第10話
●月●日
芸術について
昔々、24歳の時にある大手企業に障害者枠で入社した。そこからサテライトオフィスに出向するように辞令が出た。サテライトオフィスというのは厳密にどういうのをいうのかはわからない。ただ障がいを抱えている人たちが一堂に雑居ビルの一室に集められそこでいろいろと業務を行うのだった。そこでは農業や行った農業をもとにライティングなどを行った。また出張業務で本社や出先機関に赴き書類整理なども行う。
本社に書類整理のために仕事に行く。本社の社員の人と一緒に仕事をする。仕事を終えると、達成感がわいて本社の社員の人に
「僕たち頑張りましたよね」
と言った。本社の社員の人は、急に顔をこわばらせると、
「僕はここの社員です」
と皮肉を言われた。暗に一緒にしないでくださいと言われているみたいだった。僕はただだらしなく、えへら、えへら、と笑顔でいるしかなかった。
あいかわらず出先機関では封筒に書類を入れて閉じる封入作業に封緘作業や宛名シール貼り作業ばかり行っている。上司と面談の日の時である。
「もっといろいろ仕事を行いたいです。もっといろんな仕事をください」
上司は、
「まあまあ落ち着いて」
僕の今の気持ちを正直にいうと、会社勤めをしたい気持ちと、農業をしてライティングをしたい気持ちを半々であった。それでも何年かは会社勤めを体験してみたかった。社会に認められたかったと言うのが大きかったと思う。いろいろな気持ちが揺れる中仕事を行う。
しかし何年たっても本社に呼んでなんかくれなかった。
そして何年たっても責任のある仕事なんか任せてくれない。
それからも何年か経つ。新人社員がどんどん先輩になっていく。思わず本社の上司に言う。
「僕も新人研修受けたいのですけど」
上司は
「無理だ」
もう一回言う。
「新人研修受けたいのですけど」
「何度も言わせるなよ。ごめん。無理だよ」
「何でですか?」
「規則なのだ」
そうしてふいっと上司は僕から離れていく。
「ちょっとトイレで用を足してくる」
その瞬間に涙がつうって流れ落ちたのを皮切りに涙があふれて止まらなくなった。その日はうえ~んと泣きながら仕事を行った。
僕は社会で信用されていないし、必要とされていないのだと思うと自分の統合失調症という障害についてとか、自分のことを必要としない会社に対して憎悪の念がうずまいた。その日の夜、悪夢を見た。
たぬきの子が冷たい雨の中 凍えている
たぬきの子が冷たい雨の中 凍えている
冷たい雨を身に受けて
じっと黒い夜空を仰ぎ見る
次の日、会社に行こうとスーツを着てドアの所まで行くがそこから先は体が動かなかった。今日は会社に行くのは無理だと悟った。 黒いスーツを脱いでワイシャツ姿になると布団の中に潜り込んだ。
始業時間が10時からだから9時30分になると会社に電話を掛けた。
「お疲れ様です。総務部の●です」
「お疲れ様です」
「今日体調が悪いので休みます」
「分かりました。お大事に」
それから眠りに眠る。
僕には幼い頃に願った夢がある。それは作家になる夢だった。時代小説家とかミステリー作家とか現代小説作家とかノンフィクション作家とか作家でもいろいろと区分されるがそのときはまだ何の作家になりたいのかは分からなかった。
起きたときに、会社から社会から必要とされていないのだったら、もしかしたら小説家の夢を追っていいのじゃないか、と思った。久しぶりに本を開く。頭がくらくらする。昔は小説とか大好きで活字中毒だった。それが一文字見ただけで拒絶反応を起こすなんて。本当かどうか分からないがインターネットで調べると、統合失調症になると、文章を読めなくなるし書けなくなるとか書かれていた。病気のせいかと疑う。主治医のもとに駆けつける。
「先生、ちょっと聞いてみていいですか」
「分かることなら」
「僕は昔活字中毒だったのですけど、久しぶりに本を開いたら読めなくなっていました」
「うんうん」
「これって統合失調症の認知機能の低下とかのせいとかですか」
「可能性はあるね」
踏んだり蹴ったりである。本当にショックだった。帰り道天を仰ぐ。
「僕は馬鹿だ」
ふっとつぶやく。太陽がまぶしかった。
「僕は馬鹿だ」
とはっきり声にした。悔しかった。それからことあるごとに呪文のように小説小説と言い続けていた。その小説と言い続けている声は自動的に出ていた。意識がないままつぶやいていた。心の底からのうめき声だったのだと思う。
ある日、目が覚めるとそこは布団の中であった。
常識? そうだよ。常識がすべてじゃないのだ。今ある常識がすべてじゃない。
とりあえず会社にまた通うようになった。そして試しに土曜日、図書館に行きジュニア向けの本を恥ずかしいなあと思いながら借り何冊も読み文字を写した。3人組の冒険譚なんか面白かった。こんな小学校生活を送りたかったなあと少しうらやましかった。
そして数年が経った。
いつの間にか普通の小説も読めるようになっていたし楽しめるようになっていた。そして作家になれるかどうかは置いておいて小説を書けるようにはなっていた。
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