第13話

 こうしてミラベルは、引き続きサザーリア公爵家の屋敷に滞在することになった。

 ソレーヌが夜会に参加するときはメイドとして同行して、前よりも意識して周囲の話に耳を傾ける。

 やはり思っていた以上に、ドリータ伯爵家の評判は良くないようだ。

 そんな家の娘と、政略のために婚約させられたニースも、少し気の毒だったのではないかと思ってしまう。

「ミラベル。噂をすべて鵜呑みにしては駄目よ」

 そんなミラベルに、ソレーヌはそう言ってくれた。

「ドリータ伯爵家には、妬みから悪評を流す者もいるわ。正確な情報が知りたいのなら、お兄様に頼むのが一番よ」

「それは……」

 たしかにリオの情報なら正確かもしれないが、あれほど忙しい人に個人的なことを頼むのは気が引ける。

「ありがとう。でも、もう少し自分で調べてみるわ」

「そう……」

 ミラベルがそう言うと、ソレーヌは残念そうな顔をしながらも、それ以上勧めることはなかった。


 それからしばらくは、リオとソレーヌのふたりに保護されて、平穏な日々を送ることができた。

 ニースとエミリアのことも気になるが、もうこの件はミラベルの手を離れている。

 何もできることはなかった。

 ただ世話になっているのも申し訳なく思い、ミラベルはメイドとして働きたいと申し出た。

 だが、ソレーヌもリオも大事なお客様だからと許してくれない。

 それでは申し訳なくてここに居られないと言うと、ようやく許可してくれた。

 けれど任せられた仕事というのは、ソレーヌの話し相手や身支度の手伝いという簡単なものであった。

「だって掃除とか洗濯とか、ミラベルには無理でしょう?」

 これでは役に立っている気がしないと嘆くと、ソレーヌにあっさりとそう言われてしまう。

 ふたりは今日もソレーヌの部屋で、お茶会をしている最中である。

 ソレーヌが温室で育てたというハーブのお茶は、ミラベルもすっかり気に入っている。

 そのさわやかな香りを楽しんでいたミラベルは、ソレーヌの指摘に口ごもった。

「それは……。たしかに……」

 裕福な伯爵家の娘として育ったミラベルは、掃除どころか、ドレスもひとりで着たことがない。これでよく手伝いをさせてほしいと訴えたものだと、恥ずかしくなった。

「これから覚えるわ。だって、もう家には帰らないかもしれないもの」

 メイドとして過ごしている間に聞いたドリータ伯爵家の悪評は、すべてが妬みからの嘘とは言えないものだと、ミラベルも気付いてしまった。

 しかも第二王子の派閥に入ったことで、今まで以上に横暴になってしまっているようだ。たとえニースとの婚約が白紙になったとしても、父や第二王子にとって有益な相手と婚約させられるに違いない。

 たしかにリオも冷酷非道だと言われているが、彼の場合は、妹のソレーヌを守るために、攻撃を仕掛けてきた相手に反撃しているに過ぎない。

(自分達の利益や野望のために、人を追い落とし、奪ってきたお父様とは違うわ)

 できれば、もうあの家には戻りたくないが、まだ利用価値がある以上、さすがに父はミラベルを探すかもしれない。

 でも父がどんなにお金を積んでも、サザーリア公爵家の屋敷を調べることはできない。

 ミラベルにとって、これほど安全な場所はなかった。

 ふたりは見返りなんて求めないとわかっているけれど、せめて何か恩返しがしたいと思っている。それにメイドとして働くことができれば、貴族の令嬢ではなくなっても生きていけるだろう。

「ミラベルはお客様としてここにいてくれたら、それでいいのに」

 そう言って笑っていたソレーヌは、ふと表情をあらためた。

「……もし私の話し相手が嫌なら、お願いしたいことがあるの」

 その言葉に、慌てて首を振る。

「嫌ではないわ。でも楽しすぎて、仕事をしている気持ちにはならないから」

 そう言ったあと、思いつめたようなソレーヌの表情が気になって、こう付け足した。

「でも、私にできることがあったら、何でも言って?」

 そんなミラベルの言葉を聞いて、ソレーヌは驚くべきことを言った。

「それなら、お願いがあるの。お兄様の専属メイドになってくれないかしら」

「え?」

 思いがけない言葉に、ミラベルは自分が思っていたよりも動揺してしまい、あやうく茶器を落としそうになる。

「リオ様の?」

 公爵家当主の専属メイドなんて、何もできない自分には務まりそうにない。それに、たしか彼にはちゃんとした専用のメイドがいたはずだ。

 そう伝えると、ソレーヌは綺麗な顔を歪ませる。

「彼女ならもういないわ。お兄様に毒を盛ろうとしたのよ」

「そんな……」

 この屋敷でそんなことが起こっていたのかと、ミラベルは言葉を失った。

 もちろんこの公爵邸に勤めているのは、身分の確かな者ばかりのはずだ。詳細は話してくれなかったが、政敵の仕業なのだろう。

「私もお兄様も王城では常に気を付けているけれど、屋敷に戻ってまで気を張っているのはつらいわ。だからお願い。お兄様の傍にいてあげて」

 あまり仕事に没頭していたら声をかけたり、お茶を淹れたり、そんなことでいいとソレーヌは言う。

「……でも、私はドリータ伯爵家の娘だわ。そんな私が傍にいたら、かえって気が休まらないのではないかしら」

 父は、ニースの父ディード侯爵と懇意にしている。

 そしてディード侯爵は、第二王子であるニースの派閥の筆頭とも言える存在なのだ。

 政敵の娘が傍にいることは、リオにとって負担になるだけではないか。

 そう告げると、ソレーヌは首を振る。

「それはないわ。人を見る目はあるつもりよ。ミラベルはそんなことはしない。もしミラベルが私達の敵になったとしたら、それはきっと、私達に原因があるのよ。あなたを信じているわ」

 輝かしいほど美しい笑顔で、彼女はそう言ってくれた。

 ソレーヌと彼女の婚約者である王太子にとって、リオの存在は命綱だ。彼がいたからこそ、ふたりは生き延びることができた。

 そんな大切なリオを、ソレーヌはミラベルに託してくれた。

 その信頼を裏切ることなんて、できない。

(だって私も、ふたりに救われたから。政敵の娘である私を匿ってくれて。味方になってくれた。それがとても嬉しかったから)

 たとえ微力でも、何もできなくても、ふたりには味方がいることを伝えたい。

「わかったわ。私にできることなんて限られているけれど、精一杯頑張る」

 そう答えると、ソレーヌは嬉しそうに笑ってくれた。

「ありがとう、ミラベル。お兄様をよろしくね」

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