第7話

 それからも何度か、ミラベルはソレーヌに請われてリオをお茶に誘った。

 彼はどんなに忙しそうでも、ミラベルの誘いを断らずに応じてくれる。

 かえって仕事の邪魔をしているようで申し訳ないと思うが、ソレーヌはとても感謝してくれた。

「お兄様、最近は少し顔色が良いの。ありがとう、ミラベルのお陰だわ」

 世話になってばかりで申し訳ないと思っていたが、少しでも役に立てたならよかった。

 ミラベルも胸を撫でおろす。

 けれど大切な妹の助言さえ聞き入れなかった彼が、どうして自分の誘いだけは、断らずに受け入れてくれるのだろう。

 向けられた優しい笑みを思い出して、両手で頬を押さえる。

(きっと、深い意味はないのよ。勘違いしないようにしないと……)

 そう思っているのに、なかなか頬に集まった熱は引かなかった。


 そんな日々を過ごしているうちに、とうとう夜会の日になった。

 ソレーヌは朝から支度に大忙しのようだが、メイドとして付き添うミラベルは、少し変装するだけでいい。

「これでいいかな?」

 茶色のウィッグを被り、化粧を変えるだけで随分印象が変わる。

 さらに、着ているのはメイド服だ。

 これならたとえニースと顔を合わせたとしても、向こうはミラベルだとわからないだろう。

 公爵令嬢であるソレーヌには、メイドが何人か付き添って行く。ミラベルは、その中に紛れ込む予定である。

 それにソレーヌが傍に置いているメイドは、しっかりとした身元の信頼できる者ばかり。そんな彼女達にはミラベルの事情を話してくれたようなので、何かあってもフォローしてくれるだろう。

 準備を整えて応接間に行くと、ソレーヌはまだ来ていなかった。

 だが、先にリオがいた。

 夜会用に煌びやかに正装したまま、書類を手に何やら考え込んでいる様子だ。相変わらず、兄妹揃って恐ろしいほどの美貌である。

「ああ、準備ができたようだね」

 彼はミラベルに気が付くと、書類を置いて笑みを向ける。

 ここ数日、この公爵家で過ごさせてもらったが、リオはかなり多忙のようだ。

 食事もソレーヌと一緒に食べることはほぼないようで、彼女はミラベルと一緒で嬉しいと、とても喜んでくれていた。

 それほど忙しい人に、自分の個人的なことで面倒をかけてしまっている。

 そう思うと急に申し訳なくなる。

「どうした?」

 表情を曇らせたミラベルに、リオは優しい声で問いかける。

「何か不安なことがあるのか?」

「……いえ。ただ、色々とご迷惑をお掛けしてしまって」

「そんなことを気にする必要はない。むしろソレーヌは喜んでいるだろう」

 そう言ってくれた。

 ソレーヌは学園を卒業したあと、妃教育のために毎日のように王城に通っている。気の抜けない日々のようで、たしかに久しぶりにミラベルとゆっくり話せて嬉しいと、何度も言ってくれた。

「それに俺にとって君は、もうひとりの妹のような存在だ。遠慮なんてせずに頼ってほしい」

 その言葉通りに、慈しむような視線を向けられる。

 こんなに優しい人が、外では冷酷非道な男だと言われているのが信じられない。

「はい、お願いします」

 素直にそう答えると、リオは綺麗な顔で微笑む。

 それから、メイド服を着ているミラベルに視線を移した。

「ええと……」

 じっと見つめられ、似合っていないのかと不安になる。

「仕方のないこととはいえ、君をメイドとして連れて行くのは、少し心配だな。貴族の中には、メイドになら何をしてもいいと思っている愚か者がいる。気を付けたほうがいい」

 リオが口にしたのは、ミラベルを案じる言葉だった。彼はしばらく思案した後、懐から何かを取り出した。

「手を出して」

「は、はい」

 言われた通りに手を差し出すと、リオはミラベルに指輪を嵌めた。

「変な男に絡まれたら、これを見せればいい」

「……これは」

 よく見れば、サザーリア公爵家の紋章が刻まれた指輪だった。

「えっと、さすがにこれをお預かりするのは……」

 これを持っているのは、公爵家の身内だけである。

 それも、今はリオとソレーヌしかいない。他にいるとしたら、将来、リオの妻になる女性だろう。

「君の身を守るために必要なものだ。残念だが、今日はずっと傍にいることができないからね」

 だがリオは、心配そうにそう言う。

「はい……」

 その熱意に負けて、とうとう受け取ってしまった。

 公爵家の紋章に少し怖気づいたが、たしかに今日の夜会は若い貴族ばかりの交流会のようなものだ。普段は王城に上がることのない、爵位があまり高くない者も参加している。

 そういう人達の中には、リオが言っていたように、身分が下の者には強く出る者もいるらしい。

 余計な騒動を引き起こして目立ってしまうよりは、有り難く借りた方がいいのかもしれない。

「すみません、お借りします」

 そう言うと、リオは満足そうに笑った。

「気を付けて。何かあったら、すぐに俺かソレーヌに言ってほしい」。

「はい、ありがとうございます」

 お礼を言うと、リオは夜会前に第一王子のロランドに会いに行く必要があるらしく、先に王城に向かった。

「ごめんなさい、ミラベル。支度に時間が掛かってしまって」

 その後ろ姿を見送っていると、身支度を終えたソレーヌが謝罪しながらやってきた。

「ううん。私の方が早く終わっただけだから」

 ソレーヌは、婚約者から贈られたドレスを着ていた。

 そのドレスは、あまり着飾ることに興味のないミラベルでも、見惚れるほど美しい。

 もちろん品質も最上級のもので、リオから支援を受けているロランドが、経済的にも余裕がある証拠である。

 権力争いに、経済力は不可欠なものだ。ソレーヌの美しさは、そのままロランド派の強さを示している。

 でも家を出て失踪中のミラベルは、そんな権力争いとは距離を置いた身だ。

(美人が着飾ると、迫力が増すよね……)

 だから、呑気にそんなことを考えていた。

 けれどソレーヌの方は、目ざとくミラベルの指に嵌められた指輪を見つけたようだ。

「ミラベル、それって」

「ああ、これはリオ様が貸してくださったの。メイド姿なので、変な男に絡まれたら使うように、と」

 指輪を見て目を輝かせるソレーヌに、先手を打つようにそう説明する。

「うん、そうね。持っていた方がいいわ」

 彼女は少し残念そうな顔をしながら、頷いた。

「いつも夜会に来ている人なら、サザーリア公爵家のメイドに声を掛けるなんて、あり得ないけれど。今日は少し騒がしくなるだろうから」

 ソレーヌはそう言ったあと、ふと意味深に笑った。

「お兄様は、何と言って渡したの?」

「私の身を守るために必要だって」

「……そう」

 答えを聞いたソレーヌは、くすくすと笑う。

 不思議そうに首を傾げるミラベルに、そのうちわかるわと笑う。

「それより、困ったら迷わずに使うのよ。お兄様は優しいけれど、怒ると本当に怖いの。あなたに何かあったら、破滅してしまう人がいるかもしれない」

「……わかったわ」

 とにかく、これを使うことを躊躇ってはいけないことだけは理解した。

 さすがにメイドに声をかけただけで、サザーリア公爵に睨まれてしまうのは気の毒かもしれない。

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