27.さそりのように





……私、今この瞬間が、今までの人生で一番可愛いと思う。


いつもポニーテールに結んでいる髪を下ろし、この日のためにお小遣いのほとんどを使って買った白いワンピースを着て、ネットでたくさん参考動画を見ながら頑張ってお化粧をして……。


(……健治さん)


私は高鳴る胸を抑えられないまま、健治さんのいる校舎へと入った。


廊下や教室には、たくさんの人たちで賑わっている。


今日は、健治さんたちの学校は文化祭をしている。私も先ほどまで、健治さんたちのクラスである二年三組の劇を体育館で見ていた。


その劇が今終わって、お昼休みに入った。この時間帯に、私は健治さんのいる教室へ行く段取りになっていた。



『午後からなら、ケンジも自由になれる』



昨日のお姉ちゃんの言葉が、頭の中に浮かんでくる。



『劇が終わってすぐに、お昼休みになる。それから30分ほど待ってから、教室へ行ってみて。きっとそこに、劇の片付けを終えたケンジがいるはず。それから二人で、文化祭を……楽しんだらいいよ』



「……………………」


まさかお姉ちゃんの方から、健治さんをデートに誘っていいよなんて言われると思わなかった。


それに、もう二度と、自分は健治さんへ近寄らないって、そんなことまで言うなんて……。


ずっと寂しそうに、その話をしながらうつむいていたお姉ちゃんのことを、全く気にならなかったと言えば嘘になる。正直言って、内心かなり動揺してる。


だけど、私はそれでも、このチャンスを逃すつもりはなかった。


「……二年三組……は、ここか」


いよいよ健治さんのいるクラスへと着いた私は、緊張で浅くなる呼吸をなんとか整えながら、教室の扉を開けて、こう言った。


「あの……すみません。斎藤 健治さんは……いらっしゃいますか?」


すると、中にいた健治さんのクラスメイトたちが、一斉にこちらを向いた。その視線にビクッと震えながらも、私は健治さんの姿を探した。


「あれ?深雪さん?」


でも、先に見つけてくれたのは、健治さんの方だった。教室の奥のいた彼は、席を立って、小走りで私の方へと来てくれた。


「け、健治さん……こんにちは」


「こんにちは、深雪さん」


「ひ、久しぶり、だね」


「うん、そうだね。髪型、変えたんだ?」


「そ、そう。似合うかな?」


「うん、いいと思うよ」


健治さんは、いつものように優しい笑顔でにっこりと笑ってくれた。


よかった……!髪型、ちゃんと褒めてもらえた!イメチェンした甲斐があった!


「今日はどうしたの?田代さ……佳奈さんを探しに来たの?あ、もしかしてお迎えかな?」


「い、いや……。お姉ちゃんのことじゃなくて……」


「佳奈さんじゃない?」


「うん」


「……………………」


ここで上手く何か言えたら良かったんだけど、私は何も言えないまま、固まってしまってた。


顔が赤くなっているのが、自分でも分かる。だって、ほっぺたが痺れるように熱いんだもの。


「あ、あの……け、健治さん……」


一緒に文化祭を回ろう?……と、ただその一言を告げるのに、私はだいぶん勇気がいった。


ああ、こんなことなら、事前に連絡をしておけば良かった。なんで私、そのことを見落としちゃってたんだろう。


「さ、さっきの劇!と、とても……良かった……!」


なんとか口に出せたのは、デートの誘いではなく、無難な話題だった。


「銀河鉄道の夜って、こんな話なんだって、あの劇で……初めて知ったかも」


「そっか、深雪さんが楽しんでくれたなら良かったよ」


「ジョバンニ役の健治さん、とても似合ってた。健治さんそのままって感じしたよ」


「ははは、そうかな?」


彼は少し照れ臭そうに、頭を掻いていた。


「劇、見に来てくれてありがとうね、深雪さん」


「う、うん」


「これからどうするの?もう帰るの?」


「え、えーと……」


「せっかく来てくれたしんだし、出店とかも見てみたら?面白いのたくさんあると思うよ」


「……………………」


「………………?深雪さん?」


「あ、あの、よかったら、あ、案内、してほしい……かも」


「案内?」


「わ、私、この学校に入るの初めてだから、場所とか、よく分からないし……。迷ったら怖いから……」


「……そっか、わかった。じゃあ案内してあげよう」


「あ、ありがとう!」


やったやった!なんとかいい感じに、健治さんと文化祭を巡れる!


私はその場で跳び跳ねそうになるのを必死に堪えながら、健治さんとともに歩き始めた。




「たこ焼きやってまーす!いかがですかー!」


「お化け屋敷、一年四組にありま~す。怖いよ怖いよ~」


「焼きそば好きな人いませんかー!?今ならお買い得!お買い得でございまーす!」


中庭に出ると、出店がたくさん並んでいて、いろんな人たちのかけ声が混じって聞こえていた。


おしくらまんじゅうのように、たくさんの人たちが出店周りに集まっていた。その熱気に当てられて、身体がすごく暑くなる。


「とても、賑わってるね」


私の呟きに、健治さんは「そうだね」と短く返した。


「あの、健治さん」


「うん?」


「私、りんご飴買ってきてもいい?」


「ああ、うん。どうぞ?」


「ありがと。健治さんはいらない?」


「僕は平気だよ、お弁当を食べたばかりだから」


「わかった」


私はりんご飴屋の出店に行って、ひとつだけりんご飴を注文した。


「どうぞ、りんご飴です」


私のお姉ちゃんと同世代の女の人が、私にりんご飴を手渡してくれた。


それを持って、また健治さんのもとへ戻る。


「深雪さん、りんご飴美味しいかい?」


「うん」


「そう、それはよかった」


「あ、健治さん。あそこに射的があるね」


「うん。深雪さん、やってみたい?」


「やってみようかな。健治さんもやらない?」


「僕はいいよ。深雪さん、楽しんできて?」


「……うん」


そうして、また私はさっきと同じように、一人だけで出店に向かった。




……その日は、いつもそんな感じだった。私がどんなに誘っても、「僕はいいから、深雪さん行ってきなよ」「食べてきなよ」って言うばかりで、全然一緒にいてくれなかった。


そして、彼はいつも何か考え込むようにして、眉をひそめていた。


(な、なんだろう?どうしたのかな?もしかして、私と一緒じゃ……つまんなかったかな?)


そんな不安に煽られてしまった私は、勇気を出して健治さんへ尋ねてみた。


「け、健治……さん?」


「うん?」


「どうかしたの?」


「なにが?」


「だって、なんか……考えてるんだもの」


「……………………」


「何かあったの?」


「……………………」


「もしかして……私と一緒じゃ、いや?」


「あ、いやいや!そんなことじゃないよ。ただ……」


健治さんは、その場に立ち止まった。私もそれに合わせて、足を止めた。


周りはさっきまでと変わらずに、がやがやと騒がしい。でも、なぜか私は、今すごく静かな場所にいるような錯覚に陥った。


「……佳奈さんが、今日体調崩しちゃってね」


「え?」


「早退したんだ、ついさっきね」


「……………………」


「せっかくの文化祭を、佳奈さんは楽しめなかった。だから僕も、楽しんじゃうのはいけない気がして」


「……だから、何も買わないし、何もしようとしなかったの?」


「うん」


「……………………」


「ん、ごめんね深雪さん。僕のことなんて本当に気にしなくていいから、存分に楽しんでもらえると……」


「……好きなの?」


「え?」


「健治さん、まだお姉ちゃんのこと、好きなの?」


「……………………」


健治さんは私から見つめられて、すっと目を伏せた。


そして、しばらく間を置いてから、また私と目を合わせた。


「うん、好きだよ」


「……………………」


「僕、やっぱりあの人のことが、好きだ」


「……どうして?お姉ちゃんは健治さんのこと、傷つけたのに」


「そうだね」


「嘘ついて、最低で、自分勝手なのに」


「そうだね」


「なのになんで、好きでいられるの?」


「それが、僕の本当の気持ちだから」


「……………………」


「……ごめん、なんか変な空気にしちゃったね」


「……私、可愛い?」


「え?」


「健治さん、今日の私、可愛い?」


「……………………」


「このワンピースね、私の持ってたお金、ほとんど使って買ったの」


「……………………」


「このお化粧もね、たくさんたくさん勉強して、頑張ってしてみたの。なんでだと思う?健治さん」


「なんでって……」


「全部、全部、健治さんに可愛いって言われたかったから」


健治さんの目が、大きく見開かれていた。私はそんな健治さんに向かって、はっきりと告げた。


「私、健治さんが好き」


「……………………」


「これは、嘘じゃないよ。罰ゲームなんかでもない。私の、本当の気持ち」


「……………………」


「私は健治さんに、嘘なんてつかない。健治さんを、悲しませるようなことしない」


「……………………」


「ねえ、健治さん。私……私……」


すっと、私は彼の右手へと手を伸ばした。そして、服の袖の部分を掴んで、彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。


健治さんはしばらくの間、驚きと戸惑いが両方いっぺんに来たような顔をしていた。視線があちこちに泳いでいて、落ち着かない様子だった。


「……………………」


そして健治さんは、すっと口を真一文字に閉じると、裾を掴んでいる私の手の上に、手を置いた。


そして、すっと、優しく袖から離させた。


「ごめんね、深雪さん」


「……………………」


「君の気持ちは、本当に嬉しい。まさか君のような可愛い子に告白されるなんて、夢にも思わなかったよ」


「……………………」


「でも、僕の心には……もう、佳奈さんがいる。だから…………君の気持ちには、僕は……」


「……………………」


私は、健治さんの言葉を最後まで聞く勇気がなくて、くるりと彼に背を向けて、がむしゃらに走り出してしまった。


「あ!み、深雪さん!」


後ろで健治さんの声がするけれど、私はもう立ち止まれなかった。


ああ、ああ……!


どうして!どうして!


なんでいつも!お姉ちゃんばっかり!!


私はどんなに頑張っても!!愛されない運命なの!?


どんなに努力しても!!報われない人生なの!?


健治さん!!健治さん!!


こんなにあなたが好きなのに!!どうして私を見てくれないの!?


「はあ……はあ……」


私は走りながら、泣いていた。


涙が風に吹かれて、後ろへと飛んでいく。


「深雪さん!深雪さん!待って!」


後ろから聞こえてくる健治さんの声を耳にしながら、私は学校から出てしまった。


(もう!もう何もかもどうでもいい!!どうでもいい!!どうでもいい!!)


ぎゅっと目を瞑って、さっきよりさらに足を早めようとした……その時だった。



「深雪さん!!危ない!!」



その声とともに、背中に強い衝撃が走った。


私の身体は大きく前へと押し出されて、危うく転びかけた。


閉じていた目を開いてみると、そこが横断歩道の上であることが分かった。


(あ、今ここ横断歩道なんだ)


と、思っていた次の瞬間……




ドンッ!!!



あまりにも激しい音が、私の後ろから聞こえてきた。


直ぐ様振り返って確認すると、それは……健治さんが、車に跳ねられた音だった。


軽自動車に横からぶつけられた健治さんは、反動で数メートル跳んでいた。


そして、地面に突っ伏したまま、動かなくなった。


「うわっ!やっべえ!」


軽自動車を運転していたドライバーは、急いで車から出て、健治さんのそばへ駆け寄ってた。


「まあ大変!」


近くにいたおばさんも、健治さんの様子を見に駆けつけていた。


「……………………」


私は、今起きていることが、本当に現実のことなのか理解できなかった。


ただただ呆然と、その場に立ち尽くしていた。


「……………………」


あ。


血だ。


私の服に、血がついてる。


お腹のあたりに、血痕が何滴か飛び散ってる。


せっかく、健治さんとのデートのために買ったのに。


さっきの事故で、ついてしまったんだろう。


「あの、すみません」


私はさっきのおばさんに向かって、声をかけた。


「なに!?」


急に声をかけられて、驚いていたおばさんへ、私は質問した。


「血って、どんな洗剤を使えば落ちますか?」


「……………………」


一瞬、きょとんとしていたおばさんだったけど、すぐに鬼の形相になって、思い切り私の頬を叩いた。



パーーーーンッ!!



「あんた!!こんな時に何考えてんの!?」


「……………………」


「救急車!!救急車呼んで!!ほら早く!!」


「……………………」


おばさんにぶたれて、じんじんと痛む頬をさすって、ようやく……ようやく、実感が湧いてきた。


健治さんが……健治さんが、事故に遭った。


私のせいで。


私のせいで。


私のせいで。


私のせいで。


「あ……」


健治さんが、事故に遭った。


今も動かない。


反応がない。


どうなってるか分からない。


動かない。


健治さんが動かない。


動かない。


「あ、ああ……あああ……」





「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」








僕はもう あのさそりのように

ほんとうにみんなの幸いのためならば


僕のからだなんか

百ぺん灼いてもかまわない。



──銀河鉄道の夜

ジョバンニの台詞より








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