38.二度と会わない友だちへ





……僕たちの青春は、瞬く間に過ぎていった。


「ケーンジ!おっはよー!」


朝、学校の正門をくぐると、いつも佳奈さんの眩しい笑顔が出迎えてくれた。


「やあ。おはよう、佳奈さん」


「ねーケンジ!見てみて!ネイル久々に塗ってみたの!」


「わあ、綺麗な水色だね。佳奈さんに似合ってて、可愛いね」


「えへへ!でしょー!?」


肩が触れ合うほどの距離で、僕たちはいつも並んで歩いていた。彼女の体温を感じる度に、僕はいつだって幸せな気持ちになれた。


そんな僕たちは、いつの間にか学校の名物カップルになっていた。何せ、佳奈さんは僕たちのクラスの中で……いや、同じ学年の中で一番可愛いという評判を持つ女の子だ。そんな彼女に恋人ができたという話は、すぐに広まるのは自然なことだった。


また、僕自身のことも噂が広まっていた。僕が事故で長いこと意識不明だったことが、あちこちで話されていた。


「おい見ろよ、田代さんだぜ」


「ほんとだ、あれが例の彼氏くんか」


「ねえ知ってる?田代さんの彼氏って、ずっと意識不明だったんだって!」


「えー!なにそれ、ドラマじゃん!」


時々、廊下ですれ違う人たちの視線が僕たちに刺さってくる。そんな時、僕はなんだか照れ臭くて、下を向いてしまうのがお決まりの動作だった。


「どうしたの?ケンジ」


佳奈さんが不思議そうな表情を浮かべながら、僕の顔を覗き込んでくる。


「あ、いや……その、ちょ、ちょっと照れ臭くって……」


「も~、ケンジってば相変わらずだね!可愛い!」


佳奈さんは「えいっ!」と言って、僕の腕にしがみついた。胸の感触が制服の上からほんのりと伝わった瞬間、僕は思わず叫びそうになった。


「か、か、佳奈さ……」


「さ!教室行こ?♡」


「う、うん……」


周りから「ひゅーひゅー!」と揶揄される中、僕は顔を真っ赤にしながら佳奈さんとともに廊下を歩く。


目立つのはすごく恥ずかしいけれど……でも、僕はやっぱり、嬉しかった。佳奈さんと一緒にいられる喜びは、何物にも代えがたい。


隣でニコニコと微笑んでいる彼女を見ていると、僕も自然と笑みが溢れた。


そんな輝くような毎日が、穏やかに過ぎていった。























……窓の外で、桜吹雪が舞っている。


風に乗って遠くに飛ばされていくその花びらを見ていると、まるで風の姿を目にできたような気持ちになる。


「今日をもって、君たちもとうとう卒業だ」


教卓の前に立つ担任の平泉先生が、いつになく嬉しそうに……それでいてどこか寂しそうに僕たち生徒へ告げた。


「君たちの長い人生は、まだまだ始まったばかりだ。どんな時も、悔いのないように生きてくれ」


そんな先生の言葉を聞いていると、なんだか無性に切なくなる。クラスメイトの中には、感極まって泣いている人もいた。


「それじゃあ、最後の挨拶をしよう」


先生がそう告げると、号令係が「起立!」と叫んだ。それに伴って、ガタガタと全員が席を立った。


「気をつけ!」


号令係も、いつも以上に声を張っている気がする。ああ、これでいよいよ最後になるんだなと思いながら、僕はすっと目を閉じた。


「さようなら!」


「「さようなら!!」」


教室の中で、僕たちの声が反響した。先生は軽く頷きながら、「ああ、さようなら」と返した。








「……あっという間だったね、高校生活」


ガヤガヤと人混みで溢れた騒がしい廊下を、僕と佳奈さんは並んで歩いていた。


「ねー!長かったようで短かったような……不思議な感覚」


「うん、ホントにね」


「あーあ、この制服も……明日からはコスプレになっちゃうのか~。なーんかやだなあ。歳取っちゃってる感じして」


「ははは、そうだね。僕たちはもう、明日からこの制服が着れないんだ」


僕と佳奈さんは、今自分が着ている制服をまじまじと見つめた。


長い人生の中では、三年しか着なかった服ってカテゴリーになるんだろうけど、それでもこの制服には……たくさんの思い出が詰まってる。


目を瞑れば、鮮明に学校生活の様子が思い出される。劇のために夜遅くまで残った時なんて、本当に今さっき起きたことのように思い出せる。


この制服がまさに、僕たちの青春そのものなんだ。


「ねえケンジ。今日柳原さんたちからさ、ファミレスに行こうって誘われてるの。ケンジも行くよね?」


「うん、もちろんだよ」


「よかった!じゃ、今から行こっか。もうみんな向かってるみたいだし」


「そうだね」


そうして、僕たちは下駄箱の方へと向かった。


これが最後の靴の履き替えになるので、上履きは脱いだ後に手で持って、鞄の中にしまった。そして、外靴を履いてから外に出た。


「…………………」


僕は校舎から出た後、一回立ち止まって、大きな校舎を見上げていた。


それは、佳奈さんも同じだった。僕の横に並んで、何も言わないまま、学校を眺めていた。


そびえ立つ校舎の上には、雲ひとつない青空が見えている。そんな青い空の中に、桜の花びらが数枚飛んでいるのが見えた。


「…………………」


「…………………」


しばらくの間、僕たちはそのまま立ち止まっていたけど、5分ほどしてから佳奈さんが「あっ」と独り言を呟いた。


「どうしたの?佳奈さん」


「…………………」


佳奈さんは、あげていた顔をおろして、真っ直ぐに誰かを見つめていた。


その視線の先を確認すると、とある二人組の背中があった。それは、かつて佳奈さんとよく遊んでいた、真由さんと亜梨沙さんだった。


「ほんでなー?ウチの親がな、そんな言うやんたったら止めとき!って怒ってきてん」


「へー!なんかめんどいね~」


二人は他愛のない会話をしながら、こっちに背中を向けつつ、学校の構外へ出ようとしていた。


「……ねえ、ケンジ」


「うん?」


「ちょっとだけ、時間貰ってもいい?」


「え?う、うん。いいけど、どうしたの?」


「…………………」


佳奈さんは少しだけ緊張した顔をしていた。唇を尖らせて、微かに眉をひそめていた。


「……行ってくるね」


そんな独り言を呟いた佳奈さんは、小走りで真由さんと亜梨沙さんの元まで向かっていった。


「真由、亜梨沙」


佳奈さんが二人に声をかけると、彼女たちはその場に立ち止まり、くるりと振り返ってきた。


「佳奈……?」


二人は怪訝な顔をして、佳奈さんのことを見ていた。彼女たちは、僕に嘘告がバレた日以降、佳奈さんと疎遠になってしまっていた。


確かに彼女たちの立場からしたら、気まずいことこの上ないだろう。自分たちが、あの罰ゲームを企画したわけだから。


「な、なんや?なんか用なんか?」


真由さんがおそるおそる佳奈さんへそう尋ねた。佳奈さんは二人の顔を交互に見た後、口許に柔らかい微笑を浮かべてから、こう言った。


「元気でね、二人とも」


「「…………………」」


「確か、亜梨沙が北海道の大学に進学して、真由の方は大阪に帰るんだったよね?」


佳奈さんの質問に、二人は黙って頷いた。


「もういよいよ卒業しちゃうからさ、最後に一言……言っておこうと思って」


「「…………………」」


「二人とも、今までありがとうね」


「「…………………」」


真由さんと亜梨沙さんは、切なそうに目を伏せた。


桜の花びらが、彼女たちの周りを吹き抜けていく。


「……ねえ、佳奈」


亜梨沙さんは苦しそうに唇を噛み締めて、何か言いたげな視線を佳奈さんへ送っていた。


「どうしたの?亜梨沙」


「……あの、私……………」


「…………………」


「本当は、ずっと前に言うべきだったんだけど……その……」


「…………………」


その時、亜梨沙さんは一瞬だけ、僕の方へ視線を向けた。それを見た佳奈さんは、亜梨沙さんが何を言いたいのかすぐに察したらしく、「ケンジ、来て」と言って僕に手招きをした。


一体なんの用なんだろう?と思いながらも、僕は言われた通りに、彼女たちの元へと歩いて行った。


「…………………」


亜梨沙さんはごくりと生唾を飲んで、視線を地面に落としたまま、僕へこう告げた。


「ご、ごめんな……さい」


「え?」


「その……嘘の告白を、佳奈にやらせてしまって」


「…………………」


頭を垂れる彼女を見て、隣の真由さんがすぐに亜梨沙さんを庇った。


「な、なに言うてんの!あれはウチが言い出したことなんやから!亜梨沙は何も悪うない!」


そして真由さんは、こっちの方へ身体を向けて、カチカチに顔を強張らせながら、亜梨沙さんより深く頭を下げた。


「ホ、ホンマに……すんませんでした。わ、悪ノリやったと自分でも思うてます」


「…………………」


「ずっとずっと、謝らなあかん、謝らなあかんと思いはしてたんやけど……その、どう言っていいんかわからんくて、言い出せへんかってん……。もちろん、そんなん理由にならんって言われたら、その通りなんやけど……」


「…………………」


僕は少し間を置いてから、彼女たちへ「頭を上げてよ」と告げた。その言葉を受けて、二人はおそるおそる頭を上げてから、僕のことを見上げていた。


「君たちのお陰で、佳奈さんと知り合えるきっかけができた。だから、僕としては結果的にはよかったんだ」


「「…………………」」


「でも、君たちの嘘告で……僕が心底傷ついたのも事実。それだけは、どうか分かってほしい」


「も、もちろんや……。ちゃんと、肝に命じとく……」


「わ、私も……二度としません……」


「うん、よかった。それさえ聞けたら、僕はもういいや」


そう言って、僕は彼女たちに手を振って笑った。


「二人の人生に、いいことがたくさんありますように」


「「…………………」」


真由さんと亜梨沙さんは、もう一度僕へ頭を下げた。その後、真由さんが佳奈さんへ「ほな……ウチらそろそろ行くわ」と告げた。


「佳奈も、元気でな」


「うん」


「声かけてくれて、ありがとうな。ホンマに嬉しかったわ」


「……うん」


「それから……彼氏くんも、元気でな」


「うん、ありがとう」


そうして、二人はこちらに背中を向けて、静かに去っていった。


「…………………」


その遠ざかる背中に向かって、佳奈さんが切なげに呟いた。




「さようなら……。真由、亜梨沙」




「…………………」


……ああ。


そうか、佳奈さん。


君はもう、彼女たちと二度と会わない気がしているんだね。


遠くへ行ってしまう彼女たちへ、最後に想いを伝えたかったんだね。


「…………………」


寂しそうに眉をひそめる彼女の手を、僕はそっと握った。


それに気がついた佳奈さんは、ハッとした表情で僕を見た。


「…………………」


僕は何も答えないまま、黙って頷いた。すると佳奈さんは、寂しそうだった表情が解かれて、愛らしい微笑みに変わっていた。


暖かい春の風が、僕たちのそばを吹き抜けていった。














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