛筆と消しゴムを片手に原稿用紙に物語をかきなぐっていた。



 初めて書いた小説を友だちに見せる。しばらく僕の物語を読んでいたが、急に泣き出して、

「全然物語が進まないじゃないですか!」

「すみません」

「こんなものを読ませようとよく思いましたね」

「ずっと道を歩いているだけじゃないですか。もう読むの辞めてもいいですか」



 僕は何も泣くことはないじゃないかと思った。

 そんなにつまらないのかなと思って自分でも読み返してみたらなるほどつまらなかった。発見だった。それから小説やビジネス書を読みはじめた。

 パナソニック株式会社を作った松下幸之助の書を読んだとき、岡本太郎が述べたことと同じことが書かれていた。やっぱり「やってみんさい」と書かれていた。

 その格言を読んでやっぱり涙がふっとあふれ出た。そうだ。芸術を書き続けるしかないのだ。岡本太郎や松下幸之助に後押しされた感じがした。

 



 何年か経って岡本太郎展が上野で行われると聞いて絵画を見に行った。岡本太郎の絵というのは風景画とか人物画とかではなく、抽象的な絵だった。

 印象に残っているのは蝶ネクタイに傷ついた腕が描かれている絵だった。なんていうか原色の絵でエネルギーがあふれ出ていた。そして芸術は爆発だと叫ぶ岡本太郎の映像に感動してしまった。



 やっぱり岡本太郎はすごい絵を描き、また変わった人だった。


 それからも僕はもそもそと小説を描き続けていった。

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