35.兆し
……ケンジが眠りについてから、もうずいぶん時間が経った。
冬の気配がどんどんと深くなったきて、街はすっかりクリスマス一色になり始めた。ツリーだのサンタだの、イルミネーションだのと……そんな飾り付けがあちこちにされている。
アタシはそんな街の景色を、白い息を吐きながら眺めている。マフラーをしていてもまだまだ寒い気がするのは、雪が降っているせいなのかも知れない。
「…………………」
そんな寒い時期にわざわざ出歩いているのは、本屋で参考書を買うためだった。
マジで参考書なんてちゃんと買うの初めてだから、どれがいいのか分かんないけど、ネットで見るより実際に手に取って中身を確認する方がいいかなっと思って、こうして買いに来ていた。
「ふあぁ、あったかい……」
店内に入ると、暖房が効きまくってるお陰でめちゃくちゃ暖かかった。あー、ずっとここにいたい~。
(えーと、参考書は……あった、この辺の棚か)
勉強関連の棚の中に、中学入試から高校、大学、そして特殊な試験に向けての参考書や問題集がずら~と並んでいる。
アタシは別に、目指してる大学とか欲しい資格があるわけじゃない。ただ、勉強をしていると……ケンジと一緒にいるような気持ちになれる。ケンジがそばにいてくれるような感覚になる。
それに、ケンジはこれから長いこと入院するとなると、お金がどうしても必要になる。なら、アタシがそのお金を少しでも援助できるように、たくさん勉強していい職場で働こうと思っている。
昔の自分だったら絶対そんな発想は浮かばなかった。本当に、自分の心境の変化に驚かされる。
(……んー、これとこれがいいかな)
アタシは、本棚から自分に合ってると感じた参考書二冊を持った。とりあえず、二冊買っておけば十分だろう。
(このまま帰るのも味気ないし、ちょっとだけお店の中を見て回ろうかな)
アタシはケンジと付き合う前は、雑誌とかをよく読んでた。なので雑誌コーナーに久しぶりに立ち寄り、その辺りをうろうろしていた。
(あ、この服可愛い~)
アタシは目に止まったファッション雑誌を手に取って、中を開いた。そこにはずらりと、今のトレンドになっている服を着た女の子のモデルが並んでいて、開かれたページをまたいで『SNSで話題!』と大きな見出しが書かれていた。
(そう言えば、インサタもだいぶ観てないなあ。どんなのが流行ってるか、全然追い付けてないし)
前までは、このトレンドに追い付けてないと不安だった。ちゃんとイマドキの情報を仕入れているのが一番いいと思ってた。
でもそれから離れてしまうと、案外どうでもよくなるんだなと思った。可愛い服はいいなと思うけど、それを必死こいて欲しがる気持ちにはならなくなった。
(また今度、服も見に行こうかな)
そんな風に、どこか昔を懐かしむような感覚で、アタシは雑誌を棚になおした。
……カリカリ、カリカリカリ
家に帰ってからは、ただひたすらに勉強する。
自分の部屋にこもって、今日買った参考書とノートを開きながら、右手の側面が黒くなるほどに、ノートへたくさん書き連ねた。
『ほら佳奈さん、一緒に頑張ろうよ?僕もそばで勉強するからさ』
ケンジの声が、アタシの脳内に響く。夏休みの時は、こうしてケンジが励ましてくれたっけ。
宿題をやりたがらないアタシのことを、ケンジは根気強く応援してくれて、分からないところがあったらいつもすぐ教えてくれた。
『夏の大三角はね、デネブとベガ、そしてアルタイルという名前の三つの星を結んでできる三角形なんだ。ベガとアルタイルは、日本語で織姫と彦星のことなんだよ』
そんなケンジとの思い出があるお陰で、勉強している時はいつも……頭の中にいるケンジに話しかけている。
(ねえケンジ、北極星ってなんだっけ?)
『北極星はね、北の空に見える星のことで、この星は時間がどれだけ経とうと動かない。だから昔は、航海の時とかに北極星を見て座標を測っていたんだよ』
(そっか、ありがとねケンジ)
ただ参考書を読むだけだったら、そこまで勉強は楽しくない。参考書を読みつつも、その言葉をケンジが言ってくれたように置き換えることで……勉強が嫌いじゃなくなる。
我ながら変なことしてるなーと思うけど、でもこれが一番効果あるから、仕方ない。
「ふう……」
なんとかキリの良いところまで終わったので、シャーペンをノートの上に置き、腕を上げてぐーっと背筋を伸ばした。
「…………………」
アタシはふと、机の上に置いていた『台本』に目をやった。
これはまさしく、銀河鉄道の夜の台本だった。いくつもしおりを挟んで、マーカーで自分の台詞を引いている。何回も読んだせいで表紙はクタクタになっており、ところどころページの端が破けている。
(懐かしいな……。もうあの文化祭が、遠い昔のように感じる)
「ボク、白鳥を見るのが大好きだ。河の遠くを飛んでいたって、ボクには見える……」
めちゃくちゃ読み込んだお陰か、アタシは全然台詞を忘れていなかった。台本を一回閉じて、その状態で台詞を口にしても、すらすらと読める。
そして改めて開くと、やっぱり覚えてた通りの台詞がそこに書かれている。
「…………………」
アタシは台本を机に置き、ふっと顔を上げた。その視線の先には、窓があった。外はもうすっかり暗くなっていて、窓からは何も見えなかった。
一旦椅子から立ち上がり、部屋の電気を全部消した。そしてまた、椅子へと座り直してから、もう一度窓の外を見た。
するとさっきとは少し変わって、点々と小さな星がいくつか見えていた。
めちゃくちゃ綺麗!ってほどではないけど、ぼーっとその星を眺めていると、なんだかふわふわした不思議な気持ちになった。心が遠くなるというか、穏やかになるというか……。
「……ああ、ジョバンニ」
アタシはその夜空に向かって、台詞を呟いた。
「ボクたちは、ずっと一緒だよ」
「……そっか。まだ斎藤くん、意識が戻らないんだね」
柳原さんは、寂しそうにそう呟いていた。
学校のお昼休み時間、アタシが一人でお弁当を食べていると、机の周りにわらわらと人が集まってきた。
柳原さんに、内藤さん。そして藤山くんに長崎と……以前、ケンジのお見舞いに来てくれた四人だった。
「意識フメーって、ぶっちゃけどういう感じなわけ?寝てんのとかわんねーの?」
長崎が頭の後ろに手を組んでそう呟くと、藤山くんが「ただ寝てるのとはちげえよ」と答えた。
「このまま一生、起きてこない可能性もあるってことだ」
「一生!?やべーなそれ。バシッと殴っても無理なのか?」
「おいおい、壊れたテレビじゃないんだからよ。斎藤は事故ったせいでそうなってんだ、下手に触ると余計酷くなるかも知れない」
「うーん、ムズカシーんだな」
「だから困ってんだろうがよ」
藤山くんは顔をしかめながら、呆れたようにため息をついた。
「ねえ、田代さん」
「なに?柳原さん」
「今日辺り、またお見舞いに行っていいかな?」
「お見舞い?」
「うん。まだ斎藤くん起きてないけど、もう一回行こうかなって」
「そっか、ありがと。アタシにお見舞いを受け入れる権限があるわけじゃないし、みんな好きに来なよ」
「うん」
「あのー、田代さんちょっといい?」
「どうしたの?内藤さん」
「千羽鶴とかって、斎藤くんに持っていったことある?」
「あー、いや……そう言えばないかも」
「せっかくだし、私お昼休みのうちに何個か作っとくよ」
「ありがと。よかったらさ、アタシ鶴の折り方教えてくんない?アタシもケンジにあげたいし」
「うん、いいよ」
なるほど、千羽鶴か。今まで頭の中に掠めたこともなかった。
内藤さんから千羽鶴という単語を聞いて、「そっか確かに!」と嬉しくなる気持ちと、「アタシが最初に思いつきたかったな」という、微かなヤキモチが胸の中に混じっていた。
「田代ー、いるかー?」
その時だった。教室の中を、担任の平泉先生が覗き込んでいた。
「はーい、ここですけどー」
アタシがそう言って答えると、先生は右手に持っていたスマホを掲げて、「お前宛に緊急の電話だ」と言われた。
「緊急の電話?」
「ああ、すぐにお前と代わってくれとよ」
「は、はあ……」
なんでいきなり、アタシ宛の電話が先生に来るんだろう?しかも、緊急の用事?
アタシは周りにいる柳原さんたちと目を合わせながら、先生の元まで小走りで向かい、スマホを受け取った。
「はい、もしもし?」
アタシがおそるおそるそう告げると、電話口の相手は『よかったわ!あなた、田代 佳奈さんね!?』と何やら緊迫した様子で答えた。
「は、はい、田代ですけど……どなたですか?」
『私よ!斎藤 健治の母よ!』
「えっ!?ケンジママ!?」
『あなたに連絡したかったのだけど、生憎連絡先を知らなかったから……担任の平泉先生へ代わりにかけたのよ』
「ケ、ケンジママ、こんな時間に一体どうしたの?な、なにか、ケンジに良くないことでも起きたの?」
アタシは、緊急で連絡してくるのだから……何かケンジの容態が悪化したとか、そういう悪い話が舞い込んで来る気がして恐ろしかった。
スマホを持つ手はじっとりと汗をかき、そわそわして落ち着かない。
「誰だって?」
「斎藤のお母さんだとよ」
気がつくと、アタシの周りにはさっきの四人が集まっていた。きっとケンジの名前を聞いたからだろう。
『いい?落ち着いて聞いて。今しがたね、健治が少しだけ……起きたのよ』
「……え?」
『起きたと言っても目を少し開いただけだし、またすぐに閉じてしまったけれど……間違いなく、起きたのよ。私の呼び掛けにも、微かに反応を示したわ』
「ほ、ほ、本当に……!?本当にケンジは目を……!?」
『ええ、こんなところで嘘をつくものですか』
「…………………」
『ただね、一度目を閉じてしまってからは、また反応がないの。お医者様からはね、もっともっと呼びかければ目覚めるかも知れないって言われてるんだけど……』
「…………………」
『そこでね、田代さん。あなたに今すぐ病院へ来て欲しいの』
「ア、アタシ……?」
『そうよ。だってケンジは……あなたの声を、待っているような気がするから』
「…………………」
『お願い、あなたが頼りなのよ。あなたならきっと、ケンジを起こせると思うから……』
「……わかった!絶対……絶対すぐに行く!」
アタシはスマホを先生に投げつけるように返して、直ぐ様自分の机に向かって走った。
そして鞄に教科書をたくさん詰め込んで、肩にかけて帰る支度を速攻で済ませた。
「田代さん、一体どうしたの?さっきの電話はなんだったの?」
柳原さんからそう訊かれたアタシは、手短に答えた。
「ケンジが、起きるかも知れない!」
「え!?」
「今ケンジママから連絡があったの!声をかければ、今なら起こせるかも知れないって!」
「ほ、本当!?」
「すげー!マジかよ!」
柳原さんや内藤さん、そして藤山くんや長崎の四人は、アタシと同じように帰り支度を始めた。
「お、おいお前ら、一体どうしたんだ?」
先生からそう言われたアタシは、「すんません!早退します!」とだけ言って、教室から飛び出した。
それに続いて、柳原さんたちも「自分たちも早退しまーす!」と叫んでいた。
(ケンジ……!ケンジ、ケンジ、ケンジ!)
頭の中に彼の顔を思い浮かべながら、アタシは廊下を風のように走り抜けた。
12月24日の、クリスマスイヴのことだった。
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