第9話 サザーリア公爵家令嬢ソレーヌ 1

 ソレーヌは、婚約者のロランドにエスコートされて会場に入る。ふたりの背後には、兄のリオがいる。

 婚約したばかりの頃は、王城でさえ嫌がらせをされることが多かった。それを阻止するために、夜会のときは兄が同行してくれていたのだ。

 それがすっかり習慣になってしまい、嫌がらせがなくなった今でも、こうして傍にいてくれる。

 兄の婚約者が決まるまで、これは続くのだろう。

 屋敷にいるときと違い、兄は周囲を威圧するように険しい顔をしている。

 子どもの頃、優しく穏やかだった面影は、もうどこにもない。

 利用され、裏切られていくうちに兄は他人を信用しなくなり、今では利用する側になった。

 ソレーヌもなるべく隙を見せないように、学生時代からの友人以外は、親しい人を作らないようにしていた。

 そんなソレーヌの隣には、運命共同体ともいえる婚約者のロランドがいる。

 ロランドは正妃との間の第一王子として生まれながら、隣国との関係の悪化によって冷遇されてきた。

 彼は隣国の王族の特色でもある赤髪に、この国の王家特有の金色の瞳をしている。背がとても高く、身を守るために手にした剣の腕前はかなりのものだ。

 育った環境のせいか無口で感情を露にすることはないが、ソレーヌのことはとても大切にしてくれる。

 ソレーヌが王城の晩餐会に招かれて毒を盛られたときも、一晩中手を握って謝り続けてくれた優しい人だ。

 あの毒も命を奪うほどのものではなく、ただの嫌がらせだった。

 犯人はわからなかったが、ソレーヌがロランドのもとから逃げ出すことを期待していたのかもしれない。

 当初は、ロランドとの婚約を恨んだこともあった。彼の婚約者にならなければ、兄とふたりで、静かに穏やかに暮らせたかもしれない。

 けれど婚約者として傍にいるうちに、彼の不器用な優しさに絆され、こんな境遇でも諦めない強さに惹かれた。

 ロランドと一緒に生き延びること。

 それがソレーヌの目標であり、願いである。

 大切な人はもうひとりいた。

 ミラベルだ。

 学生時代からの友人は数人いるが、ソレーヌにとって、親友と呼べるのは彼女だけだ。

 学園で知り合った彼女は、第二王子派の婚約者がいるにも関わらず、とても親切にしてくれた。

 兄とロランドのいない学園で、彼女の存在がどれほど救いになったのか、ミラベルは知らないだろう。

 でもミラベルがニースと結婚してしまえば、完全にソレーヌ達とは敵対関係になってしまう。何とかできないか色々と考えていたのだが、まさか向こうから事を起こしてくれるとは思わなかった。

 ミラベルには絶対に言えないが、むしろニースの行動はソレーヌにとって好都合だった。

 ロランドも、ディード侯爵家とドリータ伯爵家が結びつくことを危惧していた。ミラベルを公爵家で保護している今、この機会を逃す手はない。

 心配していたのは、兄がミラベルをどう思っているかだ。

 使えるものは何でも利用する兄が、ミラベルを駒にするのではないかと恐れていた。

 でも彼女の身を守るためとはいえ、代々サザーリア公爵家の当主の妻に与えられる指輪を渡したところを見ると、その心配はなさそうだ。

(ミラベルとずっと一緒に居られたらいいのに……)

 叶わないとわかっていても、昔からそう願っていた。

 ファーストダンスをロランドと踊ったあと、友人のコーリーが慌てた様子で駆けつけてきた。

 すべて計画通りだ。

「コーリー、どうしたの?」

「ソレーヌ。ミラベルから手紙が……」

「まぁ、ミラベルから?」

 慌てた様子のコーリーを落ち着かせて話を聞き、少し大げさに驚いてみせる。

 コーリーから手紙を見せてもらい、当人に聞いてくるからと、それを受け取った。

 それからソレーヌは、ミラベルの婚約者のニースに声をかけた。

「ニース。あなたに聞きたいことがあるの」

 彼は、政敵である第一王子の婚約者のミラベルから話しかけられて、困惑した様子だった。

 けれど身分も立場も上であるソレーヌからの言葉を無視できずに、仕方なく立ち止まった。

 ニースは傍らに、例の女性を連れている。

(エミリア、だったかしら。何だか学園での印象と少し違うわね)

 道端で咲く花のような、地味で控えめな女性だったと記憶している。

 だが今の彼女は、何となく自分に自信があるような、ニースが自分に夢中であると確信しているような目をしていた。

(これが本性ということかしら?)

 だとしたらニースは、そんな女性にあっさりと騙されて、大切なものを失ってしまうことになるのだろう。

 その点は少し哀れに思うが、こちらにとっては好都合だ。

「他の女性を連れていらっしゃるようだけれど、ミラベルはどうしたの? 婚約者以外の女性を連れているなんて、マナー違反ですわ」

 そう詰問すると、エミリアの視線がまた、怯えたようなものになる。

 ニース様、と小声で呟く声も、彼の袖口を掴む手も震えているくらいだから、なかなか見事なものだ。

「エミリアを責めないでほしい。すべては私が……」

 案の定、ニースは即座にエミリアを庇う。

「いいえ、私が悪いのです。ニース様には婚約者がいらっしゃる。それをわかっていたのに……」

 悲劇のヒロインのように涙を浮かべ、そう言ったエミリアの言葉を、ソレーヌは途中で遮った。

「別に責めているわけではないわ。ミラベルは、そんなあなた達の幸せを祈っていたのだから」

 そう告げると、ニースもエミリアも驚いたように声を上げた。

「え、ミラベルが……」

「そんな、まさか」

「この手紙が、コーリーのもとに届いたの。ミラベルは、この間の夜会から行方不明になっている。その理由が、ここには書かれていたわ」

 そう言って、ニースの目の前にミラベルの手紙を突き付けた。

「あなた達がこの王城の庭園で、互いに愛を告白しながら抱き合っていたところを、ミラベルは見ていたのよ」

 王城で開かれた夜会で、婚約者以外の女性と密会をしていた。

 そのことを強調しながら、ソレーヌは言葉を続ける。

「でもミラベルは、婚約者がいながら不誠実な行為をしていたあなたを責めることはなく、姿を消してしまった。どうしてミラベルがそんなことをしたのかわかる?」

 そう言ってニースを見つめ、ソレーヌは感極まったように言った。

「あなたを愛していたからよ」

 そんな事実はまったくないが、このふたりを悪役にするためには必要な言葉だ。

「ニースには、本当に愛する人と一緒になって、幸せになってほしい。そう手紙を残して、ミラベルは失踪してしまったの。それなのにあなたは何も知らずに、婚約者のミラベルのことを気にもせずに、そうやって笑っているのね」

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