30.佳奈の覚悟(2/2)




……私、柳原真弓は、心底度肝を抜かれていた。


目を疑うような光景というのは、まさにこのこと。


見たことない女性が、斎藤くんの首を絞めていた。とてつもなく緊迫した表情から、本当にこの人は斎藤くんを殺すつもりだと直感した。


そしてその女性は、なんと斎藤くんの母親だと言う。それを聞いた時、この場にいる全員、開いた口が塞がらなかった。


田代さんはもちろんのこと、私も内藤ちゃんも、長崎くんも藤山くんも、みんな固まってしまった。


「何言ってんの……?あんた……」


田代さんが震える声で、斎藤くんの母親に問い詰める。


「ケンジのママなら、なおさら……なんで?意味が分からない。あんた、頭おかしいんじゃないの?」


「……………………」


「ケンジは……あんたのことを、めっちゃ気にかけてたのに。アタシと……アタシとデートしてた時だって、あんたのために早く帰らなきゃって言って、日が暮れる前には帰ってたのに」


「……………………」


「……ねえ、ねえって。何とか言ってよ……!答えてよ!!」


鎮まっていた田代さんの怒りが、またどんどんと湧いて出ているのが目に見えて分かった。


今まで見たこともないくらいに、田代さんの目はギラギラと光っていた。その輝きは、まるで鋭い刃物のようだった。


「どうしました!?斎藤さん!」


その時、異常事態を察した女性の看護師さんが、この部屋に訪れてきた。


「朝日さん!」


田代さんはその看護師さんを見るや否や、すかさずこう言った。


「このババアを、どこかへ連れてって!こいつ、ケンジを殺そうとしたの!」


「こ、殺す!?」


「首を絞めてた!!すごい力で絞めてた!!ここにいるアタシら、全員見たんだから!!」


「……………………」


さすがにこんなことは看護師さんも予想していなかったみたいで、眼を大きく見開いて、斎藤くんのお母さんのことを見ていた。


「……あなたたちに」


斎藤くんのお母さんは、歯をギリギリと食い縛りながら、激しい悲しみのこもった呟きを残した。


「あなたたちに、健治の何が分かるのよ……!!」


「……………………」


「健治は……健治は、もういつ起きるかわからない……!最悪、死ぬまで起きないかも知れない……!医者からは、九割の確率で起きないって、ついさっき言われたばっかりなのよ……!!」


「……………………」


「それに……たとえ起きられたとしても、酷い後遺症が残るかも知れない……!歩けなくなったり、手が使えなくなったり……。それこそ、脳に障害が残ったりなんかしたら、いよいよ自分が誰かさえも分からなくなったりするのよ!?」


「……………………」


「そんなの、そんなのあんまりじゃないのよ……!健治にはそんな可哀想な人生を、歩ませたくないのよ!!だって!だって!自分の身の回りの世話ができないことの辛さは、私が一番よく分かっているんだもの!!」


斎藤くんのお母さんは、唇を噛み絞めながら泣いていた。


「私みたいに惨めな生き方をしてほしくないのよ!!だから、だからいっそ!!今ここで!!」


「さ、斎藤さん、落ち着いてください」


取り乱す斎藤くんのお母さんを、看護師さんがなだめていた。


「早く!!離して!!健治を殺して!!私も死ぬの!!」


もうずいぶんやつれた人であるはずなのに、その暴れまわる身体を藤山くんと長崎くんの二人がかりでやっと押さえられるといった様子だった。


「なあ!おばちゃん!俺らは、斎藤やおばちゃんがどんな状況なのか知らねーけどさ!」


後ろから羽交い締めにしている藤山くんが、斎藤くんの母親に向かって言った。


「どんな理由があっても!殺すって、やっぱいけねーことだと思うぜ!せっかく斎藤だって助かったんだ!もうこれ以上、変なことしてやるなよ!な!?」


「うるさい!!子どもに何がわかるの!!」


でも母親は、長崎からの言葉を全く受け入れず、罵声を返した。


「あなたたちに!あなたたちに!!私たち親子の何が分かるって言うのよ!!」




「ふざけんなババアーーー!!!」




…………斎藤くんのお母さんの叫びは、田代さんから発せられたそれ以上の怒声によってかき消された。


田代さんの身体が、怒りでわなわなと震えていた。そして、ぴっと斎藤くんのお母さんへ指をさして、「舐めんな!!てめえ!!」と怒鳴った。


「ケンジの人生を!!舐めんな!!」


田代さんの眼から、ぼろぼろと涙が溢れていた。ギリギリと歯軋りをする音が、私の耳にも届いていた。


「あんた!!ケンジの手を握ったことある!?ケンジの心臓の音を!!聞いたことある!?」


そう言って田代さんは、眠っている斎藤くんの手を握った。


「ほら!!こんなにもあったかい!!このあったかみを、ちゃんと感じてる!?」


「な、なによ……!何が言いたいのよ!」


「ケンジの人生を可哀想だとかなんとか、好き放題ほざきやがって!!可哀想かどうかは、ケンジが決めることだから!!他人のあんたが決めんな!!」


「た、他人ですって!?私は母親よ!母親が他人なわけないでしょう!?」


「バーーーカ!!所詮は母親も他人だっつーの!その人の人生は、その人が決めるんだよ!!ケンジの人生を支配すんな!!」


「なにを……!」


「百歩譲って、ケンジが死にたいって本気で思ってるなら、まだ考えてもいいけど……!!ケンジは、ケンジはまだ起きてない!!そして!!死にたいかどうか、答えは聞いてない!」


田代さんは一層強く、斎藤くんの手を握った。


「今ここでケンジは!!懸命に生きてる!!心臓の音はすっごく弱いけど!!でも、確かに聞こえるの!!ここにいようって!!生きようって!!身体が熱く燃え続けてるの!!」


「………………!」


「そんなケンジの人生を!!無理やり終わらせようとすんな!!あんたの勝手な思い込みと独占欲で!!ケンジの人生を歪めんな!!」




バカヤローーーーーーー!!!




……病室の中に、田代さんの雄叫びが響き渡った。


肩で息をするほどに、彼女の呼吸は乱れていて、時々鼻をすする音も聞こえていた。


「佳奈ちゃん!落ち着いて……!」


看護師さんが彼女の元へ近寄って、背中をさする。


「はあ……はあ……」


「ここは一旦、落ち着こう?ね?」


「……………………」


唇を尖らせながら、田代さんは呼吸を整えていった。それを見届けた看護師さんは、今度は斎藤くんのお母さんの方へ声をかけた。


「斎藤さんも、どうか落ち着いてください」


「……私、私は……」


「事情はちゃんとお聞きしますから、ひとまず、ここは外へ出ましょう?」


そうして、看護師さんは藤山くんと長崎くんに目配せした。その眼は、二人に羽交い締めにしてる腕を解いてくれと語っていた。


「……………………」


藤山くんと長崎くんは、互いに眼を合わせた後、おそるおそる腕を外した。


「さ、斎藤さん」


そうして、彼のお母さんは看護師さんに連れられて、病室を出ていった。


嵐が去った後のように、部屋の中は静まり返っていた。そんな空気を壊したかったのか、お調子者の長崎くんが「や、やばかったなー!」と、若干声を震わせながら笑った。


「マジやばすぎだろあれー!はははは!ドラマの撮影とかじゃねーの今の!?」


「おい長崎……今はそういうノリ、止めとけよ」


隣にいた藤山くんが、そうして彼を諌めた。


「……田代さん、大丈夫?」


私が彼女へそう声をかけると、田代さんは一瞬だけこっちを見た後、すっと眼を伏せた。


「……ごめん、みんな」


「え?」


「めんどかったよね、取り乱して」


「いや、そんなこと……。好きな人が殺されかけてたら、誰だって……」


「……………………」


田代さんは静かに私たちへ背中を向けて、斎藤くんを見つめていた。そして、握っていた彼の手をゆっくりと持ち上げると、自分の頬へと寄せた。


「……ケンジ」


「「……………………」」


私たち四人はお互いに顔を見合せながら、そんな田代さんの背中を、じっと黙って見守っていた。


私たちからは、田代さんの顔が見えない。でも、彼女がどんな気持ちなのかは、痛いほど伝わる。


その上ずった声や、荒い息遣い、鼻をすする音、丸まった背中、そして……何度も何度も、斎藤くんの手を頬擦りするその行動。いろいろなこと全てが、田代さんの顔を見ずとも、その気持ちを教えてくれていた。


「……アタシ」


「え?」


「アタシ、もっと恋愛って……ふわふわしたものだと思ってた」


「……………………」


「ふわふわで甘くて、ちょっぴり切ないみたいな……」


「……………………」


「でも、ガチの恋は、そんなんじゃないんだね」


「田代さん……」


「……………………」


田代さんは、くるりとこちらを振り向いた。その顔は、私たちが想像していたものとは、全く異なっていた。


確かに、眼に涙は浮かんでいる。頬にもいっぱいその痕があるし、息遣いも荒い。



───だけど、その瞳は、凄まじいほどに輝いていた。



それは、強引に言葉にするならば、『覚悟を決めた眼』だった。


今まさに、自分の人生を大きく左右する決断を決めたような、そんな眼差し。その眼を見ているだけで、私は気圧されそうになった。


「……決めた」


田代さんは、ハッキリとその言葉を口にしていた。


「な、なにを決めたの?」


「……………………」


私の問いかけに、彼女は物怖じせずに答えた。


「これからずっと、ケンジのそばにいる」


「……え?」


「これからどんなことがあろうとも、アタシはケンジのそばを離れない。絶対に」


「……………………」


「そのことを、今……ここで決めたの」


「……………………」


強く堂々とそう語る田代さんの迫力に圧されて、私はごくりと生唾を飲んだ。


そんな田代さんに向かって、内藤ちゃんがこう問いかけた。


「でも田代さん……斎藤くんは、もう起きないかも知れないんだよ?」


「……………………」


「それに、たとえ起きたとしても、何かの後遺症が残るかも知れない……。斎藤くんのお母さんの肩を持つわけじゃないけど、一緒にいるって……すごく、大変なことだと思う。それでもいいの?」


「そんなこと関係ない。アタシは絶対、そばにいる」


「そんな……どうしてそこまで斎藤くんのことを……」


「アタシがただ、もう一度ケンジと話したいから」


「……………………」


「ケンジは確かに、一生起きないかも知れない。起きたとしても、辛い人生になるかも知れない。でもだからこそ、そばにいたい。大事な人が辛い思いをするって分かっているのに、何もしないままでいるなんて、あり得ない」


「……………………」


「いつだってケンジは、アタシのことを気にかけてくれた。いつだって優しくしてくれた。だからアタシの人生を懸けてでも、アタシは……ケンジと一緒にいる」


「……田代さん」


彼女は眠る斎藤くんへとまた眼を向けた。そして自分の顔を、斎藤くんの顔へと近づけた。


私はてっきりキスをするのだろうかと思ってドキッとしたけど、そうじゃなかった。


田代さんは自分のおでこを、斎藤くんのおでこにつけた。そして、音もなく眼を伏せた。


その姿は、私にはキスをする以上に……田代さんからの、斎藤くんへの果てしない愛の表現のように思えた。


「そして…………」


田代さんの小さな囁きが、部屋に静かに満ちていく。


「そしてケンジに、もう一度……もう一度心から………………」






大好きって伝えたい。














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