第4話
「こういうのって、小説にもよくある話よね?」
恋愛小説が好きなソレーヌに尋ねると、彼女はしばらく考え込んでから、そうね、と頷いた。
「たしかに悲恋や権力に引き裂かれる運命の恋人同士の話は、好きな人が多いわ。でもそれは小説だから許されることであって、実際にはただの浮気、不倫でしかないわね」
きっぱりとそう言った彼女は、やはり常識人だ。
「でも、そういう話を好きな人も多いと思うの。それに、こんなことがあったとしても、あの父が婚約を解消してくれるとは思えない。このまま、私の方が悪役にされてしまうのではないかと思って……」
浮気された挙句、悪役にまでされるなんて絶対に嫌だった。
「情勢をよく理解している人なら、ふたりの婚約によって一番得をするのはディード侯爵家だってわかるでしょうから、そんな噂に惑わされたりしないわ。でも、噂話を好む令嬢たちは、嬉々として広めそうではあるわね」
ソレーヌも、気の毒そうに同意してくれた。
しかもミラベルの父であるドリータ伯爵は、一部の貴族には金の亡者だと蔑まれている。その娘であるミラベルを、悪女だと罵ることで溜飲を下げる者もいるだろう。
「何とか、悪役にならないですむ方法はないかしら?」
できれば結婚も回避できればと思うが、難しいだろう。
それでも、ニースの思い通りにはなりたくない。
恋愛小説をかなり読んでいるソレーヌなら、何か良い考えが浮かぶのではないか。
そう思って相談してみた。
「それはつまり、世間を味方に付けたいということね?」
すぐにこちらの言いたいことを理解してくれたソレーヌの言葉に、ミラベルはこくりと頷く。
「そう。本当は結婚を回避できれば一番だけど、それは難しいだろうから」
「……そうね」
しばらく考え込んでいたソレーヌは、何かを思いついた様子で笑顔になった。
「ミラベル、失踪しましょう」
「……失踪?」
「ええ、そうよ。この間読んだ小説に、そんな場面があったの。ヒロインは、愛する人の愛が自分ではなく友人に向けられていると知り、ふたりが幸せになれるように姿を消すの。ヒロインの健気さに感動したわ」
そしてヒーローはヒロインの愛の深さを知り、自分だけ幸せになることはできないと、友人と別れることを選ぶ。
そうして、いつもヒロインの優しさに救われていたことを思い知って、彼女を探す旅に出た。
「……うーん、探してほしくはないわね。ニースが私のことを探すとも思えないし。でもそれなら、私が悪役になることはなさそうね」
むしろ、ヒロインの愛を裏切ったヒーローと友人の方が悪く思える。
そんな噂が広まれば、さすがにニースもエミリアとの恋愛を続けることはできない。彼の父が許さないだろう。
ミラベルはその頃に戻って、ふたりを別れさせないでほしいと訴えればいい。
もし父がニースを見限るのならばそれでいいし、そのまま結婚することになってしまっても、エミリアが愛人として付いてくることはなくなる。
「だが小説と違って失踪だけだと、動機がはっきりせずに事件になってしまう可能性がある。事情を書いた手紙などがあれば良いだろう」
ふたりの話を静かに聞いていたリオが、そう助言してくれた。
「お兄様の言うとおりね」
ミラベルもリオの言葉に頷くが、問題はその手紙をどこに置いておくかだ。
「でも私の部屋に置いただけでは、お父様がその手紙を揉み消してしまうかもしれないわ」
「……そうね。だったら私宛に送ったことにしましょう。あなたの手紙を、私が公表すればいいのよ」
それなら安心かと思ったが、リオがそれを止めた。
「いや、それだとミラベルの婚約を阻止するために、こちら側が仕組んだことだと思われる。そうなったら、ミラベルの立場も悪くなってしまうだろう」
ミラベルとソレーヌが学生の頃から親しい友人であることは、広く知られていることだ。
それが結婚を前に失踪したとなれば、ディード侯爵家とドリータ伯爵家が結びつくことを阻止するために、リオが動いたと言われるかもしれない。
そしてミラベルは、ニースを陥れるために失踪したことになってしまう。
「ふたりの共通の友人は?」
「共通……」
ミラベルとソレーヌは顔を見合わせ、あるひとりの友人の名を出した。
「コーリーかしら。トーナ子爵家の」
ソレーヌとは恋愛小説仲間。
そしてミラベルとは、花が好きだという共通点がある。
学園でも仲良くしていた友人だ。
「トーナ子爵家か。学者の家系だな。中央貴族だが、どの派閥にも属していない。教会との深い繋がりがあるから、爵位で侮られることもない。最適だろう」
「お兄様が言うなら間違いないわね。じゃあコーリー宛に出して、私にもよろしく言っておいてほしいと書けば完璧よ」
それがよさそうだと、ミラベルも頷いた。
「わかった。さっそく手紙を書いて失踪するわ」
婚約者の浮気現場を目撃した直後に失踪したほうが、信憑性が増す。
だから手紙の内容は後で相談することにして、とりあえず今すぐに身を隠さなければならない。
「まず、お父様に見つからない場所に隠れないと」
「手紙のことや、今後のことも話し合う必要があるから、私達の屋敷に行きましょう」
「え、いいの?」
どこに行こうか思考を巡らせていると、ソレーヌがそう言ってくれた。
「もちろんよ。むしろどこに行くつもりだったの?」
「それは、辺境の修道院とかに……」
父の目の届かない土地にでも、隠れるつもりだった。
そう答えると、ソレーヌは拗ねてしまう。
「ひどいわ。どうして私を頼ってくれないの?」
「ごめんなさい。そこまで甘えてしまったら、迷惑かと思って。これは私の我儘だもの」
「迷惑だなんて、そんなことはないわ。ミラベルは私の大切な友人なのよ。粗末に扱う人は許せないもの」
そう言ってくれた。
「本当にいいの?」
そう尋ねると、彼女は満面の笑顔でもちろんだと頷いてくれた。
「屋敷ではいつもひとりだから。ミラベルが一緒にいてくれたら、とても嬉しいわ」
心から歓迎してくれている。
それがわかったから、ミラベルも素直に甘えることにした。
それからソレーヌのメイドと服を交換して、メイドに扮する。
ミラベルのドレスを着たメイドが目撃情報を残しながらも、上手く王城から姿を消してくれるそうだ。
「ひとりで大丈夫かしら?」
ドレス姿で王城の外をひとりで歩くのは、危険かもしれない。
身代わりになってくれたメイドの身を心配するが、ソレーヌは大丈夫だと言ってくれた。
「彼女は私の護衛でもあるの。だから心配しないで」
それなら、ひとりで町を歩いても大丈夫かもしれない。
(よかった……)
さすがに身代わりになってくれた人が危険な目に合うようなことがあれば、彼女にもソレーヌにも申し訳なかった。
ソレーヌはリオと夜会に戻り、ミラベルを見なかったかと、さりげなく色々な人に尋ねてくれるようだ。
彼女は第一王子の婚約者なので、早々に退出するわけにはいかない。
だからミラベルも他のメイドたちと一緒に、使用人達の控え室で彼女の帰りを待つことになる。
でも事情を知っているメイドが一緒にいてくれるそうで、不安に思うことはなかった。
そのあとは、サザーリア公爵家に匿ってもらう。
(それでも王城を出るまで、知り合いに会わないようにしないと)
黒い髪に緑色の瞳。
どちらも珍しい色ではないし、顔立ちは平凡だと自分では思っている。
だからメイド服を着て紛れ込んでしまえば、よほど近寄らない限りわからないのではないだろうか。
(うん、大丈夫そうね。待っている間に、手紙の文面でも考えていよう)
ミラベルはもう一度、設定をよく思い出してみる。
ふたりの幸せのために身を引くからには、ニールのことを好きだという前提なのだろう。
彼のことを、そんなふうに思ったことは一度もない。
(それに、もし私がニースを好きだったとしても、あの場面を見てしまったら、その恋も一瞬で冷めてしまうと思う)
まして、ふたりのために身を引くなんてあり得ない。
やはり小説は創作でしかないと思う。
自由に結婚できる身分だったら、すぐに婚約解消を突きつけて、慰謝料もたっぷりもらう。
きっとニースもその方が嬉しいだろう。
だってミラベルと結婚するのは、彼にとって『過酷な運命』らしいのだから。
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