8.あなたを好きになる時(2/2)
『……佳奈さん』
斉藤は変に真剣な声で、アタシにこう問いかけた。
『もしよかったら……今から会えない?』
「……ぐすっ、今から?」
『うん』
「……どこで?」
『佳奈さんちの近くとか、どうかな?その、家に上がらせてほしいとかそういうのじゃなくて、佳奈さんちの付近で会いたいなって』
「……………………」
『あ、で、でも……まだ家がどこか教えたくないとかだったら、全然ほんとに……』
「……Limeに」
『え?』
「Limeに住所、送るから」
『!』
「いい感じの時間に、来てよ」
『……うん!じゃあ、今すぐ向かう!ついたら電話するね!』
「ん」
そうして、一旦斉藤との電話は切れた。
「……………………」
アタシはベッドの枕に顔を埋めて、しばらくじっと横たわっていた。
不思議なくらい、頭の中は真っ白だった。あーだこーだと考えることはなく、斉藤が来るまで、本当にただぼーっとしていた。
ピリリリ ピリリリ
スマホに着信が入った。アタシはすぐにベッドから起きて、その電話に出た。相手は案の定、斉藤だった。
『遅くなってごめんなさい!今、家の前まで来たよ』
遅くなって、という斉藤の言葉を聞いて、改めて時間を確認してみた。
夜の7時25分……。さっき電話を終えたのが6時半頃だったので、約一時間かかったことになる。アタシはぼーっとしすぎてたあまり、そんなに時間がかかっているとは思わなかった。
「……ん、斉藤。家の前だとウチのママがなんか言ってくるかもしんないからさ、場所移してよ」
『え、えーと、どこがいい?』
「近くに公園あんのわかる?」
『あ、確かに行きしなに小さな公園を見かけた。ブランコと鉄棒しかないところだよね?』
「そう、そこに行っといて」
『わ、わかった』
そうして斉藤との電話を切り、自分の部屋から出ることにした。
1階へと降り、玄関前まで向かう。ラッキーなことに、その時ママは台所で晩ご飯を作っている最中だったので、簡単に家から抜け出せた。
夏だけど、さすがに7時を超えると暗くなってくる。夕日が落ちていよいよ夜が来るって感じの空だった。
「……………………」
斉藤は、アタシが言った公園にいた。二つあるブランコの内のひとつに座って、足元をじっと見つめていた。
アタシはその斉藤が座ってるブランコの隣……もうひとつのブランコの方に腰かけた。鉄の鎖がギッと音を立てて揺れる。
その音を聞いて、斉藤はアタシが来たことに気がつき、こっちに目をやった。
「佳奈さん……」
「……………………」
「あの、大丈夫?何かあった?」
「何かって?」
「だって、さっき電話越しに……泣いてた……よね?」
「だから、別に泣いてなかったって」
「……………………」
「なに?それで来たの?アタシが泣いてたかもしんないからって?」
「……うん」
「……ふーん」
アタシは斉藤から目を逸らして、公園の中にある鉄棒を意味なく眺めてた。
「……佳奈さん、僕は……その、佳奈さんからしたら全然頼りない彼氏かも知れない。でも、僕でも何か……できることがあったら、遠慮なく言ってほしいな」
「…………できること?」
「うん」
「……………………」
「……………………」
「じゃあ、さ」
「うん?」
「励ましてよ、アタシのこと」
「励ます?」
「うん」
「……えっと、やっぱり佳奈さん、何か嫌なことあった?」
「……………………」
「もしあれだったら、僕、話聞くよ?」
「いいの、今はそれ喋りたくないから。とにかくさ、励ましてってば」
「ど、どう励ませばいい?」
「……わかんない」
「ええ?」
「とりま何でもいいから、斉藤の自己流で励ましてよ」
「じ、自己流って……うーん……」
「……………………」
……自分でも、だいぶ無茶振りをしてるって思う。でも今は、ちょっと斉藤にダル絡みをしてみたかった。
斉藤がアタシのダル絡みを……どんな風に受け入れてくれるのか、試したかった。
「……佳奈さん」
「うん」
「嫌だったら、嫌だって言ってね?」
「え?」
そう言われて聞き返そうと思った瞬間……アタシは、後ろから斉藤に抱きしめられた。
だいぶぎこちない感じで、身体は震えてるわ、若干腕がアタシの身体から浮いてるわで、微妙にカッコよく決まらなかった。
挙げ句には「だ、大丈夫?胸は触ってないよね?」とか言ってビビってた。
なんも言わず、ただぎゅっと強く抱きしめときゃいいのに、絶妙にダサい感じでカッコつかない、いつも通りの斉藤だった。
ちぇ、陰キャのくせに、精一杯頑張っちゃってさ。
……バカみたい。
「ねえ斉藤」
「な、なに?」
「もっと強く」
「え?」
「もっとぎゅーって、強く抱いてよ」
「え、えっと、でも変なところ触っちゃったりしたら……」
「いいから、別に気にしないって」
「わ、わかった……」
斉藤は言われた通り、アタシの鎖骨辺りに腕をきちんと置いて、ぎゅーっと抱いた。
あったかい……。斉藤の体温が、アタシの身体に直に伝わってくる。
「……なんでさ、斉藤」
「ん?」
「なんで、ハグだったわけ?励ましが」
「あ、いや……その、ま、漫画で」
「漫画?」
「漫画で、こう……こういう感じで励ますのがカッコいいって、あったから」
「ふふ、何それ」
「い、嫌だった?」
「……ううん、嫌じゃない」
「……………………」
「あのね、アタシね」
「うん?」
「昔っから、全然勉強とかできない子でさ。ママとかパパから、呆れられちゃってて」
「……………………」
「ほら、アタシの妹の深雪……あっちの方が出来がよくって、二人ともあっちの方ばっかり可愛がるんだよね」
「……そっか、深雪さんの方を」
「昔はさ、アタシだって頑張ろうとした時期あったんだよ?めっちゃ勉強して、ママとかパパから褒めてもらいたくってさ、超頑張ったわけ」
「……………………」
「それで、中二?くらいの時に、学年で30位とか取った時があったわけ。学年全員で160人とかの内30位だから、いつも120位以下とかが当たり前だったアタシからしたら、超すごい成績だったんよ」
「うん」
「で、それが嬉しくて、通知表を持ってすぐママたちに見せようと思って、るんるん気分で帰ってたらさ……ちょっともう、なんでだったかは忘れちゃったんだけど、通知表をどっかに失くしちゃったんだよね?」
「失くしちゃった?」
「そう、鞄に入れてたはずだったんだけど、どこかに落としちゃって。それで悲しくなって家に帰ったら、ママから『通知表は?』って言われて」
「うん」
「もちろん失くしちゃってたから、『ごめん失くした』って言ったら、めちゃくちゃ怒られて。『早く出しなさい!どうせ持ってるんでしょ!』って。『また酷い成績だったから、隠そうとしてるんでしょ!嘘なんか止めなさい!』ってさ」
「……………………」
「それでもう……なんかアタシも、カチンってきちゃって。『通知表なんか捨てた!』って怒鳴って、そのまま部屋にこもって、一人で泣いたの」
「……………………」
「そっからなんかもう……全部、どうでもいいやと思って。頑張ったってめんどいし、何にもなんないし……」
「……佳奈さん」
「ん?」
斉藤はアタシのことを、さらに強く抱き締めて……そして、言った。
「好きだよ、佳奈さん」
「……………………」
「僕は、佳奈さんのこと、好きだよ」
「……なんで?」
「なんででも」
「……………………」
アタシは、なんだか耐えきれなかった。
気がついたら、眼からぼろぼろと涙が溢れていた。ほっぺたがびしょびしょに濡れていくのを、強く感じていた。
肩が小刻みに震えて、心臓がバクバクと揺れる。
「……斉藤」
「うん」
「もっと、言って。好きって言って」
「……好きだよ、佳奈さん」
「もっと、もっと」
「うん、好きだよ」
「もっと、もっともっと。もっとたくさん……」
「……大好きだよ、佳奈さん」
「……………………」
アタシは、もうそれからしばらく話せなかった。口をぎゅっと閉じて、涙とともに溢れ出てくるいろんな感情に飲まれていた。
斉藤はずっとその間も、抱き締めてくれていた。慰めの言葉とか、カッコいい言葉とか、そういうのは全然なかったけど、でもそれが……斉藤らしくて、ただそばにいてくれてる感じがして、嬉しかった。
……どれだけの時間が経ったかは、わからないけれど、ようやくアタシが泣き止んだ時には、もう既に辺りは真っ暗になっていた。
「……ん、ごめん斉藤。もういいよ」
「大丈夫?」
「うん、もう平気」
そうして斉藤は、アタシからゆっくりと離れていった。その時……自分から離れていいよって言ったくせに、ひどく寂しく感じてしまって……なんだか不思議な感覚に襲われていた。
「……今日は、ごめん。家の近くまで来てもらって」
「いやいやそんな、佳奈さんの役に立てたなら、僕も嬉しいよ」
「……あの、さ」
「うん?」
「名前、なんだけど」
「名前?」
「これからは、“ケンジ”って呼んでもいい?」
「ケンジ……ああ、下の名前でってこと?」
「ほら、そっちがアタシのこと“佳奈”って呼んでんのに、アタシが苗字呼びなのも……さ」
「うん、もちろんいいよ」
「ん、ありがと……ケンジ」
改めてそうやって呼ぶと、アタシはなんだか恥ずかしくって、顔が熱くなっていた。
ケンジの方もちょっと照れ臭かったみたいで、口許を緩ませながら頬を赤く染めてた。
「じゃあ……んと、ケンジそろそろ帰らなきゃだよね?」
「まあ……そうかな」
「よかったら、写真撮ってもいい?」
「え?写真?」
「うん。なんか、記念に」
「なんの記念?」
「……んー、ほら、ケンジが心配しに来てくれた記念、的な?」
「ははは、なんだいそれ」
「ね、いいでしょ?」
「うん、いいよ」
そうして、アタシたちは横に並んで、公園を背景に二人のツーショット写真を撮った。
「よし、上手く撮れたかな?佳奈さん」
「……んー、なんかイマイチ。もう一回撮らせて」
アタシはさっきよりもケンジに寄り添って、肩が触れ合うくらい近づいた写真を撮った。
「ありがと、ケンジ」
「満足できたかな?」
スマホで撮った写真を見返して、納得のいく出来なのを確認してから、ケンジに「うん」と答えた。
「……………………」
ふと見ると、ケンジと付き合い始めてから、今回の写真が五枚目であることに気づいた。
これで、真由の言ってたノルマは達成した。
「……………………」
「どうかした?佳奈さん」
「ううん、なんでもない」
アタシはスマホの電源を切って、ケンジに向かって言った。
「ね、次またいつ会える?」
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