14.深雪の復讐





……それは、ある意味で運命の出会いだったと思う。


夏休みが終わり、ついに二学期最初の登校日が訪れた今日。午前中に式典等があるだけで具体的な授業がないため、お昼前には帰ることができた。


9月とは言え、まだまだ暑い今日この頃。肌を焼くような日差しを受けて、歩くだけで全身にうっすらと汗をかく。


(夏休み……ほとんど勉強と部活ばっかりの毎日だったなあ)


悠々と夏休みを遊べていたのは、小学生の頃が最後かも知れない。それ以降は勉強に明け暮れる日々……。


(今日もお姉ちゃんは、健治さんと遊んでいるんだろうか……)


頭の片隅にそのことを思いながらも、私はすぐにそのことを忘れることにした。今、お姉ちゃんがどうこうって考えても仕方ない。嫌な気分になるだけだ。


(受験まであと半年もない……。これからもっと気を引き締めていかないと)


そうして受験生らしく、自分の気持ちを奮い立たせていた時のことだった。


「……ん?」


道すがらに……私の横を通りすぎて行った人がいた。その人の目には涙が溜まっていて、すごく苦しそうな顔をしていた。


私はその人のことが、どうしても気になってしまった。苦しそうだからっていうのも当然あるけど、何より……


「……健治さん?」


……私が、密かに想っている人だったから。


「……………………」


健治さんは私に呼ばれたので、その場に足を止めた。そして、ゆっくりとこちらに顔を向けた。


「……深雪、さん」


そうして、消え入りそうなほど小さな声で、私の名前を呼んでくれた。












……ジワジワジワジワ……


蝉の合唱が響く中、私は健治さんと近くの公園に来ていた。


健治さんがあんまりにも哀しそうな顔だったのを見かねて、「どうしたんですか?」と声をかけたのだ。


最初は「なんでもないです」と言って話すのを渋っていた健治さんだったけれど、私が「本当に大丈夫ですか?」と何度か問いかけたら、健治さんはだいぶん迷った後に「話を聞いてくれますか?」と答えてくれた。


それで急いで、近くにあった公園へとやって来た。特に遊具もなにもない、だだっ広い敷地の中にベンチがいくつかあるような、そういう簡素な公園だった。


「あ、このベンチなら木陰になってますよ」


私はそう言って、健治さんと並んで腰かけた。そのベンチの後ろには桜の木があり、ちょうど良い具合にベンチが樹の影に隠れるところだった。



さわさわさわ……



葉桜が風に揺られて、ざわめいている。それによって、小さな木漏れ日がゆらゆらと動く。


「……本当は、あんまり深雪さんに話さない方がいいことだと思うんです」


健治さんは顔をうつむかせて、自分の足元をぼんやりと眺めていた。


「あまり私に……話さない方がいいこと?」


「ええ……」


「それは……どうしてですか?」


「……佳奈さんとの、ことだからです」


「お姉ちゃんの?」


「こう……なんていうか、今の僕だと、佳奈さんのことをとことん悪く言ってしまいそうで、それが深雪さんにとって良くない気がして……」


「……………………」


「ああ……やっぱり、止めるべきかな。深雪さんに言うべきじゃないかも……。身内の悪口なんて、誰だって好き好んで聞きたいわけないよね……」


健治さんはそう言って、下唇を噛み締めていた。


聞かない方がいい……そう言われてしまったら、私もさすがに身構えてしまう。でもここまで言われると、お姉ちゃんが一体何をしたんだろう?ということが気がかり過ぎて、もう引き返せない。


「お姉ちゃんが……何をしたんですか?」


おそるおそる私が尋ねると、健治さんはしばらく押し黙ってしまった。やはり言おうかどうか、ずいぶんと悩んでいたみたいだった。


「いいですよ。健治さんの辛いと思ってること、全部話してほしいです」


「……………………」


「もしなんだったら、私の方からお姉ちゃんに健治さんの気持ち、伝えます。だから……」


「……………………」


……そうして、健治さんが黙り込んでから5分近く経った時、ようやく彼は口を開いてくれた。


「……僕は、佳奈さんから告白されて、お互いに付き合うことができました」


「……………………」


「付き合おうと言われて、一ヶ月間……僕と彼女は、恋人として接しさせてもらいました」


「……………………」


「でも…………」


「……でも?」




「その告白は、嘘だったみたいです」




「え……?」


私がどういう意味か測りかねていると、建治さんがさらに詳細に話してくれた。


「最初に告白してくれたのは、どうやら友だちとの罰ゲームで仕方なく僕に告白していたようで……本当は佳奈さんは、僕のこと好きでも何でもなかったみたいです」


「……………………」


「なので……ごめんなさい。今は佳奈さんとは、お付き合いはしていません……」


申し訳なさそうに話す健治さんを見て……私は、お姉ちゃんに対してとてつもない怒りを覚えていた。


無意識の内に、太ももへ乗せていた手が拳になり、全身がわなわなと震え出す。



『深雪さんも、もう少し佳奈さんのことを信じてくれたら……僕は嬉しいです。まだ僕も佳奈さんと付き合いは浅いですけど、“嘘”をつくような人じゃないと思いますから』



(健治さんは……あんなに、あんなにお姉ちゃんのことを大事にしてたのに……!)


私は……口にこそ出さなかったけど、健治さんのことを……好きだった。


健治さんは、私の想い描く理想の彼氏そのものだった。


優しくて穏和で、彼女のことを大事にしてくれて、漫画の趣味も合って……。


そして……ちゃんと好意を、言葉にしてくれるタイプ。


そばにいるだけで安心させてくれるような、そんな人。だから初めて健治さんに会った時から、ずっとずっとお姉ちゃんが羨ましいと思ってた。


「……許せない」


私は、はっきりとそう呟いた。そうすると、健治さんは私の方へを向いてくれた。


「本当に、本当に許せないです。健治さんにそんなことするなんて……」


「……………………」


「そんなことされたら、誰のことも信用できなくなりますよね……。人の気持ちを考えない、最低な行為だと思います」


「……………………」


「辛かったですよね……健治さん。本当に、私のお姉ちゃんが申し訳ありません」


「深雪さん……」


健治さんの目に、涙が浮かんでいた。もうあと数秒もしたら、その涙は目から溢れて頬に流れるだろうというくらいに……その瞳は潤んでいた。


「……………………」


それを見た瞬間、私はドキッと胸が高鳴った。


(健治さん……私のこと、見てくれてる)


密かに憧れてた人から必要とされているこの瞬間が嬉しくて、私は心臓の高鳴りを抑えられなかった。


(もっと、もっと喜ばれたい……)


そう思った私は、さらに健治さんに言葉を投げかけてみた。


「いいんですよ、健治さん。泣いたっていいんです」


「……………………」


「私がそばに、いますから」


「……………………」


すると、健治さんは目を伏せて、いよいよ泣き出してしまった。


すかさず私は、健治さんの背中を擦って、優しく優しく慰めた。


「……ありがとう、深雪さん」


健治さんが、震える声で私にそう言った。


彼の目からポタポタと地面に涙の粒が落ちていくのを見て、私の興奮は最高潮に達していた。


(私が……私が、健治さんから必要とされている!お姉ちゃんじゃなくて……私が!)


この瞬間……私の中にある何かのスイッチが、かちりと音を立てて起動した気がした。














(それにしても、許せない……)


私は家へと帰宅する道中で、ずっとお姉ちゃんに対する怒りが胸の中に渦巻いていた。


(健治さんをあんなに悲しませるなんて、人としてどうかしてる……!何か一言お姉ちゃんへ言わないと、気が済まない……!)



……コンコン



家に帰ってから、私はすぐにお姉ちゃんの部屋へと訪問していた。


扉をノックし、「お姉ちゃんいる?」と、一応伺いを立てた。


「……………………」


でも、中からの返事はなかった。扉が開く気配もなく、ただしーんとするばかりだった。


一瞬、空室の可能性も考えたけど、玄関にはお姉ちゃんの靴があったことは確認している。間違いなく、今は部屋にいる。


「……お姉ちゃん、入るよ」


そう一声かけてから、私はドアノブを開けて部屋に入った。お姉ちゃんはベッドに腰かけて、ぼーっとスマホを眺めていた。


「……………………」


お姉ちゃんは、部屋に入ってきた私へ一瞬だけ視線を送ったけど、またすぐにスマホへ目を戻してしまった。それが余計、私の怒りの琴線に触れた。


「……お姉ちゃん、本当なの?健治さんを騙してたって」


私は迷うことなく、ストレートに本題へ入った。それでもお姉ちゃんは、じっと黙ったままだった。


「健治さんのこと好きじゃないのに……友だちとの悪ノリで嘘の告白して、この1ヶ月……ずっと付き合ってたって……」


「……………………」


私の問いかけに対して、お姉ちゃんは何も話さなかった。でも、微かに少しだけ、お姉ちゃんは頭を縦に振っていた。


「……………………」


それを見た私は、いよいよ事実がはっきりしたことで、怒り心頭に発していた。


お姉ちゃんの前までスタスタと歩いていき……



パンッ!!



思い切り、ビンタをお見舞いした。


「最低!!最低だよお姉ちゃん!!」


「……………………」


「お姉ちゃんがそんな人だなんて、思わなかった!だらしないし、図太くって傲慢だとは思ってたけど、人の気持ちを弄ぶような人だとは思わなかった!!」


「……………………」


「健治さんがどれだけ……どれだけそれで傷ついたと思ってるの!どれだけ健治さんが……どれだけ……!!」


私の身体中が、怒りでわなわなと震えていた。目には涙が浮かんでいて、今にも溢れ落ちそうだった。


ビンタを食らって頬が赤くなったけど、それでもお姉ちゃんは黙っていた。


「……………………」


もう限界だと感じた私は、喉奥に閉まっておいてた気持ちを、口に出すことにした。


「……私、お姉ちゃんにひとつ、隠してたことがある」


「……………………」


「本当は私、健治さんのことが好きだったの。初めて会った時から、ずっと今まで」


「……………………」


「でも、お姉ちゃんと健治さんが付き合ってたから、その気持ちは胸の奥にしまってた。健治さんはお姉ちゃんが好きで……お姉ちゃんも健治さんが好きだって、そう信じてたから」


「……………………」


「だけど、本当はお姉ちゃんは……健治さんを好きじゃなかったんだったら……これからは、遠慮しないから」


私はくるりと背中をむけて、また部屋の外へと出ていった。そして、私は背中越しにお姉ちゃんへ言った。


「もう二度と、“私の”健治さんに近寄らないで」


「……………………」


私は扉を閉める直前……お姉ちゃんの様子を最後にちらりと横目で伺った。


虚無感でいっぱいというようなお姉ちゃんの顔が、私の目蓋に焼き付いた。



……バタンッ



部屋を出てすぐ、扉の前で……私は高鳴る心臓を抑えることなく、その興奮を心ゆくまで味わっていた。


(ついに……ついにお姉ちゃんを、ぶった!私はお姉ちゃんをぶったんだ!)


私の中におさめていた負の感情が……火山から噴火したマグマのように溢れ出てきた。


ゾクゾクと全身に鳥肌が立ち、鼻息がどんどんと荒くなる。


「……………………」


ずっとずっと、私はお姉ちゃんが羨ましかった。


憎たらしかった。


お姉ちゃんはいつもだらしなくて、不真面目で、人生舐めてるような人間だった。


口は悪いし性格はひねくれてるし、正直言って私が一番嫌いなタイプだった。


でも……顔が可愛いせいで、ずっとお姉ちゃんはモテてた。私だって恋愛したかったのに、いつもお姉ちゃんには敵わなかった。勉強や人望ではお姉ちゃんより上なのに、恋愛に関しては全然勝てなかった。


なんで真面目な私がモテなくて、あんなずさんなお姉ちゃんがモテるの?と……そういう思いをいつも抱えてた。


その羨望と憎しみがピークに達したのは、お姉ちゃんが健治さんと付き合ってから。


あんなにも私の理想である人を彼氏にしているなんてと……嫉妬心が逆撫でされて仕方なかった。いつも悔しくて悔しくてたまらなかった。


だから……私は心のどこかで、こう思ってた。



『二人が別れてしまえばいいのに』



あんなお姉ちゃんは、ずっとバチが当たればいいと思ってた。毎日真面目に生きてる私にこそ幸せが巡って然るべきで、お姉ちゃんなんか酷い目に遭えばいいんだと思ってた。人生を舐めてたツケがいつか必ず払わされる時が来るって、そう思いながら私は自分を律してた。


「ふ、ふふふ……」


興奮のあまり、私の口角は意図せずに上がっていた。


私が最後、扉を閉める直前……お姉ちゃんの様子を最後にちらりと横目で伺った時、虚無感でいっぱいのお姉ちゃんの顔を見て、実はある確信をしていた。




お姉ちゃんは間違いなく、健治さんに恋をしている。




健治さんが言うように、本当は最初は嘘だったんだろうけど、今はきっと本気で健治さんが好きなんだ。


そのことが、私の直感というか……感覚で理解できた。でなきゃ、あんな顔はできない。本当に悲しくて虚無感に襲われるみたいは顔が、できるはずがない。


健治さんは嘘をつかれたトラウマでお姉ちゃんを信じられなくなってるみたいけど、私は妹だ、お姉ちゃんのことは憎いくらいによく分かる。あんな表情をするくらい、お姉ちゃんは健治さんが好きなんだ。


ほら、ほら、お姉ちゃん。ツケが回ってきたよ。


大好きな健治さんに、嫌われてしまったよ。


ざまあみろ、ざまあみろ。


今までずさんに生きてきた報いだ。立ち直れないくらい傷ついてしまえ。


「……………………」


人の幸せを願えない、矮小な自分に吐き気がするけれど……もう、引き返せない。


だって、チャンスが巡ってきたんだから。健治さんを私のものにできる可能性が芽生えてきたんだから。


なら、確実にこのチャンスを掴む。逃がすものか。


たとえお姉ちゃんを、犠牲にしてでも。









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