第6話
こうしてミラベルがサザーリア公爵家に滞在してから、もう四日が経過した。
父は、娘の失踪を公にはしなかった。
それどころか、捜索もしていない様子である。
失踪の原因になったと言われているニースとエミリアも、何の反応もしていない。
ミラベルの捜索をしているのは、ソレーヌだけだ。
さすがに自ら探しに出ることはできないものの、公爵家の人員を使って王都の各地を探させ、さらにミラベルの友人たちに消息を尋ねる手紙を出している。
もしミラベルが本当に失踪したとしても、心配してくれるのはきっとソレーヌだけだろう。
「ミラベルが一緒にいてくれて、嬉しいわ」
ソレーヌは、ほとんどの時間をひとりで過ごしているらしく、ミラベルがいることを喜んでくれた。
「リオ様は?」
「お兄様は、ロランドの補佐をしたり、領地の視察に行ったりして、忙しいのよ」
サザーリア公爵家の当主である彼は、かなり多忙な生活をしているようだ。
商売のことしか考えていない父だって、もう少し休んでいる。
ソレーヌも心配しているようだが、今が正念場だということは彼女自身もよくわかっているので、なかなか強く言えないらしい。
「でもミラベルの誘いなら、絶対に断らないと思うの。お兄様をお茶に誘ってくれない?」
「私が?」
「ええ」
ソレーヌは大きく頷いている。
自分の誘いなど受けてくれないと思うが、朝から飲食も忘れて働いていると聞けば、放っておくことはできなかった。
お茶の用意をしておくからとソレーヌに促され、リオの執務室に向かう。
(ソレーヌが誘っても断るのに、私が誘っても無駄だと思うけれど……)
少しだけ、扉を叩くのを躊躇した。
でもソレーヌが待っているのだから、いつまでもこうしているわけにはいかない。そう覚悟を決めて扉を叩いた。
だが、返答はなかった。
(あれ、いないのかな?)
念のためもう一度叩くと、ようやく反応があった。
「誰だ?」
張り詰めたような声に緊張しながらも、名乗る。
「ええと、ミラベルです」
「ミラベル?」
驚いた声がして、扉が開かれた。
「どうした? 何かあったのか?」
出かけていたのか、正装したまま書類仕事をしていたらしいリオが、心配そうな顔をして、ミラベルを見つめている。
「いえ、あの。ソレーヌからお茶に誘ってほしいと言われて……」
「それでわざわざ呼びに来てくれたのか。ありがとう」
そう言ったリオの瞳は、完全に身内に向けるような優しいものだ。
だからミラベルも、気が付けば家族にも言ったことのないような言葉を口にしていた。
「忙しいとは思いますが、ちゃんと休憩も取ってくださいね。心配ですから」
「……っ」
息を呑む気配。
余計なことを言ってしまったと慌ててリオを見上げるが、彼は嬉しそうに表情を和らげる。
「そうだな。気を付けるよ」
穏やかな声。
そして、少し照れたような柔らかい笑み。
そこに世間で噂されているような冷酷さ、残忍さは欠片もない。
妹のソレーヌと、ミラベルだけが見られる笑顔だ。
そんなことを思ってしまい、勝手に胸がどきりとする。
そのままリオを連れてソレーヌの部屋に戻ると、彼女はとても感動した様子で、ミラベルの両手をしっかりと握りしめる。
「ああ、やっぱりミラベルに頼んで正解だったわ。お兄様を連れてきてくれてありがとう!」
私が何回注意しても、聞いてくれなくて。
そう拗ねたように言うソレーヌの額に、リオは優しくキスをする。
「悪かった。少し忙しくてね。今度から気を付ける」
家族に対する、親愛を込めた優しいキス。
そんなものは、母親にだってされたことがない。
(ああ、私はさっきからどうしたんだろう?)
そんなことを思う自分に、ミラベルは困惑していた。
両親を亡くし、孤立無援の状態でロランドの婚約者になったソレーヌは、とてもつらい思いをしてきたはずだ。
それなのに、兄のリオに大切に守られている彼女がとても羨ましいと思ってしまう。
娘が失踪しても、探そうともしない父親とは大違いだ。
「私の作ったクッキーを食べてくれるなら、許すわ」
「もちろん食べるよ。お茶は淹れてくれないのか?」
「仕方ないから、淹れてあげる。でもミラベルが先よ。だって大切なお客様だもの」
ソレーヌはメイドを下がらせると、自分でお茶を淹れてくれた。
「はい、どうぞ」
リオよりも先に差し出されたお茶を受け取り、一口飲むと、林檎のような風味が広がった。
「これは、ハーブティー?」
「そう。ハーブも私が育てたのよ。クッキーにも練り込んであるの」
そう言って、次に手作りのクッキーを差し出してきた。
「どうかしら?」
少し固めだが、素朴な味わいでとてもおいしい。
「うん。おいしいわ」
そう伝えるとソレーヌはとても喜んで、次にようやく兄のためにお茶を淹れる。
「はい、お兄様もどうぞ」
「ああ、ありがとう」
リオを連れてきてほしいと言ったのに、ソレーヌはミラベルとばかり話し、彼のことはほったらかしだった。
少し気になったものの、ソレーヌがとても楽しそうだったので、口を挟まずにいた。
新しく買った恋愛小説の話。
ミラベルが好きな花の話などを楽しそうに話していたソレーヌは、ふと言葉を切った。
その視線は、ソファーに座ってふたりの話に静かに耳を傾けていた、リオに向けられている。
彼はソファーの背もたれに身を預け、目を閉じていた。
眠っているのかもしれない。
ソレーヌは立ち上がり、兄を覗き込んだ。
「ミラベル、少し手伝って。上着だけ脱がせたいの」
「え、うん」
あまり男性と接することのなかったミラベルは、上着とはいえ、男性の服を脱がせるなんて恥ずかしくて困ってしまう。
でもソレーヌは慣れているようで、ミラベルがリオの身体を支えている間に手早く脱がせ、クッションを枕にしてゆっくりと横たえる。それから薄手の毛布を持ってくると、兄の身体に掛けた。
「ごめんなさい。少しお兄様を休ませたくて。仕事に夢中になると、寝ることさえ忘れてしまうの」
そのためにわざと話を振らず、疲れているリオが眠ってしまうように仕向けたのか。
さっきまで少し我儘な妹の顔をしていたソレーヌが、慈愛に満ちた母のような表情で、眠る兄を見守っている。
「応接間に移動しましょう。向こうでお茶を淹れ直すから」
「ええ、ありがとう」
リオを起こさないようにそっと部屋を出る。
それからもソレーヌとふたりで楽しく過ごしていたが、寄り添い合う兄妹の姿が頭から離れなかった。
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