第11話

 ホールでの騒ぎは、すべてミラベルがいる控え室にも聞こえていた。

 ソレーヌがニースにミラベルの手紙を突きつけ、ふたりの関係の不当性を周囲に訴えるところまでは、予定通り。

 だがエミリアが早々にニースを切り離して逃亡することも、逆上したニースがエミリアに手を上げることも完全に予想外だった。

 あれほど熱っぽく愛を語っていたというのに、こんなにも簡単に崩れてしまうようなものだったのかと、少し呆れてしまう。

 しかもふたりは王城で騒ぎ立て、リオが呼んだ警備兵に連行されてしまったのだ。

(こんなことになるなんて……)

 ここまで事が大きくなってしまったからには、ふたりともまったくお咎めなしとは思えない。

 体調が悪くなったと言って早々に退出したソレーヌとともに、ミラベルも帰りの馬車に乗り込んだ。状況説明や上に対する報告などは、すべてリオがやってくれるという。

「ミラベルが気にすることはないわ。あれは完全に自業自得よ」

「たしかにそうかもしれないけれど……」

 ソレーヌの言葉に同意しながらも、戸惑いは捨てきれない。

 悪役になりたくない。

 平気な顔で他の女性を抱きしめるニースと結婚するなんて、考えられない。

 そう思ってソレーヌとリオに相談したのはミラベルだが、まさかここまでの騒動になるとは思わなかった。

 ニースのことを許すつもりはない。

 彼を愛したこともない。

 でも、ふたりの仲を引き裂くつもりはなかった。

 嘘ばかりの手紙の中で、それだけは、たったひとつの真実だったのに。

「たしかに、愛してはいけない人を愛してしまって、駆け落ちするような恋愛小説はたくさんあるわ」

 落ち込むミラベルに、ソレーヌは言い聞かせるように優しく言う。

「でも大抵、そういった小説の主人公は家を出たり、きちんと婚約者に別れを告げたりしている。ニースのように、エミリアとの恋を楽しみながらあなたと婚約関係を継続しようとしている人なんて、小説の中にだっていないのよ」

 欲張って何もかも手にしようとするから、すべてを失ってしまうのだ。

 そう言われて、ミラベルもようやく納得する。

 たしかにニースは欲張り過ぎた。

 エミリアとの恋を楽しみながら、ミラベルと結婚するつもりだったのだ。

 あのとき、ミラベルが庭園でふたりの密会に遭遇しなかったら、ニースは今も何食わぬ顔でミラベルの婚約者でいただろう。

(それに、あんなに簡単に手を上げる人だとは思わなかったわ)

 エミリアは、ニースを裏切ってひとりで逃げようとした。

 でもか弱い女性に、暴力を振るうような人だとは思わなかった。

 王城の夜会で騒ぎ立てたふたりがどんな処分になるのかまだわからないが、ニースのものはエミリアよりもずっと重くなるだろう。

 彼らはそれだけのことをやってしまったのだ。あとは、ふたりがきちんとそれを理解して反省してくれることを祈るだけだ。


 公爵家の屋敷に戻ったあとは、これから先のことを相談することにした。

 前と同じようにソレーヌの部屋に招かれ、着替えを終えた彼女が戻ってきたところで、彼女特製のハーブティーを淹れてもらい、それを飲みながらふたりで話し合う。

「あれだけの騒ぎになってしまえば、ミラベルの婚約はニース有責で解消になる可能性が高いわ」

「ええ」

 その言葉に同意して、ミラベルは頷いた。

 父がニースの父であるディード侯爵と手を組んだのは、王家との繋がりを求めたからだ。だが、ニースの姉リエッタが第二王子クレートと婚約することができなければ、ミラベルとニースの結婚は、父にとって何の利益も生み出さないものになる。

 それならば、ニース有責で慰謝料をもらい、手を引いた方が良い。

 父は、そう考えるに違いない。

「婚約解消が正式に決まるまで、ミラベルは家には戻らないほうがいいかもしれない」

「……そうね」

 ソレーヌの言葉に頷く。

 それに、計画は成功したが、ミラベルは失踪したことになっているので、そう簡単に家に戻るわけにはいかない。

「もし家に戻ったとしても、またすぐに別の婚約者が決まるでしょうね」

 父にとって娘は、政略の道具でしかない。

 母は醜聞を何よりも嫌うから、こんな騒ぎを起こしたミラベルに失望するだろう。

 だったらいっそ、このまま出奔してもいいのではないか。

 そんな考えさえ浮かぶ。

「ニース達がこれからどう出るかも気になるし、しばらくここにいればいいわ」

「いいの? 私がいると、迷惑をかけることにならない?」

「そんなこと気にしなくていいのよ」

 ソレーヌは明るく笑う。

「ミラベルは私にとって家族みたいなものよ。家族に遠慮なんかしないでしょう?」

「……うん、そうね」

 曖昧に笑ったのは、ミラベルにとって家族は心を許せるような存在ではなかったからだ。

 でもたしかにリオとソレーヌなら、互いに遠慮などしないだろう。

「いっそ、このままメイドとして雇ってもらおうかしら」

「それならずっと一緒に居られるわね」

 冗談のように告げると、思っていたよりも真摯な答えが返ってきて驚く。

「ねえ、ミラベル。私はお兄様とあなたが傍にいてくれたら、それでいいの」

「え、ロランド殿下は?」

 親友が同じ気持ちを抱いてくれるのは嬉しい。

 けれど彼女の大切な人の中に彼女の婚約者が入っていないことに気が付いて、思わずそう言ってしまった。

「あ、そうね。ロランドもいたわ」

 思い出したようにそう言うソレーヌがおかしくて、くすくすと笑う。

「婚約者を忘れてしまうなんて」

「ふふ、今のことは、ロランドには内緒にしてね。きっとお兄様は遅くなるから、今日も先に寝てしまいましょう。詳しい話はまた明日ね」

「そうね。でもリオ様は、私をこのまま滞在させてくれるかしら?」

 リオはミラベルにも優しくしてくれるが、それは妹の親友だからだ。

 ニースの父ディード侯爵とリオは敵対関係である。

 もしミラベルがサザーリア公爵家に匿われていると知ったら、サザーリア公爵家にあらぬ疑いが掛けられてしまいそうだ。

「お兄様なら大丈夫よ」

 そんなミラベルの不安を悟ったのか。ソレーヌは子どもに言い聞かせるような優しい声で言う。

「私と一緒で、お兄様も何があってもミラベルの味方よ。だから何も心配しないで」

「……ありがとう」

 そう言って俯いたのは、何だか涙が出そうになったからだ。

 味方でいてくれるふたりの存在が、とても嬉しくて、頼もしい。

(私も何か、お返しができたらいいのに)

 視線を通したときに、ふと嵌めたままだった指輪に気が付く。同時に、それに関連したできごとも思い出した。

「そういえば控え室で、貴族の男性に絡まれてしまったの」

「……それは、どこの誰?」

 すっと、ソレーヌの顔から笑みが消えた。

 いつも朗らかに笑っている彼女とはまったく違う。

 まるでリオを彷彿とさせるような顔に、さすがに兄妹だな、と少し場違いなことを考えた。

「それが、リオ様にお預かりしている指輪を見せたら、急に真っ青になって逃げだしてしまって」

 怯えたように逃げていったことを思い出して、複雑な気持ちになる。

「そうだったの」

 ソレーヌは、安堵したように笑った。

「お兄様の評判はあまり良くないから、勝手に怯えて逃げ出したのかもしれないわ」

 評判が良くないというよりは、冷酷で逆らう者には容赦しないと言われているようだ。

 たしかに少し怖いことを口にすることはあるが、ミラベルやソレーヌにはいつも優しいので、ミラベルは彼を怖いと思ったことはない。

「でもそんなに効果があったのなら、便利だから嵌めておけばいいわ。公爵家の紋章が入っているだけで、それほど高価なものではないから」

「ええ、そうね。もう少しお借りするわ」

 しばらくはメイドに扮するつもりなので、身を守る術があるのは心強い。

 もう夜も遅かったので、ミラベルは借りている客間に戻って休むことにした。

 明日になれば、リオがあれからどうなったのか説明してくれるだろう。自分で着替えをして、ベッドに横たわる。

 ふと手を翳して、指に嵌っている指輪を眺めた。

 威張り散らしていた男が、一瞬で蒼白になった場面を思い出す。

 サザーリア公爵家は、リオはそれほどまでに恐れられているのか。

 でもミラベルにとっては、優しい兄のような存在だ。

 だが、婚約者だったニースにとっては政敵である。

 リオもソレーヌと王太子のために、ミラベルを公爵家に匿っていると考えても不思議ではないのに、そんな考えはまったく浮かばない。

(だって、あんなに優しい人だもの)

そう思いながら目を閉じる。

 やはり今日のことで少し緊張して疲れていたのか、すぐに眠りに落ちていった。

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