39.星の家族




……アタシたちが結婚したのは、大学を卒業してすぐの頃だった。


都心部から電車で20分ほどの片田舎にマンションを借りて、そこに二人で住んでいた。


ケンジは結婚後、大手出版社に就職した。志望動機は、出版される前の本が読めるからという、なんともケンジらしい理由だった。


アタシも本当はケンジと同じ会社に勤めたかったんだけど、そっちは面接で落ちちゃったので、食品会社の事務員に就職した。


「ただいま~っと」


玄関の鍵を開けて、誰もいない家の中に声をかける。


基本的に、アタシの方が帰りが早い。それはシンプルに、アタシの会社の方が家から近いからだった。徒歩5分圏内にある会社に勤められたのは、なかなか幸運だったと思う。


「さーてと、ご飯の支度でもしようかな」


スーツから部屋着へ着替えたアタシは、台所にある冷蔵庫からじゃがいもと牛肉、それから玉ねぎとにんじんを取り出した。


「ふふふ~ん♪ふんふんふふ~ん♪」


ご機嫌に鼻歌を歌いながら、アタシは肉じゃがを作っていた。包丁でじゃがいもの皮を剥き、形を一口サイズに切っていく。


「ただいまー」


ちょうどその時、ケンジの声が玄関先から聞こえてきた。アタシは包丁をまな板の上に置いて、すぐに彼を出迎えに行った。


「お帰りケンジ!」


「うん、佳奈さんもお帰り。これ、後から二人で食べようよ」


そう言って、ケンジは右手に持っているビニール袋を掲げた。中には、コンビニで買ったケーキが二つ入っていた。


「わー!ありがとケンジ!」


アタシがそう言うと、ケンジは嬉しそうにはにかんだ。






「……うん、美味しい肉じゃがだ。さすが佳奈さんだね」


リビングのテーブルでアタシと対面して座るケンジが、朗らかに笑って言った。


「えへへ、ありがと♡」


「いつもごめんね、晩御飯を任せちゃって」


「いいよいいよ。アタシの方が帰るの早いし、それ以外の家事は一緒にしてくれるじゃん。だから気にしないで?」


「そうかい?」


「うん!」


アタシの答えを聞いて、ケンジは安堵した様子で顔を綻ばせた。


(ん、美味しい。アタシも料理、上手くなったもんだな~)


最初の内は本当に分からないことだらけだった。お米も洗剤で洗おうとしてたし、そもそも炊飯器の使い方すら分かってなかったし……。


その点、ケンジの方が料理上手なのがめちゃくちゃ助かった。ケンジは昔からケンジママのために料理を作ってたことが多かったし、他の家事もお手のものだった。だからぶっちゃけ、ケンジの料理の方が美味しいんだけど、こんな風にアタシの料理を喜んでくれるケンジを見るのが好きで、今では肉じゃがくらいならレシピを見ずとも作れるようになった。


(んー、じゃがいもがホクホクでちょうどいい感じ)


自分の成長を噛み締めるように、アタシはこの肉じゃがを平らげていた。








……食事を終えたアタシたちは、ソファに並んで座って、しこたまイチャイチャしていた。


「う~ん、ケンジの匂いがする~」


彼の右手にぎゅっと抱きついて、肩の辺りをくんくんと嗅ぐ。ケンジ以外には絶対聞かせられないアタシの猫なで声が、辺りに小さく木霊する。


「に、匂いって……。なんか恥ずかしいな」


結婚したというのに、ケンジは未だにアタシとイチャイチャするのが照れ臭いらしく、頬を赤く染めてそわそわしている。それがあまりにも可愛くて、アタシはさらに甘えた声になってしまう。


「ねえケンジ、頭なでなでして~?」


「な、なでなで?」


「今日めっちゃ仕事大変だったの。だからなでなでしてー?」


「わ、わかった」


彼は開いている左手を使って、ぎこちなくアタシの頭を撫でた。こうして触れられると、ケンジの手はゴツゴツしてて男っぽいことに気がつく。穏和な感じとのギャップに、ついついキュンとなってしまう。


「ケンジ~」


「なんだい?佳奈さん」


「えへへ、呼んだだけ~」


「ははは、そっか」


ケンジは柔らかい笑みを浮かべながら、さらに優しく頭を撫でてくれた。この優しさも、昔っから全然変わってない。


ああ、なんて幸せなんだろう。こうしてそばにいられることが、どれだけ素晴らしいことか……アタシには痛いほど分かる。


この喜びは、本当に何物にも代えがたい。手垢のついた台詞だけど、それがアタシの本心だった。


「ねえ佳奈さん、そろそろ行く?」


「あ、そうだね。行こっか」


アタシとケンジは、二人してソファから立ち上がった。ケンジは戸棚からお線香とライターを取り出すと、ポケットにしまった。


そして、二人で一緒に玄関の扉を開けて、夜の町へと出ていった。









……綺麗な星空の下にある閑静な住宅街を、アタシたちは並んで歩いている。


夜風はそよそよと細く吹いていて、足元がほんのり寒く感じる。


「…………………」


「…………………」


アタシたちの住むマンションから、歩いておよそ20分ほどの地点に、斎藤家のお墓がある。


広瀬、渡辺、そして斎藤と……墓石にいろんな家族の名字が刻まれている。


「久しぶり、母さん」


ケンジは囁くそうにそう呟くと、ライターでお線香に火をつけて、燻らせた。夜の闇の中に、線香の煙が仄かに空へと伸びていく。


遠くで虫の音が聞こえているのを耳にしながら、アタシとケンジは墓石に手を合わせた。


「……行こっか」


「うん」


「また来るね、母さん」


ケンジの声かけを最後に、ケンジママのお墓へ背を向けて、アタシたちは家へと向かった。


「ケンジママが亡くなってから、今日で二年半か……。月日が経つのは早いね」


アタシが足元を見つめながらそう言うと、ケンジは「そうだね」と寂しそうに呟いた。


「まあでも、アタシたちの結婚式は見せられたし、それだけでもよかったね」


「うん、僕もせめて結婚式だけは……って思ってたから、間に合って良かったよ」


アタシたちの結婚が早かったのは、ケンジママへ式を見せたかったというのがひとつの大きな理由だった。


まあアタシとしては、もうケンジ以外には考えられなかったので、早く一緒になりたかったというのももちろんある。


「でも、ケンジパパは結局来れなかったね。アタシ、一回も会ったことなかったら、 会ってみたかったな」


「……そうだね、昔教えてもらってた携帯も既に使われてないみたいだし、今どこで何をしてるのか全然検討がつかないけど……」


ケンジはすっと顔をあげて、満天の星空を見つめていた。


「父さんも、僕と同じように星を見ているよ」


「星を?」


「うん。僕はそう信じている」


「…………………」


「この空の向こうに、きっと今母さんがいて……その母さんを、僕と父さんは見ているんだ」


「…………………」


「ああ……そうか、そうなんだ。僕たち家族は、二人が離婚した時からずっとバラバラだと思っていたけど、星を見ている間は……きっと、三人一緒なんだ」


ケンジの……切なくも優しい横顔を見つめていたら、なんだかアタシも空を見たくなって……ケンジと同じように、顔を上げた。


青黒い空の真ん中を分断するようにして、天の川が輝いている。


何万、何億という光の旅を経て、今アタシたちの目にその姿を届けている。


「…………………」


アタシはすっと、ケンジの右腕に自分の左腕を組ませた。そして、頭をこてんと傾けて、彼に身体を預けた。


「ケンジ、愛してる」


「…………………」


アタシとケンジは、静かに住宅街を歩いていた。その歩く音に混じって、ケンジの「僕も愛してるよ」という小さな声が聞こえてきた。





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