6.深雪という妹(2/2)
……動物園の正門前。
そこに、アタシたち三人は集合していた。アタシと、斎藤と、深雪。
斎藤と深雪は、明らかに緊張した感じで、挨拶を交わしてた。
「ど、どうも……僕はお姉さんの田代さ……じゃダメか、えーと、か、佳奈さんと、お付き合いをさせてもらってます、斎藤 健治と言います」
「は、初めまして!私はお姉ちゃんの妹をさせてもらってます深雪っていいます!いつも不束な姉がお世話になってます!」
「え、えーと、今日はごめんなさいね深雪さん……。僕らのデートに連れて来ちゃう感じになってしまって……。あ、ていうか、み、深雪さんって呼んで大丈夫ですか……?い、いきなり下の名前で呼んで気持ち悪いとかあったら、全然変えますんで……」
「いえいえそんなお構いなく!私のことなんていないものとして扱ってもらっていいんで!あ!はい!深雪でいいです!気持ち悪いとかそういうの全然ないので!はい!お気遣い痛み入ります!」
斎藤の方はおどおどしすぎるあまに言葉が嚙み嚙みで、深雪は逆にテンパりすぎて変な言葉使いになってた。
(やっぱり、なんか似合う二人だなー)
アタシはそんな彼らのことを、遠巻きに眺めていた。
「ほら、斎藤、深雪。早く中入ろ」
「は、はい田代さ……じゃなくて、佳奈さん」
「あ!待ってよお姉ちゃん!」
そうしてアタシたち三人は、慌ただしく動物園の中へと入っていった。
「……あ、ほら。見てください佳奈さん。コアラですよ」
「へえ、ホントだ」
アタシと斎藤は並んで歩きながら、柵越しに動物たちを眺めていた。コアラは木にぶら下がりながら、じーっと動かなかった。その姿はまるで、小さな人形みたいだった。
「かわいいですね、コアラ」
「そうね」
「写真、撮りますか?」
「うん、撮っといて」
アタシがそう言うと、斎藤はスマホでコアラの写真を何枚か撮っていた。
それから斎藤は、柵の前に設置されている、コアラの説明文的なのを読んでいた。
「へえ……ねえ佳奈さん、コアラが食べるユーカリって木には、毒があるんですって」
「え?毒あんの?」
「はい、でもコアラだけはユーカリの毒を消化できるので、食べられるみたいですね」
「ふーん、すげーね」
「それから、コアラは1日20時間も眠るみたいですよ。ユーカリの毒を分解するためみたいですね」
「ふふ、何それうらやま。コアラってそんな寝るんだ」
「……………………」
「……?何?斎藤」
アタシのことを少しだけ驚いた顔で見つめていた斎藤に向かって、アタシは声をかけてみた。
斎藤は声をかけられると、「あ、いえ」と言って目線を外し、なんだかやけにニヤニヤしながら、こう答えた。
「佳奈さんが笑っているところ、ちゃんと見たのは初めてだなと……そう思いまして」
「……………………」
「今まで僕とのデートでは、笑われたところを見たことがなかったから、もしかしたらつまらない思いをさせてしまってたのかなって……。だから、今こうして佳奈さんの笑ってるところを見られて、僕、嬉しいです」
斎藤は、屈託のない笑顔をアタシに向けてきた。その顔があんまりにも無邪気だから、アタシは思わず固まってしまった。
……そして、その顔にほんの少し、胸がチクりとさせられた。
(……つまらないっていうか、まあ……別に本当は、斎藤のことなんて好きじゃないし、恋人になりたいとも……思ってないし……)
「……………………」
「佳奈さん」
「……なに?」
「写真、いいですか?」
「写真?」
「佳奈さんとコアラ、一緒に写したくて」
「……………………」
アタシは静かに、黙ってうなずいた。そして、柵の前でピースをして……なんかぎこちない笑顔を作った。
……しばらくの間、アタシたちは動物園の中を巡った。斎藤はアタシと動物のツーショットばかりを撮って回っていた。
「佳奈さん、お手洗いとか大丈夫ですか?」
「……?なに?そのお手洗いって」
「あ、えーと、トイレのことです」
そう言って斎藤は近くにあったトイレを指差した。
「あー、別に大丈夫、平気」
「そうですか、それならよかった」
斎藤はにっこりと微笑んでアタシを見ると、次は深雪の方へ目を向けた。深雪はアタシらより少し後ろをついて歩いていた。
「あの、み、深雪さんは、トイレとか大丈夫ですか?」
「あ!はい!大丈夫です!」
「そ、それはよかった。もし行きたくなったら、遠慮なく言ってくださいね。僕ら待ってますから」
「いえいえ!先に進んでてもらって大丈夫ですよ?お姉ちゃんと斎藤さんの、二人のデートなのに、邪魔しちゃ悪いですから!」
「そうですか?でも、深雪さんも大きな動物園の中で一人なのは、……やっぱり、心細くないですか?」
「心細……くは、まあ……」
「僕らのデートではありますけど、今日は深雪さんも一緒に楽しめる日でありたいですから、一緒に園内、巡りましょうよ」
「……はい!お気遣い、ありがとうございます!斎藤さんはお優しいですね!お姉ちゃんが羨ましいです!」
「え?あ、い、いやーそんな……」
深雪の言葉に照れたのか、斎藤は頬を赤らめながらはにかんでいた。
「……………………」
ふん、なにさ。深雪なんかの言葉に、デレデレしちゃって。
「あ!ねえ佳奈さん、あそこに孔雀がいますよ!」
「……………………」
「とっても羽が綺麗ですね……拾ってしまおうかな」
「……………………」
「……?あれ?佳奈さん?どうしました?」
「別に」
「……あの、何か僕、気に障ること言いました?」
「別に言ってないから」
「……ほんとですか?」
「だから言ってないって。もう声かけないでよ」
「……………………」
その時、斎藤は本当に悲しそうに……しゅんと眉をひそめて、顔をうつむかせた。それはまるで、叱られた子犬みたいな感じだった。
(うっ……なんか、また胸がチクチクする)
今までそういう気持ちになったことないのに、斎藤のことになると……なぜか嫌な気持ちになる。
「……あの、斎藤。そんなにさ……落ち込まないでよ」
「……………………」
「アタシ、怒ってるわけじゃなくて……ただ……」
……ただ、ただなんだと言うんだろう?
アタシはなんで、さっきあんなにイライラしてたの?
何についてムカついてたの?
……いや、だってほら、斎藤が深雪にデレデレするからさ、ちょっとやだなってなっただけじゃん?別に大したことじゃ……
「……はあ、もう意味わかんない」
「佳奈さん?」
「アタシ、やっぱちょっと、トイレ行ってくる」
そう言って、アタシは少し道を引き返してから、女子トイレに入っていった。
ガラスに写る自分の姿を眺めながら、ポーチからリップを取り出し、少し化粧を直す。
そして、水色に塗ってあるネイルが剥げていないか、きちんとチェックする。
「……………………」
斎藤もさ、こういうとこちゃんと可愛いって褒めてくんなきゃ困るよね。陰キャではあるけど、斎藤はこの前の千円札みたいに、細かいとこに目が届くんだからさ、ネイルとか……ちょっとくらいなんか、感想くれたっていいじゃんね。まだまだそういうところが陰キャなんだろうけどさ。
(……あれ?)
アタシ、なんで斎藤からの感想なんか欲しがってんの?
別に……いいじゃん、貰わなくても。だって、斎藤は……ただの罰ゲームで付き合っただけの彼氏じゃん。アタシにとっては……どうでもいいはずの……
『僕に気を遣ってくださって、とても嬉しいです。田代さんとは、ちゃんとお話させてもらうこと全然なかったですけど……思ってたよりもずっと優しい方でした』
『次はもう少し、長く一緒に居られたら、う、嬉しいです!』
『今日は、いろいろありがとうございました。千円札だったり、僕のために怒って下さったり……』
「……………………」
斎藤から言われた言葉を思い出して、その度に胸がまたもやチクチクする。
アタシのやることに、『ありがとう』とか『優しい』とか言ってくれんのは、斎藤が初めてだった。元カレとか“パパ”とか、友だちとかだって言われたことがない。
だからなんか、斎藤のそういう言葉が、いやに耳に残ってる。
『”僕も”好きです、田代さん』
『僕を好きになってくれて、ありがとうございます。これからも、恋人として……どうぞ、よろしくお願いいたします』
「……やめてよ、そんなこと言うの」
本当は……本当はアタシは、あんたなんてどうでもよくて……。
ただ、真由たちとの悪ノリで……付き合っただけで……。
アタシは………………。
「……あ、佳奈さん。お帰りなさい」
トイレから戻ったアタシを、斎藤はにこやかに笑って見つめた。
「佳奈さん、よかったらそろそろお昼ご飯にしませんか?」
「お昼?」
「ええ、もうそろそろで12時になります。園内にあるレストランとかで、何か食べませんか?」
「……うん、わかった」
「深雪さんも、どうでしょうか?お腹空いてますか?」
「はい!ちょうど何か食べたいと思ってたところだったので!」
「よかった、それじゃあ行きましょうか」
そうして、三人並んで動物園の中にあるレストランへと入っていった。
がやがやと賑わうそのお店の中で、アタシたちは四人がけのテーブルに座った。アタシと深雪が隣同士に座って、その対面に斎藤が座るという形だった。
アタシがカルボナーラで、斎藤がざるそば、そして深雪は激辛カレーライスを注文した。
それぞれの前に料理が置かれていく中、深雪の激辛カレーライスはめちゃくちゃに目立っていた。アタシのカルボナーラのクリームの匂いも斎藤のざるそばの爽やかさも全部消しとんで、その激辛カレーのスパイスだけの匂いが鼻について仕方なかった。
「深雪……あんたそれ、本当に食べるの?」
「え?もちろん。なんで?」
「なんでって……ねえ?斎藤」
アタシが斎藤に話を振ると、彼もおそるおそる深雪へ言った。
「だ、大丈夫ですか?深雪さん、そのカレー……」
「はい!私、辛いものには目がないんです!」
「そ、そっか……そうですね、茶々を入れてごめんなさい。深雪さんがお好きなものを、食べてもらえれば……」
斎藤はアタシと目を合わせて、互いに肩をすくめて苦笑した。
その時、初めてなんか……斎藤と息があったような気がして、少し嬉しかった。
三人でご飯を食べながら、軽く談笑をする。と言っても、話を振るのは深雪からだった。
「斎藤さんって、ご趣味は何かおありなんですか?」
「趣味はまあ……本を読むことですね。本って言っても、漫画とか小説とかですけど……」
「漫画って、何を読まれますか?」
「えーと、最近だと『DARK BLUE』っていうのにハマってます」
「あ!『DARK BLUE』私も読みます!」
「え!?本当ですか?あれ、結構残酷なやつなのに」
「友だちが好きで、アニメを一緒に見たんです。それで好きになりまして」
「DARK BLUE、面白いですよね!僕も好きで、何回も読み返すんですよ!」
「私、主人公のリゲルがカッコよくて好きなんですよね!」
「リゲルいいですね!ちょうど切ない感じで、頼りなさげだけど強い!っていうのが魅力的ですよね」
……斎藤と深雪は、やいのやいのと漫画の話で盛り上がってしまった。
アタシは漫画は全然わからないので、二人の話についていけない。少し拗ねたアタシは、頬杖をついて二人からそっぽを向いてた。
……そう言えばアタシ、斎藤の好きな漫画が何かとか、知らなかったな。趣味が何かとかも、訊いたことなかったな。
「……………………」
いや、知ったところでなんになるのさ。別に知らなくていいじゃん。どうせあと三週間もすれば別れるんだからさ。
「……………………」
「佳奈さん」
「え?」
ふいに、斎藤がアタシへ話しかけてきた。
「佳奈さんは、お好きな漫画って何かあります?」
「……あ、いや、アタシ、漫画ってよくわかんないから」
「じゃあ、映画とかドラマとか、そういうのはどうですか?」
「……あー、うーん。映画はあれだけど、ドラマはたまに」
「本当ですか!」
「うん。ドラマだったら……まあ、イケメン俳優が出てるやつは時々見るかも?」
「なるほどー!何か面白いものとかありますか?」
「えー?わかんない。話が面白いか面白くないかを気にして見たことないし……」
「むーん、そうですか。それじゃあ、たと……」
プルルルル、プルルルル
その時、斎藤のスマホに着信が入った。
「あ、すみません。ちょっと失礼します」
斎藤は一言アタシらに断ってから、電話を受けた。その間、深雪がアタシに向かって、声をひそめて話しかけてきた。
「ねえお姉ちゃん、斎藤さんとどうやって知り合ったの?」
「……どうやってって、別に、同じクラスなだけだし」
「そうなんだ!いいなあ、羨ましい」
「羨ましい?」
「あ、いや……」
深雪は頬を赤らめて、アタシから目線を外した。なんでいきなり顔なんか赤くしてんだろ?と不思議がってたその時……
『健治!あなた私を捨てていくつもりね!』
……斎藤のスマホから声が漏れていた。それはアタシらには小さくしか聞こえなかったけど、斎藤が持ってる携帯でアタシらまで聞こえるってことは、相当大きな声で怒鳴っているんだろうなっていうことは、すぐにわかった。
アタシも深雪も、思わず斎藤の方へ目を向ける。斎藤は苦々しい感じでため息をついていた。
「……母さん、僕がそんなことするわけないじゃないか。ただ今日は、かの……友だちと一緒に動物園へ遊びに来てるんだ。昨日、ちゃんと話したでしょ?出掛けるよって」
『そんなの聴いてない!聴いてたら、私が許可するはずないでしょう!?』
「……………………」
『そう言って誤魔化して、私の元から離れたいだけなんでしょう!?私のことを捨てたいだけなんでしょう!?』
「だから違うよ、そんなんじゃないって」
斎藤は目をぎゅっと瞑って、ゆっくりとこう言った。
「……分かった。それじゃあ僕、すぐ帰るから」
『なによ!どうせそれも嘘なんでしょう!?』
「嘘じゃないよ、本当だって。だから……ちゃんと、待っててよ」
そうして、斎藤は電話を切った。スマホをテーブルに置いて、しばらくうつむいていた。
「……………………」
じーっと悲しそうに黙っている斎藤を見て、アタシは何か声をかけようとした。でもそれは、深雪に先を越されてしまった。
「あの……斎藤さん。何かあったんですか?」
「……ごめんなさい、ちょっと急遽、帰らなきゃいけなくなりました」
「斎藤さんのお母さんが、何か言っていたのは聞こえてましたけど……」
「……………………」
斎藤は少し迷ってた感じだったけど、「母はですね」と前置きを一回入れてから、ゆっくりと話し始めた。
「心を、病んでしまったんです」
「「……………………」」
「数年前に父から捨てられたのを機に、そうなってしまって。僕がいなくなるのを異常に恐れて、かなり不安定な状態なんです」
「「……………………」」
「いや、もちろん落ち着いてる時もあるんですけど……今日はどうやら、調子が悪いみたいで」
「……そう、なんですね。それはとても……斎藤さん、大変ですよね」
「……仕方ないですよ。愛してた人に裏切られたら、誰だってそうなってしまうと思います」
……愛してた人に、裏切られたら。
その瞬間、今聞いたこの言葉が、アタシの頭に深く刻まれた気がした。
「それじゃすみません、僕……先に失礼しますね」
斎藤は席を立って、アタシたちに軽く頭を下げた。
「……ねえ、斎藤」
「どうしました?佳奈さん」
「これ、あげる」
そう言ってアタシが手渡したのは、動物園のパンフレットだった。
「それをママに見せれば?ちゃんと動物園行ってきたって証拠って感じで」
「……そうですね、そうしてみます」
「ん」
「いつもありがとうございます。佳奈さんの優しさには、僕はいつも救われてばかりだ」
「……………………」
「すみません、それじゃあまた今度。深雪さんも、またいつか落ち着いて話しましょうね」
「はい!お気をつけて!」
そうして、斎藤は手を振りつつ、走って店を出ていった。
アタシらの目の前には、食べかけのざるそばがぽつんと取り残されていた。
「……なんか、斎藤さんの家って大変そうだね」
深雪の言葉に、私は「うん」とだけ返した。
「……お姉ちゃんってさ」
「うん」
「斎藤さんとどうやって付き合ったの?」
「どうやって?」
「その……告白とか、どっちからなの?」
「……アタシから、だよ」
「お姉ちゃんから!?」
「うん」
「そっか……じゃあ、お姉ちゃん……斎藤さんのこと、ちゃんと好きなんだね」
「……………………」
「ごめん、私ちょっと……不安だったの。お姉ちゃんって斎藤さんに素っ気ないところあるから、もしかしたら斎藤さんのこと全然好きじゃないのに、斎藤さんから告白されて、仕方なしに付き合ってるんじゃないかなって……」
「──!」
「でも、そうじゃないなら……よかった。斎藤さん、素敵な人だよね。いつも優しいし、いろいろ気にかけてくれるし、誠実な感じ。お姉ちゃんが羨ましいな」
「……………………」
そこまで言った深雪は、突然ハッと我に帰った。そしてアタシに向かって「ち、違うからね!?」と言った。
「その!さ、斎藤さんが好きたか!そういうわけじゃないからね!?」
「え?あ、うん」
「お姉ちゃんの彼氏をどうこうしようだなんて!そんなこと思ってないから!」
「いや、分かってるって。分かってる分かってる」
「ほ、ほんとー!?ほんとにわかってるー!?」
顔を真っ赤にしながら否定する深雪の言葉が、店の中に響いた。
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