10.とにかく夢中(2/3)
……8月14日。アタシとケンジは約束とおり図書館で勉強してた。十人くらいは座れる大きなテーブル席に、アタシらは横並びに座っていた。
アタシの場合は、勉強っていうかただの宿題だけど、ケンジはガチの勉強だった。宿題はもう終わらせちゃったから、二学期の範囲のところを先に予習しておきたいんだと。
冷房が効いてて涼しいのはいいけど、みんなしーんとしてて、めっちゃ真剣に本読んだり、アタシらみたいに勉強してたりしてて、やべーと思った。あんまり静かすぎると、アタシそわそわして緊張しちゃう質だから、ぶっちゃけあんまり宿題に集中できなかった。
「あーあー……。ケンジ、もうアタシ宿題飽きちゃった」
ペンを机に置き、ぐでーっと上半身を前に倒して、隣にいるケンジに愚痴を垂れた。
「もー勉強、おしまいにしよーよ」
「えー?まだ始めて30分だよ?」
「30分やったら上出来でしょー?ねーねー、遊び行こーよケンジー」
「佳奈さん、お母さんからなんて言われたんだっけ?」
「……宿題を終わらせないなら、遊んじゃダメって」
「うん、それは僕も同じ意見だよ?終わらせてから、たくさん遊ぼ?」
「いーじゃん宿題なんてー!しなくても死なないんだし~!ねーねー、遊ぼーよ~」
「ほら佳奈さん、一緒に頑張ろうよ?僕もそばで勉強するからさ」
「む~」
「宿題を早めに終わらせてさ、なんの心残りもなく、気持ちよく遊びたくない?お母さんからうるさく言われるのを無視するよりも、すっきり終わらせて、うるさく言われなくなる方がずっと良くない?」
「そりゃ……まあ」
「ね?」
「じゃあケンジの宿題写させてよ。そしたらすぐ終わるもん」
「それじゃ、佳奈さんのためにならないよ」
「ちぇー、ケンジのいじわる」
アタシは口先を尖らせて、テーブルに顔を突っ伏した。左頬をぺたっとつけて、顔を横向きにした状態で、数学の宿題を右手でぺらっとめくる。
「そー言えばケンジってさ、成績いい方なの?」
「まあ、それなりかな?」
「ふーん?いつも期末テストとか何位くらい?」
「えーと……だいたいいつも2~3位くらいをうろうろしてる」
「え!?は!?そんな頭良かったの!?」
アタシはケンジの言葉に思わず飛び起きてしまった。
ケンジはなんとも気恥ずかしそうに、こめかみ部分にある髪をもじもじといじってた。
「一番はまだ取れたことないから、大して自慢できるものでもないよ……」
「いやいや、自慢できるでしょ!えー?なに?勉強大好き系男子?」
「……好きっていうか、なんていうか」
その時のケンジは、妙に悲しそうに微笑んでいた。
「僕んち、結構貧乏なんだ。母子家庭だし、母さんは病気持ちだし」
「え……そうなんだ」
「うん。それで大学に行くためには、奨学金が欲しくて」
「あー、それで成績良くしたい的な?」
「そうなんだ。だから勉強は、僕にとってはとても欠かせないことなんだよ」
「……………………」
「ん、ごめんね。変な話しちゃって」
「んーん、気にしないで」
「ありがと、佳奈さん」
ケンジは私に優しく微笑むと、視線を机の上のノートへ向けて、コツコツと勉強し始めた。
そんな彼の姿を見ていると、アタシもなんだか……宿題なんかでぶーぶー言ってる自分が恥ずかしくなって、せめてケンジの邪魔はしないようにしようと思い、アタシも宿題をすることにした。
カリカリと鳴るシャーペンの音が、図書館に小さく響いていた。
「……はあ」
何時間か宿題を続けていたアタシは、さすがにちょっと疲れてきたので、一旦休憩することにした。
ふと隣を見ると、ケンジはまだ黙々と問題を解いている。
なんとなく話しかけ辛いので、アタシはそっと席を立ち、図書館の中をふらふらしてみた。
アタシの背丈を軽々と超えるでかい本棚に、なんかよく分からない小説だの辞書だのが並んでいた。
(アタシ、活字読んでっと眠くなんだよねー。他の人はよくこんなの読めるなー。漫画とかないのかなー?)
そう思いながら、漫画コーナー的なところを探してみた。すると、確かにそういう感じの場所はあったけど、並んでるのは「世界の歴史を漫画で学ぶ」とか「税金について漫画で解説」とか、そんなんばっかで、アタシが望んでる感じとちょっと違った。
他になんかないかなーと、その近辺を歩いていたら、子供向け系の本棚を見つけた。それは、幼稚園から小学校の子とかが読む感じの本で、「懐かしい~」なんて小さく呟きながら、その本棚を眺めてた。
「あっ!これ……」
そうして眺めている内に、アタシはひとつの本を見つけた。それはアタシがまだ小学二年生の頃、本当に好きだった小説だった。
「『魔女のケーキ屋さん』……何年ぶりに見たかな。やばー、昔のまんまじゃん」
パラパラとページを捲って、昔のことを思い出す。そうそう、この魔女がケーキを運んでる挿絵が好きだったっけ。
アタシが唯一、人生で夢中になって読んだ小説は、ひょっとしたらその本だけかも知れない。
「何を見てるの?佳奈さん」
「わっ!?ケンジ!」
突然後ろからケンジに声をかけられて、思わずおっきな声が出てしまった。
「ごめん佳奈さん、驚かせて。いや、気がついたら隣に佳奈さんがいなくてさ、どこに行ったのかなって思って探してたんだ」
「あー、ごめん、ちょっと休憩してて」
「うんうん、そっかそっか」
「ねえケンジ、この本見て?」
「ん?これは何?児童文学?」
「アタシが小学生の頃、この本好きだったんだ。確かママがクリスマスプレゼントにくれた本だったの」
「へ~、魔女のケーキ屋さんか……」
ケンジはアタシから本を受け取って、中身をパラパラとめくった。
「なるほど、かわいらしい作品だね。挿絵も必要以上に華美じゃなく、とても素朴で穏やかで、それでいて優しいタッチだ」
「絵、めっちゃいいよね!アタシもそう思う。ほら、今さっき出たページのさ、魔女がケーキ運んでるとこ。それがすごい好きでさ」
アタシはケンジと肩が触れ合うくらいにまで寄り添って、その本で一番好きだったページを紹介してた。
その時、ケンジはなぜだかよくわかんないけど、「え、あ、か、佳奈さん……」と言ってどもってた。
「ん?なにケンジ」
「いや、そ、その……」
「……?なに?どうしたの?」
何回尋ねても、ケンジはうつむいたままで答えない。頬から耳まで赤く染めているばかりで、何が起きたのかちっとも理解できなかった。
「どしたのケンジ?具合悪い?」
「……は、はは、いや、その」
そうして苦笑しつつ、ケンジはアタシから少しだけ距離を置いた。
「ごめんなさい、ちょっとその……は、恥ずかしくて」
「恥ずかしい?なにが?」
「いや、佳奈さんが……ち、近くて」
「……!あ!なるほど!ケンジ、あんた照れてんのね」
「ま、まあ……」
「ケンジってばホントに女の子に免疫ないなー!うりうり、アタシん横に来て見なって!」
「か、佳奈さん……!」
アタシがまた身体をケンジにくっつけると、これまた彼はめちゃくちゃ照れまくっていた。
汗をかきまくって、キョドキョドして、まさしく女慣れしてない陰キャくんそのものだった。
そんなケンジがやけに可愛くて、アタシはついニヤニヤしてしまった。ほっぺにちゅーのひとつでもしてあげようかと思ったけど、さすがに図書館で人目もあるし、それは止めといた。
でも、どっか人目のないところがあったら、ちょっとやってしまおうかなー?……なんてことを思っていた。
……そうして、何日も何日もケンジと図書館に通って、アタシはようやく宿題を終えることができた。
「あー!やっと終わった~!いえーい!ハッピー!」
夕暮れの中、アタシとケンジは並んで帰り道を歩いていた。両腕を上げて、ぐうっと肩甲骨を伸ばすアタシを、ケンジはにこにこと優しい目で見つめていた。
「頑張ったね、佳奈さん」
「これで心置きなく遊べるー!あー長かったー!」
「だね!ようやく遊べるね」
「アタシ、いろいろ行きたいところある!夏祭りとかー、水族館とかー」
「ふふふ、いいね」
「ていうか、こんなに早く宿題終わったの、初めてかもしんない!」
「そうなの?」
「だいたいいつもアタシ、12月くらいに全部終わる感じだったから」
「12月!?そ、それって大丈夫だったの……?提出期限、完全に過ぎてるよね……?」
「うん、センセーたちもみんな呆れながら『今は何月?』って訊いてきてた」
「む、胸が痛い……僕だったらその嫌味、耐えられそうにないかも……」
「ダメだなーケンジ!もっとアタシみたいにメンタル鍛えないと!」
ケンジは「も~」と言いながら、苦笑していた。
「ねーねーケンジ、今日くらいはさ、一緒に晩ご飯食べよ?」
「えー?大丈夫?帰るの遅くなっちゃうよ?」
「いいじゃーん!今日くらい!アタシが宿題終わらせたご褒美にさ、一緒に食べよーよ!」
「うーん……」
「ねーケンジ!ダメ?」
「……ん、そうだね、分かった。じゃあ一緒に行こうか」
「ほんと!?さっすがケンジー!話がわかるー!」
そう言ってアタシがはしゃぎまくってた時だった。アタシらの前から「あれ?お姉ちゃん?」って声をかけられた。
アタシとケンジが前へ顔を向けると、そこには深雪が立っていた。制服を着ていて、鞄を肩からかけている。
「あれ?深雪じゃん。どしたの?」
「いや、今日私部活があったから……。もしかして二人、またデートしてたの?」
「デートっつーか、お勉強会つーかって感じ」
「勉強会?」
「夏休みの宿題、終わらせたの!ママがあんまりうるさいからさ」
「えー!?あ、あのお姉ちゃんが……?」
「何さー?信じてないわけ?」
「信じてないっていうか……」
深雪は眉をひそめて、なんとも微妙な顔をしていた。疑ってはいるけど、疑うのもお姉ちゃんに失礼かも……的な、そんな曖昧な感じ。
そんな深雪に向かって、ケンジがはっきりとこう言った。
「深雪さん、佳奈さんは本当によく頑張っていましたよ。きちんと今日、全部終わらせてました」
「ほ、本当ですか?斉藤さん」
「はい」
「……そっか。健治さんが言うなら、本当なんだね、お姉ちゃん」
「何それー!?なーんでアタシのことはそんな信用ないわけ!?」
「日頃の行いのせい、でしょ?だいたい、夏休みの宿題はやって当たり前なんだから」
「ふんだ、深雪のバーカ」
「むっ!バカなんて止めてよ!本当のことでしょ?」
アタシと深雪がピリッとし始めた時に、ケンジがすかさず「まあまあ二人とも」と言って止めに入った。
「佳奈さん、喧嘩越しはよくないよ?」
「でも深雪がさ……」
「それでも、喧嘩はよくない。ね?」
「……はーい」
アタシをおさめたケンジは、深雪の方へも顔を向けた。
「それから深雪さんも、もう少し佳奈さんのことを信じてくれたら……僕は嬉しいです。まだ僕も佳奈さんと付き合いは浅いですけど、“嘘”をつくような人じゃないと思いますから」
「──!」
この時、アタシは心底……胸がズキッと傷んだ。
思わず手に汗をかいて、それをごまかすように握りこむ。
「まあ確かに、お姉ちゃんは嘘つくタイプでは……ないというか、ある意味正直すぎるというか……」
「ええ、それが佳奈さんの素敵なところだと思います」
「……分かりました。すみません、失礼なこと言って」
深雪とケンジが話している場面が、アタシには……なんだか遠く、スマホで観る動画のように、画面の向こう側の出来事のように思えた。
『ほな佳奈、約束通り罰ゲームやるでー!』
(……アタシは、嘘つきだ。本当の本当に、嘘つきだ)
ケンジはこんなアタシのことを、純粋なくらいに信じてくれている。もしアタシが嘘コクしたって聞いたら……きっとケンジと言えども、アタシのこと嫌いになる。
それだけは……それだけは絶対……。
「佳奈さん?」
「え?」
「どうしたの?具合悪い?」
ケンジがアタシの顔を、心配そうに覗き込んでくる。深雪は深雪で、アタシの様子を伺っていた。
「どうしたのお姉ちゃん?なんか上の空だったけど」
「あ……いや、別になんでも。お腹空いたなって思ってただけ」
「ああ、そっか。じゃあ佳奈さん、もうご飯食べに行く?」
「うん」
「わかった、なら行こうか」
ケンジは深雪に向かって「ごめんなさい」と、一言頭に謝罪の言葉を入れた。
「僕たち、そろそろ行きますね」
「あ、はい。これからもお姉ちゃんをよろしくお願いします」
「いえいえこちらこそ」
「じゃあお姉ちゃん、今日はいつもより遅くなるのね?」
「う、うん」
「わかった、じゃあ私からお母さんに言っておく。宿題、終わってることも」
「うん」
深雪は少しだけ微笑みを浮かべると、私の横を通りすぎた。その去り際、私の近くに来た時……ケンジに聞こえない程度の小声でこう言った。
「お姉ちゃん、本当に斉藤さんから……大事にしてもらってるんだね」
「……………………」
「……羨ましい」
「……………………」
……そうして、そのまま深雪は帰っていった。アタシは顔だけ後ろを向いて、その背中を見つめていた。
「……深雪」
「佳奈さん?どうしたの?」
「……ん、なんでもない」
「どう?何か食べたいものある?」
「あ、アタシ駅前のパスタ食べに行きたい」
「パスタ?」
「うん、この前オープンしたって、インサタに上がってた」
「いいね、じゃあ行ってみようか」
「うん」
そうして、アタシとケンジは並んで、お店まで歩いていった。
夕日はビルの影に隠れてしまって、もう見えなくなっていた。
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