41.深い雪の中に





……その日は、雪が降っていた。


音もなく降り注ぐその雪は、ふっと息を吹き掛けたらすぐに溶けてしまいそうなほどに、もろかった。


今日はケンジが仕事、薫が小学校で、家にはアタシと正の二人だけだった。


一応アタシも食品会社に勤めてはいるけど、正の保育園のお迎えとかがあるので、三時には退社させてもらっていた。


現在、夕方の4時半。正はテレビの前で正座しながら、幼児用のアニメである『ハンペンマン』を静かに観ていた。


正が大人しくしている間に、アタシは洗濯や夕飯の支度をするのが、毎日のルーティーンだった。



ピンポーン



そんな風に、いつもの日常を過ごしていた時、玄関の呼び鈴が鳴った。アタシは畳んでいた洗濯物を棚に仕舞いながら、「はーい」と声をかけた。


玄関を開けてみると、そこには深雪が立っていた。頭や肩に雪が少しついていて、それがだんだんと溶け始めていたせいで、若干身体が濡れているように見えた。


「え!?深雪じゃん!久しぶりだね!」


「…………………」


深雪は、どこか浮かない顔をしていた。口を真一文字に閉じて、苦しそうに眼を伏せていた。


「……深雪?どうしたの?」


「……姉さん、少しだけ時間いいかな?」


「時間?」


「うん。ちょっと……相談したいことがあって」


「もちろんいいけど……」


彼女の相談を受けること自体は、全然やぶさかじゃない。問題なのは、どんな相談なんだろう?ということだった。


リビングへと深雪を通し、椅子へと座らせた。そして、あたたかいココアを入れたマグカップを彼女の前に置いた。


「ありがと、姉さん」


「いいっていいって」


アタシは彼女の対面に座り、アタシ分のココアを両手で持ちなから、テーブルに膝をつけた。


「それで、どうしたの?」


「…………………」


「どういう系の悩みなの?仕事?それとも、お金?」


「……あい」


「え?」


「恋愛について、相談したいことがあって」


「…………………」


「最近、同じ職場の人から告白されたの。付き合ってほしいって」


「おー!よかったじゃん!さすが深雪、よくモテんね」


「…………………」


「……でも、あんま深雪は嬉しくなさそうだね。もしかして、その告白してきた人ってヤな人なの?」


「ううん、そうじゃないの。むしろ……」


「……好き、なの?」


「…………………」


アタシのその問いかけに、深雪は答えなかった。彼女はポケットからスマホを取り出すと、それをテーブルの上に置いた。


その液晶には、二人の女の子の写真が写っていた。片方は深雪で、もう片方はめちゃくちゃ髪の短い、ボーイッシュな人だった。


二人とも眩しくて素敵な笑顔を浮かべて、カメラに向かってピースサインをしていた。


「…………………」


……もしかして、と思った。


もしかして深雪は、このボーイッシュな女の子から告白されたんじゃなかろうかと。


文脈的にも、おそらくそうだと思う。でなきゃ、今ここでこの写真を見せるはずがない。


「……この人が、告白してきたの?」


アタシがそう言うと、想像してた通りに、深雪が頷いた。


「この人の名前は二宮 零さんって言ってね、大学時代からの友だちなの」


「…………………」


「私はずっと、気のいい友だちとして接してきたんだけど、彼女の方はそうじゃなかったみたいで……」


「…………………」


「『好きになってごめん』って、彼女はそう言って泣いてた。気持ち悪いと思ったら、全然フッてくれて構わないって」


「…………………」


「姉さん……私、どうしたらいいんだろう」


深雪は今にも泣きそうな顔で、眼を伏せていた。唇をへの字に曲げて、細かく震えさせていた。



『いっくぞー!ハンペンパーンチ!』



遠くの方で、正が観ているハンペンマンの音が聞こえてくる。それは、場違いなほどに明るい声だった。


「ねえ深雪、あなたはその人のこと、好きなの?」


「…………………」


「アタシが一番大事なのは、そこだと思うよ?」


「……うん」


「…………………」


「好き……だよ」


「…………………」


「でも、それは友だちとしての好きであって、恋愛とか……そっち方面では全然考えてなかったから……すごく、びっくりしてて……」


「…………………」


「だけど、二宮さんと一緒にいるのはすごく楽しくて、関係を絶ちたくないの。このまま仲良くいられたらなって……そう思ってて……」


「…………………」


「ああ……どうしたらいいんだろう」


深雪の前にあるココアは、一口も手をつけられないまま、そこに置いてあった。


ほんのりと、ココアから白い湯気が立っていて、それが音もなくゆらゆらと揺れていた。


「じゃあ深雪、もうひとつ質問なんだけどさ」


「…………………」


「この二宮さんって人が、今この瞬間に……事故か何かで亡くなってしまったとしたら、どう思う?」


「え?」


「どんな気持ちになる?」


「…………………」


「いい深雪?前にも言ったかも知れないけどね、自分の大事な人が、いつまでもそばにいてくれるとは限らないよ。いつだって離ればなれになる可能性がある」


「…………………」


深雪は、苦しそうに眼をぎゅっと閉じた。


「でも私……彼女を恋人として見れるかわからないよ」


「…………………」


「二宮さんの方は、私のことそういう対象として見てるのに、私はそういう風に見れないのは……二宮さんにも申し訳なくて」


「……いいじゃない、そんなこと気にしなくても」


「…………………」


「恋人として見れるかどうかなんて、オマケみたいなもんだよ。だってさ、アタシも最初……ケンジのこと眼中になかったんだよ?むしろ、嘘の告白して弄ぶ相手にしてて、最低最悪な出会いの仕方だった」


「…………………」


「でも、今ではどう?」


「……姉さん」


「肝心なのは、一緒にいたいかどうか。その一点だけだよ」


「…………………」


「お互い一緒にいたい理由がさ、別々でもいいじゃん。向こうは恋人としていたい、こっちは友だちとしていたい。その感覚の違いでギクシャクする可能性はあるかも知れないけど、でも一緒にいたいって気持ちは同じでしょ?」


「それは……まあ……」


「友愛とか家族愛とか、師弟愛とか恋愛とか、相手を好きになる理由って千差万別あるけどさ、『一緒にいたい』って気持ちは同じじゃない。アタシはそれだけを信じていいと思う。愛したいって気持ちの種が植えられて、そこからどんな愛の花が咲くのか?っていう違いでしかない。しかもその花も、もしかしたら変化するかも知れないじゃん。友愛だったのが恋愛に、そして恋愛だったのが家族愛に変わるかも知れない。1個に固執する必要ないんじゃないかな?」


「…………………」


「深雪は、どう思う?」


「…………………」


深雪は、両手で自分の顔を覆った。そして微妙に上ずった声で、「姉さん、ごめん」と言った。


「本当に、本当に正直に言う」


「正直に?」


「……私、今は二宮さんに恋愛感情はないけれど、付き合うこと自体は……もともと、承諾しようと思ってたの。恋人になることに、嫌な感情がなかったから……」


「なんだー!それなら全然問題ないじゃん!」


「でも私……怖くて」


「怖い?」


「…………………」


「怖いっていうのは……同性愛そのものがってこと?」


「……うん。みんなから白い目で見られやしないだろうかって、そんなことばかり気になって……」


「…………………」


「ごめん、本当にこんなこと、気にしなきゃいいって話なんだけど、どうしても怖くて……」


「……そっか。まあ確かに、昔に比べたらだいぶ受け入れられつつあるけど、今でもちょっと差別されがちなところではあるよね」


「…………………」


「でも深雪は、その人の告白を断ったら、後悔すると思う?」


「……うん」


「なら、もう答えは決まってるよね」


「…………………」


「アタシね、人を愛するって、いつだって覚悟が必要だと思うの。同性愛に関わらずね」


「……覚悟?」


深雪は両手をどけて、アタシの顔を見つめた。


「そう。アタシはケンジが意識不明になった時、それをすごく自覚した」


「…………………」


「もしかしたら、自分の愛は届かないかも知れない。自分の気持ちは無意味に終わるかも知れない。でも、それで構わない。無意味に終わってもいい、それでも自分は愛するんだって」


「…………………」


「誰を愛するにしても、覚悟がいる。だから、ここでその二宮さんって人を愛するのも、他の人を愛するのも、根本的には一緒だと思うよ。だったら、自分が傷ついても構わないと思う人を、存分に愛したらいいんじゃないかな」


「…………………」


彼女は少しだけ間を開けてから、小さく頷いた。そして、目の前にあったココアを一口手をつけた。


「……ありがと、姉さん」


「うん?」


「背中を押してくれて」


「…………………」


「これで健治さんのことも、吹っ切れそう」


深雪はココアをテーブルに置いてから、窓の外に眼をやった。静かに降り注ぐその雪を、深雪は切なそうに微笑みながら、ふっと呟いた。


「私ね、本当は一度、健治さんに告白してるの」


「え?」


「あの文化祭の日……健治さんへ私の気持ちを、伝えてたの。でも、フラれちゃった。姉さんが好きだからって……」


「…………………」


「私もバカだよね、はっきりとああしてフラれたのに、ずっと健治さんに拘ってさ……」


「……深雪」


「でも、もう今日で終わりにする。私の想いは、この深い雪の下に……大切に仕舞っておくよ。そして、これからまた、新しい愛の雪を積んでみる」


深雪は、透明な涙を流していた。それは、悲しくて泣いているわけではなさそうだった。口許が、優しく微笑んでいたから。


自分の中に持っている、あたたかい何かを忘れないように……涙にして残しているように見えた。















……深雪が尋ねて来た日から、2ヶ月が過ぎた頃。世間はお正月を迎えていた。


深雪からは、一通の年賀状が届いた。それは、例の二宮さんとのツーショットが飾られたものだった。


二人は、前に深雪に見せてもらった時の写真とは違って、お互いちょっとぎこちない、なんだか緊張したような笑顔をしていた。


でも、その二人の手は、しっかりと握られていた。手の平と手の平を付け合わせる、恋人繋ぎをしていた。


アタシはそれが嬉しくて、今も大切に、アルバムの中にその年賀状を閉じている。












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