第8話

 そんな会話を交わしたあと、ソレーヌとともに公爵家の馬車に乗り込んで、王城に向かう。

「あ、その指輪だけど」

 馬車がそろそろ王城に到着する頃、ソレーヌは思いついたようにそう言った。

「絡まれてから出しても遅いと思うから、外さないようにね?」

 そう言われてミラベルは、自分の指に嵌められた、サザーリア公爵家の紋章が刻まれた指輪を見つめた。

「ええ、わかったわ」

 せっかく貸してもらったのだから、有効に活用した方がいいだろう。

 けれど、ふと疑問に思う。

 ソレーヌは婚約者であるロランドがエスコ―トをするが、リオは誰と行くのだろう。

 そもそも彼に、婚約者はいるのだろうか。

「この指輪、貸してもらえるのは助かるけれど、誤解して困る人とかいる? たとえば、リオ様の婚約者とか」

 ミラベルの問いに、ソレーヌは複雑そうに言った。

「……お兄様には婚約者がいないの。だから気にすることはないわ」

「え」

 その返答に驚いて、思わず声を上げてしまった。

 学園を卒業したら、ほとんどの貴族は婚約者が決まっているものだ。

 しかもリオは、公爵家の当主である。

 冷酷だという噂があったとしても、あれほどの美形で、しかも公爵家当主である。

 相手に困ることはなさそうだ。

(それなのに、どうして?)

 理由を求めてソレーヌを見ると、彼女は肩を竦める。

「サザーリア公爵家は複雑な立場だから、お兄様も慎重になっているみたい。だから、誰にも気兼ねなく嵌めていていいのよ」

「そうだったの。うん。ありがとう」

 政治的な事情だったようだ。

 立ち入ったことを聞いてしまったと謝るが、ソレーヌは気にしないでと優しく笑った。

「さあ、行きましょう。ミラベルを裏切ったあの人を、ちゃんと追い詰めてやるからね」


 王城に到着すると、ソレーヌは婚約者のロランドのもとに向かい、そこから彼にエスコートされて会場に向かうようだ。

 王族の居住区には、メイドの立ち入りは許されていない。

 ロランドの護衛騎士に守られたソレーヌを見送ったミラベルは、他のメイド達と一緒に、使用人のための控え室に向かった。

 直接会場の中を見ることはできないが、向こうの声はよく聞こえるようになっている。

 これならニースと顔を合わせることなく、事の次第を見届けることができるだろう。

 おそらくファーストダンスが終わったあと、ミラベルからの手紙を受け取った友人のコーリーが、ソレーヌに接触するはずだ。

 そのときを、静かに待つことにした。

 やはり若い貴族ばかりなので、会場はどことなく浮ついた雰囲気である。

 それは控え室も同じだった。

 他家のメイドと情報交換をする者もいれば、何度も顔を合わせているうちに親しくなった者もいるようで、楽しくおしゃべりをしている者もいる。

 普段は先輩に叱られてしまうような行為も、若い者ばかりの場では強く咎める者もおらず、使用人たちも楽しく過ごしているようだ。

 だがリオが危惧していたように、夜会に参加している貴族の中には、控え室に顔を出して、メイドに声をかける者もいた。

 メイド達は慣れているらしくうまく断っているが、やはり身分が上の相手に強く言うことができないのだろう。

 今、若い男性に声を掛けられたメイドは、少し困っているようだ。手助けしようか迷って様子を伺っていると、彼女は上手く逃げたようで立ち去っていく。

(よかった)

 ほっとしていると、メイドに振られた男が忌々しそうに舌打ちをして、控え室を見渡す。

 次の獲物を探しているのだろう。

(あ……)

 面倒事に巻き込まれるわけにはいかないと、慌てて視線を逸らす。

 だが、それがかえって気を引いてしまったらしい。男はつかつかとこちらに歩み寄ると、手を伸ばしてミラベルの腕を掴んだ。

 そして、ぐいっと引っ張られる。

「きゃっ」

 こんなに乱暴に扱われたことなどなかった。

 驚いて、思わず声を上げてしまう。

 悲鳴に気をよくしたように、男はにやついた顔をしてそのままミラベルを引き寄せる。

「ふん、メイドにしてはなかなかだな。俺が相手をしてやろう。光栄に思え」

「……離してください」

 ミラベルは、その手を思い切り振り払う。

 この男の顔に、見覚えはなかった。

 あまり頻繁に、王城に来られるような者ではないのだろう。

 そう言う者に限って、メイドに手を出したり、従者に絡んだりする。

「何だと?」

 メイド服のミラベルに手を振り払われた男は、声を荒げた。

「離してください、と言いました。私に触れないで」

「メイドのくせに生意気な!」

 男は苛立った様子で、もう一度手を伸ばそうとする。

 その目の前に、ミラベルは躊躇うことなく手を翳した。その指には、サザーリア公爵家の紋章が刻まれた指輪がある。

 不快そうな男の瞳が、その指輪を見つめた瞬間、強張る。

「まさか、それは……」

 効果は予想以上だった。

 不遜な態度だった男の顔が真っ青になっていくのを見て、ミラベルの方が戸惑う。

 その様子を見ていた周囲にも騒めきが広がっている。

「あの……」

「ひっ!」

 思わずそう声をかけていた。

 だが男は怯えるように後退りして、あっという間に逃げ去ってしまった。

「……」

 ミラベルは呆然と、その後ろ姿を見送る。

 サザーリア公爵家は、ミラベルが思っていたよりもずっと、恐れられているようだ。

 周囲からも注目され、ミラベルは戸惑って視線を彷徨わせる。

 サザーリア公爵家のメイド達が、慌ててミラベルを庇うように控え室の奥に連れて行ってくれた。

「お守りできずに申し訳ございません」

 そう謝罪してくれたが、もともとはミラベルが男に絡まれて困っているメイドを放っておけなくて、つい様子を伺ってしまったのが悪い。

 複雑な立場なのだから、おとなしくしているべきだった。

「ううん、大丈夫。この指輪が守ってくれたから」

 効果は想像以上で、かえって戸惑ったくらいだ。

 そう言って笑顔を向けた途端、夜会の会場となっているホールからソレーヌの声がした。

「ニース。あなたに聞きたいことがあるの」

 凛とした声が、ホール中に響き渡る。

 とうとう始まったようだ。

 ミラベルは控え室からその声に耳を傾けた。

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