28.本当の告白
……アタシの目が覚めたのは、もうすっかり夕方の5時を過ぎた頃だった。
ぐっすり眠れたお陰か、だいぶ頭もスッキリしていた。自分の部屋のベッドから眺める天井が、いつになく鮮明に見えた。
(……深雪は、ケンジと文化祭、楽しめたのかな……)
起きてから真っ先に頭を掠めたのは、その二人のことだった。
結果がどうだったのか知りたいような、知りたくないような……そんな複雑な気持ちだった。
(早く……ケンジに謝らないと。月曜日にまた……声をかけようかな)
そうだ、そう言えばケンジの方も話したいことがあるって言ってたっけ。
今回それもうやむやになっちゃったし、その話も聞かなきゃな……。
「……お姉ちゃん」
突然、アタシは声をかけられた。横になったまま顔を横に向けてみると、そこには深雪がいた。
誰もいないと思っていたので、さすがにアタシも「わあっ!?」と声をあげてしまった。
上半身を起こし、深雪に向かって叫ぶ。
「お、脅かさないでよ深雪!いつの間にいたの!?」
「……………………」
深雪は、アタシの言葉には全く反応しなかった。
呆然とした表情で、その場に立ち尽くしていた。
「……………………」
アタシはその時、直感的に何か良くない気配を感じていた。
深雪はずっと、魂が抜けたような表情をしていた。虚ろな瞳で、アタシのことを見ているのかどうか分からない、焦点が合ってない眼差しだった。
そんな深雪を見ていると、背中にざわざわと嫌な感触がしていて、落ち着かない。
この感覚の正体は、一体なんなのだろう?
「……どうしたの?深雪」
「……………………」
「もしかして……ケンジと、喧嘩でもしちゃった?」
「……………………」
深雪はこの時、ようやくアタシの顔を見た。
そして、スローモーションのようにゆっくりと動く唇で、こう告げた。
「……健治さんが、眠った」
「え?」
「……………………」
「……えーと、眠ったって、どういうこと?」
「……………………」
「ごめん深雪、ちょっと言ってる意味がわかんない。もうちょっと分かりやすく言ってほしいんだけど……」
「……………………」
深雪の目の下が、ひくひくっと痙攣していた。口元がぶるぶると小刻みに震えて、か細い息を吐いていた。
アタシは息を飲んで彼女の言葉をしばらく待っていたけど、深雪は何も言わないまま、その場にしゃがみこんでしまった。
髪の毛をぐしゃぐしゃとかきむしって、小さな嗚咽を上げている。
「み、深雪……?どうしたの?」
アタシは彼女を見下ろしながらそう尋ねると、突然深雪はアタシの腕をガッと掴んできた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
「な、なに?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
深雪の爪が、アタシの腕の皮膚に食い込む。でもアタシは深雪の様子が気になりすぎて、爪の痛みはさほど気にならなかった。
「な、なに?深雪。一体何があったの?」
「……………………」
アタシにそう言われた深雪は、掠れた声で呟いた。
「……健治さんが、ね」
「う、うん」
「……………………」
「ケンジが……なに?」
「……事故に遭ったの」
「じ、事故?」
「うん」
「……事故って、それは……えっと、どういう事故?」
「…………車」
「……………………」
「私のせいなの」
「深雪の……?」
「私の、私の、私の、私のせいなの……」
深雪はだんだんと、パニックになり始めていた。
喋る度に声色が荒ぶり出し、アタシの腕を掴む手がガクガクと震えている。
「み、深雪……?」
「私が、轢かれそうになったのを、かばったの。健治さんが」
「……………………」
「さっき、病院に運ばれて……それで……」
「ちょ!ちょっと待って深雪!さっきあんた、『健治さんは眠った』って言ったよね!?」
「……………………」
「ま、まさか!?まさかケンジは……し、し、死んで……!?」
「……………………」
深雪はその時、ようやく顔を上げた。
滝のように溢れる涙に顔一面を濡らしながら、彼女は首を横に振った。
「……助かったの」
「助かった……?」
「一命は……なんとか、取り留めたの」
「ほ、本当?じゃ、じゃあケンジは生きてるんだね?死んでないんだよね?」
深雪は小さく頷いた。それを確認したアタシは、本当に安心して、深いため息をついた。
「ああ、良かった……助かったんだね」
「……うん、命は助かった。でも、でもね……」
「……でも?」
「……意識が、ないの」
「……………………」
「ずーっとずーっと、眠ったままなの」
「……………………」
「お医者さんがね、もしかしたら……」
──このまま一生……起きないかもしれないって。
「……………………」
まさか、嘘でしょ?
一生、起きないかもしれないって?
ケンジが?
あのケンジが?
そんな、え?
やだ。
そんなことある?
まさか。
なにこれ?夢?
何が起きてるの?
「……………………」
アタシの脳内は、完全に固まってしまった。深雪からの言葉を受け入れ切れずに、ただただその場で凍りついていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
ひたすらに謝る深雪の声が、部屋中に響き渡っていた。
「……あの、申し訳ありませんが、今日はもう面会時間を過ぎていますので……」
病院の入り口で、アタシは受付にいた女性の看護師さんから止められていた。
「お願いします……!一目だけ……!一目だけでいいから!ケンジに会わせてください!」
「お気持ちは分かりますが、面会は5時までとなっておりますので……」
「そこをどうか!どうかお願いします!ケンジに会わせてください!ケンジに!」
聞き分けの悪いアタシのことを、看護師さんは困った顔で見つめていた。
「どうしたの?」
その時、看護師さんの上司っぽい……おばさんの看護師さんが現れた。若い方はアタシからそっちへと目を移して、「実は……」と状況を話そうとした。
アタシはその隙を狙って、二人の看護師さんの間を走り抜けた。
「あっ!?ちょ、ちょっと!」
若い方の声が後ろから聞こえるけど、アタシはそれをガン無視して、全力でケンジのいる病室へと走った。
(12……!12号室は……!)
深雪から事前に部屋番号を聞いていたので、既に場所は把握している。
エレベーターに乗り、廊下を駆け抜け、ついにその部屋へとたどり着いた。
「ケンジ!!」
勢いよく引戸を開けて、アタシは叫んだ。
……ピ……ピ……ピ……ピ……
心電図が、静かに音を刻んでいる。
ベッドには、ケンジが眠っていた。
頭には包帯が巻かれていて、身体中にたくさんの管が繋がれている。
「……………………」
アタシは彼のそばまで、ゆっくりと近づいた。
か細い呼吸をしているケンジの顔を、瞬きすらも惜しむほどに見つめた。
「……ケンジ」
アタシはすっと、彼の手を握った。
「あのね、深雪がね、ケンジは一生起きないって言ってたの。お医者さんが、そんな風に言ったって」
「……………………」
「嘘だよね?そんなわけないよね?」
「……………………」
「だってさ、ケンジは優しいじゃん。アタシ、優しいケンジには幸せになってほしいなって、いつも思ってて」
「……………………」
「それで、ケンジのこと傷つけたくなくて、離れようとして……」
「……………………」
「だから……アタシ……」
「……………………」
窓の外から、夕暮れの日差しが入り込む。
赤く照らされたケンジの顔は、アタシがどんなに声をかけても、ぴくりとも反応しない。
「……………………」
そんな時、アタシの背後から「お客様!」と声が聞こえてきた。
それは、さっきの若い看護師さんだった。
「お客様!無理やり入られては困ります!」
「……………………」
「また日を改めて、おこしください!」
看護師さんの声が次第に大きくなる。それにつれて、こちらへ向かってくる足音もしている。
「お客様!勝手に病室へ入るのは控えて……」
そして、すぐ背後でその声がした時に、アタシはくるっと振り返って、看護師さんの腕を掴んだ。
「え?お、お客様?」
顔をしかめていた看護師さんが、アタシの行動に驚いて、言葉をどもらせた。
「……………………」
「ちょ、ちょっとお客様?どうされたのですか?」
「…………なんで」
「え?」
アタシは、アタシはもう、たまらずに、叫んだ。
「なんでアタシ!!好きって言わなかったんだろう!!」
「……………………」
「なんで!!なんでなんでなんで!!どうして!!どうして!!」
目の前が涙で滲んで、何も見えない。
叫ぶ声が裏返って、時々キーンと耳鳴りがするほどに高くなる。
「アタシ!!カッコつけちゃった!!カッコつけて、何も言えなかった!!」
「……………………」
「本当は大好きなのに!!泣きたくなるほど大好きなのに!!なんで!!なんで伝えないままにしちゃったんだろう!!」
「……………………」
「ケンジにたくさん優しくしてもらって!!ケンジから大事な気持ちをいっぱいもらって!!いろんなこと貰いっぱなしで!!うう!!うううう!!やだ!やだやだやだ!!こんなのってないよ!!あんまりだよ!!」
「……………………」
「こんなことになるなら!!言えばよかった!!ケンジがアタシのことをどう思っててもいいから!たとえアタシのこと大嫌いでもいいから!!たくさんたくさん!!好きだって伝えたらよかった!!怖がらずに言えばよかった!!」
滲んだ視界の先に、看護師さんが悲しそうに眉をひそめる顔が見えた。
アタシはまた、ケンジの方へ向き直った。そして、彼の手を取って、そこに何回も何回もキスをした。
「ねえ!!ケンジ!!アタシ!!大好きだよ!!本当に本当に大好きだよ!!」
ケンジの手の上に、アタシの涙が雫となって落ちていた。
「今度こそ嘘じゃないよ!!今度こそ!!今度こそ嘘じゃない!!この世で一番!!誰よりも!!誰よりもあなたが好き!!」
「……………………」
「ねえお願い!!お願い!!また優しい目で笑ってよ!!照れ臭そうにはにかんでよ!!ねえ!!ケンジ!!ケンジ!!」
ケンジーーーーーーーー!!!
「……………………」
喉が潰れそうなほどに泣き叫ぶアタシの背中を、そっと優しく、看護師さんが撫でていた。
ケンジは変わらず静かに、そこで眠っていた。
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