第12話
目が覚めると、もう昼近くだった。
疲れていたとはいえ、こんなに眠ってしまったことに驚きながら、慌てて起きて身支度をする。
もし本物のメイドだったら、すぐにクビになってしまったかもしれない。
「あら、ミラベル。起きたのね」
公爵家の屋敷にある庭で、優雅にティータイムを楽しんでいたらしいソレーヌは、急いで駆けつけたミラベルを見て微笑む。
「ごめんなさい。こんなに眠ってしまうなんて思わなくて」
「いいのよ。むしろここにいる間は休暇だと思って、ゆっくりと休めばいいわ」
そう言ってくれたが、居候の身としては気が引ける。
せめて、ソレーヌより早く起きようと決意した。
「お兄様も、朝になってから帰ってきたみたい。そろそろ起きただろうから、あれからどうなったのか、話を聞いてみましょう」
「ええ、ぜひ」
警備兵に連行されたニースとエミリアがどうなったのか、ミラベルも知りたかった。
「では、お兄様の部屋に行きましょうか」
ソレーヌはそう言って、立ち上がった。
ベテランのメイドが、その後に影のように付き従う。
「え、部屋?」
ミラベルはその後に続きながらも、驚いて声を上げる。
彼女にとっては兄なので気安いだろうが、ミラベルは婚約者だったニースの部屋にも入ったことはない。いつも彼と会うときは、メイドか従者が同席している客間で会っていたくらいだ。
「大丈夫。もう起きているはずよ」
「そ、そういう問題ではなくて……」
慌てているうちに、目的地に到着してしまったらしい。
「お兄様?」
「ああ、ソレーヌか。入れ」
ソレーヌが扉を叩いてそう言うと、中からリオの声がした。連れているメイドに受け答えを任せないことからも、ふたりの仲の良さがわかる。
「ミラベルも連れてきたわ。昨日のことを聞かせて」
「……ミラベル?」
ソファーで寛いでいたリオは、ソレーヌの背後からミラベルが顔を出すと、慌てた様子で立ち上がった。
「こんな格好で、すまない」
きちんと正装した姿しか見たことがなかったが、今日のリオはラフな格好だった。
父とも弟とも親密に過ごしたことのないミラベルは、男性のそんな姿を見るのは初めてで、恥ずかしいことではないはずなのに頬が紅潮する。
「い、いえ。突然押しかけてしまって、こちらこそ、申し訳ありません」
視線を反らしたまま、そう答えるのが精一杯だった。
「いや、構わないよ。ソレーヌに連れてこられたのだろう?」
いつもと変わらない穏やかな声に、ミラベルも少しずつ落ち着きを取り戻した。
ソレーヌは連れてきたメイドにお茶を頼むと、リオの向かい側に座る。
「ミラベルもここに座って。それで、お兄様。あれからどうなったの?」
促されて、慌ててソレーヌの隣に座った。
「ニースの方は、よほど恋人に先に逃げられたのがショックだったようだ。客間に連れて行って話を聞くつもりが、興奮して暴れまわって、落ち着かせるためにも王城の地下牢に入れられたよ」
「……ニースが?」
話を聞くために駆け付けた騎士に抵抗し、同行したリオにも掴みかかったらしい。
そこまでしてしまえば、地下牢に入れられてしまうのも当然かもしれない。
(ああ、もう謹慎ではすまないかもしれないわね……)
よほど、エミリアの裏切りがショックだったようだ。
王城を守る騎士に逆らい、サザーリア公爵家の当主であるリオに危害を加えようとしたことは、大きな問題になる。
「あの、お怪我はありませんでしたか?」
心配になってそう尋ねると、リオは少し驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ああ、もちろん。心配はいらない」
リオはエミリアの取り調べにも同席したが、彼女は話をすることができないくらい怯えていたようだ。
調査に当たった騎士が辛抱強く尋ねると、今まで何度もニースに暴力を振るわれていて、怖くて逆らうことができなかったと涙ながらに訴えたようだ。
「……そんなはずないわ」
それを聞いたミラベルは、思わず失笑する。
あれほど情熱的に抱き合っておいて、今さら脅されていたなどと言われても、信じることなどできるはずがない。
「彼女がニースに殴られてしまった場面だけを目撃した人なら、信じてしまうかもしれないわね」
けれどソレーヌは、苦々しくそう言った。
「たしかに、調査に当たった騎士は、彼女に同情していたよ。被害者として扱うべきだと主張する者もいたほどだ」
「そんなこと、あり得ないわ。むしろ彼女が先にニースに狙いを定めたのだと、私は思っているのに」
ソレーヌの言葉に、リオも頷いた。
「ああ、間違いなくそうだろう」
それから視線をミラベルに向ける。
「もちろん、そんな馬鹿げた提案は却下した」
女性騎士が暴力の跡がないか調べてみたが、そんなものは何ひとつ見つからなかったらしい。
エミリアは傷が残るほどの暴力ではなかったと主張したが、先程の証言と食い違うため、嘘だと認定されたようだ。
その言葉に安堵して、ミラベルはきつく握りしめていた両手を下ろした。
「ありがとうございます……」
彼女は、騎士を騙すほどの演技力でその場を乗り切ろうとしていたのだ。リオが同席してくれて、本当によかったと思う。
「あのふたりが王城の庭園で抱き合って、愛を囁いていたことは多くの者に目撃されているもの。言い逃れなんてできないし、許さないわ」
ソレーヌも、いざとなったら証言者を用意すると言ってくれた。
今さらニースを見捨てて自分だけ逃げようとしても、そうはいかないようだ。
「エミリアは取り調べが終わったあと、実家の子爵家に引き取られた。処分が決まるまで、そこで謹慎するように命じてある」
それを破ったりしたら罪が重くなるだけだし、子爵家としてもこれ以上の醜聞は避けたいところだろう。
処分が確定したあとは、娘を修道院に送るかもしれない。
一方ニースは、当分地下牢に留められるようだ。
王城で騒ぎ立て、暴力まで振るってしまったことで、簡単に解放されることはないと思われる。
そんな彼を何とか解放しようと、ニースの姉であるリエッタに懇願されて、第二王子のクレートが動いているらしい。
その動きをすべて、リオは把握していた。
「クレート殿下は、このままディード侯爵家と共倒れになるか。もしくは、途中で切り捨てるか。どちらにしろ、騒がしくなるだろう。ミラベルは、しばらくこの家に居た方が安全かもしれないな」
「……はい」
ここに居ても良いかと尋ねる前に、リオからそう言ってくれた。
想像していたよりも事が大きくなってしまったことに罪悪感を抱きながらも、ミラベルは素直に頷いた。
今、家に戻っても、あの父のことだ。
この婚約が白紙になったとしても、またすぐに別の婚約が決まるだろう。勢力を伸ばすための駒として使われるだけ。
今までは、貴族の娘として生まれたからには、それも仕方のないことだと受け入れていた。
けれど王城で開かれた夜会の控え室で、メイドとして潜入したミラベルは、他家のメイド達から、色々な噂を聞いた。
その中には実家のドリータ伯爵家に関する噂も多く、そのほとんどは悪いものだった。
父のやり方は強引すぎるし、お金を貸し、その返済の代わりに領地や屋敷を取り上げることもあったようだ。
裏家業に手を染めているのではないかという噂まであって、さすがにそんなことはないとは思うものの、それを否定できるほど、父のことを知らなかった。
(私は知らないことが多すぎる。それがよくわかったわ)
このまま屋敷に戻って父の手駒になるよりも、もう少し俯瞰的な視線を持ちたい。
迷惑ではないと繰り返し言ってくれることもあり、今回の件が片付くまでは、ソレーヌと一緒に居させてもらいたいと思っていた。
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