第5話

 そんなことを考えているうちに、夜会が行われているホールが騒がしくなった。

 同時に、使用人達の控え室も騒然とし始める。

 ホールに様子を見に行った者が戻ると、そこに集まった人たちが、小声で話す声が聞こえてきた。

 メイド姿のミラベルは、そっと彼女たちの話に耳を傾ける。

「ドリータ伯爵令嬢が、夜会の最中に姿を消したそうだ」

「え? ドリータ伯爵って、あの?」

「そう。それを、サザーリア公爵令嬢が探し回っているらしい」

 ドリータ伯爵は第二王子派。

 対して、サザーリア公爵は第一王子派である。

 けれど、ミラベルとソレーヌが親しい友人同士だと知る者は多く、そこに疑問を覚える者はいなかった。

(大丈夫みたいね……)

 使用人達の話を聞いて、計画は順調のようだと安心する。

 さらに、夜会に少し疲れて、休憩した主に付き添っていたメイドたちが戻ると、もっと詳しい話をし始めた。

「ドリータ伯爵令嬢が最後に目撃されたのは、庭園だったそうよ」

「そこで、婚約者が他の女性と抱き合っているところを目撃したとか……」

 彼女達の主の令嬢が、興奮気味にそう語っていたらしい。

 ソレーヌとリオがうまく誘導したこともあり、婚約者の浮気現場を見てしまい、ショックを受けてひとりで帰ってしまったのではないか。

 そういう噂が瞬く間に広がっているようだ。

(うん、先制攻撃は成功ね)

 こうなってしまえば、いくらニールとエミリアが悲恋をアピールして純愛だと訴えても、最初に婚約者であるミラベルを傷つけてしまった事実がある。

 あとはうまく王城から抜け出して、公爵家に匿ってもらえばいい。

 そのうちソレーヌが、ミラベルが心配だから探しに行くと言ったらしく、周囲が急に慌ただしくなった。

(ああ、お父様は困っているでしょうね)

 ミラベルの父としては、娘の身を心配するよりも、大袈裟に騒いでほしくないといった気持ちのほうが強いに違いない。

 だがいくら財を成そうとも、父は伯爵家当主でしかない。

 サザーリア公爵家の令嬢であるソレーヌを止めることはできないだろう。

 リオはまだ残るようだが、ソレーヌは婚約者の許可が出て退出することになった。

「待たせてごめんなさい」

「ううん。ありがとう」

 ソレーヌの協力がなかったら、あんな場面を目撃しても、何もできないまま帰るしかなかった。そう思うと、彼女には感謝しかない。

「あとはお兄様に任せて、私達は帰りましょう」

「ええ」

 こうしてミラベルは彼女のお付きのメイドとして、誰にも咎められずに一緒に王城から出ることができた。

「とりあえず、これで安心ね」

 公爵家の馬車に乗り込んだあと、ソレーヌはそう言って微笑んだ。

「あのふたり、自分達が思っていた状況と違うものだから、かなり焦っていたみたいよ。こんなはずじゃなかったのに、と呟いていたから、彼らにも作戦があったみたいね」

「作戦、ですか?」

「ええ。あなたを悪役にしたいのなら、ふたりの逢瀬を見たあなたが逆上して、浮気相手であるエミリアに危害を加えようとする。それをニースが庇う、という構造かしら?」

 恋愛小説では、だいたいそんな流れだとソレーヌは言う。

 それを聞いて、ミラベルは呆れてしまった。

「さすがに、そこまでの情熱はないわ。それに恋愛感情がないとはいえ、他の女性とふたりきりで抱き合っているなんて、不誠実な行為よ。怒るのは当然の権利だと思う」

 危害を加えるつもりはないが、抗議はする。

 婚約者として当然だと思うが、彼らの中では違うのだろうか。

 ソレーヌも頷いた。

「そうね。私もロランドが他の女性と抱き合っていたら、抗議してお兄様に訴えるわ」

「それは……」

 そんなことにはならないだろう、とミラベルは思う。

 王太子を目指しているロランドにとって、サザーリア公爵であるリオの後ろ盾は何としても必要だ。

 何せ冷遇されていたロランドを今の地位にまで引き上げたのは、リオの功績である。

 その妹のソレーヌを疎かにするようでは、王太子になどなれないだろう。

 自分と違ってソレーヌには、どんなときでも守ってくれる兄がいる。

 何があっても、どんな状況になろうとも、リオがソレーヌを見捨てることはない。

 ソレーヌ達も大変な状況だったことを考えると、口に出すことはできないが、ずっと羨ましいと思っていた。

(私には、誰もいないから……)

 父はミラベルの味方ではない。

 むしろ、商売道具のひとつだと思っていそうだ。

 母とも年に何回か会うだけで、家族という認識はあまりなかった。

「あれからどうなったのか、あとでお兄様に聞きましょう。私達は手紙の用意をしなくてはね」

 ソレーヌの明るい声に、我に返る。

「そうね。でも、やっぱりニースのことが好きだった前提じゃないと、だめかしら?」

「ええ。そのほうが効果は上がるわ」

 もちろんそうするべきだと言われてしまい、ミラベルは仕方なく承知する。

 たとえ嘘でも、彼のことを好きだったと書くのは苦痛だった。

 でも彼らに反省を促して、できれば婚約を解消するためには必要なことだ。

 サザーリア公爵家の邸宅に到着したあと、ミラベルはソレーヌに連れられて、そのまま彼女の部屋に向かった。

 伝統ある公爵家の屋敷はとても広く、格式高い。

 ソレーヌが夜会用のドレスから部屋着に着替えている間、メイドがお茶を淹れてくれたので、有り難く頂くことにした。

 ソレーヌの部屋は、公爵令嬢のものというよりも書斎のようだ。

 四方を本棚で囲まれ、そこには本がびっしりと詰め込まれている。

(……また増えたわね)

 このすべてが、恋愛小説なのだ。

 一緒に暮らしている兄のリオがソレーヌに甘いものだから、本は増える一方のようだ。

「ミラベルも着替えなくてはね」

 着替えから戻ってきたソレーヌがそう言ったが、ミラベルは首を横に振る。

「いえ、このままでいいわ。メイドの服の方が目立たないもの」

 それに、サザーリア公爵家のメイド服は、なかなか可愛らしくて気に入っていた。

「そう? ミラベルがいいなら、それでいいけれど」

 ソレーヌはそう言うと、ミラベルの向かい側に座った。

「今後のことはお兄様が帰ってきてから相談することにして、まずは手紙ね。参考にしてほしいのは、これと、あれと……」

 ソレーヌはそう言いながら、五、六冊の本をミラベルの目の前に差し出す。

「こ、こんなに?」

「ええ。もちろん、該当部分だけでいいの。どんな手紙が効果的なのか、知っておかないとね」

 ソレーヌに指定されたところを次々と読み進めていく。それを参考にして、何とか手紙を書き上げることができた。

「うん、完璧ね」

 手紙を読み直したソレーヌは、そう言って微笑む。

「これを明日、さっそくコーリーに出しましょう。十日後に王城でまた夜会が開かれるわ。若い人達だけの交流会だから、多少のことは大目に見てもらえるはずよ。コーリーが手紙について相談してくれるだろうから、それを持ってニースに詰め寄るわ。どんな言い訳をするのか見物ね」

「私も行ってもいい?」

 迷惑をかけてしまうことになる。でもニースがどう出るのか、見届けたいと思った。

「……そうね。でも、夜会に参加するのは少し危険ね。前と同じようにメイドになれば大丈夫だと思うわ」

 控え室から様子を伺うなら大丈夫と言われて、頷く。

 さすがに失踪しているのに、夜会に堂々と参加するわけにはいかないとわかっている。

「無理ばかり言ってごめんなさい」

「何を言っているの。私とお兄様は、何があってもあなたの味方よ」

 ソレーヌの言葉はとても優しくて、心強い。

「ありがとう」

 味方だと言ってくれるのは、このふたりだけだ。

 それがとても嬉しくて、少しだけ悲しかった。

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